軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

466 袖口とキャラメル

「フィリップの婚約がきっかけだが、ノアーデンとの結び付きが思った以上に深まっているんだ」

「まぁ。良い事ではないですか」

食後のお茶を居間で頂きながら、アルヘルムはアデライーデに笑いかけた。

食事の間に姿を見なかったレナードがなんとなく袖口に蟹の香りを漂わせ、お茶をサーブし終わると静かに控える。

「君が二度、リネア姫をここに呼んだのはもちろんの事なんだけど…」

アルヘルムによると、以前アルヘルムとタクシスとお茶をした時に話した手旗信号と救命胴衣にノアーデン側の海軍将校が前のめりに食いついたという。

ーそういえば、あの時タクシス様が手帳にメモしていたわね。

あの時とは、以前ガラス工房への見学の翌日にアルヘルムがタクシスを伴って離宮にやって来た時のことだ。

ー確かデザートにミルクレープをお出しして、そろばんの話を中心にカルメ焼きとか紙芝居とか救命胴衣とかの話をしたはず。

陽子さんはその時食べたものをキーワードに一生懸命何を話したか思い出そうとしていた。

離宮訪問後すぐに、アルヘルムはタクシスとテレサを通じてテレサの父、ハルデンベルク将軍と私的な会合を持った。

アデライーデのいう手旗信号は、軍を率いた事のあるアルヘルムが聞いても画期的な通信手段だと思うのだが、その手旗信号を軍事的に有効な通信手段となるまで落とし込めるかをだ。なにしろアデライーデの発案は、手旗と望遠鏡を使ってと言うことだけなのだから。

それまで陸上での通信手段は早馬だった。敵に囲まれた場合には早馬は出せず、出城や戦の陣営には高見櫓を建てあらかじめ決められた色の旗を掲げ味方との連絡をするのだが、細かい内容までは伝えられない。

「それは…海軍だけでなく陸軍でも有用です。具体的な、その手段とは?」

タクシスは手旗の形一つを一文字に当てるとアデライーデに聞いた内容を伝え、早速将軍とテレサで手旗信号の基礎を作り、この為に編成された通信隊に訓練させ、よく使うであろう短い文章で試させた。

結果、悪天候でなければ驚くべき速さで短文を国境から王都まで伝えることに成功したのだ。

帝国のフリードリヒをはじめとしたフォルトナガルデンへの各国の貴賓を招いた際の警護の連絡が密に取れ、一度の不手際も事故もなくバルクは招待国としての体面を保つ下支えとなった。

そして、手旗信号を習得した通信隊の進言により夜間に使えない手旗信号に代わるカンテラと布を使った、現代のモールス信号に似た通信方法も編み出されていた。それはテレサと将軍主導でまとめられ、陸上で実験が繰り返され手旗信号とカンテラ信号は当初の利用先であるバルクの沿岸警備艇にも共有された。

船がスムーズに引き渡されるよう、豊穣祭前に送り込まれていたノアーデンの海軍士官と兵達は沿岸警備艇二隻しかないバルクの事を少し侮っていた。水兵制服(セーラー服)こそ立派だが、新兵には泳げる者も少ないと聞き、まずは基礎訓練として二キロ程の着衣遠泳を行わせた。

ーそこからなのか。先は長いな。

ノアーデンでは海軍に士官した段階で、全員数キロの着衣遠泳はできるのが条件だったからだ。

岸には衛生兵と軍医を待機させ、小舟を数隻つけさせていたのだが、脱落者の救助にバルク兵達は小舟から赤と白の縞模様の環状や馬蹄型の何かを投げた。

ーむ。あれは?

士官が首から下げていた小型望遠鏡でバルク兵達の救助活動を見ていると、小舟に乗ったバルク兵の一人が赤い布が付いた手旗を振り出すと岸から小舟がやってきてへたり込んでいる兵を岸へと連れて行った。

無事に訓練が終わると、早速ノアーデンの士官は手旗を振っていたバルクの兵士を呼び出し、それは何かと尋ね手旗信号の存在を知ったのだ。

元々バルクの沿岸警備艇の主たる任務は、警備とトラブルが起こった漁船商船の救助である。互いの警備艇と陸との連携がスムーズな救助には何より大切な事だった。

もちろんコルクと帆布で作られた救命具(救命浮き輪)と救命胴衣の事も非常に重要な役割を持つ。

「この通信技術があれば、各艦同士でより早く連携が取れ素早く有事に対処がとれます。この技術をぜひ我が国にも」と、士官からノアーデンへ報告がなされ、ノアーデンから要請を受けたバルクは手旗信号と救命胴衣の技術を無償でノアーデンへと提供したのだった。

「海難に国という垣根はない」というアルヘルムの言葉を添えて。

ノアーデンは直接の対価を払わなかったが、その他の交渉がバルクにとって利の多いものだったのは言うまでもない。

「ノアーデンの海軍士官もとても喜んでいたよ。それに貴女のお土産にもノアーデンから厚く礼を伝えられたよ」

ーここで全ては貴女の言葉からだと言っても、絶対違うと拗ねるだろうからな。

アルヘルムは、今までの触れ合いでアデライーデとの付き合い方を少し学んだらしい。今日は「貴女のおかげだ」とは言わなかった。

アデライーデは自分が表立って讃えられるより、自分が生み出したもので他者が笑う事を喜ぶ。美味しいという笑顔や便利になったと喜ぶ姿を何よりの誉れとする奥ゆかしい人なのだ。

「本当ですか? 良かったです! あ、そのお土産に作ったキャラメルなんですが、ちゃあんとアルヘルム様にもお茶受けに用意してもらってますよ」

そう言ってレナードにキャラメルを出すように伝えたアデライーデを見てアルヘルムはくすりと笑った。

後に手旗信号とカンテラ信号はバルクとノアーデンだけにとどまらず、全ての船の共通通信として各国に普及する。救命浮き輪や救命胴衣は海難事故から多くの人命を救い、コルクしか産業のなかった小国ポルトー国を発展させるきっかけとなった。