軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

465 蟹刺しとホースラディッシュ

「これが、かにしゃぶなのかい?」

「ええ、蟹の甲羅とコンソメで作ったスープの中で蟹の足を、こう…しゃぶしゃぶとします」

小さなコンロが付いたワゴンに乗せられた銅の鍋に、花形に飾り細工が施されたにんじんが舞っている。鍋の横には白菜の代わりのとんがりキャベツ(シュピッツコール)のざく切りとホワイトマッシュルームが大皿にきれいに盛られていた。

鍋の中の黄金色のお出汁…スープに、生のタラバ様の御御足を軽く三度ほどアルトがくぐらせると、身は花が咲いたように広がる。

本当は氷水が良いのだが、氷室が無い離宮では厨房の下の保冷室で冷たくした水でさっと身を引き締めてからしゃぶしゃぶとなったのだ。

「ほう! 身の形が変わったな」

「ええ、花が咲いたようになりますね」

ー私も初めて見るわ! テレビで見たとおりなのね!

花を咲かせたカニ足を少し大きめで広口のカップスープの器に置き、花形のにんじんを散らしてアルトはアルヘルムの前に置いた。

「まずはそのままで、蟹の味を味わってみてください。その後、蟹酢ソースか魚醤マヨをお好みで」

「ふむ。では、まずはそのまま」

晩餐の席に何故かレナードがいない。

マナーにうるさいレナードがいないうちと思ったのか、アルヘルムは手づかみでタラバ様の御御足を掴むと、豪快にかぶりつく。

「これは…口の中でとろけるような食感と、濃厚な甘みだな! 王宮で食べた蒸し蟹とはまた違う甘さだ」

「はい! しゃぶしゃぶだと火の通りを自分好みに加減できます。火を通しすぎないのがコツなのです」

そう言って、アデライーデもそのまま御御足にかぶりつく。

ーはぁ…、美味しいわ。半生だからお刺身っぽいし。ここだとなかなかお刺身って食べられないのよね。

マリアの目を盗み、キッチンでこっそり魚の欠片を口に放り込んではいるが、マリアの生魚への抵抗が大きく大っぴらに口にすることはまだできていないのだ。

アルヘルムは用意してあった蟹酢も魚醤マヨも気に入ったようで、旨いと言ってパクパク平らげていた。

「ね、アルト。次は二しゃぶでお願い」

「はい、かしこまりました」

まるでラーメン屋で麺の硬さを注文するように、アデライーデはアルトに頼んだ。

「二しゃぶ?」

「ええ、肉の焼き加減でいうと三しゃぶだと半生…ミディアムくらいでしょうか。私ミディアムレアが一番美味しいと思ってて試してみようかと」

「よし、それでは私も同じで頼む」

「はい、喜んで!」

なんだかアルトの返事がおかしいが、アルトは手早く二しゃぶの御御足を出してきた。陽子さんはテーブルに用意されていた魚醤をとって、少しかける。

ーあぁ、これよこれ! ほぼ蟹刺し! くー、ワサビが欲しいわ。 あ。

「ねぇ、アルト。ホースラディッシュってあるかしら」

「あ、はい。まだ走りなので、小さいものでよろしければございます」

このホースラディッシュ、日本では西洋ワサビと言われるもので、旬は冬場。すりおろしたものにサワークリームやマヨネーズ、少量の酢を混ぜ合わせた白いソースは、冬場のローストビーフやステーキに合わせる最高のソースと言われている。

ホースラディッシュの香りは日本のワサビとちょっと違うが、ツンとくる辛味は確かにワサビである。

「すりおろして持ってきてもらってもいいかしら? すりおろすだけね。サワークリームとかと混ぜなくてそのままね」

念には念を入れてアルトに頼む。ここはぜひホースラディッシュのみの味…ワサビとして味わいたいからだ。

アデライーデに頼まれて、アルトはしゃぶしゃぶ係を控えの料理人に頼み厨房に向かった。

がちゃ

「確かホースラディッシュあったよな?」

「はい、ここに」

厨房に戻ったアルトが声をかけると、若い料理人が白いゴボウのようなホースラディッシュを持ってきた。

「すりおろしを頼む」

「すりおろすだけですか? ソースにしなくても良いのでしょうか」

「ああ、すりおろすだけとのご要望なんだ」

「承知しました」

言われた料理人がすりおろし始めるのをアルトが確認しているのを見計らって、ノアーデンの料理人頭が飛んできた。

「アルト様、このカニスプーンと言うものは素晴らしいです! 蟹の身を無駄なく手早く掻き出せます! 先程レナード卿からこれはアデライーデ様が作らせたとお聞きしましたが、何故アデライーデ様は命ぜられたのでしょうか?」

興奮気味に尋ねる料理人頭に、アルトは自慢げに胸を張って答える。

「アデライーデ様は、以前貴国から贈られたノアーデンの料理本の蟹料理に御心を奪われておりました」

「おお! それであのようにお召しあがりに!」

「はい。そして大きな蟹もそうですがノアーデンで小さなザリガニという蟹の身を取り出して料理する料理人は大変だろうからと、アデライーデ様が懇意にされている職人に命じてお作りなって備えておられたのです」

「なんと…、アデライーデ様は、我らが姫君にも細やかなお心配りを頂いたと聞いておりますが、我ら料理人の為に…しかも他国の…」

アルトの話に感動した料理人頭は、持っていたカニスプーンを両手で握りしめた。

「そうなのです! アデライーデ様はお心優しく、忙しい料理人の負担を軽くしたいと、これらの調理器具の開発をお命じになってくださいました」

そう言ってアルトはアデライーデが作らせたスライサーを掲げ、フライヤーをノアーデンの料理人頭に自慢した。

「おお、これが噂のスライサーとフライヤーですね!」

どれも作らせた経緯は間違ってはないが、カニスプーンに至っては陽子さんはいつか蟹を食べる時、スムーズにほじって口に入れたかったのだ。かなりの誤解がある。

明日、献上する料理はノアーデンの威信をかけてお作りせねば!と、料理人頭は固く心に誓った。

厨房の片隅でノアーデンの料理人達は明日の料理に備えテーブルに座り、カニスプーンを使って無心に蟹の身を掻き出している。その中に何故かレナードも混じり無言でカニスプーンを動かしていた。

ノアーデンの料理人達の様子を見に来た時に、レナードは料理人に囲まれカニスプーンの便利さを訴えられ、試しにとちょっとほじってみた。

楽しい。

複雑な構造の蟹の本体を、カニスプーンを使い隅々まできれいに掻き出す楽しさに、思わず我を忘れて夢中になったレナード。

はっ!

気がついた時には山盛りのカニのほぐし身と、ピカピカのタラバ様の殻の山を前にして、我に返ったレナードは食後のお茶のセットを載せたカートを押すアルトの後ろにそっと付いた。