作品タイトル不明
2巻発売記念SS 養蜂見学と伝説
「まあ、こちらで蜂蜜をとっているのね」
今日はアルヘルム様に蜂蜜をとるところを見たいとおねだりしてバルク国内で一番の養蜂場に連れてきてもらっている。
ここはバルクで一番歴史があり由緒正しい修道院の庭園だ。色々な花が咲き乱れ、庭園は絵の具をぶちまけたようにいろんな花が咲き誇っていた。
「はい、蜂蜜もですが、蝋燭もでございます。我々の祈りには蜜蝋から作る蝋燭が不可欠ですので」
案内役の修道院長は、にこやかながらも緊張した面持ちでアデライーデに説明をする。
当たり前だが養蜂の場では蜂と接する。もし、アデライーデが蜂に刺されでもしたら、それは修道院の責任となり大事になる。
最初は蜂は危険でございますから高貴な方にご覧いただけるようなものではないと、院長は丁寧に遠回りに不敬にならぬよう遠慮したい旨の返事を書いたが、しばらく経って「それでもかまわぬ」と再度手紙が来て院長は頭を抱えた。
王からの再度のお召しは断れない。そして養蜂担当の修道士達と話し合い、庭園見学は遠くからご覧になって頂こうという段取りになった。
「あれが巣箱ですか?」
「はい、藁で編んだ巣箱です」
アデライーデの質問に、院長はどきどきしながら答えた。
「ほう、蜂の巣箱は私も初めて見るな」
アルヘルムもアデライーデと同じように興味津々で呟く。庭園の中には所々に深い籠をひっくり返したようなものが台座に乗せられ、あちこちに置かれている。
院長の心臓は、早鐘のように打っていた。
ーあれ、猫ちぐらに似ているわ。確か新潟の特産品だったはず。
そう。職人さんが稲わらで丹精込めて作った猫ちぐらだとウン万円はする高級な猫ベッド。保温性と通気性があって猫飼いなら一度は買おうかなと憧れる猫ちぐらである。
陽子さんは猫ちぐらの実物は見たことなくて、スマホの画像とお値段をにらめっこした記憶はある。あれは猫ちぐらじゃないけど、形状も素材も同じならじっくり見てみたいと猫好きの血が騒いだ。
「近くで見ても…」
「ちょっと近くで…」
キターーーッ!
院長の不安は当たった。
見学の為に蜂蜜を絞る作業の準備や蝋燭をつくる作業の準備は事前にさせていた。
だが、ご来訪直前になって養蜂の担当の若い修道士がボソリと「巣箱も見たがるんじゃないですか」と言った言葉に一抹の不安を覚え、慌てて準備をするように言いつけておいた。
「暫し、ここで、お待ちを。ヨハン…ヨハン…ヨハン!」
院長は二人が巣箱に近づかないように足止めすると、庭園の中ほどにいた白い塊に近づいていった。
「準備できましたか?」
「はい、蜂は全て払い落としたと思います」
ヨハンと呼ばれた修道士はそれまで作業していた巣箱を抱えると、すっくと立ち上り振り向いた。
ーえ?
白い修道服と頭巾は良いとして、その顔面には柳で編んだ鍋敷きのような丸い物がついていた。夜道で出くわしたら絶叫もののぎょっとする対蜂用防護服である。
隣でアルヘルムもぽかんとしていた。
こちらから顔は全くわからないが、本人からはこちらは見えるらしく、すたすたと歩いてきて恭しくお辞儀をされた。
そして、その特異な頭巾をとると人懐っこい顔をした若い修道士の顔が現れた。
「お待たせいたしました。こちらが蜂の巣箱でございます。お見せする前に念の為に燻煙を致します」
そう言うと、肩から下げている 燻煙器(スモーカー) から延びた長い鶴首の管の口を咥えて息を吹き込んで煙を巣箱に入れた。
蜂は全て取り払った筈だが、見落としがあってはいけないと煙が消えるまで注意深くヨハンは確認する。
「…大丈夫のようですね」
辺りに、木や麻が燃えた時の匂いと少し酸味のある 木酢液(もくさくえき) が混じった匂いが漂う。
「その煙は、どんな効果があるのですか?」
「ミツバチをおとなしくさせる効果がございます。薬草や、木の樹脂と牛の…」
と、ここでヨハンは口籠った。
燻煙には牛の陰嚢を乾燥させたものを少し使うのだが、高貴な方の…しかも正妃様に言っていいものか迷って、ちらりと横を見ると院長は貼り付けた笑顔のまま前を見ていて視線を合わせてくれない。
「こほん。……一部分を少し入れたものです」
詳しく聞かれたくなくて、ヨハンは素早く切ってある巣箱を開けてみせた。
「そうなんですね! 初めて見るわ。藁をこんなに分厚く編むんですね。まぁ、こんな風に自然な巣が何枚も」
中には分厚い巣が何枚もあり、たくさんの蜜を抱えていた。
蜂蜜を絞り蜜蝋から蝋燭を作る作業部屋に行くまでの間、ヨハンはアデライーデから巣箱の使い方や普段の作業の内容と防護服の事を質問攻めにあった。
「暑くありませんか? 見えにくくないですか?」
「四角い巣箱ってないんですか?」
「……正妃様、四角い巣箱とはどのようなものでしょうか?」
みつばち好きのヨハンの逆質問に、陽子さんは記憶を絞り出し身振り手振りで以前テレビで見た箱型の巣箱の説明をして、そのままヨハンからハチミツ絞りや蝋燭づくりを教えてもらい、養蜂見学をたっぷり堪能してアデライーデとアルヘルムは帰っていった。
アルヘルム達を見送ると、解放感から院長は蜂蜜をたっぷり入れたワインをがぶ飲みし、ヨハンはその日から作業部屋に引き籠った。
「すごく楽しかったです! 珍しいものもたくさん見れたし体験できたし、修道院のハチミツを使ったお菓子も美味しかったですわ」
「そうか、それは良かった」
自分で絞ったハチミツの大瓶と蝋燭が入ったお土産の籠を撫でつつ、アデライーデはアルヘルムに笑顔でお礼を言い心地よい馬車の揺れを離宮につくまで楽しんだ。
翌年、アデライーデの進言により、それまでの柳に代わり現代の水中メガネに似た養蜂用のゴーグルがガラス職人によって作られる。
そしてその数年後、修道士ヨハン・メーリングは画期的な四角い巣箱と巣枠と蜜蝋の人工巣礎を世に送り出した。
後年追うようにそれに付随する器具、用具が次々に生み出され、メーリングは養蜂の父としてバルクの歴史に名を残す。
もちろん、その陰にアデライーデの助言があったと伝えられ、1つの噂話の信憑性が補完された。
それは、アデライーデ様は四角がお好きという噂だった。