作品タイトル不明
452 パリュールと体幹
豊穣祭を明日に控え、バルク王宮は各国からの賓客を招くにあたり例年以上に準備への緊張感が満ちていた。
なぜなら、一定以上の使用人達の間ではリネアがフィリップの婚約者…ひいては将来のバルクの王太子妃になると確信を持たれていたからだ。
招かれる客はその方の身分もそうだが、バルクにとっての重要さで滞在する客間が決まる。王族であるから最上級の部屋ともてなしになるのは当然であるが、その最上級の中にもランクがある。
細かいところで言えば用意される備品や茶器、リネン1つをとっても細かい差がつくし、部屋を管理する女官やメイドは厳選される。
その全てにおいて、ノアーデン王太子一行の準備はまさに帝国から皇太子一行を招く程の入念な準備を女官長であるマイヤー夫人から言い渡されたのである。
そのお役目を告げられた使用人達はお互い目で「やっぱりね」と会話し、黙って指示に頷いた。正式な箝口令はなかったが、以前不用意なお喋りで左遷された女官達がいたからだ。
前回はノアーデン王太子一行は王宮への訪問だけであったが、今回一行は王宮に宿泊もする。豊穣祭を迎える1ヶ月前にひと滴落ちた緊張感が波紋のように、バルクの王宮を支える使用人達の間に広がっていった。
そして、フィリップは離宮で舞踏会を開催すると決まってから事情を知るダンス教師のロイス夫人から徹底的に 扱(しご) かれた。それまでの正しくステップを踏みダンスを上手に踊るということだけでなく、女性側がミスをした時のフォローの仕方を重点的にだ。
「紳士たるもの、いかなる時も女性に恥をかかせてはいけません」
わざとステップを違わせてフィリップの足を踏んだり、ターンの時にバランスを崩したりとロイス夫人はミスをするのも上手い。
「驚きをお顔を出してはいけません」
「ご自身の軸が崩れていなければ、問題ありません」
「そこは体幹でお相手をぐっと支えるのです。腕力だけに頼ってはいけません」
「お声がけをお忘れなく。もちろん笑顔です」
最近成長期に入りここ半年の間に数センチ背が伸びたとはいえ、まだ11歳の男の子には高すぎるハードルをロイス夫人は次々と繰り出す。だが、それもフィリップがリネアと踊る初めてのダンスを成功させる為なのである。
そして与えられた宿題はステップの練習ではなく、軍事訓練ですか?と言うくらいの基礎体力づくりメニューだった。
驚くフィリップにロイス夫人はにこやかに告げる。
「ダンスは単なるステップの暗記ではなく、踊りの安定性と連続した動きの美しさが 要(かなめ) となります。安定性とは、女性がこの方にならなにがあっても安心して身を任せても良いと思える力強い男性側のリードなのです。その為に必要なのは男性側の体幹です。体幹こそダンスの正義なのです」
そう言い切る彼女の夫は近衛騎士団の副団長で、夫妻は共にダンスの名手として名高い。フィリップはこの時、ダンスは体幹がものを言う格闘技なのだと悟った。
豊穣祭の数日前からアデライーデも離宮から王宮に来ていて、明日のノアーデン一行の出迎えの為にマリアを筆頭にアデライーデのドレスや宝飾品の確認を進めていた。
「ふぅ…。やはり、こちらのドレスにはこのティアラが映える…いえ、やっぱりこちらの方が格が…」
離宮でも迷い続けた豊穣祭のお出ましティアラの選定は、まだ続いているようだった。
マリアは二つのティアラの前で、ぶつぶつと言いながらもう1時間も立ち尽くしている。
ーどっちも素敵よ。だから、どっちでもいいと思うわよ。
お茶をすすりながら陽子さんは心の中で呟くが、決して口にはできない。
真剣に選んでくれているマリアに対してそれは禁句だとわかっているからであるが、そろそろいい加減にしてくれないと、ブランシュのお昼寝起きの時間に間に合わない。
今日はブランシュとお昼寝の後に遊ぶ約束をしているのだ。
マリアの後ろで「どちらにしようかな。裏の神様の言うとおり!」という便利なおまじないを心の中で唱えて、最後に指差したティアラを陽子さんは選んだ。
「マリア。私、こちらの方が好みだわ」
裏の神様が選んだのは、ダイヤモンドを敷き詰め、繊細な9つの大きなダイヤモンドが飾られた 尖塔形(スパイク) と 花綱(フェストーン) モチーフのティアラだった。
「お好み? アデライーデ様はこちらがお好みですか?」
普段、滅多に自分の好みを言わないアデライーデが「好み」を言ったとマリアは驚いたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「ええ、こちらに致しましょう!」
「そうね。ティアラが決まったから、そろそろ…」
ブランシュのところに行かないと…と、腰を浮かしかけたアデライーデを引き留めて、マリアは他のパリュール(宝飾品のフルセット。ティアラ、ネックレス、イヤリング、ブローチ、ブレスレット、指輪等)を持ってきた。
「やっとアデライーデ様のお好みを聞けたのです。ぜひ他のドレスにもお選びください!」そう言って、マリアは目を輝かせた。
しまった…。
普段のドレスや宝飾品選びの丸投げが裏目に出たのだ。
この日、裏の神様は大忙しでブランシュとの約束を守る為にパリュールを選んだ。