軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

376 伸びるチーズとマナー

「なるほど…畜産のお話を中心とした会話だったのですね」

「はい。確かに女性同士の話題としては珍しいとは思いますが、社交という観点でしたらご立派な話題でした」

「ん? 珍しいの?」

「はい、私が今までついた皇女様方が社交時にチーズを使ったお菓子の話題はありましたが、牛の飼育について話題になった事はありませんでした」

「そうなの? 楽しい話題だと思うけど…」

「……、そうでございますわね」

「?」

不思議そうに首を傾げるアデライーデにマリアは苦笑いをしながら、相槌を曖昧に打った。

ーさすがアデライーデ様…ズレて…いえ、アデライーデ様らしいですわ。

マリアは頭に浮かんだ不敬な言葉をすぐに打ち消し、ちらりと横にいるレナードを見た。

レナードは無表情な笑顔を貼り付けている。こんな時は自分と同じ感想を持っているはずと、マリアは離宮に来てからアデライーデに振り回される同士の心中を察した。

ー他の皇女様達は、おしゃれが大好きで宝飾品やドレスに目を輝かせていらっしゃったのに、なぜかアデライーデ様が目を輝かせるのは食材…。

少し遠い目をしたマリアの心中を知る由もなく、アデライーデはヘレーナから贈られたチーズに目を輝かせていた。

「ところで、このチーズは何のチーズなのかしら?」

チーズに添えられたカードを見ると「庶民の生活を知る一端になれば幸いでございます」と書かれていた。ティカートに乗せられた2つの丸い大きなチーズは、映画などでよく見る円柱の輪切りのような形で、箱の中でつやつやと輝いている。

「1つはヘレーナ様のご実家の特産チーズのティロルチーズ、もう1つは炙りチーズだそうです。詳しくは食堂でアルトがご説明致しますが、試食もされますか?」

「もちろん!」

アデライーデはにこやかに答え、チーズを撫でた。ティロルチーズと指さされたチーズは伸びるチーズより一回り大きい。炙りチーズと指さされた方はオレンジっぽい色をしていた。

陽子さんはチーズ好きだが、癖のあるチーズはちょっと苦手である。スーパーでお手軽に買えるモッツァレラやプロセスチーズにお醤油や海苔を巻いて食べるのが好きなのである。

ー炙りチーズって「とろけるチーズ」の事よね。ヘレーナ様は牛のチーズの方が伸びるって話をされてたから、きっとそれを贈ってくれたんだわ。なんだか久しぶりに食べるわね。

ご機嫌で食堂に行くと、アルトは肩幅より大きな弧を描く大きなチーズ切包丁を準備してアデライーデ達を待っていた。その包丁は刃先にも取っ手のついている独特な形をしている。

「こちらはブラートへース、またはラクレットと呼ばれるチーズで、そのままでも美味しいですが、火を通して食べるとより美味しいと言われているチーズです」

アルトはアデライーデが席に座ると、用意した調理用のテーブルでオレンジ色のラクレットを置くと弧を描く包丁をチーズの中心にあて、包丁の両端に力を入れながら揺らすようにチーズに刃を沈めていく。

なかなか力のいる作業のようで、包丁はチーズにゆっくりとしか入っていかない。

アルトはきれいに切れた断面を確認し、くんくんとチーズの匂いを嗅ぐと「極上品ですね」とつぶやき、アデライーデにその断面を見せた。アデライーデからは少し離れているがチーズの匂いがほのかに漂う。アルトはすぐに片方のチーズをもう一人の料理人に渡した。

「熱でとろけるチーズは数種類ありますが、ラクレットは特にとろけやすく伸びがいいチーズですね。賄いのグラタンによく使います」

ーあれ? そういえば、アルトのつくるグラタンのチーズって、伸びてなかったわね。

陽子さんは今までのアルトのグラタンを思い出していた。鳥肉と野菜にベシャメルソースがかかり、パン粉とチーズがかかっていたアルトのグラタンに、確かにチーズはかかっていたが伸びてはなかった。

そう。貴族の食べるグラタンに使うチーズは伸びないチーズをおろして使う。気の張る食事の席でグラタンからチーズがぴろーんと伸びるのは、非常によろしくないからだ。

アルトが皿にオーブンで焼いたジャガイモと、小玉ねぎときゅうりのピクルスを盛ると、タイミングよく先ほどの料理人が断面がこんがりと焦げたラクレットを抱えて戻ってきた。

その料理人がラクレットを少し斜めにして、アルトが皿に柔らかくなったチーズを削り落とす。とろとろに溶けたチーズはとろりと皿に落ち、糸を引いた。

ー美味しそう!

前世食べたラクレットは鉄板にジャガイモや彩りにブロッコリー、トマトが添えられていたが、こちらの世界ではシンプルにチーズを味わう料理らしい。

陽子さんは一匙フォークでチーズを掬うと、チーズがぴろーんと伸びる。くるくるとフォークで巻いてチーズを口にすると香ばしいチーズの香りが口から鼻に抜けた。

ー美味しいわぁ。

チーズの幸せに浸っていると「こほん」と、後ろから小さなレナードの咳払いが聞こえた。どうも、貴族的にこの食べ方はマナー違反らしい。

せっかくの伸びるチーズなのにとは思うが、ここでお小言をもらうのは避けたい。食事はおいしく楽しくがモットーの陽子さんは、ジャガイモにチーズを絡ませてチーズが伸びないように口に運んだ。

ー付け合わせのピクルスがいいアクセントね。

今度このチーズを使って、キッチンでこっそりハイジごっこをやろうと心に誓って、陽子さんはラクレットを完食した。