軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

375 愛と布教

「牛愛に溢れていたわ…」

「はぃ?」

ヘレーナからの手紙を読み終え、ぽつりと呟いたアデライーデの言葉にレナードとマリアが怪訝な顔をした。

「ちょっと、読んでみて」

「……では、失礼致します」

レナードがアデライーデから手渡された手紙を受け取ると、横のマリアにも読めるように少し低めに持ってゆっくりと手紙を読み始めた。

手紙の内容は先日の見学のお礼から始まり、実家の乳牛を褒めて頂いて嬉しかった事と、いかに牛が愛らしく素晴らしい家畜であるかが、みっちりと書かれていた。

またアデライーデが搾乳の知識があった事、牛だけでなく豚やヤギの飼育について関心を持っている事に感動を覚えた事が綴られ、最後に新鮮な乳からでないと新鮮なチーズはできないから牛達を贈らせて欲しいと締めくくられていた。

「牛愛…溢れていますね…」

「…確かに」

マリアの感想に応えるとレナードは丁寧に手紙を畳み、元あった銀のトレイに手紙をそっと置いた。

「当日の話を詳しくお聞きしても?」

こほんと咳払いをしてからレナードはアデライーデとマリアに尋ねた。

見学の日、最初はお互いに緊張していたものの、すぐにヘレーナの実家が牛や豚が特産と聞いて、陽子さんは競馬場で「牛の牧場もこんな感じですか」と話を振った。

陽子さんは薫達が小さな頃、今上陛下もご幼少の時に遊ばれたという「こどもの国」や車で1時間ほどで行ける牧場に何度か足を運んだことがある。そこで牛の乳搾り体験やバター作りなどのイベントを家族で楽しんでいた。

その体験をもとに、陽子さんは乳搾り前の牛のおっぱいを丁寧に拭くことやバターを作る際は使う道具の煮沸消毒が大事らしいですねと、話を広げた。

アデライーデにはそのような経験はないだろうから、あくまでも本の知識として知っているふうを装ってだ。

ヘレーナがアデライーデが妙に畜産の事に詳しいと不思議そうな顔をしたが、マリアからの「アデライーデ様は嫁がれる前、バルク国を知る為に周辺の風土やお料理などをお調べになっておりました」と良い援護射撃があったのも功を奏し、ヘレーナはアデライーデの詳しさに納得したのだ。

ヘレーナは、実家の畜産に誇りを持っている。

動物を飼う事がどれだけ大変なことか、チーズづくりにどれだけの気を使い作るかを、領地経営に熱心だった両親について小さな頃から学び、令嬢にしては珍しく牧場まで度々連れて行ってもらっていた。

元々動物好きなのもあったのだろう。ヘレーナは牧場でつぶらな瞳の牛やぴょんぴょん飛び跳ねる仔ヤギや仔豚の可愛さに目覚めた。

ただ残念な事に美味しいチーズや乳製品の話は令嬢同士で共有できても牛達の可愛さは共有できなかった。男性貴族のペットは狩猟もするので馬か犬、令嬢のペットは大抵猫か小鳥と決まっていたからだ。そこに牛はいない。

アデライーデから「牛ってかわいい目をしているそうですね」「乳搾りはコツがあって難しいと聞きました」「牛飼いさんは1頭1頭顔の見分けがつくそうですね」と言われ、実家や嫁ぎ先であるライエン家の者以外で初めて同じ年頃の同性と「推し(牛)」の話で盛り上がれたのだ。

ヘレーナの胸はときめいた。

同好の貴族女性との初めて出会いである。だが、相手は自国の皇女であり隣国の正妃である。失礼はできない。まして今日はアデライーデの発案である競馬場の視察であり、自分達はもてなすホスト側なのだ。

同位の女性同士で話すようにきゃっきゃっと話したいところをぐっと抑え、アデライーデと貴族女性としての 則(のり) を超えないように頑張って会話を重ねた。

他の令嬢からは聞かれることの無い牛の生態や牛舎の話、果ては飼育の苦労話までの深い話を聞かれ、ヘレーナは嬉しさに意識が飛ばないようにかなり苦労した。

競馬場のお茶を飲む為のテントに移動途中、アデライーデが思い出したかのようにヘレーナに尋ねた。

「ところで、ヤギもお飼いになってるのでしょうか」

「はい。肉は少し癖があるので貴族は余り口にしませんが皮は羊皮紙などに致します。特に子山羊の皮は白く、貴婦人の手袋に人気でございますわ」

ーやった!聞ける…聞けるわ!

「ヘレーナ様は、ヤギのお乳って飲まれたことあります?」

陽子さんが、ずっと昔から気になっていた事を聞いてみた。ペーターが直飲みしていたアレは出来なくともすごく興味がある。

「ええ、私は好きです。ただヤギのお乳やチーズは食べる草や飼い方によってかなり味が変わるので、好みが分かれますね」

ーあれか…ペーターに香りの良い草を食べさせてって言っていたわね。

陽子さんの頭の中で昔見たいくつかのシーンが再生されていた。そして、もう一つ重大な質問をしなければと口を開いた。

「ヤギのチーズって火で炙って食べると伸びたりします?」

「柔らかくはなりますが、あまり伸びないですね。牛のチーズの方が伸びると思います」

ーふむふむ、伸びないのね。だったらあれは演出だったのかしら。

陽子さんは、おじいさんがハイジに炙って柔らかくしたチーズを食べさせるシーンを思い浮かべていた。

「アデライーデ様は、庶民の暮らしにもお心配りなのですね」

「いえ、ちょっと気になっていたもので…ほほほ…」

ヘレーナは良いふうに受け取っているようだが、実際は陽子さんの長年の疑問をぶつけただけである。

現代社会では家が牧場でもない限り、牛やヤギの生乳なんてまず口にできない。長年の疑問が解かれご機嫌になったその後は、テントに移動しチーズケーキをご馳走になった。

視察が終わった夜のお茶の時間にヘレーナは勇気を出して、夫ヨアヒムと当主であるライエン伯にアデライーデ宛に牛を贈ってもいいかと願い出た。

「牛? え? 牛を正妃様に贈るの?」

夫のヨアヒムは妻の突拍子もない願いに目を白黒させて祖父を見た。祖父はくっくっと笑い孫嫁の真剣な願いに耳を傾けている。

普段控えめな孫嫁の熱い 提案(プレゼン) は功を奏し「それならば豚やヤギも一緒が良いだろう」と許しを得たのだ。

「お祖父様、よろしいのでしょうか。正妃様に失礼になりませんでしょうか」

ヘレーナが下がったあとの居間でヨアヒムがライエン伯に恐る恐る聞いてみた。

「良いのではないか? あのお方に馬や宝飾品を贈っても喜ばれまい。お前も使用人達から報告は受けておろう」

「確かに聞いてはおりますが…」

二人はヘレーナとアデライーデの会話は全て、ライエン伯の使用人達から報告を受けている。

まだ経験の浅いヨアヒムは、貴族女性はみな宝飾品が好きだと思い込んでいる節がある。だがライエン伯の目にアデライーデはそうとは映らなかった。

貴族夫人の社交にとって第一の役目はもてなす相手の好みを知る事。ヘレーナはライエン領の次期当主夫人として今回十分にその役目を全うしているとライエン伯は判断した。

「お前もヘレーナに牛を贈ってみてはどうだ? 宝飾品より喜ぶと思うぞ」

「え?」

本格的な『耳目のライエン伯爵』の仕事を教えるには良い機会だと、祖父の意外な言葉に戸惑う孫を見ながら考えていた。