作品タイトル不明
360 子爵と糸
「おかえりなさい。寄親の大役ご苦労さまでした。長旅の疲れはとれた? なんだったら今日一日くらいゆっくりしててもいいのよ」
「慰労のお言葉をありがとうございます。昨晩ゆっくり休ませていただいたので、問題ございません。それより、私が留守の間にご不便な事はございませんでしたか」
昨日の夜、アデライーデが休む前よりかなり早く王宮から離宮に戻ったレナードに「今日はもう眠いから夜着に着替えてしまったの。だから、帰国の挨拶は明日にして欲しい」と、マリアに伝えさせてわざと会わずにいた。
レナードは帝国から帰ってきてすぐに王宮へと向かい、帝国訪問の報告をして休むまもなく離宮に戻ってきているからだ。
「何もなかったわ。言われたとおり、離宮でのんびりしていたわよ」
アデライーデの後ろで、マリアがこっくりと頷いたのを確認して、レナードは恭しくお辞儀をした。
「安心いたしました。旅路の間、そればかりを心配致しておりました」
ウニ事件で落ちた信頼は、まだ回復してないらしい。アデライーデは苦笑いで、レナードの言葉を受けた。
レナードはアルヘルムからの指示で、帝国へコーエンの寄親として披露宴に出席しに行っていた。
帝国の『瑠璃とクリスタル』での披露宴は、あくまでノイラート男爵家アメリー嬢の結婚披露宴として開かれた。
披露宴にはアメリーとノイラート卿の親しい友人達、ノイラート家の親族。そしてノイラート卿の年若い友人達として、皇后ローザリンデが厳選した貴族八名が招待されていた。
帝国の男爵家の披露宴としては、ごく普通の規模である。
ノイラート卿の年若い友人達は、子爵を筆頭に 他(ほか) は男爵ばかりで、招待客リストの爵位だけ見ればごく普通の男爵令嬢の披露宴に見える。
「若い苗木の添え木には、同じくらいのものがちょうどいいの。添え木が大きすぎてはうまく育たないわ。苗木が育つ頃には、添え木も立派になって別の苗木を育てられるようになるわ」と、考え方が柔軟で好奇心旺盛な令息達がローザリンデによって選び出された。
バルクに送られてきたローザリンデが選んだ披露宴の招待客リストと共に、「未来ある新男爵夫妻にふさわしい方々よ。ぜひ親睦を深めてね」と 添文(そえぶみ) があった。
受け取ったアルヘルムとタクシスは、リストを見て唸った。彼らの今の身分は子爵男爵でも、彼らの実家は皇太子時代より以前からエルンストを支えた現皇帝派の家なのである。
「シリングスの寄親を決めてなかったのは、失敗だったな。そろばんだけでも大きな利権が絡む。それに加えて螺鈿細工もならば、尚更だ」
ローザリンデの添文を睨みながらタクシスが呟くと、アルヘルムは難しい顔をして「うむ」と応えた。
寄親は寄子に対して大きな力を持つ。優秀な寄子がいてその寄親が派閥内で力を持ちすぎると派閥内の不和の元ともなりかねない。
そろばんもだが、コーエン・シリングスが作り出した螺鈿細工はその力を十分に秘めていた。
その為、コーエンの寄親は家格人格を含めて慎重に吟味されていたのだ
「仕方あるまい。選定中だったからな」
「我が家が直接寄親になれるのであれば、良かったのだが」
侯爵が寄子にできるのは、伯爵位までと決められている。男爵を寄子にできるのは子爵なのである。
それにタクシス侯爵家は、表向き王家の事業である炭酸水やクリスタルガラスのはじめ、フォルトゥナガルテンや新しい街に関わる事業の要の部分に、派閥の者を配置している。
ここで特例として、シリングスをタクシスの寄子にできなくもないが、それでは他の派閥の侯爵達から不満が出る。
しかし、新年祭でのアリシア商会代行の子爵の件もある。高位貴族を相手にいなせる子爵はなかなかいないのが現実なのだ。
「高位貴族に臆することなくシリングスを守り、強欲でなくシリングスを指導できる子爵となると、俺の派閥にはなかなか…」
タクシスは、ため息をついて、添文を執務室のテーブルに置いた。
どの世界でも、欲しい人材はなかなかいないものである。
「…………いるな。お前の派閥ではないが。いや、強いていえば、どこの派閥にも属してない人物が」
執務室のソファに身体を預け、天井を見あげていたアルヘルムがぽつりと、呟いた。
「ん? 誰だ」
「お前が説得すると約束するなら、教えてやるよ」
そんな奴がいたか?という顔をしたタクシスに、アルヘルムがソファから身を起こして、にやりと笑った。
その日のうちにレナードは王宮に呼び出され、半日かけたタクシス『侯爵』の必死の説得に「仮親ならば」と、レナード・ボアルネ『卿』はようやく首を縦に振った。
即日、レナードにはアルヘルムより直々に子爵位が与えられた。
レナードは、伯爵家の出だ。実家は長兄が継ぎ、今はその兄も亡くなり長兄の長男が当主である。
下賜された爵位の名はボアルネで、実家の伯爵家と同じ名だが、新たな爵位なのでこれで実家との縁が切れる。
もとより、王宮に勤めだしてから実家との縁は薄くなっていた。父が亡くなり母も鬼籍に入った時に縁は糸のようになっていた。
最後に実家に戻ったのは長兄の葬儀の時だった。そこで初めて王宮で会釈しかしたことのなかった甥と、言葉を交わした。
兄への弔意に貴族らしい型通りの返礼を口にし、叔父上ではなくボアルネ卿と呼ぶ甥に、親族としての別れを心の中で告げた。
その自分が、実家と同じ名の子爵位を 受爵(じゅしゃく) するのだから、皮肉なものである。
妻も持たなかったのに、何故か王族の養育に携わった。そして多くの侍従達も育てた。今も、なにをしでかすかわからない高貴なお方を、立派な貴婦人としてお育てしているようなものである。
寄親となるならば、寄子であるシリングス卿は息子と同じ。
果たしてシリングス卿は、自分の思う理想の貴族となるであろうかと思いながら、かつてお育てしたやんちゃ坊主からレナードは爵位を授かった。