作品タイトル不明
327 馬車と既製服
レナードに訪ねてから五日後、コーエンは緊張した面持ちで、自分の馬車に乗っていた。
ガリオンを訪ねた翌日、イザークとオスカーという元王宮の従者や従僕をしていた老人達を紹介してもらった。彼らはコーエンの頼みを快く引き受けてくれ、貴族の作法や習慣を知らないコーエンの手助けを約束してくれた。
「ふぉふぉふぉ。こんな年寄ですが、まだお役に立てるとはのぉ。嬉しい限りじゃ」
「全くじゃのぅ。まずは馬車じゃのう」
そう言って善は急げとばかりに、馬と馬車を見繕いに連れ出された。アリシア商会にお金を取りに行こうとするコーエンを二人は引き止め、村の知り合いから借りた馬車でイザークの知り合いの馬車工房へ向かう。
道すがら話を聞くと、貴族の馬車はオーダーメイドでお値段はかなり高額らしい。それこそ庶民の家一軒分と聞いてコーエンは青くなる。
「そこは、それ。馬は馬方といいますからの。馬車だけに」
イザークは楽しげに笑うが、これからアメリーとの婚約式や結婚式を控えているコーエンには笑い事ではない。
王都の外れにある馬車工房に着き、出てきた工房主に挨拶をすると、交渉してくるからとイザークに言われコーエンはオスカーに、工房を見学しようと連れ出された。
工房では大勢の職人が忙しそうに運搬用の馬車を造っている。最近のバルクの発展で馬車工房も忙しいようだ。邪魔にならぬようにしていたが、扱う物は違えど同じ職人。コーエンは職人達の仕事に見入っていた。
しばらくして工房主とイザークがコーエンのところにやってきて「こちらへ」と、工房の端に連れて行かれた。
そこには装飾も何も無い、古い小型の黒いキャリッジ -二頭または四頭立ての四輪箱型馬車-が、停められていた。
「さる子爵様のご先代がお忍び用に持たれていた馬車なのですが、新しい馬車を購入された時の下取りでおいていかれたものです。古いですがまだ十分にお使いいただけるかと」
そう言って、扉を開け車内を見せる。
ドレスの女性二人と紳士が二人乗るにしてはかなり狭いがアメリーと二人なら十分な大きさだった。内装もシンプルだが趣味がいい。
「お忍び用かの」
「ええ。なので、ご家族で使われるには少し狭いです。しかし、新婚の男爵様が使われるのなら十分かと」
「ふむ。悪くないな。手頃な馬はいるかの?」
「それでしたら、こちらに」
あっという間に話は決まり、馬を見せられ購入となった。コーエンは支払い額を聞いてがくぶるだったが、イザークが大丈夫だと耳打ちする。
男爵は家族で乗れる四人から六人乗り用の馬車を一台だけ所有することが多い。一人用の馬車はもっと小さなキャリオル - 一頭立ての小型二輪馬車か箱型で二人乗り用のクーペ となる。
個人用の馬車を持つ事が多い子爵以上には飾りの無さで用途が限定されるが、コーエンは新男爵で普段使いにも王宮に夫妻で呼ばれる時にも使えるし、ノイラート卿と三人のお出かけにも使える。
お買い得だと、イザークは笑う。
馬車は、微妙な大きさで中々買い手がつかなかったらしい。馬も馬車馬としては盛りが過ぎ、かなり値が安いという。
「なぁに、休み休み走らせれば、まだまだ使えます。儂らのようにですな」
コーエンは馬車も馬も目利きができない。言われた金額は大きいが、ここはイザークを信じるしかない。支払いはアリシア商会宛にと言うのがコーエンには、やっとだった。
数年後、この時の買い物はかなりの破格値だったとコーエンは知ることになる。
レナードに教えられた仕立て屋の店につくと、馬車の外からノックと共に「コーエン様、到着いたしました」とオスカーの声が聞こえた。
オスカーに扉を開けてもらい、店の前に降り立つとコーエンは足を停めた。そこはコーエンでも名前を知っている王都でも指折りのテーラーの店だった。すぐに店の者が出てきて御者台にいるイザークに停車場の位置を伝え、店の扉の前でコーエンを待った。
気後れするコーエンにオスカーが小声で囁く。
「私がお話を進めますので、私の言葉にコーエン様は頷かれてください」
「あ…はい」
「そこは『わかった。頼む』でよろしいかと」
「は…。わ…わかった。頼む」
慣れぬ言葉に噛むコーエンを先導し、二人は店に入っていく。
「お待ちしておりました。シリングス卿。此度は叙爵おめでとうございました」
「ありがとうございます。お陰で無事に叙爵を済ますことができました」
あの時の高齢のテーラーがコーエン達を出迎え、コーエンが返しの挨拶をすると、そのまま貴賓室に通され勧められるまま上等なふかふかのソファに腰を下ろすと、ソファの後ろにオスカーが控えた。
「レナード様より、当面必要な服を誂えるようにとお手紙をいただきましたので、ご用意いたしました」
テーラーの隣のワゴンには布の束が山積みに置かれている。
「まずは、訪問着を相手先に合わせて数着と普段着を数着でしょうか。それと下着と小物。靴なども必要かと」
「承知しました。靴はご紹介できる店が一区画先にございますので、後ほど紹介状をお渡しいたします」
「ありがとうございます。主人はすぐに婚約式がございますので、それ用の服もお願い致します」
「それはおめでたいですな。当方で誂えていただけるとはありがたいことでございます」
コーエンそっちのけで、話はとんとんと進んでゆく。コーエンの体の寸法は前回測っているが、念の為の確認と再度メジャーがあてられた。
その後は、用途に合わせて作る服の布地を選ぶのだ。候補が三種類程目の前に置かれるが、どれも高級な布というくらいしかコーエンは分からない。
「それであれば、こちらがよろしいかと」
すかさず代わりに答えるオスカーの言葉に、ただただコーエンは頷いた。表地すらわからないのに、それに合わせる裏地や襟や袖口の形、ボタンの数。服一つ誂えるのに決める事が多すぎる。
全てが終わる頃、冬の陽は傾きかけていた。
そして、コーエンは着てきた庶民用の訪問着から真新しい 既製品(プレタポルテ) の服と靴を身に纏い、テーラーの店を出ることになる。
テーラーには、たまに飛び込みで質素な間に合わせの服を買いたいと言う訳アリ客が訪れる事がある。そのためテーラーには常に用意があるのだ。
帰り際、二人の老人に勧められるままに袖を通したが服を誂えに来たのになぜ既製品を買うのかと、テーラーが席を外した隙にこっそりとオスカーに聞くと、オスカーはコーエンの杖を渡しながら答えた。
「これから靴を誂えに一区画歩くからです。道中も人の目がございます。ここは貴族街の一角ですので、人の噂も早いのですよ。誰それが、どこの店に出入りしているとか…、どのような服装だったとかですな。特にコーエン様は叙爵されたばかりですので、特に人の口に登りやすいのです」
確かに庶民でもそういう噂はよく聞く話だが、貴族のそれはもっと早いらしい。コーエンは家が貴族街ではなくて良かったと思いながらもため息を一つつき、早速オスカーに叱られた。