作品タイトル不明
328 紙挟みと老従者
「やぁ、お待たせしたね」
「お久しぶりです。コーエン様」
「ご無沙汰致しておりました。ノイラート卿、それにア…アメリー嬢」
いつものようにアメリー様と言いそうになり、少し噛んだが挨拶は無事に済ませた。
今日は婚約式の話をする為の訪問だ。
この日の為に、コーエンは朝日が昇ってすぐからお茶を飲む練習をオスカーから受けていた。日中は仕事があるし、夜はオスカーが起きていられない。
ここ数日はオスカーの声かけからコーエンは起こされ、仕立てたばかりの貴族の普段着に着替えさせられる。着替えを手伝ってもらうのなんて、子供の頃以来だが、手慣れたオスカーによって洗顔から歯磨きまで自室で済ませる。
着替えを済ませると、自室に運ばれたお茶を1杯飲むまでが、ここ最近のコーエンのモーニングルーティンだった。オスカーから姿勢からティーカップの持ち方、飲み方まで細かく指導された。やっと、オスカーの「よろしいかと思います」の言葉が出て本日の訪問となったのだ。
「では、別室にお茶の支度をするように言ってまいりますわね」
アメリーは頬を赤らめ部屋を出ていくと、ノイラート卿は用意しておいた書類をコーエンに差し出した。
「こちらが婚約式に伴う書類だ。宰相閣下にも目を通してもらっているよ」
革表紙の紙ばさみに挟まれた書類は、結構な量がある。
貴族の結婚は家同士の契約だ。婚約式前の両家の家長が話し合い、結婚に伴う持参金の金額や花嫁の個人資産、結婚後に事業を始める場合の両家の出資金や報酬の取り分を決める。もちろん婚約破棄や離婚に伴う条件もここで決める。
ここでお互いの条件が合意されれば、書類は三通作成される。婚約式当日に再度確認して署名し、一通ずつそれぞれの家で保管する。そして残りの一通を王家に提出する。この結婚の場合は、バルク王家と帝国に一通ずつとなる。
庶民の婚約式に契約書はない。二人を知る人達を招き結婚が決まったと報告し、お茶とお菓子や料理を振る舞う。招待客が二人に欲しい物を聞き、個人で贈ったり、値の張るものは皆で出し合って贈る。そもそも婚約式をしないカップルも多い。
ただ、 大店(おおだな) の商会同士の結婚は、貴族と同じように取り決め教会に預かってもらう。
渡された書類にじっくりと目を通すが、それがコーエンにはいい条件なのかどうかわからない。ただ 記(しる) された金額の大きさだけが目に残る。それでも最後まで読み終え顔を上げた時に、オスカーが静かにコーエンに声をかけた。
「僭越ながら、拝見させて頂いてもよろしいでしょうか」
オスカーの申し出に、ちらとノイラート卿を見ると卿はこくりと頷いた。オスカーはコーエンから手渡された紙挟みを恭しく受け取ると、同じようにじっくりと目を通す。
本来、この場にはお互いの家の家長が座り条件を取り決めるが、コーエンは名誉男爵で庶民である父親はこの場に来れない。その場合、寄親が父親代わりとなるがコーエンにはまだ寄親が決まっていないので一人で来ている。その為のこの老従者なのであろうと、ノイラート卿は察していた。
「ご婚約おめでとうございます」
オスカーはにこりと笑い、紙挟みをテーブルの元の位置に戻した。条件に不備は無いようだ。
「アメリーをよろしく頼むよ」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします。アメリーさ…嬢に幸せだと思ってもらえるよう努力致します」
そして、コーエンの言葉に満足気に微笑むノイラート卿に、屋敷の事を早速相談した。ノイラート卿は驚いた顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべる。屋敷の土地を賜わったということは、バルク国がこれからのコーエンの活躍に期待しているという事だからだ。
「私も屋敷を受け継いだ身で建設に関してはわからぬ事も多いが、知る限りの事であれば力になろう」
「心強いです」
「では早速、アメリーのところに行こうか」
二人は、連れ立って別室で待つアメリーのもとに向かった。アメリーの待つ部屋は婚約式にふさわしく冬の時期だというのに、華やかに色とりどりの花で飾られ花の香りで満たされた部屋は春のようだった。
香り高い紅茶に、アデライーデがつくった琥珀糖をはじめとりどりの茶菓子が、ワゴンに用意されている。
「おめでとう。未来のシリングス夫人」
「まぁ…お父様ったら、気が早いですわ」
髪と同じくらい頬を真っ赤に染め、アメリーが父親のキスを額に受けると席を二人に勧めた。 一時(ひととき) 三人は和やかに談笑し、茶を一杯飲むとノイラート卿は、書類を作るからと席を外した。
「婚約式…。本当に私達、結婚できるのですね。まだ夢のようですわ」
アメリーは、夢見るような目でコーエンを見つめそっと呟く。コーエンはすぐにでもアメリーを抱きしめたかったが、部屋にはオスカーをはじめ数人のメイドがいるので「私もです」と言うにとどめた。
「今日はお天気もよく、お二人でお庭をお散歩されてはどうでしょう」
オスカーがコーエンにタイミングよく進言すると、アメリーはオスカーを見た。見知った顔ではある。しかし、従者服を着て髪を整えたオスカーを、誰だったかと思い出そうとしていた。
「最後にお会いしたのは、村の酒場でしたかな」
「あ…」
「今はコーエン様の従者として、ここにおります。ま、村の老人の世を忍ぶ仮の姿ですかな」
オスカーはそう言うと、茶目っ気たっぷりに小さく片目を瞑った。
「ささ、あとはお若い二人で…」
どこかの見合いの席の仲人のような言葉をかけ、オスカーは二人を庭に送り出した。