作品タイトル不明
112 見送りとマデルの困惑
「じゃ、またすぐに来るよ」
そう言うと、アルヘルムは皆の見ている前で、アデライーデを抱きしめる。
「! 皆が見てますわ」
アデライーデより頭1つ半は大きいアルヘルムに抱きしめられると、アデライーデはアルヘルムの腕の中にすっぽり入ってしまう。小さくジタバタと抵抗するが、逞しいアルヘルムの腕はピクリとも動かない。
「いいんだよ。夫婦の 永(なが) の別れなんだから…」
長い抱擁を済ますと、赤く染まったアデライーデの頬にキスをしてアルヘルムはオリスに跨って手を振った。
騎士達を従えたアルヘルムの姿が見えなくなるまで見送ると、日は大分傾いていたので辺りはすぐに暗くなってきた。
「お部屋に戻られますか?」
レナードに声をかけられ、アデライーデは頷いた。
「そうね。戻りましょうか」
「今日は賄いの時間が戦場の様なさまでしたのよ」
晩餐の席でマリアがアデライーデにそう言うと、ナプキンで口を拭った。
「戦場のようなって?」
「アルヘルム様付きの騎士達もですが、警備隊の兵士達も賄いに夢中になってしまって、調理人たちはずっと賄いを作り続けていましたの」
「まぁ」
「あまりに早く食べてしまうので、私達は遠慮して後で食べたのですがアルト達は結局何も口にしなかったようですわ」
「……、レナード本当なの?」
「はい、非常に混雑しておりました。警備隊の者も増えましたし厨房は少し手狭になっていた事もありますのでそれもあるかと思います」
「そう…。後でアルト達に話を聞きたいわ。それに厨房も見てみたいの」
「厨房をでございますか?」
「ええ、視察という事なら見に行ける?」
「視察であれば、よろしいかと」
アデライーデが厨房で料理を作るのはダメでも、主としての視察であれば行くことは可能らしい。晩餐後厨房の片付けが終わってから視察をするとレナードに頼み、晩餐後にマリアに詳しく話を聞くと陽子さんは考え込んでいた。
--食べ盛りの運動部の男の子達がご飯に群がったって感じよね。兵士達も10代から30代くらいだから、それは食べるでしょう。フライドポテトやトンカツを目の前に置かれたらあっという間になくなるわね。
レナードに呼ばれ厨房に行くと、ゲッソリとしたアルト達がアデライーデを出迎えた。
厨房はそれなりに広く聞けば普段はそれほど問題はないらしいが、人気が揚げ物に集中した事が問題だったらしい。
「アルト…みんなもごめんなさいね。大変だったでしょう?」
「いえ、私達の手際が悪く…」
「慣れない料理をさせた私もいけなかったわ」
アルト達は恐縮していたが、数人分作るのと50人近い使用人と兵士達の食事を作るのは訳が違う。アルト達はペティナイフで芋の皮を剝き、大鍋3つで揚げ物していたようだが陽子さんが見ても、それでは追いつかないだろうというのは察してあまりがあった。
しかも兵士達からフイッシュアンドチップスとトンカツの人気は高く、ぜひ今後も賄いのメニューに取り入れて欲しいと熱望されているとアルトが笑いながら言う。
「断ったら、殺されそうな勢いでした。それだけ皆の心を掴むメニューですので、私としてもぜひこれからも作りたいのですが…」
「そう…でも」
焼いたり、煮込む料理が主流のこの世界に揚鍋はない。魚を一匹料理するための楕円の鍋を代用して作っているがそれでは追いつかないのだ。
「わかったわ。明日鍛冶屋さんを呼んでもらえる?」
「鍛冶屋を、ですか?」
「専用の鍋を作ってもらうわ。揚げ物用のスペースを作ってもらえるかしら」
「承知しました」
翌日、村の鍛冶屋の親子が離宮に呼ばれた。
生まれてこのかた高貴な方を身近で見たことの無い鍛冶屋の親子は、離宮からの使いの「アデライーデ様がお会いしたいと言われている」と言う言葉に驚き、急いで体を洗って村の雑貨屋で中古の服を買い離宮にやってきた。
離宮には来たことはあるが、いつもは使用人の部屋に行き修理する道具を引き取ったり、庭園の庭師の道具を納めたりする事しかない。
いつものように使用人の勝手口から入るとアルトに迎えられ、玄関ホールに通された。見たこともないきらびやかな室内に目を奪われるが、しがない鍛冶屋の自分になんの用だろう無理難題を言われたらどうしようと、アデライーデが出てくるのを緊張して待っていた。
「お待たせしました」
2階からレナードとマリアを連れて、淡い緑のシンプルなワンピース姿のアデライーデが降りてきた。
「は…はじめまして、アデライーデ様。私が村の鍛冶屋のマデルで、これは息子のマニーと申します」
「はじめまして、アデライーデです。今日は急に来てもらってごめんなさいね」
「いえ!とんでもありません。いくらでもお呼び出しを…」
緊張でガチガチの二人を見てアデライーデは、ホールのソファに座るように勧めた。二人は今まで座ったことのない柔らかなソファに失礼のないように座ると、アデライーデはテーブルに数枚の紙を並べ始めた。
「こういう物を作って欲しいのだけど……」
1枚目はテーブルのような物だ。
「これは…フライヤーと言って揚げ物をする大型の鍋…のようなものなの」
「鍋?テーブルではなくて?」
びっくりしたマニーが、思わず口に出してしまった。
「ええ、驚くのも無理はないわ。アルトにもレナード達にも驚かれたもの」
アデライーデは笑いながら四角いテーブルのような鍋の説明を始めた。
アデライーデが言うには、上に四角い大きな鍋が3つ収まり下は薪が焚べられるようになっているかなり大きなテーブルに似たものだと言う。こんなものは見たことも聞いたこともない。
呆気にとられて見ていると、次の紙を取り出した。
「これはその鍋のサイズに合わせて作ってほしい揚げ網なの」
見ると描かれている絵は、四角いかごに取手と反対側にひっかけのようなものがついているざるの様なものだ。
「四角いカゴに取っ手をつければ良いのでしょうか?」
「そう!そういうものよ。鍋の中に入るくらいの大きさで、網目の大きさはこのくらいで…」
アデライーデは紙に網目の大きさを書き込んでいく。こちらは見たことがあるものなので安心して紙を受け取ったが、3枚目の紙を見るとマデルはこれを何に使うかわからずまた黙り込んでしまった。
「これはね…ピーラーと言って、野菜や果物の皮を剥く道具なの。ここに刃がついていて、じゃがいもに当てて引っ張ると皮が剥けるのよ」
「……はい…」
アデライーデにそう言われたが、全くピンとこない。
大きく丁寧に描かれているので作ることは出来るが……。果たしてアデライーデ様が満足してくれるようなものができるだろうかと心配になってきた。
「あとはこれ…」
四角い3センチほどの厚さの枠で中がマス目になっている、それを台にはめると、両端に取っ手のついた板で上から押すのだというのだ。
「ここの部分が薄くなっていて上から押すとじゃがいもが切れるの」
これに至っては全く用途がわからない…。ただ造りは簡単なので作れないことはない。
「最後なんだけど、銅でこれを作ってほしいの」
渡された紙には四角いフライパンが描かれていた。四角いフライパンなんて聞いたこともないが、今日依頼されたものの中では1番馴染みのあるもので、マデルはホッとした気持ちになった。
「以上が作ってほしいものなのですが、作れそうですか?」
正直、揚げ網と四角いフライパンとなんだかわからない四角い枠はなんとかなる…。大型とはいえフライヤーと言うものは 竈(かまど) の上に四角い鍋をはめ込む枠が付いた物だと考えれば良いかと思うが、ピーラーに頭を悩ませていた。
隣で息子のマニーもピーラーの紙を持ってブツブツ言い始めた。息子は集中すると独り言を言う癖がある。アデライーデ様の前でもお構いなしに言い始めたのでテーブルの下で足を踏んでキッとひと睨みした。
「ご希望通りの品が作れるかわかりませんが、努力いたします」
「マデル。誰も見たこともないものなので、まずは試作を持ってきたらどうかな」
「それは、いいですね。私もぜひ試作品を使ってみたいです」
マデルたちの困惑ぶりに、レナードとアルトが思わず助け舟を出してきた。アルトは調理人なのでアデライーデから見せられた紙を見て、その規格外の発想に驚いた。これなら大量のフライドポテトや揚げ物が一度にできるとワクワクしていた。
「試作を見ていただけるのなら、是非」
マデルは、試作をアルトに相談できるとわかりホッとしていた。使う人間が意見をくれるのはありがたい。
「引き受けてくれて嬉しいわ。無理を言ってごめんなさいね。でも、これができると厨房がとても助かるの」
「お役に立てれば幸いでございます」
マデル達はアルトと一緒に礼をすると、厨房に下がっていった。フライヤーを置く場所とサイズを測りに行くという。下がってゆく3人を見送ると入れ違いに従僕が入ってきて、レナードに耳打ちをした。
レナードは、従僕をその場に待たせアデライーデに報告をする。
「アデライーデ様、 指物師(さしものし) が試作品を持ってお目通りを願いに来ております」