作品タイトル不明
国王一家の敗走
そして王子と国王夫妻と王子の取り巻き(含不貞相手)が残った。地獄が煮詰まっていく。
彼らはかなり察しの悪かった学生たちにすら機知で敗北し、脱出の機会を逃した。学生たちがなぜ突然集団で倒れたのか理解できなかったのだろう。倒れるべき時だったから倒れた。それだけだ。
もし倒れたのが一人なら、国王夫妻は生来の善良さを発揮して手厚い介助を申しつけたかもしれないが、倒れた人数が多すぎて意表を突かれた。それでも介助の指揮をとればこの場からは脱出できただろうに、学生たちが素早すぎて何かを指示する必要もなかった。
王家が大広間から脱出できたとしても公爵からは逃げ切れないが問題の先送りは可能だった。逃げた先で侍従長や大臣に相談すれば、ここで頭を真っ白にしているよりはましな対応を考えてくれたはずだ。公爵家に土下座以外の選択肢が見当たらないが、身内のみで内々に行うだけでもかなり違う。最善がとれなくても次善をとるべきなのに、最悪を選んでしまうのは恋愛脳の呪いだろうか。
やはり男系長子相続は無理があったということか。まさか国家レベルで大恥をさらすとは。唯一の王子は筆頭公爵家との婚約破棄をなぜか王宮舞踏会で叫び、遅れて現れた国王夫妻は事態を収拾どころか悪化させた。遅すぎる登場のうえに、王妃の第一声が致命的だった。
「盛況ですね。今宵は王子から素晴らしい発表があると聞いていましたが、間に合ったかしら?」
王子の婚約破棄宣言は確かに報告されたし、驚愕して様子を見に行った侍従長も「事実でした。公爵閣下が大臣たちと協議中です」と事実を伝えたにも関わらずこの言葉である。
今頃は外交使節団から各国に面白おかしく脚色された断罪劇が報告されていることだろう。脚色しなくても喜劇だ。ここまで恥をさらして王室外交などできようはずもない。どこの国が、はっきり傀儡と露呈した王の治める国と外交交渉をしてくれるのか。足元を見られるだけである。国内貴族相手でも同様だ。
有象無象につけいられる隙を叩き潰すために、国王代行である公爵がその場で徹底的に重鎮たちを糾弾した。些細な、しかし結果を見れば重大な不作為をあげつらい、この騒動の責任を各省の長に求めた。
国王代行の筆頭公爵が名目も国王となる日は遠くない。公爵が厭うても元老院が決断するだろう。国家を血に帝王教育を枕に育った王の爆誕である。大広間から脱出した誰もが未来を正確に予見していた。だから逃げた。きたるべき日に備えるために。
職務上最後まで退出できない楽団や侍従は、置物のように気配を消している。置物道を極めた国王も真っ青である。今、彼らの心はひとつだった。国王一家に一刻も早く退出してほしい。人生からとは言わないからこの国から。いや、諸外国にその血を利用されては余計に面倒ごとになる。廃太子を利用しての国盗りは侵略の基本である。その血筋はどこまでも面倒だった。とりあえず、ここからは王家と公爵家の親族のみで話を進めるべきではないだろうか。侍従は話し合いからも逃げられないが楽団員は逃げたかった。
今すぐ閉会宣言をという臣下の懇願の眼差しを一身に集めつつも、突発事態に弱い国王は公爵に反論されてから固まったままだ。人生で初めて公爵に厳しい眼差しを向けられたことが衝撃だったのかもしれない。突発事態に弱い王妃も固まっているし、突発事態に弱い王子も固まっている。気絶ヤギか。ヤギならすぐに復活するのに。
なぜこうなってしまったのか。公爵ですらそう思わずにいられない。
多くの良識ある大人たちの目をくぐりぬけ、こんな茶番を始められたのは、王子らに計画性が皆無だったからである。
成人の証となる初の舞踏会では公爵令嬢が婚約者として王子の隣に立つ予定だった。王子は不平をもらしたが、不貞相手を控室に連れ込むことは王子付きの侍従が頑として許さなかった。
登城してくる公爵令嬢の出迎えにも行かず暇を持て余していた王子は、側近候補の一人が前日に差し入れた草稿を手慰みにひもといた。婚約破棄系恋愛小説になぞらえたその原稿は、恋愛が絡まないことは頭に入らない王子に諫言するための力作だった。はからずも公爵と似た手段を取っている。婚約破棄宣言は短編の始まりでしかなく、最後まで読めば婚約破棄がいかに荒唐無稽で破滅的かを理解できる内容に仕上がっていた。最後まで読みさえすれば。
王子は冒頭の宣言文だけを読んで決行を決めた。鬱憤が溜まっていたとはいえ行き当たりばったりにも程がある。
そしてなんの策略もなく本心から「今日は素晴らしい発表ができる」と侍従に国王夫妻当ての伝言を頼んだ。側近候補では国王への伝言は不可能なので侍従が直接向かった。起草者からあらかじめ相談を受け、草稿の真意を普通に理解できていた侍従は、食い入るように熟読する王子が 猶予期間(モラトリアム) の終わりを受け入れたのだと喜んだ。だから喜んで伝言を伝えに中座した。冒頭だけを繰り返し読んでいるなんて気が付かなかった。
侍従が消えた控室では、王子が側近候補たちに会場で不貞相手を誘導するように命じていた。王子が狙って侍従をお使いに出したわけではなかったが、止める大人が消えたのは致命的だった。道ならぬ恋に当てられて判断力の鈍った彼らは、控室に呼ぶのは許されないが、舞踏会の会場でなら少しくらい不貞相手と近づいていても大丈夫だろうと考えた。王子の思惑と草稿の中身を知らなかったことは不幸だが、それをおいても重要な舞踏会で王子の不貞相手を王子に近づけるなどあり得ない。従ってはいけなかった。
王子付の侍従は今、会場の隅で死んだ魚の目を再現している。最後の良心で起草者を会場から逃がしておいた。側近候補とはいえ雑用担当だから王子と同時に入場する立場にないと賢く辞退していた起草者は王子の傍にいなかったため逃がしやすかった。驚くべきことに彼女は王子の失脚を狙った工作員ではなかった。王子になんの策略もなかったように、地獄への道を善意で舗装しただけだ。おかげで筆頭公爵すら出し抜けた。出し抜けてしまった。
この惨状の原因は何なのか。
王子の個人的な資質の問題か? それもあるだろう。未熟な側近候補たちが王子に迎合して恋愛脳を加速させたからか? それもあるに違いない。だが側近候補も一枚岩ではなかったし、周囲には良識ある大人も多数配置されていた。侍従は間違いなく王子を嗜めていたし、関わるすべての人が苦言を呈していた。たとえば王子の個人予算を管理していた担当官などだ。
致命的な婚約破棄宣言を実行した王子だが、さすがに婚約者費用の不貞相手への流用はなかった。 件(くだん) の令嬢への贈り物は全て王子の個人資産から出ている。側近候補に実権があればやらかした可能性もあるが、未成年の王子予算の実務は官吏が担っていたし、不正流用を許しはしなかった。
担当者の抵抗だったのだろう、令嬢への贈り物を決済したときの決め台詞は「殿下の個人資産から支払いを完了しました」だった。ここまで直球なのに王子には伝わらなかった。「婚約者以外の令嬢への贈り物に婚約者予算は使えませんので殿下の個人資産から支払います。あとこれは不貞です」くらい言えば通じたかもしれない。だが、ただの会計担当が自らの進退をかけてまでそれを言えるだろうか。
我が国は王子の機嫌一つで官吏を首に出来るような体制ではないが、王子に首を宣告された時に上司が機転を利かせて栄転させてくれるかはわからない。ほとぼりがさめるまでと閑職にまわされれば経歴に傷がつく。職務と人生を天秤にかけ、上司に報告を上げると同時に、ささやかながらも王子への諫言を試みた会計担当者を責めることはできない。公爵は国王代行権限で栄転を命じておくつもりだ。
王子に関わった誰もがそれぞれの立場で可能な限りの諫言を繰り返してきて、その結果が今だ。せめて王子が国王のように自身の能力と身分に真摯に向き合っていれば。
幼い頃から天才の名をほしいままにしていた公爵はわずか16歳で最高学府を卒業し、国王の父である当時の王から特別にお褒めの言葉を頂くことになった。学業も武術も騎乗術も人心掌握術も女性の扱いも、およそ貴族男性に必要なすべてに秀でた公爵は賞賛の言葉に慣れていた。嫉妬まじりの賞賛にも、同一視からの偶像化にも。
だからこそ世継ぎとなるはずの王子とは距離を置いた。2歳差だったこともあり、誰もが彼らを比較する。会っても劣等感を植え付けるだけだ。
しかし出席者が身内のみとはいえ、国王が開いた祝賀の晩餐会に王子が出席しないはずもなく、公爵はそこで初めて王子と正面から向き合ったのだった。
「君は凄いな」
実直かつ端的な褒め言葉に驚嘆した。16歳にして既に相手の心情を読むことに長けていた公爵から見ても純粋な賞賛だった。2歳年下とはいえ、2年前の自分よりあらゆる能力が劣ると、そう有象無象に比べられ競争心を煽られ続けただろうに、王子は決して腐ることはなかった。自分に出来ることと出来ないことを理解し、手を借りるために頭を下げることを厭わず、よく感謝した。そういう人だった。
あの時、公爵は決めたのだ。彼の治世を支え続けると。
国王は俊英ではなかったが、自身の地位と能力を正しく使用することができた。言葉の裏も読めない自分には政治は無理だと早い段階で得心し、実権に拘泥しなかった。そして有能な臣下たちが練り上げた台本を誠実に実行する名目上の国王となった。原稿さえ用意されていれば、災害時は国民を演説で力強く鼓舞し、祝賀の場では優しく褒めたたえ、不正者には厳しい沙汰を無情に言い渡した。実務を取り上げられていてもやさぐれることはなく、常に側近や大臣の助言に従い高貴な置物人生を全うしてきた。一触即発の外交の場でも、陰謀渦巻く国会でも、揚げ足取りが跋扈する社交の場でも、指示をよく覚え決して違えない国王を能臣たちは尊敬し尊重した。複数の有能な臣下に支えられ、後世には名君と称えられたかもしれない。
その国王でさえ恋愛が絡むと著しく言動が劣化するのだから、恋愛脳の業は深い。それでも国王は真摯な謝罪と巨額の賠償による婚約解消を選んだ。王妃としての実務を担当できただろう第二妃も蹴ってくれたが、外交使節団の前での婚約破棄と比べたら可愛いものだった。
王子も政治に向かないとわかった時、国王を範として有能ではなくても有用な王となることを期待した。今日の惨事は、恋愛脳だから仕方ないと国王夫妻と王子のポンコツ化から目をそらして支え続けた公爵らの失態である。王子の王位継承権剥奪と王の退位は揺るぐまい。公爵が責任をとって王位を継ぎこの不始末の後始末をするのは当然だ。数年は休む暇もないだろうが、娘が幸福な結婚を選べそうなことだけが幸いだった。法にのっとり王子の個人資産は国庫に没収され、娘と公爵家への賠償金となるだろう。
国王一家はいまだに固まったままだった。体も固まっているが、彼らの頭も固まって回っていないのだろう。20年以上の付き合いなのだ。こういう時に彼らが陥る状態も理解してはいた。今までなら、公爵が、大臣が、侍従が的確な指示を出していたのだ。それがないので動けない。だが、ここまでとは思わなかった。
思い通りにいかなくとも暴れだしたりしないことは、間違いなく彼らの美点だろう。3人のうちで一番血の気が多い王子でもせいぜい声が大きくなる程度だ。権力を持たない者にはそれだけでも恐怖だろうが、幸い王子が他者を怒鳴りつける場面は存在しなかった。周囲が心を砕いて怒りを抱く必要もない環境を作り上げたからだ。王家は優秀な臣下が作り上げたぬるま湯の中にいた。
気質は穏やかな国王一家だが、建設的な対話は成り立たない。揃って考えることが苦手なのだ。最高の教師が、有能な臣下が、手を尽くして状況を説明し、論理的思考を植え付けようと何年も努力したが実を結ばなかった。一手先は考えられても二手先、三手先は考えられない。先のことまで指示されると、目前の一つもこなせなくなる。善良ではあるが国政の話は出来なかった。丸暗記と演説が得意でなければ表に出ない王とされていただろう。
国王と王妃は同類だからこそ惹かれ合ったのだろうか。王子と不貞相手も。選りすぐりの秀才ばかりの臣下や婚約者より話も通じて心も安らいだのかもしれない。
おそらく今の彼らには理解できないだろうが、筆頭公爵の責任として最後通牒を突き付ける。
「王子殿下の今後については元老院の会議をもって決定されます。王家の責任についても同様です。法的責任については既にあなた方の手を離れました。ですが娘への謝罪など心情的な問題は別ですので、今後のことはご家族でよくお話しあいください。そちらの不貞相手のご令嬢や不貞を応援してくれた側近たちも家族として連れて行くとよろしいでしょう」
今後とは王子の王位継承権剥奪と国王の退位である。これでは伝わらないだろうと思いつつも、元老院会議はこれからで決定事項ではないため口には出来なかった。
側近候補に過ぎなかった学生たちを側近と言いきったのは、生家も彼らを切り捨てるに決まっているからだ。候補の中でも最後までこの場に残ってしまった彼らの行き場は他にない。ただし馬屋番は除く。
公爵に目線を向けたものの言葉が見つからなかったのか、沈黙を続ける国王に舞踏会の閉会を進言した。わかりやすい指示を得た国王が速やかに閉会を宣言する。楽団が一斉に立ち上がって素晴らしい速度で撤収していった。
国王一家に一礼した公爵家が整然と退出すると、使用人たちが入室し会場の片づけが始まった。最も高貴な一家が棒立ちしているというのに、目をあわせることなくしつらえを戻していく彼らはまさに職業人である。
ほとんど手をつけられなかった王宮料理長渾身の 美酒佳肴(びしゅかこう) が悲しい。使用人は嬉しい。手をつけられなかった料理は下位使用人に分配されるので。循環社会万歳。
侍従長が国王一家に退出を促した。責任ある重鎮たちは早々に立ち去ったが、さすがに侍従長は国王一家を置き去りにはしなかった。職務の違いである。政治家たちは政治的な後始末に忙しい。
置物人生が染みついている国王一家は、不平不満不安を抱えていても指示があれば素直に従った。侍従長に先導されて、扉をくぐっていく王城の主人一家の背は、なぜかすすけて見えた。