作品タイトル不明
国王一家の敗走前
入場後に王より先に言葉を発した王妃も、その王妃を制さなかった王も口を開かない。先ほどから2人の予想外のことばかりが巻き起こり、事態を全く理解できずにいた。公式の場で状況が不明の場合は、事態を悪化させないように周囲の指示があるまで沈黙を貫いてください。常からの教育?もあって夫妻は口をつぐむ。違う、今じゃない。
幾人もの貴族をその舌鋒で撃沈したばかりとは思えない、疲れを知らない公爵の声が響き渡った。
「ふむ。国王夫妻は熟慮中のご様子。前座として筆頭公爵である私から学生諸君に成人の祝いと社交界への歓迎を述べよう。学生諸君、成人おめでとう。そして社交界へようこそ」
公爵の祝いという言葉に、瀕死の重傷を負った学生がわずかに息を吹き返した。国家の重鎮も友好国の使節団も退出済みだが、それでも社交界への船出は許されたのだと。生家の援助も期待できない以上、なんとか貴族社会の末端にでもしがみつかねば。
「殿下を筆頭にまだ誕生月を迎えていない者もいるが、同じ年に生まれた者は、今宵を持って成人とみなされる。成文法は別でも慣習法ではね。常々考えていたのだが、基準ふたつは混乱の元だ。成文法でも同じ日を持って成人とするべきだろう。各自の誕生日ごとにデビュタントを用意するなど現実的ではないからね」
公爵がユーモアたっぷりに告げる。今の状況を考えなければ、ウィットにとんだ祝辞だと思えたかもしれない。
成文法は文章で明確に規定された法律、慣習法は文章がなく人々の意識に根付く不文法である。さきほどの法務大臣による王族・貴族の婚約に関する簡易講義(違う)でも出て来た言葉だ。
つまりは公爵による、成文法における未成年も一人も逃がさない宣言である。法は一切 遡及(そきゅう) しない、そんな国なら良かったが我が国は違う。筆頭公爵が全力で遡及法とするだろう。今日、確かに輝かしい社交界デビューをしたはずなのに、俺たちに明日はない。
公爵による小手調べの軽いジャブで王子と学生たちが再び瀕死である。婚約破棄と断罪が失敗したときのことは考えていなかった。失敗するなんて想定外。若さゆえの無謀さが即死トラップなどと誰が思うだろうか。この国の歴史を真面目に学び、血肉とした者たちは理解して逃げたが。年表丸暗記はだめだ。
「法の改正というのは君たちが想像するより遥かに労力も時間もかかるが、君たちのために法務大臣が骨を折って下さるだろう。法の転換点をその目で見届けられるのだ、楽しみにしてくれたまえ」
諸外国における婚約解消と破棄の法律調査どころか、慣習法と成文法の一致という、国家の法制度の成熟期において必ず通る難事に背水の陣で取り組むはめになった法務大臣は泣いていい。彼の名前は法学史に残るだろう。
「さて王子殿下。恐れ多くも両陛下が主催し、各国の外交使節も我が国の重鎮も出席した舞踏会での一方的な婚約破棄が、学生のおふざけですまないことはお分かりですね?」
右ストレートは突然やってきた。実は社交界デビューを祝した最終学年一同による渾身の舞台劇でした、という起死回生の策は一瞬で潰された。口にしたが最後、リアリティに溢れた舞台だろうと笑いながら城の地下牢に拘禁される可能性が高かったため潰されて幸いである。
「おふざけなどではない!」
名指しで質問されて王子が吠えた。ようやく遮られたセリフを続けられると思ってしまったのだろうか。途中で口を挟まないあたり、さすがに育ちがいい。だが、そこは沈黙を選ぶべきだった。
「諸侯たちに告げる! 今、この場を持って、第一王子たるこの私は、公爵令嬢との婚約を破棄する!」
公爵を静かに激怒させたセリフが繰り返される。スピーチは一言一句変えてはいけません。些細なことで意味が真逆になってしまいます。アドリブだめ、絶対。子供の頃からの教育の成果である。地獄への道は善意で舗装されている。
王子の側近候補として間近に侍っていた法務大臣の孫はここに至ってようやく心中で悲鳴を上げた。遅い。彼は暗記暗算に優れていたため、この国の歴史をよく知っていた。まるで応用できていないが。
「お待ちください殿下!」
「なぜだ?」
決死の覚悟で王子を止めた法務大臣の孫に王子が確認する。側近の注意は速やかに聞くべし。教育が行き届いている。形だけは。
「殿下の婚約者たる令嬢は、代々、王弟、王女が臣籍降下する筆頭公爵家の姫君です。婚姻の度に王室から財産を分与されるため、ある意味では王室より裕福かつ権威ある名家なのです。公爵閣下は先王弟殿下を父君に持ち、陛下の従兄であらせられ、王位継承権も殿下に次ぐ第二位です。だからこそ、世紀の恋愛で結ばれたゆえに生家の後ろ盾に乏しい王妃陛下を御母堂とする殿下の後見人に選ばれたのです。殿下と公爵令嬢との婚約は後見の対価、破棄すれば筆頭公爵家を敵に回します」
早口で王子に言い聞かせる法務大臣の孫。それがわかっていて何故愚かしい婚約破棄劇場を開催したのか意味がわからない。
そして焦り故か人の少なさゆえか、彼の言葉は大広間に響いていた。静謐ゆえに彼の言葉を聞き取ってしまった学生たちが動揺する。
慣習法で成人と認められるとはいえ、いまだ学生の身である彼らの中では、現王と王妃を称える言葉である「政略を越えた世紀の恋愛」は絶対の聖句だった。こんな恋愛をしてみたい。一途に愛されたい。絶世の美少女が自分だけに惚れたら。彼らは恋に恋していた。現実は非情である。自分はつまらない相手とつまらない政略結婚をするしかない。しかし2代続けて世紀の恋愛となる王子がその慣習を無くしてくれれば、自分たちも自由に恋愛できるかもしれない。夢を見たのだ。
側近候補たちは有象無象の学生たちよりは打算的だった。
いずれ王の側近となり国を動かしていく未来。その時、筆頭公爵家が今の規模で存在していればどうなるか。公爵令息は英才で知られているが、王子の側近候補には入っていない。公爵のように外部から王権を 掣肘(せいちゅう) するつもりに違いない。間違いなく、約束された栄華の障害となるだろう。
王家より権威ある筆頭公爵家など、王権に対する挑戦だ。王となる王子にも側近となる我々にも好ましくない。誰もが納得する事情もある。婚約者だからと嫌がる王子に付きまとう公爵家の姫は王子に相応しくない。まして王子には愛する少女がいるのだ。しかし公爵家が健在では、少女の存在が第二妃としても認められることはないだろう。王子が公爵家と令嬢の弊害を公の場で突き付ければ、婚約は令嬢有責で破棄され、王子に切り捨てられた公爵家の威信は地に落ちる。2代続いての世紀の恋愛に国が沸いて、現王夫妻のように国家を上げて祝福される予定だった。
しかし公爵家の権威は学生の予想を遥かに超えていた。元老院の重鎮が、自身の親族が、目の前であっけなく論破されていく。それも法的にも倫理的にも真っ当な意見でだ。正論ですら通らないのが身分であり権力だ。王家を相手に正論を押し通せる権威が確かにそこにあった。
これはまずい。令嬢のつきまといくらい、婚約者としての交流の範疇だと言われれば反論の余地はない。婚約者としての最低限の交流すら拒んだ王子の不作為はこの夜会ですでに周知されてしまって覆せない。
このままでは王子は公爵令嬢と結婚するしかないが、最悪なのは結婚してなお公爵家による圧力をはねのけられないことだろう。事を起こす前より明らかに悪化している。
ここからは撤退戦しかない。できるだけ被害を軽減しなくては。
法務大臣の孫は汗に濡れる拳を強く握りしめた。