作品タイトル不明
侍従長の潰走
王宮大広間では、婚約者をないがしろにする王子の醜態を他人事のように黙認してきた権力者が、侍従が、取り巻きの親が、婚約者の親である公爵によって次々と舞台に引きずり上げられていた。
さもありなん。一国の王子が道を外れて、無関係の臣民など存在しない。ましてや王家唯一の王子、いずれは国の頂点に立つはずの人間である。暗君となれば国に与える損害はいかほどか。国政に携わる者として、青き血を持つ貴族として、それぞれの立場で諫めなければならなかったのだ。当然の理だが、誰もが目をそらしてきた。そして今、これ以上ないほど自分たちの職務と義務を思い知らされている。
2回戦で早々に元老院最年長の法務大臣が棄権し、残った若輩者(法務大臣比)たちは元老院最年少の公爵に滅多切りにされていく。
「財務大臣に伺います。王子の婚約者予算が正当に使用されているか確認する事は財務省の仕事のひとつではありませんか?」
「その通りです」
「不思議なことに、婚約が結ばれて9年、成人を控えているというのに、婚約者のための交際費が幼子だったころと同じほどしか使用されていないのです。要はお茶代ですね。今宵のように舞踏会にも出席する年齢だというのに、なぜでしょうか。もちろん財務省は把握していますよね? まさか国民の血税を、しかも国家の顔たる王家の、王位継承権第1位である王子の収支を9年も精査せずにないがしろにしてきたなどと言うことは……」
「……殿下が婚約者への贈答をしていらっしゃらないゆえに予算が使用されなかったと把握しています」
「現に婚約者がいて予算が使用されなかった事を、調査しなかったのですか?」
「婚約者は筆頭公爵家のご令嬢、婚約契約において交際に王子の予算を使用しないという条項があるのではないかと愚考し、王家と公爵家の品位にも関わりますので沈黙を選んだ次第です」
「なるほど、殿下の婚約者への態度は噂になって娘を苦しめていたが、財務省には届いていなかったと。公爵家の品位に配慮いただいたと感謝すべきだろうか?」
「予算の公正さを担保するために、世間の噂とは距離を置いていたことが仇となりました。結果的に職務の遂行に支障を来たしたこと、私の不徳の致すところです。閣下とご令嬢にはまことに申し訳ない。財務大臣としてこの場で謝罪をいたします。また後日財務省から正式に謝罪いたします」
「謝罪は受け取ろう。内容次第だが。さて、この不自然な会計収支をなぜ監査官も見逃したのだろうか」
公爵の目線が飛び火した監査院長が青ざめ、極限状態を脱した財務大臣の血圧がわずかに下がった。疲れ果てた財務大臣は華麗なすり足を披露できず、その場に立ち続ける。負傷者多数である。
出番を待つしかない招待客の頭の中には、いかにして公爵の虎の尾を踏まずにこの場を切り抜けるかという難題がうごめいていた。自身の職務と爵位による義務と王子との関りを高速で総ざらえする。自分はどの時点で王子と王家に諫言すべきだったろうか。
脳は高速で回転しているが、体は直立不動である。下手に動いて公爵に目をつけられてはまずい。蛇に睨まれた蛙とはこのことか。
王子はなぜ、よりによって、こんな外国大使もいる舞踏会の場でやらかしてくださったのか。王宮の舞踏会なら必ず外国の大使もいらっしゃるんですよ。もっと国内だけのこじんまりした会でやらかしてくれ王子よ。国内勢だけならば、出席者総記憶喪失と王子の首で乗り切れたのに。
公爵もなぜもっと早く王子に最後通牒を突き付けてくれなかったのか。今まで我慢してきたから、こんなに切れているのではないか。
……公爵は9年も傍観していたのだろうか? この能弁家が。
散々諫言したにも関わらず、今日のこの醜態だったからこそ、この怒りようなのではないか。その場合、必要な生贄は王子だけで済むだろうか? いやない。
当事者であったはずの王子は、歴戦の貴族家当主同士の舌戦(完全試合)に、もはや口をはさむ隙すら見いだせず棒立ちとなっている。自身の親族が、寄り親が、目の前で公爵になぎ倒されていく取り巻きたちも同様で、もはやボールに倒されるのを待つボウリングピンの風情だ。
新しい生贄を撃沈した公爵の目が誰かを探す。
皆が一斉に目をそらした。
本来、正しく高みの見物をしていられるはずの外国大使まで目をそらしている。腹いせに自国の何かを突っ込まれたらやばい。後ろ暗いところのない国など存在しない。今の公爵は、普段であれば外交上の礼節を持ってお互い見てみぬふりをする部分にもアイスピックを突き刺しかねない。
「侍従長殿」
「はい」
次の生け贄が決まり、他の面々が思わず息を吐いた。3桁に上る人間が一斉に息を吐くなど、世界記録に挑戦できそうだ。かなり気持ち悪い。
侍従長は大広間にある入場用の大扉の側に立っていた。
「両陛下の入場が遅れているようだが、御身に何事かあったのだろうか?」
なぜお前だけがここにいるのか。
声なき声を感じ取った侍従長は、侍従の頂点に立つプライドにかけて恐怖に飛び上がりかける足の裏を床に押しつけた。私は飛び上がってなどいない。
「両陛下は健やかにお過ごしです。私は入場前に会場の様子を確認に来たところでございます」
会場の異変に気付き国王夫妻の入場前に様子を見に来たまま公爵劇場に釘付けになっていた侍従長は、国王夫妻を速攻で売った。体調を崩したと国王夫妻の入場を遅らせることも、それを理由に王子を退出させることもしなかった。
空気と雰囲気を読めてこそ侍従長、今従うべきが誰かをかぎ分ける嗅覚は王国一である。
何より、今までも侍従長なりに王子の言動について国王夫妻に報告し忠言もして来たのだ。あまりにも楽観的な国王夫妻に危機感を持ってもらおうと、それこそ自身の首をかけて決死の思いで厳しい言葉を口にしたこともある。それが全く聞き入れられなかったために、彼の忠誠心は著しく減少していた。侍従長は公爵から詰問を受けたとて、堂々と釈明できる数少ない人間であった。
おそらく今回も両陛下は聞き流されるだろう。下手に説明して、なぜか公爵が激昂しているという部分だけを聞き入れて、このまま舞踏会を欠席されでもしたら公爵大噴火である。人柱は重要だ。戦犯なら尚更。
「そうか、ではすぐに王子殿下と両陛下にまとめて拝謁できるな」
「さようでございます」
誰が国家のために動いたか正確に把握している公爵が、侍従長には麗しい笑顔で告げる。その目線を正面から受け止めた侍従長も遅滞なく答えた。
そして無言で両手を組み、頭を下げる。侍従だけに許される退出の挨拶である。主の思考を妨げないよう、無言での退室が許される。
その場で反転した侍従長は、侍従特有の長い裾の中で両足を小刻みに動かし、扉近くにいたことを幸いに迅速に大広間から出て行った。内心の動揺とは裏腹に、決して上半身がぶれない侍従の鑑とも言える見事な潰走であった。