作品タイトル不明
法務大臣の遁走
「法務大臣閣下!」
隠しきれないざわめきの中に、公爵の声が響く。
王子と学生たちの集まりから少し離れた場所にいた法務大臣の目が公爵と交差した。
「王家の婚約についてお伺いしたい。
王家であれば諸外国の王侯貴族との国際結婚も珍しくはありません。もちろん国同士で解釈が違っていては国際問題まったなしですから、厳密なすり合わせの上で婚約・婚姻を進めるわけですが……、どうやら国内ですら王家と公爵家で齟齬があったようです。諸国の大使もいらっしゃる場で、このままでは我が国の法について疑念を持たれかねません。
婚約については王子にも異論はないようですので、婚約の解消または破棄についてお教え願いたい。
ああ、ここは法学講義の席ではありませんし、年若い学生も多くいますから、条文は飛ばして端的に説明をお願いします」
初手で関連する条文の羅列と長い法解釈という千日手を潰された法務大臣は、しかつめらしい顔で決戦の場に降り立った。
法務大臣ではあっても、自身は侯爵の身。王家と筆頭公爵家の争いに取れる手は、国王夫妻の入場まで引き延ばす遅延戦術しかない。とはいえ、法を曲げることも出来ないため、法務大臣として語れることは限られている。もし各国来賓の前で自国の法を曲げ、王子に都合の良い解釈をひねり出しなぞしては、速攻で外交の危機である。
本当に、何をやらかしてくれているのか、この王子は。そして真正面から撃ち返しすぎだ、公爵。
王子を相手に手加減を全く見せない公爵を前に、いかにして王家の傷を浅くするか、その優秀な頭脳をフル回転させつつも、そこは百戦錬磨の法務大臣、内心の焦りをおくびにも出さないのであった。
「まず、諸氏もご存じの通り、我が国において成文法では王家の婚約と貴族家の婚約の条文は同じです。持参金の扱いや婚前教育についてなど、慣習法が成文法の補充的効力をもつ部分もありますが、慣習法にも王家と貴族家の違いはありません。どのような結婚であろうとも、婚約・婚姻のたびに家ごとの条件をすり合わせて婚前契約書を交わします。婚姻の条件は契約書を見れば一目瞭然です。
婚約解消または破棄についても、法律上は王家と貴族家で同じように取り扱われます。法にのっとれば、婚約解消または破棄は、それを行おうとする側の当主が、婚約相手の家の当主に申し出ます。基本的には、理由の如何にかかわらず、双方の合意があれば解消、合意がなければ破棄となります」
「うむ、私の知っている国内法もその通りだ。諸外国もおおむね同じではないだろうか」
「国によっては王族の解釈にも差異はございますので、ひとくくりにまとめることはできませんが、私の知るかぎりでは婚約の解消または破棄についてはさほど大きな違いはなかったかと」
「つまり、他国の大使もいらっしゃる王城の舞踏会で、婚約者と婚家に解消の打診すらなく、一方的に破棄を宣言することは、我が国の法にのっとっていないというわけだな? 法務大臣殿」
海千山千の二人の高位貴族、国の重鎮である公爵と法務大臣が正面から睨みあう。
法律論争で王子に勝ち目なぞあるわけがない。一から十まで間違っているのだから。公爵は聞かなくてもわかることを、王子を追い詰めるためにわざわざ口にしているだけだ。
どちらも目をそらさない。
年の差はあれど、外交の場で大国と渡り合ってきた戦友である。法務大臣と公爵は目と目で熱く語り合った。
何もそこまで完全に叩き潰さずとも。若気の至りとて、少しくらい温情を与えてもいいのではないか。
王子が各国来賓の前でやらかした以上、もはや国内だけでは収まらない。わが国の立場も公爵家の立場もだ。この場を丸く収める方法があるというならやってみろ。
それを言われると辛いところだ。最悪、国内貴族だけなら、王家の強権と内々の謝罪と賠償で治めることもできただろうが……。できただろうか? いや、無理だな。筆頭公爵家だぞ。代々、臣籍降下した王子や王女が嫁いだ家ぞ。
他国の大使らも列席する公の場で公爵家の姫と公爵家を辱め、国の恥をさらした王子を、公爵であり、父であり、外務大臣でもある私が許す理由があるか?
いや、ない。
各国大使の前でこの醜態をさらした王子を、法務大臣殿は王太子として支えていくのか? 私は御免被る。外務大臣は降りるので、王太子妃には貴殿の10歳の孫娘をあてがってくれたまえ。
それはいかん! 年若く辣腕の公爵が外務大臣を降りれば、国力の低下は防ぎようがない。勝ち目も全くないし、この王子のために必死になる理由が私にあるか。いやない。
残念ながら王子は廃嫡しかないようだ。成人を控えてこの有様では、とても国政は任せられない。現王には王子一人しか御子がいらっしゃらないが、王家が断絶しても仕方ないだろう。この王子を王太子として育て野放しにしている王家だからこそ、私が毎日胃を痛めて、しなくてもいい余分な仕事をするはめになっているのだ。今のように。うん断絶でいいのではないか。王が退位し、王子が王位継承権を失えば、公爵が継承権第1位。責任をとって公爵が王になればいいではないか。まったく、なぜ現王の王位継承前に下克上してくれなかったのか。
この場での最善手は、戦略的撤退のみ。孫娘はやらん。
「公爵の仰る通りです。婚約解消もしくは破棄の正しい手続きは、一にも二にも当主同士の話し合いです。当事者の意見を参考にすることはあるでしょうが、それぞれの当主から委任されていない限り、当事者同士で、ましてや客を招いた舞踏会の場で一方的に宣言することはございません。
ところで、諸外国の婚約の解消および破棄について少し調べたいことが出来ました。先ほど、大きな違いはないと口にはしましたが、法務大臣の身で詳細な調査もせず一個人の意見を申し述べるなど浅薄でございました。もちろん我が国の法については、自信をもって、先ほどの解釈を繰り返せますが、諸外国については即刻調査を指示します。今後のわが国にとっても重要な案件ですから。わが国で法が想定もしなかったことが起こったのですから、諸外国でもあり得ないことはないかと。よって一度法務省に戻らせていただきます」
役者も真っ青の素晴らしい長広舌だった。高位貴族にして政治家たるもの、演説はお手の物である。
「まったく重要な案件です。今回の件が国際結婚でなくて何よりでした。
法務大臣閣下には是非、殿下の仰る罪についても意見をお聞きしたかったのですが、法廷のほうがふさわしいですね。裁判所書記による公的文書も残りますし。
どうぞ、心ゆくまで調査を、閣下」
法務大臣の意見など聞くまでもない。自国の法律も知らない王子の宣う罪など刑法の犯罪構成要件すら満たしていないだろう。殿下が口を開くたびに国の恥をさらし、臣下の忠誠心が目減りするだけだ。あと、王子に侍っているうちの孫は馬屋番決定。飼殺す。
法務大臣は礼法にのっとって頭を下げると、年齢を感じさせない闊達さで歩き去った。
両足のどちらかが必ず地面についているため歩きだと言い張れる礼を失しないぎりぎりの速度、見事な遁走であった。