作品タイトル不明
おまけ 王子付侍従の奔走
私は王子付侍従である。この国のたった一人の王子の専属侍従だ。肩書だけなら将来の侍従長もありうる全王宮使用人垂涎の的と言っても過言ではない。目の前にいらっしゃるのが国王代行権限を持つ、怒れる筆頭公爵閣下でなければだが。
あの怒涛の舞踏会から早3日。年を取るにつれ時間の流れを早いと感じるようになったが、この3日は本当に長かった。
公爵と元老院は、王子殿下の王位継承権ならびに王族籍剥奪、殿下有責での公爵令嬢との婚約解消、殿下と不貞相手の子爵令嬢との婚約、公爵家嫡子の長男から次男への変更、子爵家三男と公爵令嬢との婚約、子爵家三男による婚姻後の伯爵位継承を初日午前に即日決定した。これにより殿下の身分は王子ではなくなり「国王陛下の子息」となったが、成人後まで殿下という敬称を使用することは認められるそうだ。まさに 猶予期間(モラトリアム) 。
さらに残りの2日で国王陛下の引退、公爵閣下の王位継承、公爵家嫡子の立太子日程を2年後と定め、外務副大臣の大臣昇格ほか関連人事、成人法統合特別委員会、教育制度改革特別委員会の発足公表まで成し遂げた。関係各省は3日間ほぼ徹夜の強行軍だったらしい。
今年度卒業予定の学生の成人は特別に学園卒業の日とするそうだ。残念ながら、殿下を殿下とお呼びできるのもそこまでである。
つまり卒業までの3か月で、成人法改革と教育制度改革の大筋を決定するということ。身分剥奪の申し渡しを受ける殿下の付き添いで行った元老院が生ける屍の山になっていたのは忘れられない。過労死が出そう。
元老院会議で学生一同が証言する時間的余裕がなかったのは幸いだった。学生たちがあの厳粛な場に耐えられたとは思えない。お歴々の「お前のせいで」という目は一生忘れられない。
ただし今回の措置は諸外国との関係をにらみ、まず外堀を埋めただけである。あくまで殿下の行動に対する処罰であって、殿下がなぜあのような暴挙に出て、誰がどう関わっていたのかは、これから精査され場合によっては追加の処罰が下ることになる。
その調査のために呼び出しを受けたのだが、相手がよりにもよって公爵閣下その方だ。お忙しい御身なのだから、是非とも部下を使っていただきたかった。これでは、ただでさえ情状酌量の余地なぞ欠片もないのに、処罰がわずかも軽くなることはないだろう。重くなる可能性は大いにあるが。
あの日どうにか逃がした婚約破棄系恋愛小説の起草者は、私の斜め後ろで震えている。やはり魔王、もとい筆頭公爵からは逃がせなかったよ、天国のおばあさま。
いかん、現実逃避をしている場合ではない。よりにもよってこの公爵閣下の御前で意識を飛ばすなど絶対にありえない。両陛下の前で寝仏になるほうがましだ。右手を枕に横向きで寝る体勢は、胃液の逆流を防ぎ、睡眠時無呼吸も予防できる優れものらしい。実行したらそのまま永眠させられそうだが。
いかんいかん、現実と向き合え。今この場には、私より立場弱き少女がいるのだ。彼女に 二心(にしん) がなかったことを公爵閣下に納得してもらえなければ、私はもとより彼女の首も物理的に飛んでしまうかもしれない。私の未来はもうないが、せめて彼女だけでも守らなければ。
ああ、死地に向かう騎士とはこのような心境なのだろうか。そういえば公爵閣下は剣術も一流だったな。思い出すんじゃなかった。閣下は帯剣していない。助かった。
「そちらの女学生は、殿下の側近で唯一の女性だね。娘との連絡係とするために異例の女性側近候補となった」
「ふぁいっ!」
落ち着きなさい、起草者よ。ここに私がいる。私も死にそうだが、壁にはなるだろう。俺の屍を越えてゆけ。違った、屍を盾にして逃げるんだ。出口は後ろだ。足が全く動かないがな! 侍従長はあの状況でよく侍従走りを披露できたものだ。やはり一組織の長は違う。私には見果てぬ夢だったな。ああ、また祖母が見える。お供えしないと。
ちなみに公爵令嬢への連絡係が増えなかったのは、殿下がろくに連絡しなかったからです。嘆かわしい。
起草者殿は殿下と公爵令嬢の板挟みになって気の毒だった。自分にまで心優しい令嬢のために殿下をお諫めしようと東奔西走していたっけ。殿下のためには、……小説を書いたな。
「西方の銘菓は好きかね?」
「ふぁい! ……はい?」
「娘に頼まれて来月の茶会用に取り寄せたんだ。とても美味しいと娘の折紙付だ。話が長くなりそうだから、そちらの椅子にかけてまず一杯どうかな? もちろん成人前だから緑茶だがね」
「公爵令嬢の 御墨付(おすみつき) ……。光栄です、いただきます」
いただけるのか! 凄いな君は。私の喉はとても通りそうにないぞ。君を守ろうなんて、私の独りよがりだったな。君は正しく、私の屍を越えていける人だ。
私の分の銘菓は祖母の墓前に供えてくれ。後は頼んだ。もう思い残すことはない。
「とても美味しいです、公爵閣下。カラメルより甘いのに後味がさわやかで、ほのかに香る柑橘の香りが橙色と相まって酸味まで感じられる気がします。形が楕円形なのも異国の柑橘を模しているのでしょうか」
「それは良かった。残念ながらこの銘菓が模している果物は足が早くて輸入できないのだよ。私も見てみたいのだがね。この銘菓もあまり数が出ないのだが、娘に頼まれるとついつい手を尽くしてしまうんだ。世の父親と言うのは娘には甘いものだ。私も娘には弱くてね」
公爵令嬢のご要望ですか?! ではこの楕円形は我らの首ですか!? 公爵令嬢が、我々の首を所望しているのですか?! なんという罠だ。刑務所では死刑執行前に馳走が振る舞われるという。筆頭公爵家の令嬢にして、未来の王妃となるはずだった女性だ。少女とはいえ油断すべきではなかった。
それにしても、うまいなこの銘菓。私の給与ではとても手が出ないだろう。末期の酒代わりにもうひとつ頂戴してもいいだろうか。
「君もいける口だね。色が違うと味も違うんだ。まずひとつずつ味見するといい」
「ありがとうございます、閣下」
公爵は人心を操る魔法が使えるという噂を聞いたときは、 大(だい) の大人がなんと 頑是(がんぜ) ないことをと思っていたが事実だったらしい。あの震える小鹿のようだった起草者がまるで好々爺の教師にお裾分けされる初等部生のようになっている。筆頭公爵、侮りがたし。
どうしてこんな人に喧嘩を売ってしまうのか。生存本能が死滅してないとそうはならんだろ。
ご自身の身分が上だと侮ったのですか、殿下。国王代行なのだから立太子の予定も立たなかった殿下より地位も身分も上ですよ。子爵令嬢に惚れてから立太子が延期され続けたの理解してなさそう。あ、せっかくの末期の銘菓がしょっぱくなる。やめよう。
「さて、落ち着いたことだし、そろそろ本題に入ろうか」
来た!
……腹が重くて迅速に動けない。この3日、生きた心地もせず、食事がろくに喉を通らなかったのでおかわりをしすぎた。地獄への道は善意で舗装されている。至言だ。
だが善意が生前に食べられそうもなかった異国の高級銘菓なら元は取ったと言えるのではないか? 私の人生は銘菓8つ分か。軽かったな。いや、緑茶も最高級だった。お子様味覚の殿下には供されない大人向けの味だった。それより緑茶を供したのが侍従長だったことに驚いたわ。さすがの腕前ですね。習いたいけど使い道がないし使う暇もないな。
「断片的には当日の殿下の動きについても聞き及んでいるんだ。ただ、どうにも因果の不明なことが多くてね。特にあの婚約破棄宣言だ。側近たちによると、確かにあやふやな計画らしきものはあったが、それにすら合致していないと、何がどうなってああなったのかわからないと彼らでさえ首をかしげている。だから君たちからも詳細を聞きたくてね」
この3日で他の側近たち(確定)への聞き取りも終えたのですか。側近たちとの接触は特に禁じられていたので全く知りませんでした。
それにしても他の元老たちは目の下に隈を飼って死にそうだったのに、今日も花の 顔(かんばせ) でいらっしゃる。さすがです公爵閣下。本当に人間ですか?
「殿下によると、舞踏会で殿下が読み上げようとした草稿は君から渡されたものだそうだね。君が書いたものということでいいのかな?」
「はい。私が一週間かけて独力であの草稿を書き、舞踏会前日の昼餐後に、殿下にお渡ししました」
銘菓の大量の糖分が無事キマったのか、起草者は質問に過不足なく答える。あの銘菓には自白剤でも入っていたのか? いや、自白剤など仕込まなくても、この期に及んで公爵閣下に嘘を申告するような命知らずはこの国にはいまい。いませんよね、殿下! 申し渡しの時以外は殿下にもお会いできませんでしたが、まさかこの上ご自分の首をさらに締め上げるようなことは……。
いやいや、いくら何でも殿下を子ども扱いし過ぎだ、私。陛下の祝辞があれば、3日前に慣習法では成人と認められる予定だったんだぞ。まったくストレスがたまりすぎておかしくなってしまったな。休暇をいただかなくては。人生を休眠できそうだが。
「殿下が持っていた草稿は途中で切れていたのだが、あれには続きがあるのだね?」
「はい。申しつけ通り、下書きをお持ちしました。殿下にお渡しした草稿よりも訂正まみれの読みづらいものですが、こちらです」
公爵が礼を言って手に取ると、素早く頁をめくっていく。私も速読には自信があるが、公爵の場合はめくっているだけに見える。読めているのかあれで。
「ふむ。殿下の控室から回収したものとほぼ同じだな。成人を祝う舞踏会で婚約者に婚約破棄を突き付けた王子が、その罪を問われ蟄居幽閉される。婚約は王子有責で破棄され、不貞相手は修道院で生涯奉仕を命じられ、生家の子爵家は男爵に降爵される。なかなか手厳しい内容だ」
罠だった。保身のために改竄されたものを渡せば殿下を謀る意図があったとして罪一等が増加するところだった。正直が一番だ。よくやった、起草者よ。
「君たちはなぜ、この草稿を読んだ殿下がこの婚約破棄をそのまま実行しようとしたと思う?」
「……わかりません。殿下には破滅願望があったのでしょうか?」
客観的にはそうとしか思えないだろう。しかし殿下は全く破滅するつもりなぞなかった。殿下が5歳の頃から13年間仕えている私にはわかる。あの時の殿下は、7歳の頃、木の枝からかっこよく飛び降りて着地できると信じて足を踏み出した時と同じ表情だった。あの時は顔面を殴打して大騒動になったな。今は殿下の首がやばいが。
「私にも理解できかねます。
先日申し上げた通り、私は殿下があの草稿をそれこそ食い入るように見つめていたところを確かに見ています。舞踏会当日になっても公爵令嬢との同道に納得されなかった殿下が、草稿から顔を上げるなり『今日は素晴らしい発表ができると両陛下に伝えてほしい』と仰いました。愚かにも私は、殿下がご自身の立場を受け入れ、成人の場で公爵令嬢の婚約者としてご立派に振舞うのだと思い込み、伝言を届けに控室を離れてしまったのです」
公爵令嬢という言葉を口にする時は 肝(きも) が縮む思いがしたが、公爵閣下の目が静かに続きを促していたので続ける。ここで止めたら首が飛ぶだろうし。
「両陛下に伝言をお届けすると、お二方も大変なお喜びようで、私に水菓子をくださいました。取り急ぎ水菓子を侍従控室に保管してから殿下の控室へ戻ると、すでに入場された後でした。成人を迎える学生の皆様に囲まれた殿下の側に侍ることは 憚(はばか) られ、学生方の集まりを壁際から見守っていたところ、殿下の宣言があったのです」
これから舞踏会に行くというのに、上司から水菓子を渡された時の私の気持ち。生ものとはいえ両陛下からの下賜品を粗雑に扱うわけにもいかず、侍従控室まで抱えて走り個人用の棚にしまって厳重に鍵をかけてから殿下の控室まで再び侍従走りを披露した。しかしこんなときに限って殿下は早々に出発していなかった。あんなに婚約者扱いを嫌がっていたのに。
よく考えるとあの水菓子は私の棚で腐っているのではないか? 舞踏会直後から実質軟禁状態だったために果物を3日棚に入れっぱなし。もう扉を開けたくない。
「では、起草者殿、君はなぜ会場で殿下のお傍にいなかったのかね?」
やはりそこを聞かれるか。側近候補が記念式典を兼ねた舞踏会で殿下のお傍にいなかった上に、その者が渡した草稿通りの婚約破棄宣言を殿下が実行してしまったのだ。敵国の諜報を疑われても仕方のない事態だ。接触を禁じられ、忠告できなかったのが痛い。
「お恥ずかしい話ですが、私はあの婚約破棄系恋愛小説を書くために丸一週間徹夜をしておりまして、睡眠不足の上に舞踏会のドレスで締め付けられたことで注意が散漫になっておりました。万が一にも無礼を働く前にと、殿下には雑用担当なので殿下と同時に入場する立場にないとあらかじめお断りして壁際にいたのです。侍従殿が同じく壁際にいらっしゃったのも気がついておりませんでした。婚約破棄宣言を耳にしてからは完全に記憶がとんでいて、気がついたら医務室に寝かされておりました」
小説作成中も起草者殿の仕事はあった。たとえ殿下が公爵令嬢に全く接触しなくとも、伝言担当として学園にいる間は侍らなくてはならない。まさか殿下のお傍で殿下を説得するための小説を書けようはずもない。昼は殿下に侍り、夜は創作活動、気の休まることがなかっただろう。
起草者殿から草案を見せられた時は、親身になって相談に乗ったものだ。あまり厳しい結末にすると殿下が受け入れがたいので蟄居幽閉で済ませたというのに、こんなことなら流行りの断頭台でも提案すればよかった。ギロチンに繋がる 綱(つな) を切っていれば、作中ではあっても起草者殿の心も少しは慰められただろう。作中の王子は殿下ではないので不敬ではない。
今もよく眠れてはいないのだろう、起草者殿の目の下に隈がある。そのように弱った女性を観察するなど失礼極まりないが、健康観察なので勘弁してほしい。だいたい、この状況で熟睡できるほうが人間としておかしい。
公爵閣下はシミ一つない美顔であらせられるがな。どうなっているんだ、公爵家。
「ふむ。種明かしをするとね、殿下はあの草稿の冒頭の婚約破棄宣言しか読んでいなかったのだよ。大変感銘を受けて、そのまま実行したそうだ」
「……は?」
こらこら、起草者殿、2年後には国王陛下となられる国王代行兼筆頭公爵殿に向かって、「は?」はないだろう。「は?」は。 猶予期間(モラトリアム) の匙加減は公爵閣下しだいだぞ。
「……はあああああああああ?!」