軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第4話 偽りの被害者

馬車の窓に、王都の街並みが流れていく。

私は座席に浅く腰かけ、膝の上で両手を重ねていた。

向かいには公爵。

窓の外を見ている横顔は、彫像のように美しく静かだった。

「無理なら言ってくれ、引き返す」

責める響きはない。

ただ、私の震えを見ている声。

私は首を横に振る。

「行きます」

怖い、逃げ出したい。

けれどもう、うつむくだけの私ではいたくない。

公爵はしばらく私を見つめた。

それから、ゆっくり頷く。

「わかった」

馬車が止まる。

懐かしい門扉。

私が生まれ育った屋敷。

そして、私を悪女として捨てた場所。

玄関前に、人影があった。

エドガー様とリリア。

二人を見た瞬間、血の気が引いた。

息が苦しくなる。

体が、動かない。

馬車の扉が開き、公爵が先に降りた。

彼は振り返り、私に手を差し出す。

「降りられるか」

私の震える手を、公爵の手が、そっと包む。

温かい。

その温度に支えられて、馬車を降りる。

「よくも戻ってこられたな。この恥知らずが」

エドガー様の冷たい声。

胸の奥が、ぎゅっと縮む。

次の瞬間

黒い背中が、私の前に立った。

広い肩。

私とエドガー様の間を、完全に遮る壁。

「口を慎め」

「彼女は今、私の保護下にある」

エドガー様が唇を歪めた。

「保護? その女はリリアを傷つけた悪女です。閣下ともあろう方が、なぜそのような地味で卑しい女を」

「聞こえなかったか?」

公爵の声が、少しだけ低くなる。

それだけで空気が凍った。

エドガー様の喉が動く。

けれど、言葉は出てこない。

リリアが彼の袖を掴んだ。

「やめて、エドガー様……お姉様がまた怒ってしまうわ」

震える声。

けれど、私だけには見えた。

薄く上がった口元、勝ち誇るような瞳。

あの子は、何も変わっていない。

「アリシア・ベルフォード」

公爵が振り返り、私の目をまっすぐに見て言う。

「無理に話さなくていい」

その一言で、張り詰めていた息が少し緩んだ。

私は公爵から視線を移し、リリアを見た。

細い肩。

可憐な被害者の仮面。

手が震える。でも、俯かない。

「私は……あなたを傷つけていません」

声は小さい。

けれど、消えなかった。

リリアの瞳がわずかに揺れる。

エドガー様が眉を吊り上げた。

「まだそんな嘘を――」

「黙れ」

公爵が遮る。

エドガー様の顔が赤くなる。

リリアの指が彼の袖を強く握った。

その指先は、ほんの少し震えていた。

公爵が屋敷の中へ進み、私もその後に続いた。

壁にかかった家族の肖像画。

幼い頃の私が、そこにいた。

母の隣で、小さく微笑んでいる私。

胸が痛い。

何が悪かったのだろう、なぜこんなことに。

今でもその答えはわからない。

使用人たちが廊下に並んでいる。

誰も私と目を合わせない。

処刑台へ送られる時と、同じ沈黙。

その冷たさが、心に刺さる。

公爵と私は広間に入った。

そこにはすでに、関係者と数人の貴族たちが集められていた。

広間の中央には、椅子が並べられている。

まるで小さな法廷。

喉が渇く。

視線が痛い。

悪女を見る目。

罪人を見る目。

処刑台の上に戻されたみたいだった。

「座ろう」

公爵が、私のために椅子を引いた。

人前で、あまりにも自然に。

戸惑いながら腰を下ろすと、柔らかな椅子の布地がドレス越しの膝裏に触れた。

公爵邸で与えられた淡い青のドレス。

軽くて、柔らかい。

この場で私を守る、薄い鎧のようだった。

公爵は私の隣に立った。

「本日、アリシア・ベルフォードの判決について再審査を行う」

ハッキリとよく通る声が広間に響く。

「目的は一つ。真実の確認だ」

リリアが小さく震えた。

「わ、私は……またあの日のことを話さなければならないのですか?」

か弱い声。

周囲の貴族たちが同情するように息を吐く。

「可哀想に」

「まだ傷が癒えていないというのに」

胸がざわつく。

まただ。

また、皆がリリアの味方をする。

私ではなく。

公爵は表情を変えない。

「話したくないなら、黙っていればいい」

リリアが一瞬、目を見開いた。

「え……?」

「証言は強制しない」

公爵の視線が、リリアではなく私へ向く。

「アリシア嬢にもだ」

公爵は書記官に目を向けた。

「まず、執事」

「事件当日、リリア嬢の部屋に入った者は?」

「アリシア様です。それから……リリア様の侍女が、少し前に」

「少し前?」

「はい。花瓶を届けるためだと」

公爵の瞳が細くなる。

「花瓶は、事件現場で割れていたな」

「は、はい」

リリアが侍女を見た。

ほんの一瞬だけ、鋭い視線。

それだけで侍女の顔が青くなる。

公爵は次に薬師を呼んだ。

「リリア嬢の傷を診たな」

「はい」

「傷の深さは?」

薬師は額の汗を拭った。

「浅いものでした。命に関わるものではありません」

広間がざわめく。

リリアが唇を震わせた。

「で、でも!私はとても怖くて!お姉様が破片を持って……」

完璧な被害者の声。

エドガー様がすぐに彼女の肩を抱く。

「リリアを責めるな!傷の深さなど関係ない。その女が殺意を持ったことが問題だ!」

「殺意」

公爵が繰り返す。

低く、冷たい声。

「では、その殺意を示す証拠は?」

エドガー様が詰まる。

「そ、それは……リリアがそう証言している」

「他には?」

「アリシアの手に、手に血のついた破片があった!」

「なぜ持っていたか、確認したのか」

沈黙。

エドガー様が、わずかに言葉を詰まらせる。

「その必要はない!状況を見れば明らかだ!」

その言葉に、胸が痛んだ。

そう、誰も確認しなかった。

私がなぜ破片を持っていたのか。

私が何を言おうとしていたのか。

誰も……

公爵の声が続く。

「状況を見たのではない。見たいものを見ただけだ」

広間の空気が張り詰める。

父がそこで口を開いた。

「お言葉ですが閣下。娘は昔から、リリアに対して嫉妬を」

お父様……

まだ、それを言うのですか。

私は膝の上で、腕を抱えていた。

包帯が擦れて痛む。

「コレは姉としての寛容さに欠けるところがありました。今回も、その感情が行き過ぎたものと」

声が遠くなる。視界が揺れる。

私の父。

私を一度も見ないまま、私を悪女にする人。

息が苦しい。

頭が痛い。

「アリシア」

公爵の声。すぐ隣。

「こちらを見るんだ」

私はゆっくり顔を上げた。

黒い瞳。

静かで、深い。

「君は今、何も言わなくていい」

その言葉に、泣きそうになる。

でも、泣かない。

ここで泣いたら、リリアと同じになる気がした。

公爵は父を見る。

「嫉妬した娘は、殺人未遂犯になるのか」

父が言葉に詰まる。

「い、いえ、そういう意味では」

「感情は動機になり得る。だが、証拠にはならない」

公爵は次にリリアの侍女へ視線を移す。

「リリア嬢の叫び声を聞いてすぐに駆け付けたそうだな」

侍女は震えながら頷く。

「はい……リリア様のことが心配で」

「いつも部屋の近くで待機しているのか?」

「い、いえ。あの日だけです」

リリアの顔から、わずかに色が引いた。

公爵の声は変わらない。

「なぜ、あの日だけ?」

「そ、それは……」

侍女の目が揺れる。

リリアが弱々しく咳き込んだ。

「もうやめてください、私、怖い……」

その声に、侍女がびくりと震える。

「怖いなら黙っていろ。こちらは証言を確認している」

決定的な言葉は、まだ出ない。

あと少しなのに。

届かない。

公爵は無理に追及せず、ただ静かに告げる。

「今日はここまでだ」

「閣下!」

エドガー様が立ち上がる。

「これだけでは何も証明できていない!その女が無実だなどと――」

「有罪も証明できていない」

公爵の声が、広間を切った。

「それに、最初の裁きには穴が多すぎる」

エドガー様が歯を食いしばる。

リリアは泣いている。

けれどその涙の奥に、苛立ちが見えた。

私は椅子の上で、ただ息をしていた。

やっと。

やっと、私の声ではない誰かが、あの判決に穴があると言ってくれた。

それなのに、胸は晴れない。

皆の視線はまだ冷たい。

尋問が終わり、広間を出る。

足が重い。

昔から知っているはずなのに、まるで他人の屋敷みたいだ。

馬車へ戻る途中、膝から力が抜けた。

「アリシア!」

公爵の腕が支える。

私はそのまま、彼の外套を掴んでしまった。

涙が、ぽろりと落ちる。

「また……信じてもらえませんでした」

悔しい。悲しい。怖い。

全部が胸の奥で絡まって、息ができない。

「君は悪女ではない」

「少なくとも今日、君は逃げなかった」

「それで十分だ」

なぜだろう、涙が止まらない。

でも、さっきとは違う涙だった。

苦しいのに、少し温かい。

泣いているのに、恥ずかしくて、胸が苦しい。

公爵は私を見下ろす。

黒い瞳の奥に、静かな怒り。

そして、それ以上に深い何か。

「次は、推測ではなく証拠で終わらせる」

公爵は私の肩に外套をかけた。

処刑台の時と同じように。

その温かさに包まれて、私は小さく息を吐く。

まだ怖い。

まだ、胸は痛い。

けれどもう、ひとりではない。

馬車の扉が閉まる。

屋敷のざわめきが遠ざかる。

私は涙に濡れた指先を握りしめた。