軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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◇◇◇◇

祝宴の喧騒が王都に満ちるその夜、遥か彼方、黒き山脈の麓にある断絶の谷では、誰も知らぬまま魔王が胎動していた。

空は曇天。月も星も、その光を封じられている。

谷の底――大地に穿たれた巨きな裂け目の奥には異形の城。

魔王城がそびえ立っていた。静寂と異様な圧。

魔力ではない、魔そのもの、としか形容できぬ存在感だった。

黒い靄のようなものが地を這い、壁を伝い、天を目指す。

そして、魔王城の中央にある玉座に魔王がいる。

「……人の世は随分と賑やかになったようだな」

声音は低く、だがよく響いた。

それは、形なき存在が自らを再構築し始めた証。

虚空に浮かぶ赤き瞳が、ひとつ、またひとつと開く。

声なき咆哮が世界を貫き、地脈を震わせた。

男とも女ともつかぬ、しかし圧倒的な格を持つ、異形の存在。

すでに魔王の眼前では、瘴気を浴びた魔物たちが次々と膝を折り始めていた。

その様子を見下ろすと、魔王は愉しげに口元を歪めた。

「ふ……」

地の底から、真の脅威が歩き出す。

それは未だ誰も知らぬこと。

かくして、魔王は動き出した。

静かに、そして確実に、この世界に向けて、その影を伸ばし始める。

「……まだ足りぬな。もっと……もっと絶望が要る」

目を閉じると、かすかに世界の声が聞こえた。

哀しみ。怒り。飢え。争い。憎悪。

――それらが魔王の糧であり、悦びであり、世界を破滅へと導く羅針である。

やがて、傍らの影が形を成し、報告を告げた。

「魔王様。ゴブリン、コボルト、オークの増員が終わりました。次に空戦部隊ですがワイバーンとガルーダの調教に成功。それから各地に潜入させているドッペルゲンガーからレオルドの情報が届きました」

「続けろ」

「はい。魔導自動車の発表と、回復薬の実演が王都にて行われたとのこと。そのどちらにもレオルドが深く関わっているのは、ほぼ確定事項と見られています」

「……ふむ」

魔王はここではない、どこか遠くを見つめる。

魔王の目にはすでに一人の男の姿が映っていた。

辺境に現れ、自動車という新たな未来を作り、転移魔法陣と回復薬という古代の技術を蘇らせた、金髪の青年。

その名を、すでに何度も聞いている。

ゼアトの若き領主、レオルド・ハーヴェスト。

彼の名がもたらす革新と影響力は、もはや無視できない段階にある。

その存在は魔王にとって最大の障害と呼べるものだろう。

あるいは、既に定められていた運命なのか――

だが、今は動くべきではない。

魔王が最も警戒しているのは、世界最強の魔法使い、シャルロット・グリンデ。

そして、魔に対して最強の力を発揮する神聖結界というスキルを有するシルヴィア・アルガベイン。

彼女たちがいる限り、表立って動けば即座に発見され、消滅させられる危険がある。

魔王は理性的だった。

世界を滅ぼすという使命は、感情に任せて達成できるものではない。

むしろ、感情を排した上で、最も効率的に世界を終焉へと導く。

そう在ることが、魔王としての矜持だった。

「今はまだ、その時ではない」

その一言に、影は恭しく頭を垂れる。

「は。引き続き、勢力拡大と情報収集に努めさせます。各国に潜伏するスパイたちの動きと、レオルドとシルヴィア、シャルロットの動静をまとめて提出いたします」

「よい。決して、無駄な動きをするな。我の存在が露見すれば、すべてが水泡に帰す」

その声は、冷たいほどに静かだった。

だがその裏には、確かに燃えるような意志がある。

世界を終わらせるという使命。

そして、それを阻む者への明確な敵意。

「レオルド・ハーヴェスト、シルヴィア・アルガベイン、シャルロット・グリンデ……。厄介な存在よ。だが、貴様らとて無敵ではない。精々、束の間の平和を楽しんでおくといい」

その名を静かに呟くと、魔王は再び目を閉じた。

世界の声を、今一度、その深奥に刻み込むために。

いずれ来る滅びの時のために、魔王は徹底的に備えていた。

余計な痕跡を残すことなく、魔王軍は静かに、着実に、世界を包囲しつつある。

闇に満ちた玉座の間に、不気味な瘴気が渦巻く。

腐敗した法衣をまとい、干からびた骨の指に魔導の書板を携えた、骸骨の魔術師――リッチ、ネメセクス。

「魔王様。死霊兵についてなのですがご報告が」

魔王は小さく目を細め、玉座の上から静かに問いかけた。

「死者は集まっているか?」

「はい。既に東部辺境にて、疫と呪詛による初期感染は進行中。もうすぐ転化が始まりましょう。生者の都市は死者の王国へと変わる」

「ふふ……! ネメセクス。お前の軍は、やはり頼もしいな」

魔王の言葉に、リッチは微動だにせず、深く頭を垂れた。

「恐れ多く存じます。我が軍は死を糧とし、敵を喰らい、世界を覆う。いずれレオルド・ハーヴェストの前にも、屍の海を差し出してみせましょう」

「ネメセクスよ。死霊軍団お前に任せる」

魔王がそう告げると、玉座の周囲にもう一つ、三つの気配が揺らめいた。

それは言葉すら交わさず、ただ静かに存在を示す──闇に潜む魔王軍の幹部たち。

一人は、滑るような影の衣をまとい、人間そっくりの顔で微笑んでいた。

その瞳の奥には何層もの虚像が重なっており、見る者すら惑わせる。

ヴェールム――ドッペルゲンガー部隊の統括者。

既にいくつかの人間領の役人や兵士が、彼の配下によってすり替えられている。

別の影は、黒い翼を広げ、宙に浮いたまま玉座を見下ろしていた。

全身を覆う鱗と、咆哮の余韻が耳鳴りのように残る。

ファルゼン――飛行魔物部隊の総指揮官。

空中からの攻撃と制空戦力を担っている。

さらに、厚い皮膚と無骨な体躯を持つ巨躯の魔物が、口元を歪めて嗤った。

片腕には砕かれた神殿の柱、もう片方にはくすぶる斧を携えている。

グロガルド――陸上魔物部隊の総大将。

彼はオーガの中でも稀にしか現れない、進化個体モルグオーガ。

知性と暴力を兼ね備えた破壊の暴君として、魔王軍に参列している。

いずれも、未だ姿を見せず、動きは極秘裏にとどめている。

それは世界最強の魔法使いシャルロットの目を欺くため。

シャルロットの探知魔法が届く距離を正確に測り、その網に引っかからぬよう幹部たちは闇に潜み、魔王軍は静かに、確実に戦力を整えていた。

「動き出すのは、まだ先でいい」

魔王の声に、誰も答えない。

ただ瘴気が重く渦を巻き、玉座の間を飲み込んでいった。

誰も答えず、ただ沈黙が支配する玉座の間。

だがその深淵の中で、魔王は静かに目を閉じた。

彼にとって、殺意も復讐も、もはや感情ではない。

それは単なる必要なことだった。

世界に課された滅びの摂理。その起点として、彼はこの世に現れた。

数百年ごとに訪れる魔王と言う名の破滅の 理(ことわり) 。

それがなぜ起きるのか、誰も知らない。

だが、魔王は理解していた。

この世界は、限界まで積み上がった秩序と繁栄を、一度すべて壊さねばならないのだ。

「……崩壊は、浄化であり救済だ。人は忘れる。腐敗する。繰り返す。ならば、その循環を断ち切る者が必要となる」

魔王は自らを悪だとは思っていなかった。

ただ、世界を終わらせる役目を担わされた者。

崩れかけた均衡を破壊によって再構築へ導く、負の端末にすぎない。

だが――

「レオルド・ハーヴェスト……貴様だけは、例外だ」

その名を呟いた時、魔王の瞳が微かに揺れた。

希望を掲げ、民を導き、腐敗を内側から変えようとする存在。

まるで、世界が自ら変わろうとしているかのような、異物。

彼がいる限り、世界は滅ばない。

人々は抗い続ける。希望を捨てない。

そのすべてが、魔王という装置の稼働を遅らせ、揺らがせる。

「……貴様は継続の象徴である英雄。ならば、私は終焉として在らねばならない」

終わらせるために生まれた存在。

それが世界に与えられた自浄作用ならば――

英雄など、最も邪魔な存在でしかない。

ゆえに、殺す。

希望の源を断ち切り、世界に再び沈黙を取り戻すために。

死と恐怖と絶望の黒が、大地を覆い尽くすその日まで。