作品タイトル不明
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ジークフリートとクラリスをゼアトに迎えた翌朝。
領主館の重厚な門扉が開き、見覚えのある紋章を掲げた馬車がゆっくりと進入してきた。
ヴァンシュタイン公爵家の訪問だ。
執務室で待機していたレオルドは、窓からその様子を見下ろし、静かに息を吐いた。
「ついに来たか……」
イザベルがそばに控え、低く声をかける。
「公爵家からの正式な来訪は、予定通りです。しかし、少々様子が落ち着かないようです」
「……ジークフリートの件を聞いて戸惑っているんだろうな」
レオルドは机上の書簡を手に取り、来訪の目的を改めて確認した。
ヴァンシュタイン公爵家は、エリナを伴い、ジークフリートと婚姻を結ばせるための調整を進めるつもりだった。
だが、既にジークフリートはゼアトの一員として動き始めている。
「順序が逆になってしまったな……」
苦笑混じりにレオルドが呟くと、イザベルも小さく頷いた。
「公爵家には戸惑いもあるでしょうが、向こうも目的があってのこと。下手に動かず、冷静に対応なさるのがよろしいかと」
「……ああ」
レオルドは姿勢を正し、イザベルに目配せした。
「応接室の準備を。迎えるぞ」
「承知しました」
イザベルが退出すると、すぐに応接室の支度が整えられた。
レオルドはシルヴィアと共にヴァンシュタイン公爵を待ち構える
しばらくして、ヴァンシュタイン公爵家の使者と共に、公爵エドワードとエリナが姿を現した。
エリナは緊張した面持ちで、何度も視線を宙に泳がせる。
一方、公爵エドワードはその様子を見やりつつも、気丈に振る舞っていた。
「レオルド殿、突然の訪問にも関わらずお時間をいただき、感謝申し上げる」
エドワードの声には、戸惑いの色が滲んでいた。
「……いえ、こちらこそ。遠路お越しいただき、感謝いたします」
礼を交わし、双方が席に着く。
「実は、ゼアトへ参る途中で耳にしたのですが……ジークフリート殿が、既にこちらでお世話になっていると?」
公爵の問いに、レオルドは堂々と頷いた。
「はい。彼とは先日、王都で直接話をし、力を貸してもらうことになりました」
「……そうですか」
エドワードは苦い表情を浮かべ、視線を落とした。
だが、すぐに顔を上げ、真剣な眼差しを向ける。
「それでも、私どもの意向に変わりはありません。ジークフリート殿の過去は承知の上、その誠実さを信じ、エリナと結ばせたいと考えております」
エリナも、俯きながらも小さな声で言葉を添えた。
「……ご存じだとは思いますが、私はジークフリート・ゼクシアを愛しています」
エリナの言葉は震えていたが、どこか決意を感じさせるものだった。
彼女の視線が机の上に落ちるその間、エドワードも苦々しい表情を浮かべながら、しかし毅然とした態度を崩さなかった。
「娘の気持ちは固いようです。レオルド殿、これからの世の中は混迷を極めるでしょう。王国の未来を考えれば、我が家も貴殿と手を結ぶことは悪くない選択だと考えております。ですが……」
エドワードは言葉を切り、視線を鋭く向けた。
「ジークフリート殿が既にゼアトの一員となったという事実、それを我々が後から知らされたことについては、正直なところ、釈然としません」
シルヴィアが静かに息を呑み、レオルドは少し苦笑した。
「公爵閣下。確かに順序は逆になってしまいました。しかし、ジークはあくまで自らの意志でゼアトに来ました。彼の覚悟を無下にすることはできません」
「……その覚悟に応えるため、我々も協力しようということか」
エドワード公爵の声には、穏やかさの奥に鋭い探りの色が滲んでいた。
「いいえ。はっきりと申し上げますが、私が閣下と手を結んだところで、正直、こちらにとって大きな利益はありません」
レオルドの言葉に、イザベルとシルヴィアが静かに息を呑む。
「……ほう」
エドワードは口角をわずかに上げたが、その瞳は鋭い光を宿していた。
「しかし、ジークフリートは例外です。彼の力、そして彼を信じる者たちを迎え入れることが、私の責務です」
「なるほど……」
エドワードはゆっくりと椅子に背を預け、顎に手を当てた。
「……ならば聞こう。お前にとって、ヴァンシュタイン家はどのような価値がある?」
その問いには、王国の中枢に名を連ねる家門としての誇りと、レオルドを試す意図が含まれていた。
「閣下のご家門が王国における信頼と影響力を誇ることは、言うまでもありません。ですが、今後ゼアトが独自に立ち、周辺をまとめるためには、あくまで対等の立場で手を取り合う必要があります」
「対等……か」
エドワードは薄く笑った。
その時、隣に座るエリナが不満そうに口を開く。
「そんなに偉そうなことを言って……ただの辺境領主の分際で」
その言葉には、明らかな侮蔑が混じっていた。
「エリナ!」
エドワードが低く叱責したが、エリナは不満げに視線を逸らす。
「よろしいのです、公爵閣下」
レオルドは冷静にエリナの言葉を受け止め、口元に微かな笑みを浮かべた。
「お嬢様の仰る通り、私は辺境領主に過ぎません。しかし、私がゼアトをここまで築き上げたのは、信頼と実績によるものです。閣下にとって、ジークフリート殿は家門の将来を託すに足る人物。その彼を預かる以上、ゼアトは決して閣下の期待を裏切りません」
「ほう……言うではないか」
エドワードの目に、わずかな笑みが浮かぶ。
しかし、その笑みの奥にあるのは簡単に信用する態度ではなかった。
「だが、王国においてヴァンシュタイン家は決して小さな存在ではない。こちらの顔を立てるために、どのような誠意を見せてくれるつもりだ?」
「……誠意、ですか」
レオルドは一拍置き、シルヴィアに視線を送る。
シルヴィアは小さく頷き、静かに口を開いた。
「公爵閣下。ゼアトはこれまでの王都依存から脱し、新たな時代を切り開こうとしています。ですが、それは決して既存の権威を否定するものではありません。閣下のお力と影響力は、これからの王国にも必要です。我々は、閣下に敬意を表し、将来的には閣下の息女エリナ様がジークフリート殿と結ばれることを支援しましょう」
「……ふむ」
エドワードはシルヴィアの言葉をじっと聞き、重々しい沈黙の後、言葉を紡いだ。
「つまり……我が家門を王国における要石の一つとして、ゼアトも認めると」
「その通りです」
レオルドが力強く頷いた。
「よろしい……では、ヴァンシュタイン家はこの縁組を進めると共に、ゼアトとの協力を正式に検討しましょう」
エドワードは立ち上がり、堂々と告げた。
「ただし」
その声に、場の空気が引き締まる。
「ゼアトが我が家門と対等を主張する以上、それ相応の結果を見せてもらうぞ、レオルド殿」
「心得ております」
レオルドの声には、覚悟がこもっていた。
「……エリナ。ジークフリートと結ばれたいのなら、先程の態度を改め、ゼアトのために尽力し、レオルド殿の言うことはよく聞くように。でなければ、お前が望む未来は決して手に入らないだろう」
エドワードは娘に視線を向ける。
エリナはわずかに頬を染め、不満げな表情を浮かべながらも、黙って父に従った。
「わかりました」
その一言に、微かな決意が宿った。
ヴァンシュタイン家とゼアト。
両家の駆け引きは、ここに一応の決着を見せた。
だが、場を締めくくろうとしたその時、シルヴィアが一歩前に出た。
その優雅な微笑みは、柔らかさを纏いながらも冷たさを帯びていた。
「エリナ」
シルヴィアの呼びかけに、エリナはびくりと肩を震わせた。
「……はい」と、警戒心を滲ませた声で応じる。
「先程のお振る舞い、そしてお言葉……ゼアトの者としてではなく、一人の女性として大変残念に思いました」
シルヴィアの言葉は穏やかだったが、その視線は鋭く、エリナの心を貫いた。
「ジークフリートをお慕いするお気持ちは素晴らしいものですわ。しかし、そのお気持ちを叶えるためには、自らの在り方を正し、周囲に敬意を払い、ゼアトの者として相応しい振る舞いを示すべきです」
エリナの口元がわずかに震えた。
だが、反論できず、ただ俯く。
「あなたがジークフリートと共に未来を歩みたいと願うなら、そのために必要な努力を惜しまず、誠実に振る舞うことですわ」
シルヴィアの声は、決して大きくはなかったが、その響きには揺るぎない信念が宿っていた。
「……わ、わかりました」
エリナは震える声で、ようやく答えた。
「その覚悟、見届けさせていただきますわ」
シルヴィアは静かに微笑むと、ゆっくりとレオルドの隣に戻った。
その場に流れる空気は、先ほどまでの駆け引きの余韻と共に、厳かな緊張感を纏っていた。
エリナは小さく肩を落とし、エドワード公爵もまた、娘に複雑な視線を向けた。
「……さて」
レオルドは低く呟き、場を締めるように一歩前へ進んだ。
「本日はお越しいただき、感謝します。これからは、互いの信頼と誠意をもって協力関係を築いていきましょう」
エドワードも立ち上がり、ゆっくりと頭を下げた。
「うむ……。こちらこそ、よろしく頼む。レオルド殿」
こうして、クラリスの和解、ヴァンシュタイン家との対話を経て、ゼアトは新たな局面を迎えたのだった――。