作品タイトル不明
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◇◇◇◇
夜の宴が明け、フリューゲル邸の空気には静かな余韻が残っていた。
一泊させてもらったレオルドは、朝の光差す窓辺で身支度を整えながら、ふと息をついた。
別室に泊まっているシルヴィアはすでに身なりを整え、控えめな朝食を口にしている。
この日、ふたりはゼアトへの帰還を予定していた。
ミスリルを融通してもらえることを約束してもらい、友誼を結ぶという目的を果たした以上、無用にフリューゲル公爵家に留まる理由はなかったからだ。
だが――その静寂は、ドアを叩く鋭い音によって破られた。
「……失礼いたします。王城より、緊急の使者が参上されました」
報せを受けて、レオルドとシルヴィアが応接室へと向かうと、そこには王城付きの使者が丁重な礼をもって立っていた。
使者の装束、紋章、そしてその面差し。すべてが「本物」であることを物語っている。
「レオルド・ハーヴェスト辺境伯、そしてシルヴィア殿下。陛下より直々の勅命です。ただちに王城へお越しいただきたいとのこと――」
「……理由は?」
レオルドが問えば、使者は一瞬言葉を選ぶように沈黙し、しかしはっきりと告げた。
「――陛下は、フリューゲル公爵家との友誼について、閣下の真意をお確かめになりたいとのことです」
沈黙が落ちる。
シルヴィアの指先がわずかに止まり、レオルドはゆっくりと目を細めた。
予想はしていた。
だが、これほど早く反応が来るとは思っていなかった。
「昨夜の宴に紛れ込んでいたか……」
「そうみたいですわね……。ここは素直に従った方がよろしいでしょう」
レオルドは肩をすくめるようにして笑った。
シルヴィアの助言通り、レオルドは勅命に従い、王城へ向かうことを決める。
「……ふむ。王都というのは、つくづく風の流れが速い」
その横で、シルヴィアが静かに立ち上がる。
「私も同行します。問題はありませんわね?」
「はい、もちろんでございます、殿下」
使者が深く頭を下げると、レオルドはそっとシルヴィアに目を向けた。
「……シルヴィア。帰宅するのは遅くなりそうだ。しっかりと準備をしていこうか」
「ふふ、もちろん。――しっかりと準備をなさいましょう。それはもう念入りに」
不穏な言い回しに使者は不安を覚えるも、相手は王国の英雄とその婚約者だ。
失礼な真似は出来ないと、使者はただ二人を見送った。
しばらくして、レオルドとシルヴィアは旅支度を終える。
フリューゲル公爵邸に設置されている転移魔法陣のもとへ使者と共に案内されると、重厚な石畳に刻まれた魔法陣が、淡い光を帯びて脈動していた。
その傍らには、公爵ベルナール・フリューゲルと、その娘テスタロッサの姿がある。
彼らはすでに来訪者を迎えるときのような格式ばった表情ではなかった。
友として――あるいは同志として、見送る者の顔であった。
「朝から騒がせてしまって申し訳ない」
そう言ってレオルドが頭を下げると、ベルナールは手を軽く振って応じる。
「いや、貴族の屋敷にとっては朝こそが最も忙しい時間帯。むしろ、こうして送り出せる機会ができてよかったよ。――転移魔法は便利な反面、厄介であるな。これほどまでに早く、陛下のお耳に届くとは……」
情報が瞬時に届くということは、すなわち誤魔化しも猶予も許されないということ。
政治の舞台に立つ者にとっては、光であると同時に、常に背後に影を落とす刃でもある。
「その利点こそが転移魔法の価値とも言えるでしょう。閣下、このような場で申し訳ありませんがこれにて失礼させていただきます」
「構わんさ。陛下は恐らく君の真意を問い質すつもりだろう。だが、君なら大丈夫さ。私に言ったように言えば陛下も納得してくれるに違いない」
「そうだといいのですがね……」
肩をすくめてみせるレオルドに、ベルナールは目を細めて苦笑する。
「それだけ、君の名は重要というわけだ。君はもう、ただの若き領主ではない。陛下が注視する存在なのだ。それを誇りに思いたまえ」
その言葉にレオルドが深く頷くと、テスタロッサが一歩前に出た。
「レオ君、最後にひとつだけ伝えておくわ。王城では、力そのものよりも、どう見られるかのほうが重要になるわ。特に今の貴方は、火種のようなもの。どこから風が吹くかは分からない」
琥珀の瞳が、真剣にレオルドを見つめていた。
その表情には、からかいも飾りもない。真実だけがあった。
「肝に銘じておこう。テレサ、お前の件についての返答は、王都から戻ってからゆっくり考える」
「……ええ、楽しみにしているわ」
レオルドの言葉に、テスタロッサはわずかに微笑む。
彼女の笑顔は、まるで試練の門出を見送る姉のようでもあり、
あるいは、決して手を出さぬまま信じて託す仲間のようでもあった。
最後にテスタロッサは視線をシルヴィアに向ける。
「殿下、彼の剣となるのは貴女ですが、楯となるのは私かもしれませんわね。……どうか、仲良くしてくださると嬉しいわ」
それに対し、シルヴィアは優雅に一礼し、穏やかに言葉を返す。
「楯でも剣でも構いません。彼のために尽くす者なら、私は喜んで手を取りましょう。――ですが、最も近くに立つのは、私ですわよ」
にこやかな笑顔のまま、それは王女としての威厳を失わない――
まさに、譲らぬ者同士の宣言だった。
そのやり取りを見届けたベルナールが、静かに一歩前へと進み、右手を差し出す。
「レオルド・ハーヴェスト。私は君に賭けた。どうか、その選択が間違いではなかったと、近いうちに証明してくれ」
レオルドは、その手をしっかりと握り返す。
「約束しましょう、閣下。王の前であれ、民の前であれ、俺は己の意志を貫き通しましょう」
その言葉を最後に、魔法陣が淡く光を強める。
使者の合図とともに、レオルドとシルヴィアが中央に立ち――転移の光が彼らを包み込んだ。
閃光が消えたあと、そこには静寂と、わずかな魔力の余韻だけが残されていた。
テスタロッサは空を見上げ、ぽつりと呟く。
「……さあ、次はどうなるのかしらね。レオ君、あなたはもう後戻りなんてできないのよ」
その声は、哀しみではなかった。
ただ、ひとつの時代が動き始めた――
その鼓動を確かに感じ取った者の声だった。
◇◇◇◇
転移の光が静かに消え去ると、そこは王城の奥、転移専用の控え間だった。
「どうやら、かなり急いでいるらしいな……」
「そうですわね。王族専用の転移魔法陣を使用しているということは、それだけ今回の話が重要だということでしょう」
荘厳な石壁と厚絨毯、天井のステンドグラスから差し込む朝の光が、神聖ともいえる空気を作り出していた。
すでに侍従たちが待機しており、転移の直後とは思えぬ手際で出迎えの礼を取る。
「ハーヴェスト辺境伯閣下、シルヴィア殿下。国王陛下がお待ちです。どうぞ、玉座の間へ」
「……用意が良すぎる」
レオルドがぼそりと呟けば、隣で歩を進めるシルヴィアが囁く。
「陛下はこういう場面、決して遅れませんのよ。――油断なさいませんように」
「試されるというわけか……」
二人は侍従に導かれ、重厚な扉の前に立つ。
その瞬間――
「ハーヴェスト辺境伯、並びに第四王女殿下、謁見に参られました!」
高らかな宣言の声とともに、玉座の間の扉が開かれた。
奥に鎮座するは、王国の主――
アルベリオン・アルガベイン国王。
銀と金をあしらった重衣をまとい、年齢に似合わぬ鋭い眼光を放つその姿は、まさに「王」の名に相応しかった。
その両脇には宰相と近衛騎士団長、王政を支える重鎮たちがずらりと並ぶ。
玉座の場は、静謐な緊張に包まれていた。
「……レオルド・ハーヴェスト。よく参った」
国王が低く、しかし明確な声で語る。
レオルドは一礼をもって応じ、ひざまずくことはせず、堂々とした姿勢で口を開いた。
「勅命を賜り、参上つかまつりました。お声をかけていただき、光栄に存じます、陛下」
「ふむ。口先は立つようだな。――だが私は、口ではなく心を問う」
鋭く光る国王の瞳が、真正面からレオルドを射抜く。
「ゼアトの領主として、フリューゲル公爵と友誼を結んだ――その真意を申せ。貴様は、何を求め、何を目指している?」
重く、威圧感すら伴う問いかけ。
玉座の間に集う者たちの多くが、固唾を呑んだ。
だが――レオルドは一歩も退かず、むしろその眼差しに自ら歩み寄るように、声を発する。
「真意はひとつ。ゼアトを護るためです。そして――この王国が、この先も存続できると信じるためです」
「……戯言では済まぬぞ。レオルド」
「承知しております。私は、王国への恩義を忘れたことはありません。ゆえに、ゼアトの発展は王国の未来へ繋がると信じており、フリューゲル公爵と友誼を結んだのです」
その言葉に、周囲がざわついた。
臣従でも、反抗でもない。
けれどそれは、明確すぎるほどの対等の意志。
そして次の瞬間、隣に控えていたシルヴィアが、静かに一歩進み出る。
「陛下。レオルド様の言葉には偽りはございません。私が共に歩むと決めたのは、彼が何よりも民を思う者だからです」
国王の眼差しが、娘に向く。
「……シルヴィア。お前もまた、この男に肩入れするのか」
「はい、陛下。私は王族としてでなく、一人の女として、彼の意志に惹かれました。そして今は、未来を共に描く者として――支えたいと願っております」
静寂。
そして――国王は目を閉じ、数秒の沈黙ののち、ふっと小さく笑った。
「……なるほど。フリューゲル公爵が惚れ込むわけだ。お前たちが本気だということは、よく分かった」
国王の声に、場の緊張が一段階ほど和らぐ。
「だが、忘れるな。お前が築く未来が、王国と真に交わるものでなければ……次に呼ばれるとすれば、友としてではなく――裁きを下す者として、だ」
レオルドは深く頭を下げた。
「畏まりました。――その時は、誇りを持って応じましょう」
玉座の間に、国王の笑みがわずかに浮かぶ。
「良いだろう、レオルド。――お前の野心、しばし見届けてやるとしよう」
こうして、謁見はつつがなく終わりを迎えるのであった