軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

406

面談を終えた一行が、応接室を出てすぐの回廊。

宴の準備が整うまでの短い時間を使い、ベルナール公爵の取り計らいで、テスタロッサがふたりのもとへと案内された。

彼女は礼節を崩さぬ所作で一礼すると、まずはレオルドへと向き直る。

「先ほどは公の場でしたので、あまり砕けた挨拶もできませんでしたが……改めて、ご挨拶するわね、レオ君」

緋のドレスに映える琥珀の瞳。

その奥に浮かぶのは、社交の仮面ではなく、確かな懐かしさと真摯な敬意だった。

「久しぶりだな、テレサ。元気にしていたか?」

「御覧の通り、すこぶる元気よ」

「そうか。それはよかった。意気消沈しているとばかり思っていたのだが元気なら、こちらも気を使わなくて済む」

「意気消沈? どうしてそう思ったの?」

「ん? だって、お前はジークフリートと懇意にしているだろう? それなのに俺との友誼を結ぶために政治利用されそうになっているのだから、そう思ってもおかしくはないだろ?」

レオルドの言葉に、テスタロッサはほんの一瞬、首を傾げる。

「えっと、何か勘違いしてるようだけど私は別にジーク君のことは何とも思っていないけど?」

「なに!? そうなのか? 俺はてっきり、お前はジークフリートを好いていると思っていたのだが……」

「……まあ、隠していてもしょうがないけど学生時代はね。憧れていた時期もあったわ。彼の在り方は他の貴族子息にはなかったものだから」

「そうか。確かに学生時代のジークフリートは世間を知らないお嬢様達からは人気があっただろう。それに俺との決闘騒ぎ以降はさぞ凄かったことだろうな」

「ええ、それは本当に凄かったわ。男爵家の令息が公爵家の次期当主に決闘を申し込んだ挙句、勝利したって話は学園全体に衝撃が走ったほどだもの。それからすぐに貴方は公爵家の次期当主から降格、ゼアトへの左遷。しばらくの間は、この話題で持ちきりだったわ」

「お祭り騒ぎだったことだろう」

テスタロッサはくすりと笑い、指先で髪を軽く払った。

「もうそれは凄かったわ。全学年が話題のジーク君に夢中だったもの。当時のレオ君があまりにも 有(・) 名(・) だったから余計にね」

「思い出させるな。当時のことなど……」

レオルドにとって忘れられない過去。

傍若無人、傲岸不遜、暴虐非道。

公爵家次期当主という肩書を笠に着て、学園で悪行の限りを尽くしていたレオルドはそれはそれは有名であった。

勿論、悪い意味でだ。

そんなレオルドが、かつて婚約者だったクラリスに暴挙を働こうとしたものの、ジークフリートの介入によって阻まれ、決闘へと発展した――その結末は、誰もが知る通りである。

敗北を喫したレオルドは、決闘前の誓いに従いジークフリートとクラリスの前から姿を消し、学園を去ることとなった――はずだった。

だが今、レオルドはゼアトの領主としてここに立っている。

「本当に……随分と変わったわ。昔のレオ君とは大違い」

「さて、どうかな? 案外、中身はそう大して変わってないかもしれんぞ?」

「もし、そうなら領主よりも詐欺師か俳優に転職した方がいいわね」

テスタロッサの皮肉混じりの言葉に、レオルドは肩をすくめ、苦笑するしかなかった。

かつての己を思えば、どんな反論も虚しくなるだけだ。

だが、その横で、シルヴィアは静かに目を伏せる。

テスタロッサの言葉には敵意はない。

あるのは好奇心と敬意――そして、わずかばかりの狙い。

だからこそ、なおさら静かな圧力を感じる。

シルヴィアは優雅な所作で一歩前に出ると、柔らかな微笑みを浮かべて口を開いた。

「仲がよろしいですわね、レオルド様。そろそろ私にもお話させてくださいまし」

声色は柔らかく、微笑は崩さぬまま。

けれど、その奥には確かな芯があった。

テスタロッサはわずかに目を見開いたあと、ふっと笑った。

「申し訳ありません。シルヴィア殿下。私は殿下の立場を侵そうなどとは思っておりませんので、どうかご安心を」

テスタロッサの声音には一切の揶揄も侮りもない。

ただ、王女としての誇りをもって目の前に立つ女性への、丁寧な敬意がそこにはあった。

シルヴィアもまた、それを敏感に感じ取る。

「ええ、分かっております。ただ、私もこう見えて、少々やきもち焼きなものですから……」

冗談めかした一言に、場の空気がふわりと和らぐ。

だが、その微笑の奥に宿るのは王女ではなく、ひとりの婚約者としての揺るぎない意思だった。

テスタロッサは一瞬だけ視線を伏せ、それからまっすぐにシルヴィアを見た。

「……誰もが次代の王妃とは貴女のような方を言うのだと、噂していました。気品も、聡明さも、誇りも――どれも本物ですわね」

その言葉には、皮肉も媚もなかった。

本当に、純粋な称賛として、彼女はそう言った。

「ありがとうございます。ですが、本物かどうかは、まだ分かりませんわ。私が選ばれる者であった以上、常に誰かの期待と競争の中にいます。けれど、私は王妃などよりもレオルド様の隣にいること選びました」

そう言って、シルヴィアはそっとレオルドを見た。

レオルドは、その視線を受け止めながら、どこか照れ臭そうに頭をかいた。

「……こういう時、どう返せばいいのか分からないんだが……少なくとも俺にとっては、シルヴィアだけが本物だと思ってるよ」

その言葉に、シルヴィアは微かに頬を染めて視線を逸らす。

そして、テスタロッサは小さく笑った。

「それなら何より。私も、自分が置かれる立場というものを理解しています。だけど、それと同時に、私は貴族である前に一人の人間でもあるの。だからこそ、あなた達のような関係を、少しだけ羨ましく思ってしまうのかもしれないわね」

同じ女だからこそ、シルヴィアはテスタロッサの言葉の奥にある哀愁を感じ取っていた。

それは誇りや知性に隠された、ごく微かな寂しさ。

誰にも気づかれぬように覆い隠された、“孤独”という名の影。

――きっと、彼女はもう手放してしまったのだ。

シルヴィアが今、隣で確かに感じているような、誰かを信じ、誰かに寄り添うぬくもりの時間を。

それは羨望ではなく、もっと静かな、諦念に近いもの。

同情したくなる気持ちはあった。

だが、それはシルヴィアが抱いてよい感情ではない。

なぜなら、あの毅然とした琥珀の瞳は、自らの意思で歩んできたことを否定していなかったからだ。

であれば、シルヴィアもまた、応えねばならない。

王女としてではなく、レオルドの隣に立つ者として。

女として、テスタロッサというもう一人の女の誇りに。

「貴女がそう思ってくださるなら、私も――貴女の覚悟を無下にはしませんわ」

「……ありがとうございます。殿下はお優しいのですね。私のような女にまで、そんなふうに言ってくださるなんて」

テスタロッサは、どこか寂しげに微笑んだ。

その声に含まれるのは、感謝とも、自嘲ともつかない複雑な感情。

――敗北ではない。だが、確かに譲ったのだ。

その事実を認めたうえで、それでも尚、自分の道を進もうとしている者の顔だった。

そんな彼女を、シルヴィアはまっすぐに見つめ返す。

「優しさではありませんわ。……これは、敬意です」

「敬意、ですか?」

「ええ。たとえどんな形であれ、自らの誇りと信念を貫こうとする方に、私が軽んじた態度など取れるはずがありません」

その言葉に、テスタロッサの目がわずかに揺れた。

だが、それは戸惑いではない。

救われた、とまでは言わぬまでも、確かに胸のどこかに灯るものがあった。

「……そうですか。やはり、貴女は王妃の器ですよ、シルヴィア殿下」

「ふふ、そう言われると、少しだけ得意になってしまいそうです」

そこでふっと、二人の間に笑みが広がった。

それは牽制でも虚勢でもない、ごく自然な、女同士の対話の終着点。

二人の間に交わされたのは、言葉以上の敬意だった。

それは剣を交えたことのない、けれど戦場に立つ者同士だけが分かり合える心の打ち合いだったのかもしれない。

レオルドはその様子を黙って見守っていた。

どちらの想いも、どちらの強さも、彼にとっては大切なものだったから。

風がそっと回廊を抜ける。

しばしの沈黙のあと、テスタロッサは軽くスカートの裾を摘まんで一礼した。

「宴の場では、客として振る舞います。どうか、今宵はお二人の時間を邪魔しないよう努めますわ」

「……テレサ。お前はもう客というより友人のようなものだ。気を遣わずに楽しんでくれ」

レオルドの真摯な言葉に、テスタロッサはまたひとつ、柔らかな笑みを浮かべる。

「では――甘えさせてもらうことにするわ、レオ君」

そんな彼女の言葉に、シルヴィアも微笑を返し、三人はゆっくりと歩き出す。

「レオルド様」

「む? どうした? シルヴィア」

「何故、いつまでも気安く名前を呼ばせるのです? しかも、親しい間柄のように……」

「テスタロッサ嬢、悪いがこれからは気を付けてくれ!」

「はいはい。分かりましたわ。ハーヴェスト辺境伯」

わざとらしく丁寧な口ぶりに、彼女なりの茶目っ気が滲んでいた。

テスタロッサは唇の端を上げ、肩をすくめるようにして軽く笑った。

まだ僅かに嫉妬心は残っているが、それでも今はこの空気を壊す方が不粋だろう。

シルヴィアはふわりと微笑を浮かべながらも、目元の鋭さをわずかに残しているものの、どこか満たされたような安堵があった。

やがて三人の足音が廊下に溶け込むように遠ざかっていき――

その先には、夜の帳が下りる前の、温かな宴の光が待っていた。