軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

405

◇◇◇◇

ついにフリューゲル公爵と面会の日がやってきた。

約束していた時間に間に合うようレオルドはシルヴィアと従者達を引き連れて、ゼアトから旅立つ。

場所はゼアトからほど遠いフリューゲル公爵家が治める領地。

その一角にあるフリューゲル公爵家の本邸。

格式と気品に満ちた石造りの建物で、数多の貴族が足を踏み入れるだけで緊張を覚える空間だ。

だが、レオルドの表情に一切の揺らぎはなかった。

「レオルド・ハーヴェスト辺境伯ですね。どうぞ、こちらへ。お館様がお待ちしております」

「うむ。ご苦労」

使用人に案内されながら、レオルドは静かに歩を進める。

後ろにはシルヴィアと数人の従者達が控え、その足取りに迷いはない。

だが、シルヴィアの胸中には、言いようのない緊張があった。

この面会は、政務上のものであると理解している。だが同時に、それ以上の意味を含んでいることも――分かっていた。

テスタロッサ。その名がこの場に影を落とすであろうことは、最初から覚悟していた。

領地の一角にあるこの本邸は、フリューゲル公爵家の威信を象徴する建物だ。

白亜の大理石で形作られた床、黄金に縁どられた壁の装飾、そして廊下に差し込む陽光さえが、洗練された貴族文化の粋を物語っていた。

やがて一行は、重厚な扉の前で立ち止まった。

「お通しします」

使用人が軽く頭を下げると、扉が静かに開く。

その先にいたのは、堂々たる風格を持つ一人の男――フリューゲル公爵家当主ベルナール・フリューゲル。

まさか、公爵家の当主、直々に歓迎されるとは思っていなかったレオルドはほんの少しだけ驚いた。

しかし、すぐに考えを改める。

そうまでして自分と友誼を結びたいのだと、レオルドは理解した。

「よくぞ来られた、ハーヴェスト殿。遠路はるばるご苦労であったな」

ベルナールは微笑を浮かべながら、レオルドへと歩み寄る。

その背筋はまっすぐに伸び、声には威圧感こそないが、自然と空間を支配する貫禄があった。

「お招きいただき、感謝いたします、公爵閣下。こちらは婚約者のシルヴィア・アルガベイン王女殿下。ご挨拶を」

「はじめまして、公爵閣下。ご厚意に深く感謝申し上げます」

シルヴィアが丁寧に礼をすると、フリューゲル公爵は目を細め、穏やかに応じた。

「アルガベイン王家のご令嬢とお会いできるとは光栄の極み。まさに――未来の王国を背負う者同士ということだな」

軽く形式的な挨拶を交わすと、公爵はレオルドを奥の応接室へと案内した。

厚手の絨毯が敷かれた部屋の中央には、深い色合いの木製テーブルと彫刻が施された椅子が並んでいる。

使用人が紅茶を運び入れ、軽く一礼して下がると、静寂が訪れた。

ベルナールは一口、紅茶を啜ったあと、目を細めて言葉を継いだ。

「……近年、王都では若き貴族達の中で貴殿の名を耳にしない日はない。領地運営、軍備強化、外交交渉、さらには学術や技術開発まで、実に目覚ましいものだ」

レオルドは控えめに微笑みながらも、謙遜の意を込めて応じる。

「過分なお言葉です。ですが、ゼアトという辺境ゆえ、他の領地とは異なるやり方が必要なのです」

「それが出来る者がどれほどいるか。……正直、貴族の中でもあなたのような頭脳と胆力を併せ持つ若者は極めて稀だ。いや、私などもはや若き逸材とすら呼ばれるには歳を取りすぎたかもしれんな」

ベルナールは肩を竦め、茶目っ気すら滲ませてみせる。

だが、その言葉の端々には、計算された下手があった。

――この男は、レオルドが今や王国内でも屈指の実力者となっていることを、十分すぎるほど理解している。

そして、それをどう取り込むかを真剣に考えているのだ。

「王都の政においても、正直、古きしがらみが多すぎる。身動きが取りにくくなって久しい。だからこそ、私は外の風を求めているのだ。ゼアトという、風通しの良い力を」

「公爵閣下ほどのお方が、私などに風を求めるとは……」

皮肉ではなく、心底からの困惑がレオルドの声に滲んでいた。

ベルナールは笑う。

「私は長く宮廷にいた。王や貴族たちの間に立ち、利害を調整し続けてきたが……最近は、王も貴族も安定という名の惰性に囚われつつある。だが貴殿は違う。変化を怖れぬ。だからこそ、私は敬意を込めて風と呼ぼう」

そして、少しだけ声を落とす。

「正直に言おう。私は、今の王都に何かあれば、この者に頼める、という人物を一人でも多く持ちたい。その筆頭が、貴殿だ」

言葉に含まれる重みと誠意――それは、決して軽々しいおべっかではなかった。

政治家としての老練な観察眼と計算、そして一抹の焦燥。

レオルドは一瞬だけ息を止めた。

「……光栄に存じます。ただし、私はゼアトを守ることを最優先に考えております。それをご理解いただけるのであれば、喜んでお力添えいたしましょう」

「もちろんだとも。我が家も貴殿のような確かな楯を持つ者と、友誼を結びたいだけだ」

そう言って、ベルナールは深くうなずく。

面談の空気が柔らかくなったその時、ベルナールは再びカップを置き、ふと視線を窓の外へと向けた。

「レオルド殿。貴殿はテスタロッサとは幼馴染であったな。あの子についてどう思っている?」

その言葉に、シルヴィアの眉がぴくりと動いた。

――予想していた提案だった。

それでも、胸の奥に波紋が広がる。

「どう、と申されましても……」

「……私は、娘をただの政略結婚の道具として見てはおらん。あれには政治の素養も、剣術も魔導も教えてきた。公爵の娘としてではなく、一人の人間として育てたつもりだ」

その言葉に、レオルドもわずかに表情を変える。

「――テスタロッサ嬢は、優秀なお方です。王都においても、あの年であれほどの求心力を持つ者はそうはいない」

「嬉しい言葉だ。だが、私は彼女の行き場を案じているのだよ、レオルド殿。――王家に嫁ぐには家格だけが取り柄と罵られ、辺境貴族には重すぎると言われる。ならばどうすれば良い?」

そう言って、ベルナールはレオルドの目をまっすぐに見つめた。

「貴殿のような男の傍で、戦える貴婦人として在るのが、あの娘の最善なのだと、私は信じている。……側室としてではない。政務や軍務において、並び立つ味方として」

シルヴィアは瞼を伏せ、小さく息を吐いた。

公爵の言葉に込められた親心は理解できる。テスタロッサの能力も、人柄も――決して否定できるものではない。

だが、それでも胸の奥に、ほんのわずかな棘が残るのは、彼女が婚約者であり、女であるからだった。

「(レオルド様が誰かを味方として迎えるなら、私もまたその人を受け入れねばならない。……けれど)」

心の中で囁かれる感情を振り払い、再びレオルドの横顔を見つめる。

レオルドが自分を信じている限り、私もまた、彼を信じていられる――それが、シルヴィアの矜持だった。

それはつまり、政略の一手にとどまらない。

次代を担う者として、テスタロッサをその中央へと送り出したいという、親としての執念――そして、公爵家としての未来投資だった。

「無論、貴殿の立場を無理に変えるつもりはない。ただ……彼女を通して築ける新たな接点が、いずれ貴殿の役に立つこともあるだろう。これは私の娘を預ける覚悟の証でもあるのだ」

シルヴィアがそれを聞き、静かにレオルドを一瞥する。

そして何も言わず、ただそっと微笑んだ。

けれど――レオルドが他の女性を側に置くと認める瞬間を、こうして目の当たりにするのは初めてだった。

「(それでも……レオルド様が、私を第一に考えてくれていることは分かっています!)」

その想いがあったからこそ、彼女は微笑んで座していられた。

レオルドはその空気を読み取り、ゆっくりと頷いた。

「……ご安心ください。テスタロッサ嬢の力が必要となれば、私は迷いなく頼らせていただきます」

「それで十分だ」

ベルナールの瞳に、ようやく満足の色が浮かんだ。

静かに紅茶のカップを置いたベルナールは、話題を切り替えるように軽く咳払いをした。

「さて、肝心の案件に入ろうか。――ミスリルの件についてだが」

その一言に、空気が再び引き締まる。

レオルドは事前に準備していた文書を取り出し、机の上に丁寧に広げた。

「これはまだごく少数の者にしか知られていませんが現在、ゼアトでは自走式馬車の試作を進めています。魔導石とミスリルを組み合わせた動力機構により、兵站能力を飛躍的に向上させる狙いです。ただ、その構造上、高純度のミスリルがどうしても必要となる」

「具体的な供給量は?」

「初期段階で月百キロ。将来的には増量の可能性もあります。代価としては金貨での支払いのほか、我が領で得られる新型の鋳造技術、もしくは産業連携も視野に入れております」

ベルナールは静かに頷き、広げられた文書をじっと見つめた。

「ふむ……取引条件としては申し分ない。量も現実的で、我が鉱山の採掘規模なら対応可能だ。……ただし、いくつか条件を付けさせてもらおう」

レオルドが無言で頷くと、公爵は穏やかな口調のまま続けた。

「まず、納品の管理は我が家の管轄で行わせていただきたい。加えて、ミスリルが軍用として用いられる以上、製品の転売は不可とする。……無論、貴殿を疑っての話ではない。王都の監査を避けるための形式的な措置だと思っていただきたい」

「異論はありません。その程度の制約はむしろ、ありがたいくらいです」

レオルドが迷いなく答えると、ベルナールは満足げに笑みを浮かべた。

「さすがだ。では、今後の供給契約はこの書面を基に正式な覚書として整え、数日中に貴殿の元へ送らせよう」

「感謝いたします、公爵閣下」

「こちらこそ、貴殿のような男と友誼を結べたことは、我がフリューゲル家にとって大きな喜びだ」

そしてベルナールは、まるで話し疲れたというふうに背を椅子へ預け、ふっと肩を緩めた。

「さて、折角の面会だ。形式張った話ばかりでは、客人にも申し訳が立たん。……今宵、本邸にてささやかな宴を催すつもりだ。ぜひ、貴殿もご列席いただきたい。娘のテスタロッサも、久々にお会いしたがっていてな」

それはあくまで「歓待」としての申し出。だが、内には明確な演出の意図が感じられた。

「……ありがたく、お受けいたしましょう」

レオルドがそう返したとき――扉の向こうから、控えめなノックの音が響いた。

「失礼いたします、公爵閣下。ご命令通り、テスタロッサ様がお越しです」

「通してくれ」

やがて扉が開き、そこに現れたのは、緋色のドレスに身を包んだ凛然たる少女――テスタロッサ・フリューゲルであった。

優雅な動作で一礼をしながらも、彼女の眼差しは真っ直ぐにレオルドを射抜いていた。

「お久しぶりですわ、レオルド様。……また、こうしてお目にかかれる日が来るとは、思っておりました」

その声音に込められたのは、ただの社交辞令ではない。

意志、誇り、そして――何かを見極めるような静かな情熱。

レオルドは自然と、そのまなざしを正面から受け止めていた。

「……こちらこそ。変わらず、お元気そうでなによりだ」

応接室の窓辺に、二人の影がゆっくりと重なる。

政と情――交わることなきはずの輪郭が、夕暮れの中で一瞬、溶け合う。

新たな幕が、静かに上がろうとしていた。

面談は、礼節と策略、そして信頼の探り合いのうちに終わりを迎えた。

ミスリルの供給に関する取り決めは正式な契約として整えられ、テスタロッサに関する話もまた、政治的布石として残された。

――フリューゲル公爵家とハーヴェスト辺境伯。老練と若き実力。

静かに手を結ぶ二つの意志が、これからの嵐を迎え撃つために、確かに動き出したのだった。