作品タイトル不明
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酒場の扉が閉じる音が、静かな夜に響いた。
外はひんやりとした空気。星の光が石畳を照らし、夜風がスカートの裾をかすめていく。
エリナはひとり、馬車へ向かって歩いていた。
足取りは重くない。けれど、胸の奥は妙に静かだった。
寂しさでも、怒りでもない。ただ、確かな“区切り”のようなものを感じていた。
――いなくなった。
隣にいたはずの彼女たちが。共に笑い、語り合った友が。
自分が“同じ場所にいる”と信じていた仲間たちが、現実に押されて離れていった。
(……違う。私が、追いつけなかっただけかもしれない)
みんな、それぞれの人生を歩き始めている。
夢を見て、終わらせて、次へ進むために――
でも、自分はまだ同じ場所に立っている。
昔と同じ想いを抱えて、あの背中を追いかけて。
馬車に乗り込んで扉を閉めたとき、不意に胸がぎゅっと締めつけられた。
無意識に手を握る。そこには何もない。
あるはずのない、彼の手すら――
「……ふざけてるわね、私」
自嘲するように呟く。けれど、涙は流れなかった。
強くなった。そう信じたい。
自分の意思で、この想いを貫く覚悟を持てるようになったのだから。
その時――
「エリナ!」
声がして、馬車の扉がノックされた。
馬車の窓から外を確認すると、そこには先ほどの集まりから離れず、裏口で待っていた数人の女性たちがいた。
「帰っちゃうかと思って……間に合ってよかった」
彼女達はエリナと同じく想いをまだ捨てきれなかった者達。
平民もいれば、地方貴族の娘もいた。年齢も背景も違う。
でも、その目には共通の決意が宿っていた。
「……みんな」
「やっぱり、エリナ様の言葉を聞いて……思ったの。“夢見がち”でもいい。“子供じみてる”って言われたっていい。でも、“好きな人を想うこと”だけは、恥ずかしくないって」
「諦めるのは簡単。でもそれじゃ、自分が変われない気がして」
「だから……もう一度、一緒に戦わせてください」
エリナは一瞬、言葉を失った。
――ああ、まだ終わっていない。
ジークフリートの隣が遠くてもいい。
報われなくても、最後まで見届けたいと願うこの気持ちは、もう誰にも奪えない。
新たに決意をしたエリナは馬車から降りて、彼女達の前に立つ。
その姿は先程の弱弱しい姿ではなく、覚悟を決めた女の迫力があった。
「……ありがとう。正直、ひとりかと思ってた。でも、貴女達がいてくれるなら――まだ、走れるわ」
「うん。一緒に頑張ろう。エリナ、いつか貴女が私を助けてくれたように今度は私が助けるから」
「クラリス……。貴女は強くなったわね」
「ううん。強くなってなんてないよ。ただ……悪い女なだけ」
「あら? 言うわね。自分が一歩リードしてるからこその発言かしら?」
「リードしてるつもりはないけど、運がいいのは確かだね」
強かなクラリスは不敵な笑みを浮かべる。
学生時代にレオルドの所為で不幸な目にあったが、そのおかがでジークフリートと出会い、絆を育むことが出来た。
ただ、レオルドの所為でまたも不幸な目にあったが、幸か不幸か、貴族社会にいたおかげでジークフリートとの関係性が他の者達よりも望まれた。
結果だけ見ればクラリスが最もジークフリートに近い存在となっている。
エリナもその事実は知っている
貴族社会に身を置いていれば嫌でも耳にするのだ。
ジークフリートとクラリスはさっさと結婚でもして、どこかに消えてくれ、と。
「本当に悪い女ね。クラリス」
「女の敵は女だからね」
「ふふ……。負けるつもりはないわ。正妻の座は譲らない」
「私だって同じ気持ちだから!」
静かに手を差し伸べたエリナに、クラリスは迷わず手を重ねた。
「これは“再結成”じゃない。“再決起”よ。私達がこのまま終わるわけにはいかないもの」
夜空に星がまたたく。
その光は、誰に届くかはまだ分からない。
けれどこの日――ジークフリートを想う者達はまた一歩、想いの先へ進み始めた。
一方で、星空の下、訓練場で木剣を振り下ろしているジークフリート。
打ち込み、受け流し、体を半歩引いて構え直す。無駄のない動作。
「……ふっ!」
ジークフリートは黙々と、己の型を繰り返していた。
流れるような踏み込み、しなやかな動き。まるで舞のような剣。
それは見る者すべてに「美しい」と思わせるが――
「……ハッ、ハックシュンッ!」
突然の豪快なくしゃみ。
寒さなど感じない暖かな時期だというのに風邪でも引いたかとジークフリートは鼻を擦る。
「風邪かな~?」
木刀を納めながら、ジークフリートは訓練場の空を仰いだ。
どこか胸騒ぎがする。
けれど、それが何なのかは分からない。
剣を振っている間だけは、全てを忘れられる――そう信じていたのに。
「……レオルドは今頃、何してるんだろうな」
ふと、遠い存在となってしまったかつての級友を思い出す。
栄光の道を歩き続けるレオルドに少しでも追いつこうとジークフリートは鍛錬を再開させた。
◇◇◇◇
時は遡り、午後の陽が傾きかけた頃、ハーヴェスト邸に帰還した一行は、すっかり疲れを癒していた。
ピクニックの余韻が残る中、邸内には穏やかな空気が流れている。
レオルドは自室に戻ると、静かに椅子へ腰掛け、ため息をついた。
「……ふぅ。良い一日だったな」
机には、いつの間にか届けられてい手紙の類が置かれている。
その中の一通を手に取ろうとした時――
「失礼します、レオルド様。緊急の報告があると」
ギルバートが封筒を手に現れた。
「緊急だと? ゼアトで何かあったか?」
封を切り、文面に目を通したレオルドの顔が、ゆっくりと引き締まっていく。
それは彼宛の個人的な手紙ではなく、報告書の末尾――一文の中に“エリナの動向”が添えられていただけだった。
『……エリナ・ヴァンシュタイン公爵令嬢、酒場を貸し切り、ジークフリート・ゼクシアと関係を持つ女性を一堂に集める。極秘裏で何かが行われていた模様』
内容を読み終えたレオルドは面倒そうに息を吐く。
「……酒場を貸し切って、ジークの女関係を一堂にね」
低く、抑えた声。だがその響きには確かな重みがあった。
レオルドは椅子にもたれ、指先で軽く額を押さえる。
「はて、何を企んでいるやら」
「いかがいたしますか、レオルド様」
「監視だけはしておけ。こちらに牙を向けるようなら対処する。まあ、恐らくだがその可能性はないだろ」
レオルドは目を細め、ギルバートを見た。
「承知しました」
「頼んだ」
ギルバートは姿勢よくお辞儀をするとレオルドの前から去って行く。
「ふむ……。知っている名がいくつかないな」
レオルドはほんの一瞬、眉間に皺を寄せた。
だが、すぐに元に戻った。
すでにこの世界はゲームではなく現実だと割り切っている。
自分の所為で未来が変わったのではない。
自分は未来を切り拓いているのだ。
ジークフリートが誰と結ばれようがどうでもいい。
特に大きな影響はないだろう。
そもそも、すでに圧倒的な財産に王族を後ろ盾に持ち、国内でも屈指の武力を誇っているのだ。
今更、恐れるものは魔王くらいだ。
「……いっそのこと、ジークフリートを含めたヒロイン達を取り込むか? 戦力的には問題ない。面倒なのはエリナで厄介なのがクラリスか……。正直、エリナはキャンキャン吠えるチワワだが……クラリスはな~」
ゼアトの戦力増強として悪くない手であるがエリナは喧しく、クラリスはレオルドの汚点である。
彼女は元婚約者であり、現在も贖いを続けており、支援をしているのだ。
勿論、当人には気づかれないように何重にも保険をかけて。
しかし、未だにレオルドがクラリスに行った罪は許されていない。
当然だろう。伯爵令嬢を襲ったという罪は一生許されることではない。
「……シルヴィアに相談するか」
一人で悩んでいても埒が明かない。
レオルドは椅子から立ち上がり、今回の一件をシルヴィアに相談することを決めたのであった。