作品タイトル不明
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翌朝、ゼアトの空は雲ひとつない青が広がっていた。
陽光が薔薇庭園に差し込み、昨夜の露が宝石のように輝いている。
朝の空気はひんやりとして澄んでおり、どこか心地よい緊張感も漂っていた。
「レオルド様。朝食のお時間です」
朝の鍛錬を終えたレオルドのもとにイザベルが汗を拭うためのタオルを持って現れる。
イザベルの落ち着いた声にレオルドは滴り落ちる汗を拭い終わると、すぐに返事をする。
「分かった。汗を流し終えたら、すぐに向かおう」
「お手伝いします」
「せんでいい。一人で風呂くらい入れるわ」
「しかし、以前のように風呂場で気絶するかもしれませんよ?」
「余計なことを思い出さんでいい! そもそも、アレはお前の悪ふざけが原因だろう! 全く!」
思い出したくもない過去を思い出してしまい、レオルドは怒り肩を揺らしながら風呂場へ向かう。
その背後をイザベルがついていくが風呂場に入る直前にレオルドが追い返した。
「私がお背中を流してあげると言っているのにどうして拒むのですか!?」
「余計なことしかせんからだ! さっさと戻れ!」
「私は侍女ですよ!」
「侍女なら主の言うことを聞け!」
「優秀な侍女というのは主の命令には逆らうものなのです!」
「それは今じゃないだろうが! さっさとここから立ち去れ!」
怒鳴られたイザベルは不貞腐れたように顔を顰めながらも、最終的にはレオルドの言葉に従い、風呂場から出て行った。
ようやく静かになったとレオルドはホッとすると素早く汗を流し終えるのであった。
風呂場を後にし、身支度を整えたレオルドは食堂へと足を向けた。
重厚な扉が開かれると、温かなパンの香りと香ばしいベーコンの匂いが鼻腔をくすぐる。
陽光が射し込む窓辺の食卓には、すでに何人かの姿があった。
「おはようございます、兄様!」
レイラが明るい声で挨拶し、ぱたぱたと椅子から立ち上がる。
「もう食べ始めてるのか? 随分と早いな」
「はい、イザベルさんが“のろまな殿様は遅刻厳禁”って言ってましたので」
「……余計なことを」
レオルドは苦々しい顔で椅子に腰を下ろした。
視線を上げると、シルヴィアもすでに席についており、優雅に紅茶を口にしていた。
「おはようございます、レオルド様。朝からご苦労様です。イザベルの相手は疲れるでしょう?」
「全くだ。やはり、一度シルヴィアが本格的に再指導してみてはどうだ?」
「私、無駄な労力は避けたいのですが……」
「諦めないでくれ……」
少し肩をすくめながらも、レオルドの表情はどこか柔らかい。
やがて、食事が始まる。焼きたてのパンと新鮮な野菜、スモークサーモンに甘く煮詰められた果実のコンポート。
豪華ではあるが、どこか家庭的な温もりを感じさせる朝食だ。
だが、和やかな時間も長くは続かない。
「……で、兄様」
パンをかじりながら、レイラが妙に鋭い目つきで話しかけてきた。
「式はいつ挙げられる予定なの?」
「――っ。それは、な? まだな」
レオルドが目を伏せると、シルヴィアは顔を赤くしていた。
レイラとしては早く二人の結婚式を見てみたいのだ。
二人はどちらも有名人であり、王国内での立場は最高峰のものとなっている。
勿論、最高権力者は国王であるが二人の立ち位置は国王に次ぐくらいは高く、その立場も国内では重要なものになっている。
ゼアトという広大な領地を治める領主であり、国境を守護する辺境伯。
しかも、転移魔法を現代に蘇らせ、失われた回復薬の製法を取り戻し、王国に繁栄をもたらしたレオルド。
そして、神聖結界という破格のスキルを持つシルヴィアは幼いころから王都を結界で包み込み、十数年にも及んで守り続けた女神と称されている人物だ。
そんな二人が結婚するのだから当然、式は豪華なものになるだろう。
恐らくは王国の歴史上最も盛大で豪華なものだと予想が出来る。
「……ふぅ。やはり朝はパンとベーコンに限るな」
話題を逸らすようにレオルドは椅子にもたれかかり、満足げに朝食を噛みしめる。
「兄様、露骨過ぎませんか?」
「そ、そんなことはないさ……」
レイラの指摘にレオルドは顔を背ける。
するとすかさず、シルヴィアがにっこりと微笑んだ。
「そうですわね、レオルド様。とても美味しい朝食ですね」
「シルヴィアもそう思うか? やっぱり、うまいよな」
「はい。叶うならば毎日、皆さんと一緒に食べたいくらいです」
シルヴィアの言う皆というのはレオルド、シャルロット、オリビア、レイラといったハーヴェスト公爵家の家族だ。
それについては嘘偽りのない本音である。
話題を逸らしたいという思いもあるがシルヴィアの口から出た言葉は彼女の本心で間違いない。
「ふふ、そう言って貰えるなんて光栄だわ!」
オリビアが嬉しそうに微笑み、口元を押さえる。
「ふふっ。シルヴィア様、最近ちょっと砕けてきましたね」
「レイラさんに少し影響されてしまったのかもしれませんわ。悪くはないと思っていますけど」
「光栄です! もっと一緒に遊びましょう!」
「……遊ぶってなんだ、遊ぶって」
レオルドが眉をひそめると、レイラが得意げにパンをちぎりながら言った。
「昨日の女子会の続きですよ。シルヴィア様も言ってたじゃないですか。“今度はピクニックしましょう”って!」
「言ったかしら……ああ、言いましたね」
「ピクニックだと? 王都でか?」
「王都の外れにはちょっとした森もあるでしょ? 馬車で少し行けば湖もありますし!」
「……お前、まさか下見済みか?」
「ふふーん♪」
レイラは得意げに胸を張る。
そんな妹の様子に、レオルドは呆れたように息を吐いた。
「まぁ……たまにはいいかもしれんな。天気も良いし、王都の様子も見て回れる。ピクニックという名目で、視察にもなるしな」
「視察ピクニックって……なんかカッコよさがゼロですよ、兄様」
「カッコよさなど求めてないわ」
なんてことのない朝の風景。
だが、家族の会話があるだけで、それはとても豊かで穏やかな時間に思えた。
焼きたてのパンの香りが、今日も食堂を温かく包み込んでいた。
「では、ピクニックの準備は私が進めておきますね! 場所はあの湖の近くがいいかな。芝も柔らかくて寝転がるのにちょうどいいんですよ」
レイラが張り切って話すのを、シルヴィアは目を細めて聞いていた。
「レイラさんは本当に行動が早いですわね。けれど、あまり一人で無理をしないでくださいね?」
「大丈夫ですっ。ピクニックくらい、得意中の得意ですから!」
胸を張るレイラに、オリビアがやさしく声をかけた。
「おやつは多めに持っていったほうがいいかしら? 外で食べると、ついつい手が伸びるものよ」
「そうですね! 甘いものと、あと……しょっぱいのも必要です! バランスが大事ですから!」
「なるほど……まるで軍略だな。甘辛の挟撃とは、恐れ入った」
レオルドの冗談に、テーブルの周囲からくすくすと笑い声がこぼれた。
シルヴィアはそんな空気に包まれながら、そっとカップを口元に運び、やわらかく微笑んだ。
「……このような時間が、ずっと続けばいいのに」
その言葉はとても静かだったが、確かな温もりがあった。
誰もがその言葉の意味を深く噛みしめ、黙って頷いた。
しばらくして、ふとレオルドが呟く。
「……そういえば、レグルスの奴、まだ起きてこないな。昨日は一番に寝たんだがな」
「あら、じゃあ起こしてきましょうか?」
気を利かせてレイラが腰を上げるがレオルドが止める。
「放っておいてもいいだろう。たまには寝坊するのもいいものだ」
その時、タイミングを見計らったようにドタドタと足音が廊下から近づいてきた。
「兄様ーっ! 遅れましたっ!」
寝癖ボサボサ、服は半分逆に着たまま、レグルスがドアを勢いよく開けて飛び込んできた。
「……あー、遅れたことは怒らないが、その恰好は不味かったな」
レオルドが頭を抱えると、シルヴィアが思わず紅茶を吹きそうになるのを堪えた。
「おはようございます、レグルス様。まずは服をちゃんと着直しましょうね?」
「えっ!? あっ!? す、すみませんっ!」
慌てて部屋を飛び出していく弟の背を見て、今度こそ全員が笑い声を漏らした。
にぎやかで、笑いに包まれた朝食のひととき。
今日という一日が、きっと良い日になる。誰もがそう思える、ささやかで幸せな朝だった。