作品タイトル不明
第80話 灰色の庭の外側を、半周できた
拠点地図の黒い円は、もう単なる黒い円に見えなかった。
外周接近点一。
外周接近点二。
地下保守口外側点。
接近点一の距離目盛り。
接近点二の補正済み帰還線。
ガタ用の簡略表示。
青い点と白い線が、黒い円の外側に細く張りついている。
レンは地図を見ながら、今日の経路を指でなぞった。
「接近点一から二。そこから地下外側点へ下りて、南側を回って戻る」
『外周半周観測ルートです。完全な一周ではありませんが、現在の帰還線で安全に扱える最大範囲です』
『半分ですか』
「半分だ」
『半分なら、嫌も半分です』
『危険は半分になりません』
「ガタの気分は半分になるらしい」
『それは少しあります』
ガタは表示板を抱えていた。画面には青い点と白い線だけが出ている。黒い円は薄く、小さい。
レンは工具バッグを床に置き、中身を確認した。
小型ブラシ。反射テープ。予備ビーコン。測距ポール。固定具。短距離通信端末。水分パック。予備バッテリー。
開放工具は入れない。
今日は境界を開ける日ではない。外側をつなげる日だ。
「ノア、目的」
『外周半周ルートの実地確認。三点間の帰還線連続性、粉塵視界補助、ガタ補助表示、距離目盛りの運用確認。観測範囲を拠点地図へ保存します』
「よし。行く」
外へ出ると、空は鈍い銀色だった。
風は弱い。粉塵は低い。接近点一の青い光が、拠点外壁からすぐ見える。
レンは歩き出した。ガタは少し後ろ。表示板をちらちら見ながらも、足取りは前より乱れない。
接近点一に着く。
ビーコンは安定。反射テープも見える。距離目盛りの測距ポール跡が、地面に小さな印として残っていた。
『接近点一、確認』
『ここは好きです』
「嫌な場所の中では?」
『はい』
レンは接近点二へ向かった。
補正した帰還線は、前より見やすかった。粉で足跡が少し流れても、青い光と反射テープが正しい向きを返す。
ガタが歩きながら言った。
『白線が曲がりません』
「直したからな」
『白い点のおかげですか』
「少しな」
『ミオ側ですか』
「たぶん」
それ以上は追わなかった。
今は、目の前の線をたどる。
接近点二に着くと、レンは杭を軽く叩いた。しっかり噛んでいる。青いビーコンが点滅し、接近点一へ短く返す。
『接近点二、確認。帰還線安定』
「次、地下外側点」
『経路を表示します』
地面が少し下がる。
古い排水溝跡に沿って進むと、空気が冷たくなった。地下保守口外側点の青い光は、地形に半分隠れながらも見えている。
ガタの動きが遅くなった。
『地下の顔です』
「まだ言うか」
『言います。嫌なので』
「表示は」
『見えます。青い点、白い線、拠点方向』
「なら行ける」
『行けます。嫌ですが』
地下保守口外側点に着くと、冷たい空気が足元から上がってきた。
半分埋もれたパネルは静かだった。削れた旧文字の影に、ライトの光が細く乗る。レンはパネルではなく、横の杭とビーコンを確認した。
青い光。
赤い反射テープ。
低速バックボーンの弱い反響。
『地下保守口外側点、確認。反響安定』
「反響は要約だけ拾え」
『要約値を取得します』
『細かい嫌はいりません』
『ガタ設定に従い、詳細波形は非表示』
「いつの間に設定になった」
『有効でしたので』
レンは笑った。
そこから南側へ回り込む。
ここから先は、今日初めてつなぐ区間だ。外周線の暫定形状では、黒い円の縁が少し内側へ食い込んでいる。距離を取りすぎると観測が薄くなる。近づきすぎるとノイズが増える。
ノアの補助線が、ヘルメット内に細く出た。
『推奨歩行帯を表示します。境界推定線から十六から二十メートル』
「十二・四には近づかない」
『はい。接近点一の測定値を基準に安全域を補正しています』
『十二・四は嫌です』
「覚えてるな」
『強く覚えています』
レンは推奨歩行帯をたどった。
粉が浅い。地面が硬い。時々、足元に細い溝が走る。昔の配管か、排水の跡か。ライトを当てると、金属片が鈍く光った。
黒い円は右手側にある。
近い。だが、距離がある。
青い点は背後。白い線は腕の端末。ガタの表示板にも同じ帰還線が出ている。
レンは測距ポールを一本立てた。
「中間点、仮置き」
『外周半周ルート中間補助として記録します』
『名前は』
「中間点」
『雑です』
『分かりやすいです』
ポールの反射球が光った。
そこから少し進むと、視界が開けた。
黒い円の南側外周が、拠点地図の暫定線と重なる。三点観測では薄かった部分が、現地の距離と反射で補正されていく。
端末の地図上で、灰色の外周線が少し濃くなった。
『外周半周ルート、観測率六十パーセント』
「続ける」
風が低く吹いた。
粉が流れる。
ガタが一瞬止まった。
『青が見えません』
「表示を見ろ」
『白線はあります』
「中間点の反射球は」
『見えます』
「そこまで戻れる」
『戻れます』
ガタは一歩進んだ。
レンも歩く。
粉塵が流れ、すぐに薄くなる。背後に、中間点の反射球が小さく光る。さらに奥に、地下外側点の青が揺れている。
戻れる。
進める。
その両方が、目で分かった。
『外周半周ルート、観測率八十三パーセント』
「あと少し」
『前方に浅い段差』
「見えてる」
段差を越えると、接近点一から見えていた北西側とは別の角度で、黒い円の縁が見えた。
外側から半分回ってきた。
レンは立ち止まり、ヘルメットの表示を地図に重ねる。
接近点一。
接近点二。
地下外側点。
中間点。
南側外周補助線。
点がつながる。
黒い円の片側に、細い半周ルートが浮かんだ。
『外周半周ルート、観測完了』
「保存」
『保存します』
端末が一瞬だけ暗くなった。
次の瞬間、拠点地図上の黒い円の外側に、はっきりした半周線が残った。
[SYSTEM LOG]
――――――――――
OUTER HALF-ROUTE SURVEY:COMPLETE
RETURN POINTS:POINT 01/POINT 02/UNDERGROUND OUTER
MID MARKER:ADDED
GATA ASSIST:STABLE
MAP UPDATE:OUTER HALF REGISTERED
――――――――――
レンは息を吐いた。
ヘルメットの内側で、呼吸音が大きく聞こえた。
「半周、取れた」
『取得しました』
『半分、取れました』
「ガタも見えるか」
『見えます。黒い円の外側に、帰れる半分があります』
その言い方で、胸の奥が少し軽くなった。
帰れる半分。
灰色の庭は黒い。中は読めていない。境界の向こうには、まだ何があるのか分からない。
だが、外側の半分は地図に入った。
レンたちは、黒い円の周りを点で見る段階から、道で見る段階へ進んだ。
「戻るぞ」
『推奨します』
『好きです』
帰り道は、これまでの成果が全部役に立った。
中間点の反射球。
地下外側点の青。
接近点二の補正済み帰還線。
接近点一の明るいビーコン。
拠点外壁の白い光。
ガタは一度も止まらなかった。
表示板を見て、青を見て、白へ向かう。足元の粉が流れても、進行方向を失わない。
接近点一まで戻った時、ガタが小さく言った。
『半分なら、また行けます』
「本当か」
『たぶんです』
「たぶんで十分だ」
拠点へ戻ると、ノアが大きな地図を表示した。
黒い円の左半分に、外周ルートが入っている。点ではなく、細い線だ。青い点がその線を支え、白い帰還線が拠点へ戻っている。
『外周半周ルート、拠点地図へ正式登録しました』
「正式でいいのか」
『外周観測路として登録可能です。内部接続を含まないため、管理負荷は許容範囲内です』
『半分の道です』
「そうだな」
レンは画面を見た。
灰色の庭の外側、半分。
そこはもう、ただ怖い場所ではない。ガタが戻れる。ビーコンが見える。距離が分かる。線が残る。外縁制御網に入る。
次に進むための足場が、はっきり形になった。
レンは椅子に座り、少し遅れて笑った。
「ここまで来たな」
『はい。外周接近段階は、半周観測まで到達しました』
『半分できました』
「うん。半分できた」
灰色の庭は、まだ黒い。
だが、その外側の半分は、レンの地図に入った。
次は、この半分を拠点の運用に落とす。
行ける場所を、使える場所に変える。
黒い円の外側に残った半周線を見ながら、レンは次の作業リストを開いた。