作品タイトル不明
第76話 黒い円の境界まで、距離を測れた
拠点地図の黒い円には、薄い外周線が重なっていた。
三点観測で出た暫定の輪郭だ。北西側は少し膨らみ、地下保守口側は内へ食い込む。画面上では細い灰色の線で、触れば消えそうに見える。
レンはその線に、距離測定用の目盛りを重ねた。
『外周距離測定モードを準備します』
「今日は接近点一から測る」
『推奨します。接近点一は視界、足場、帰還ビーコンが安定しています』
『一番好きな嫌な場所です』
「褒めてるのか、それ」
『比較しています』
ガタは作業台の上に置かれた測距ポールを見ていた。細い棒状の機材で、先端に小さな反射球がついている。
レンはポールを二本、工具バッグに入れた。短距離ビーコン確認端末、小型ブラシ、予備テープも入れる。
開放工具は棚に置いたまま。
もう迷わなかった。
「ノア、今日の成果目標」
『接近点一から外周推定線までの距離を、三段階で測定します。十六メートル、十四メートル、十二メートル。最短距離の確認後、帰還線へ戻ります』
「十二メートルまでか」
『現状の安全域ではそこまでです』
『十二は嫌です』
「十六は?」
『少し嫌です』
「全部嫌じゃねえか」
『はい。でも戻れます』
外へ出ると、前回の粉塵は落ち着いていた。
空は薄く明るい。地面の粉も低く、接近点一の青いビーコンは拠点の外からすぐ見えた。清掃した反射テープが、わずかな光を拾って赤く返す。
レンは接近点一へ向かった。
足元の感触は覚えている。硬い層。粉の浅い場所。小さな窪み。三度目になると、灰色の庭の外側にも、少しだけ道のような感覚が生まれる。
接近点一に着くと、ガタがビーコンの横で止まった。
『ここは戻る場所です』
「ああ。今日はここを基点にする」
レンは一本目の測距ポールを立てた。
接近点一から、黒い円の方へ向けて進む。境界は肉眼ではまだ曖昧だ。灰色の地面から黒い影へ、ゆっくり濃くなるだけに見える。
『十六メートル地点です』
「ポール設置」
レンはポールの先を地面に差した。軽い。押し込むだけで立つ。反射球が小さく光った。
『十六メートル地点、反射確認』
『まだ見えます』
「次」
レンはもう一本のポールを持って進んだ。
『十四メートル地点です』
空気が少し冷えた。ヘルメットの内側で、呼吸音が目立つ。黒い円の縁が近い。足元の粉が薄くなり、硬い地面が表に出ている。
レンは二本目を立てた。
反射球が光る。
『十四メートル地点、反射確認。接近点一から視認可能』
『見えます。嫌ですが見えます』
レンは腰の確認端末を見た。
外周推定線まで、あと少し。
十二メートル地点は、ポールを置かない。今日は距離だけを測る。ノアの補助線が、ヘルメット内の表示に細く出ている。
『十二メートル地点まで、三歩』
「進む」
一歩。
粉が鳴る。
二歩。
黒い円の縁が濃くなる。
三歩。
ヘルメットの表示が、短く震えた。
『十二メートル地点。外周推定線との距離測定を実行』
「測れ」
沈黙が半秒。
床のない場所を踏んでいるような、変な感覚が足裏に来た。地面はある。靴底も沈んでいない。なのに、体の重さだけが少しずれる。
ガタの声が飛んだ。
『レン』
「大丈夫。立ってる」
ノアの声がすぐ続く。
『距離測定完了。接近点一から外周推定線まで、十二・四メートル。誤差〇・六メートル』
「取れたな」
『取得しました。戻ってください』
レンは一歩下がった。
体の重さが戻る。
二歩下がると、呼吸が少し楽になった。十四メートルのポールが視界に入る。十六メートルの反射球。その先に接近点一の青い光。
順番に見える。
戻る位置が、目で分かる。
『レン、青が見えます』
「見えてる」
接近点一まで戻ると、ガタがほとんど杭の横にくっついていた。
『戻りました』
「ああ」
『十二は嫌です』
「俺も好きじゃない」
『でも測れました』
「そこが大事だ」
レンはポールを回収した。反射球に細かな粉がついている。ブラシで払うと、また小さく光った。
拠点に戻ると、ノアが地図を更新した。
黒い円の外側、接近点一の前に、三本の補助線が追加される。
十六メートル。
十四メートル。
十二・四メートル。
黒い影に向かって、細い目盛りが伸びた。
[SYSTEM LOG]
――――――――――
OUTER DISTANCE MEASURE:COMPLETE
POINT 01 → EDGE:12.4m
MEASURE POLES:VISUAL CONFIRMED
RETURN LINE:STABLE
――――――――――
『外周距離測定を保存しました』
「次は接近点二でも測れるか」
『可能です。接近点二は地形が不安定なため、ポール固定補助が必要です』
『補助がいる嫌です』
「いるなら持っていく」
レンは地図を見た。
灰色の庭は黒いままだ。けれど、黒いままの外側に距離が入った。
どれくらい近いのか。どこまで下がれば呼吸が楽になるのか。どの位置からビーコンが見えるのか。
感覚だけだったものが、数字と目印になった。
ガタが画面を見ながら言った。
『十二・四は嫌です』
「覚えたか」
『覚えました。近すぎる嫌です』
「なら次は、近づきすぎる前に止まれる」
レンはうなずいた。
黒い円へ向かう足元に、距離の目盛りができた。
灰色の庭の外側で、レンたちは立つ位置を選べるようになった。