作品タイトル不明
第75話 粉塵の中で、帰還ビーコンが見えた
灰色の庭の外周形状は、拠点地図の中で薄い輪郭になっていた。
外周接近点一。
外周接近点二。
地下保守口外側点。
三つの青い点が、黒い円の外側に残っている。三点観測で得た外周線は暫定扱いだが、次に近づく時の補助に使える。
レンは接近点一のビーコン交換予定を確認していた。
『接近点一の短距離ビーコン、残量八十四パーセント。交換は不要です』
「現地で見てくる。反射テープも少し気になる」
『粉塵付着の可能性があります。清掃すれば視認性が回復します』
『粉がつくのは嫌です』
「ガタも行くか」
『行きたくはありません』
「戻り印の確認だけだ」
『なら行けます。戻り印は大事です』
ガタはそう言って、工具棚の横から出てきた。
レンは小型ブラシと予備テープ、短距離ビーコンの確認端末をバッグに入れた。開放工具は持たない。境界計測器も置いていく。
今日は接近点一の保守だけだ。
外へ出ると、空が低く見えた。
風は弱い。だが、地表の粉がいつもより細かく浮いている。靴が一歩沈むたび、薄い灰色の粒が足首のあたりで舞った。
『粉塵濃度、通常より上昇。視界距離、百二十メートル』
「接近点一は見えるか」
『現在は視認可能です』
『現在は、が嫌です』
「同感だ」
接近点一の青い光は、拠点から出てすぐ見えた。
小さい。けれど、確かにある。
レンはそこへ向かって歩いた。ガタは少し後ろ。前より間隔が安定している。青い光を見ているからだろう。
接近点一に着くと、杭はしっかり残っていた。赤い反射テープには灰色の粉が薄く付いている。青いビーコンの光も少しぼやけていた。
「汚れてるな」
『清掃推奨』
『拭いてください。見えにくいのは嫌です』
レンはブラシで反射テープを払った。
さっ、さっ。
乾いた粉が飛ぶ。赤い色が戻る。ビーコンのカバーも拭くと、青い光が少し強く見えた。
その時、風が変わった。
低く、地面をなでるように吹いた。
粉が一気に流れる。
「ガタ、寄れ」
『はい』
視界が白っぽく濁った。
拠点の外壁が消える。接近点二の方角も見えない。足元の色だけがぼんやり残る。
『粉塵濃度、急上昇。視界距離、三十五メートル』
「帰還線は」
『端末上では維持。視認補助を表示します』
「画面だけだと遅い。ビーコンは」
『接近点一、視認可能』
レンは顔を上げた。
青い光が、すぐ横で点滅していた。
拠点方向ではない。まず、この点に戻る。そこから拠点へ向かう。
頭で分かっているより、目で見える光の方が早かった。
『レン、青が見えます』
「それを基準にする。俺の左後ろに付け」
『はい』
風がもう一度吹いた。
粉が横から叩きつける。ヘルメットの表面で、さらさらと細い音がした。レンは接近点一の杭に手を当て、体の向きを整えた。
青い光。
赤い反射テープ。
足跡の列。
拠点ビーコンの白。
白い拠点ビーコンはまだ見えない。だが、接近点一のビーコンが拠点方向へ短く点滅を返した。
『拠点ビーコンとの方向確認。接近点一から拠点方向へ視覚誘導を開始』
「見える」
『私も見えます』
「行くぞ」
レンは歩き始めた。
急がない。足跡を踏む。粉の下の硬い地面を探る。ガタの駆動音が後ろで小さく続く。
数十歩進むと、白い光が見えた。
拠点外壁の帰還ビーコンだ。
青。
白。
二つの光が粉塵の中で並んだ。
レンは息を吐いた。
『拠点ビーコン視認』
『好きです。とても好きです』
「分かる」
拠点入口まで戻ると、風は少し弱まっていた。
レンは外壁にもたれ、ヘルメット越しに息を整えた。ガタは足元で、拠点ビーコンと外の青い点を何度も見比べている。
『戻れました』
「ああ」
『画面より、光が早かったです』
「そうだな。端末を見る前に体が向く」
中へ戻ると、ノアがログを出した。
[SYSTEM LOG]
――――――――――
DUST VISIBILITY DROP:DETECTED
POINT 01 BEACON:VISUAL RETURN SUCCESS
BASE RETURN BEACON:CONFIRMED
PHYSICAL MARKER VALUE:HIGH
――――――――――
『帰還ビーコンの有効性を確認しました』
「接近点一の保守も成功」
『反射テープ清掃済み。視認性、二十七パーセント改善』
『光る戻り印は強いです』
「強いな」
レンは拠点地図を見た。
黒い円の外側。接近点一の青い点が、少しだけ明るく表示されている。そこから拠点まで、短い白線が引かれた。
粉塵の中でも戻れた経路。
灰色の庭の外側で、戻る光が役に立った。
レンはバッグから小型ブラシを取り出し、作業台に置いた。
「次から、外周保守セットにブラシを入れる」
『登録します』
『ブラシ、好きです』
「ガタの好きが増えてきたな」
『戻れるものは好きです』
レンは笑った。
灰色の庭は、まだ黒い。
その外側には、粉塵の中でも見える青い点がある。
戻る光は、地図の線より先に、レンの足を拠点へ向けた。