作品タイトル不明
CROSSOVER 5-Prelude / MIO 灰色の庭に、祠道の光が混じる
灰色の庭は、まだ黒い円のままだった。
拠点端末の地図上では、外周入口候補が一つ、地下保守口候補が一つ。そこへ向かう地上の帰還線と、地下の帰還線が細く伸びている。
外縁制御網は、部分更新まで進んだ。完全な制御ではない。だが、通信塔、北東中継塔、南側旧管制施設、地下幹線の低速接続が、拠点地図に消えない線を残している。
レンは端末の前で、灰色の庭の外縁ログを見ていた。
灰色の庭そのものには、まだ入っていない。開けてもいない。内部制御も接続していない。
けれど、外側だけなら読める範囲が増えた。
『外縁制御網、低出力同期を維持しています』
「遅延は?」
『大きいですが、許容範囲内です。地上帰還線、地下帰還線、ともに保存状態を維持』
『二本あるのは好きです』
「ガタの基準だと、かなり安全寄りか」
『安全ではありません。嫌が二本に分散しています』
「それは安全とは違うな」
『はい。嫌の分散です』
ガタは端末台の横にいた。以前より、画面を見る位置が近い。灰色の庭の黒い円からは少し距離を取っているが、逃げてはいない。
レンは地図を拡大した。
黒い円。
地上外周入口候補。
地下保守口候補。
帰還線二本。
その外側に、ノアが新しい補助表示を出す。
『外周ノイズを検出しています』
「またか」
『これまでの白色粉塵反射、通信残響、構造材収縮音とは異なります』
『異なる嫌です』
「どう違う」
『周期性があります。三点反復、往復応答に近い形です』
レンの指が止まった。
「往復応答?」
ノアが波形を開いた。
薄い線が三つ、低い山を作っている。間隔は短い。続いて、同じ三つが逆順に戻る。通信信号としては弱すぎる。設備ログとしては柔らかすぎる。機械の規則性はあるが、完全な機械ではない。
ぽつ。
ぽつ。
ぽつ。
戻る。
ぽつ。
ぽつ。
ぽつ。
波形を見ているだけなのに、レンは妙な既視感を覚えた。
線を引く前の点。
道にする前の足場。
戻れる印。
自分で考えた言葉ではない。
だが、そう読めた。
「ノア、これ、通信か」
『通信としての確定条件を満たしません。送信元、符号体系、搬送波、いずれも不明です』
「じゃあ、ただのノイズか」
『それも断定できません。外縁制御網の更新以降、灰色の庭外周付近にのみ出現しています』
『嫌な場所から来る、嫌ではないかもしれない反応です』
「ややこしいな」
『ややこしいのも嫌です』
レンは波形を保存した。
指先が少し冷えている。拠点の空調は安定しているはずなのに、外から持ち帰った地下の冷気がまだ皮膚に残っている気がした。
「灰色の庭の内部から?」
『不明です。外周層、または外周層に接触している別系統の可能性があります』
「別系統」
『はい。既存の惑星管理設備体系に完全一致しない反応です』
その言い方に、レンは眉を寄せた。
完全一致しない。
ORIGIN-7関連のログで、何度か見た表現だ。ノアが分類できない時、あるいは分類してはいけない時に出る。
「危険判定は」
『現時点で直接危険反応はありません。ただし、未知系統です』
『未知は嫌ですが、今すぐ逃げるほどではありません』
「ガタ判定、便利だな」
『便利にしないでください』
波形がもう一度出た。
三つ。
戻る。
三つ。
戻る。
レンは端末の表示を拡大し、低速バックボーンの経路に重ねた。反応は、地下保守口候補の方向にも薄く出ている。地上外周入口候補にも出ている。だが、どちらか一方ではない。
灰色の庭の外側を、ぐるりと回るように出ている。
『外周反応、輪状分布の可能性があります』
「輪状?」
『外周の複数点が、順番に弱く反応しています。ただし、現地確認点が不足しています』
『黒い円の周りで、点が増えています』
「嫌か?」
『嫌です。でも、点が戻っているのは少しましです』
「戻っている?」
『一方向ではありません。反応が外へ出た後、基点へ戻っています』
レンは息を吐いた。
点が戻る。
戻れる道。
また、知らない言葉が頭に入り込む。
これは記憶ではない。声でもない。映像でもない。
ただ、意味だけが滲む。
レンは額に手を当てた。
「……ミオか?」
口にしてから、自分で驚いた。
ノアの表示が一瞬止まる。
『MIO関連観測語との照合を開始します』
「待て。今のは、ただの」
『発話記録を確認しました。レンが自発的にMIOと関連付けました』
『名前が出るのは、嫌ではありません』
「ガタ」
『でも、少し怖いです』
レンは否定しようとして、できなかった。
ミオ。
白瀬ミオ。
現代での記憶はある。別世界にいる可能性も、もう否定できない。前に戻った記憶は、通信ではなかった。リンクも成立していない。ただ、記憶が再活性化しただけだ。
だから今回も、通信とは言えない。
だが、灰色の庭の外縁に出た輪状反応と、頭に浮かぶ「道」「点」「戻る」という意味が、どこかでつながっている。
「ノア、MIO関連と確定できるか」
『できません』
「だよな」
『ただし、MIO関連観測語の過去出現時と同じく、既存体系に完全一致しない意味ノイズが混在しています』
「意味ノイズ」
『信号としては不完全ですが、レンの認識に意味として影響しています』
『意味が先に来るのは嫌です。後から危険が来そうなので』
「縁起でもないな」
『経験則です』
レンは椅子に座った。
背もたれに体重を預けても、肩の力は抜けなかった。指先に、工具を握った時の跡が残っている。地下保守口の冷たい灰色パネル。地上外周の黒い裂け目。どちらもまだ開けていない。
そこへ、別世界の祠道らしき反応が混じる。
順番に点が灯り、戻る。
そんな映像を、レンは見ていないはずだった。
なのに、頭の中で、薄い白石道のようなものが浮かぶ。
草。
小さな石。
点三つ。
戻る印。
誰かが、線にしないまま、道になる前の形を残している。
慎重すぎるくらい慎重に。
レンは小さく笑った。
「ミオっぽいな」
『根拠はありますか』
「あるような、ないような」
『説明不能ですか』
「説明すると、たぶん嘘になる」
『では、観測記録上は未確定感応として扱います』
「感応って言うな。怪しい」
『通信ではありません。記憶でもありません。既存カテゴリでは、感応が最も近いです』
『怪しい言葉は嫌です』
「お前が言ったんだろ」
『記録には残してください』
ガタが少しだけ前へ出た。
カメラアイが波形を見る。
『この三つ、戻っています』
「さっき聞いた」
『戻れるのは、好きです』
「うん」
『灰色の庭も、戻れるようにしてから行くべきです』
「そうだな」
レンは波形を見た。
灰色の庭の外周に、三つの弱い点が出ている。地図上ではまだ確定しない。だが、外縁制御網の反応としては残せる。
点。
まだ線にしない。
戻れる印。
ミオが本当にそうしているのかは分からない。
だが、レンが次にやるべきことは分かった。
灰色の庭を開ける前に、入口候補を線にするのではなく、点として確かめる。
行ける気にならないように。
でも、次に戻れるように。
「ノア、外周入口候補の扱いを変更する」
『内容を指定してください』
「地上と地下、どちらも正式経路にはしない。外周接近点として分ける。点ごとに戻り位置を設定する」
『外周接近点、戻り位置。登録可能です』
『戻り位置、好きです』
「灰色の庭の外側に、三点観測を作る。開ける前に、戻る順番を確かめる」
『推奨します。未知反応との整合性もあります』
「整合性?」
『現在検出している輪状反応は、点列と戻り順序を含みます。灰色の庭接近時にも同様の手順を採用すれば、未知反応への過干渉を避けられる可能性があります』
『つまり、急に開けない』
「そういうことだ」
レンは端末に新しい作業名を入れた。
OUTER GARDEN APPROACH POINTS。
少し硬い。
ノアが自動で補助名をつける。
RETURN MARK SEQUENCE。
「戻り印列か」
『仮称です』
「悪くない」
ガタが小さく言った。
『好きです』
「じゃあ採用するか」
『採用は嫌です。責任が生えます』
「面倒だな」
『でも、好きです』
レンは保存を押した。
拠点端末の地図に、灰色の庭の外側を囲むように、三つの仮点が置かれた。
まだ線ではない。
道でもない。
けれど、接近するための足場だ。
黒い円の周りに、点が三つ。
それを見た瞬間、外縁ノイズがわずかに強まった。
ぽつ。
ぽつ。
ぽつ。
戻る。
ぽつ。
ぽつ。
ぽつ。
レンは息を止めた。
『外周ノイズ、応答増加』
『今のは嫌ではありません』
「同感だ」
画面の端に、短いログが出た。
[SYSTEM LOG]
――――――――――
OUTER GARDEN APPROACH POINTS:仮登録
RETURN MARK SEQUENCE:作成
UNKNOWN RING-LIKE RESPONSE:同期揺らぎ
MIO関連:未確定
接続:未成立
――――――――――
接続は、未成立。
それでいい。
今はまだ、話せない。呼べない。向こうから言葉が届いたわけでもない。
でも、向こうで何かが進んでいる。
点を置き、戻れる印を置き、道になる前のものを慎重に残している。
そんな気配だけが、灰色の庭の外側に混じった。
レンは端末の前で、しばらく動かなかった。
「ミオ、そっちも進んでるのか」
返事はない。
当然だ。
ノアも何も言わなかった。ガタも、珍しく黙っている。
ただ、端末の黒い円の外側で、三つの点が薄く残っていた。
レンは工具バッグに目をやった。
次に灰色の庭へ近づく時、扉を開けるための工具だけでは足りない。戻る印を置く道具がいる。ビーコンだけではなく、目で見て分かる物理マーカー。地上でも地下でも使える、小さくて、外れにくいもの。
「ガタ、固定具の余りは」
『あります』
「小さいやつ」
『あります。嫌なほどあります』
「それを戻り印に使う」
『嫌ではない使い道です』
ノアが補助リストを開く。
『外周接近準備に、物理マーカー、短距離ビーコン、帰還線チェック、粉塵視界補助を追加します』
「あと、開放工具は?」
『優先度を下げます』
「そうしよう」
灰色の庭は、まだ開けない。
でも、近づく準備は変わった。
黒い円へ向かって突っ込むのではない。点を置き、戻る順番を確かめ、行って帰れる形を作る。
それは、自分だけで考えた手順ではない気がした。
遠くで、ミオが同じようなことをしている。
その気配が、外縁のノイズとして届いた。
レンは画面の三点を見た。
まだ線ではない。
でも、ばらばらでもない。
次に進むための足場だった。
拠点の照明が静かに揺れ、すぐ安定した。
黒い円の外側で、三つの仮点が消えずに残っている。
レンは小さく息を吐いた。
「次は、戻れるようにしてから近づく」
ノアが答える。
『推奨します』
少し遅れて、ガタが言った。
『かなり好きです』
レンは笑った。
灰色の庭は、まだ黒い。
接続は、まだない。
けれど、黒い円の外側に、戻れる点が三つ置かれた。
遠い祠道の光が、こちらの外縁にも、ほんの少しだけ混じっていた。
その時、ノアの表示が一段だけ下がった。
レンは画面を見た。
灰色の庭の外縁ノイズではない。MIO関連観測語でもない。低速バックボーンの端に、別の細い反応が引っかかっている。
『別系統の通信断片を検出しました』
「別系統?」
『はい。灰色の庭外周反応、MIO関連観測語、惑星管理設備ログのいずれにも一致しません』
『嫌ですか』
「まだ分からん。ノア、内容は」
『復元率、極低。意味単位を二件のみ抽出』
端末に、短い文字列が出た。
URL。
NCODE。
レンは、息を止めた。
その二つの単語は、この惑星のものではない。旧文明の管理語でも、ノアの設備語でもない。灰色の庭の反応とも違う。
もっと別の場所。
もっと遠い、けれどレンには近すぎる場所。
「……現世側か」
『可能性があります。ただし、通信内容、送信者、経路は不明です。現時点ではキーワード断片のみです』
『URLは嫌です。どこかへつながる言葉です』
「NCODEもな」
レンは画面の二語を見た。
URL。
NCODE。
それだけだ。
それだけなのに、背中の奥が冷えた。
ミオの気配とは違う。祠道の光とも違う。これは、もっと直接的に、現世の匂いがした。
ノアが静かに言う。
『記録しますか』
「する。ただし、追跡はしない」
『理由は』
「今は灰色の庭の外縁だけで手一杯だ。現世側の通信まで追うと、全部が混ざる」
『妥当です』
『混ざるのは嫌です』
レンは保存を押した。
[SYSTEM LOG]
――――――――――
UNKNOWN COMMUNICATION FRAGMENT:検出
推定由来:現世側
抽出語:URL/NCODE
送信元:不明
追跡:保留
――――――――――
ログは、それ以上増えなかった。
灰色の庭は、まだ黒い。
MIOとの接続も、まだない。
そして今、現世側から来たかもしれない通信断片が、二つの単語だけを残した。
URL。
NCODE。
レンはその表示を閉じずに、しばらく見ていた。
次に進むための点は、灰色の庭の外側だけにあるわけではないらしい。