作品タイトル不明
第68話 地下幹線の先に、灰色の庭の下口が見える
低速バックボーンは、細いまま生きていた。
拠点端末の地図上で、通信塔、保守棟、南側旧管制施設の三点がゆっくり点滅している。速くはない。反応も遅い。けれど、孤立した点ではなくなった。
レンは南側旧管制施設の管制室で、その点滅を見ていた。地下幹線で仮接続した線は、まだ不安定だが切れていない。ガタが選んだ固定具も、意外と役に立っている。
『低速バックボーン、維持。遅延は大きいですが、状態同期は継続しています』
『線が残っているのは好きです』
「押さえた甲斐があったな」
『はい。押さえた記録は残してください』
「そこは残したいのか」
『役に立った記録なので』
ガタは少しだけ誇らしげだった。カメラアイの角度だけでそう見えるのだから、もうだいぶ慣れてきたのかもしれない。
ノアが地下幹線の簡易図を開く。まだ黒い部分が多い。だが、前より少しだけ奥が読めるようになっていた。低速信号が通ったことで、途切れていた古い端子が反応を返している。
『地下幹線の先に、未分類の保守口反応があります』
「保守口?」
『外周入口候補とは別経路です。反応位置は、灰色の庭外周の下側に近いと推定されます』
『下側という言葉は嫌です』
「上も嫌、下も嫌だな」
『横も、たぶん嫌です』
レンは地図を拡大した。灰色の庭の黒い円。その下側へ、地下幹線から細い点線が伸びている。確定線ではない。ノアの推定線だ。けれど、低速バックボーンがつながる前には出なかった線だった。
行けば、何かある。
ただし、奥へ進みすぎれば、帰還線から外れる。
「今日の目的は、保守口候補の標識確認まで。開けない。入らない。触るのは外側だけ」
『推奨します。地下幹線の奥は構造図との差異が大きく、崩落変形の可能性があります』
『崩落変形は、言葉だけで嫌です』
「実物を見る前から嫌がるな」
『前回、見てから嫌がったので、今回は先に嫌がります』
「学習が変な方向に進んでる」
レンは工具バッグを軽くした。大型工具は置いていく。持つのはライト、短いスクレーパー、ビーコン二つ、仮センサーだけ。保守口を開ける気はない。重い工具を持てば、開けたくなる。
そういう自分の癖も、少し分かってきた。
地下幹線の蓋は、前回残した隙間から冷たい空気を吐いていた。仮ケーブルはまだ通っている。レンはカバーを外し、線を殺さないように支えをずらした。
『仮接続、維持。下降可能です』
『三段目は少しましです』
「覚えすぎだろ」
『嫌の少ない場所は重要です』
レンは階段を降りた。ぎし、と一段目が鳴る。二段目も鳴る。三段目は、たしかに少しましだった。ガタの言うことは腹立たしいくらい当たる。
地下通路は前回と同じく低く、冷たい。壁の太いケーブル束に沿って、仮接続の小さな表示が点滅していた。通信塔、保守棟、南側旧管制施設の低速同期は、ここでも確認できる。
レンは奥へライトを向けた。
前回は行かなかった先。帰還線の外。今日はそこへ少しだけ足を延ばす。ただし、ビーコンを置きながらだ。
「一つ目、ここに置く」
『ビーコン一、設置確認』
『ここは帰れそうです』
「まだ近いからな」
ビーコンの小さな光が床の端で点いた。端末地図に、地下線が数メートル伸びる。細いが、拠点側にも反映された。
レンは一歩ずつ進んだ。
床は、平らではなかった。最初は気づきにくい程度の傾きだったが、進むほど少しずつ右へ落ちている。水ではない。白い粉でもない。細かい黒い粒が、低い方へゆっくり流れた跡を作っている。
ガタが足を止めた。
『ここ、床が嘘をついています』
「嘘?」
『図面の床と、足元の床が違います』
『床面傾斜が図面と一致しません。崩落変形の可能性があります』
「ノアの言い方だと急に仕事っぽいな」
『私も仕事です』
「ガタも仕事だろ」
『私は嫌がりを含む現場確認です』
レンはライトを床へ向けた。たしかに、壁のケーブル固定具の高さと床の角度が合っていない。通路全体が少し沈んでいる。崩落で床だけ傾いたのか、基礎ごと歪んだのかは分からない。
ここで急げば危ない。
「右側には寄らない。左のケーブル壁に沿って進む」
『推奨します。床面沈下、右側に集中』
『右側はかなり嫌です』
「左側は?」
『普通に嫌です』
「ましだな」
レンは左へ寄った。ケーブル束に肩が触れないよう、慎重に進む。古い被覆が剥がれている場所がある。触れば崩れるし、線を切れば低速バックボーンにも影響が出るかもしれない。
二つ目のビーコンを置く。
『ビーコン二、設置確認。帰還線、暫定延長』
『二つ目があるのは好きです』
「一本より二本だな」
『はい。嫌がる場所も二つになりますが』
少し先で、通路の壁が変わった。
それまではケーブル束と配管がむき出しだった。だが、その先には灰色の硬いパネルが張られている。金属ではない。石でもない。表面に細かい繊維のような筋が走っていた。
レンはライトを近づけた。
前に外周映像で見た、灰色の面に似ている。
「これ……灰色の庭の外周と同じ材質か?」
『画像照合します。外周映像の灰色構造面と、表面パターンが一部一致』
『地下にも庭の嫌な面があります』
「庭要素がないな」
灰色パネルの端に、欠けた標識があった。半分剥がれ、文字はほとんど読めない。だが、中央に残っている管理記号だけは見えた。
灰色の庭の外周映像で、倒れた標識に残っていたものと同じ記号だった。
レンは息を止めた。
「ノア」
『確認しています。管理記号、一致。灰色の庭関連保守区画です』
『一致してしまいました』
「嫌そうに言うな」
『嫌なので』
標識の下には、小さな保守扉があった。人が立って通るような扉ではない。しゃがんで入る点検口に近い。高さは一メートルほど。幅は狭い。縁は灰色パネルに半分埋もれ、開閉ハンドルは外れている。
扉の中央には、黒ずんだプレートが貼られていた。
文字は欠けている。
GARD……
LOWER……
MAINT……
全部は読めない。けれど、意味は十分だった。
『灰色の庭、地下保守口候補。外周入口とは別経路です』
「下から行けるのか」
『可能性があります。ただし、現在は封鎖状態です。開放には保守権限、周辺構造確認、帰還線の安定化が必要です』
『つまり、今日は開けない』
「開けない」
『好きです』
ガタの返答は速かった。
レンも同じ気持ちだった。開けたい気持ちはある。中を見たい。外周入口ではなく、地下から灰色の庭へ近づけるなら、それは大きい。
でも、ここはまだ帰還線の端だ。ビーコン二つだけ。床は歪んでいる。低速バックボーンも仮接続。ここで扉を開けるのは、順番が違う。
レンは保守口に触れず、周囲だけを確認した。
ハンドル欠落。
右側フレーム歪み。
下部に粉塵堆積。
灰色パネル、外周材質と一部一致。
管理記号、灰色の庭関連。
ノアが端末に記録していく。
『保守口候補、仮登録。現地標識確認済み』
「座標補正」
『完了。地下帰還線は未確定です』
「分かってる。今日はここまでだ」
ガタが、保守口から一歩下がった。
『この扉は、性格が悪いです』
「まだ触ってもないぞ」
『触らなくても分かります。小さいのに、奥が深そうです』
「それは俺も嫌だな」
レンは保守口の横に三つ目のビーコンを置こうとして、手を止めた。
ここは少し奥すぎる。
帰還線がまだ弱い。ビーコンを置けば、次に来たくなる。来るための線としては必要だが、まだ安定化していない場所を登録しすぎると、行けると錯覚する。
レンは一歩戻り、床の傾きが少ない位置にビーコンを置いた。
「ここまでを仮帰還点にする。保守口そのものは、次」
『賢明です。保守口候補までの接近位置として登録します』
『手前で止まるのは好きです』
「だんだんお前の好きが分かってきた」
『戻れる場所が好きです』
ビーコンが点いた。
端末地図に、地下線がさらに短く伸びる。灰色の庭の黒い円の下側に、細い点が出た。
外周入口候補。
地下保守口候補。
二つ目だ。
レンはその地図を見た。
灰色の庭には、まだ入っていない。外からも、下からも。内部は黒いままだ。けれど、入口候補は一つではなくなった。
地上から見えた裂け目。
地下から見つけた保守口。
進み方を選べるようになってきた。
『低速バックボーン経由で、保守口候補の存在を拠点地図へ送信します』
「送れるか?」
『遅いですが可能です』
『遅い送信は好きです。急に何かが開かないので』
「送れ」
進捗バーがゆっくり動く。
十。
二十。
三十。
地下通路は静かだった。冷たい空気が、奥から細く流れてくる。どこかで金属が小さく鳴った。カン、というより、チ、と短い音。ガタがすぐ反応した。
『今の音は嫌です』
「俺も聞こえた」
『構造材の収縮音です。直ちに危険ではありません』
『直ちに、が付くと嫌です』
「戻る準備はしてる」
進捗が百になった。
『送信完了。灰色の庭地下保守口候補、拠点地図へ仮登録』
「よし」
レンは保守口をもう一度だけ見た。
開けない。
今日は開けない。
そう決めてから、ライトを下げた。
「戻る」
『推奨します』
『強く推奨します』
「ノアとガタが揃ったな」
『珍しいですが、地下ではよくあるかもしれません』
帰り道は、来る時よりも短く感じた。ビーコンがある。床の傾きも、危ない右側も、灰色パネルの位置も、端末に残っている。危険が消えたわけではない。だが、見えないものではなくなった。
管制室へ戻ると、壁面図に新しい点が出ていた。
灰色の庭の黒い円。
外周入口候補。
地下保守口候補。
南側旧管制施設から地下幹線を経て、その下側へ伸びる細い線。
レンはしばらく黙って見ていた。
『灰色の庭地下保守口候補、表示完了』
『入口が二つになりました。嫌も二つです』
「選べるのは悪くない」
『選ぶまでは、そうかもしれません』
レンは操作卓に手を置いた。細い振動が掌に伝わる。低速バックボーンの点滅が、壁面図の端でまだ続いている。
地上だけではない。
下からも近づける。
灰色の庭は、まだ黒い円のままだった。中は見えない。扉も開いていない。
けれど、その円の下に、保守口の点が残った。
レンは小さく息を吐いた。
「次は、ここまで戻ってこられる線を太くする」
『地下帰還経路の固定ですね』
「そうだ。開けるのは、その後だ」
『その順番を推奨します』
『好きです』
ガタの声は短かった。
レンは壁面図の新しい点を見た。
灰色の庭。
その名前が、地下の暗い壁にも刻まれていた。