作品タイトル不明
第66話 地下幹線の入口を探す
拠点へ戻る線は、端末の地図に残っていた。
細い。頼りない。何度かノイズで揺れる。それでも消えない。南側旧管制施設から拠点へ伸びる白い線は、レンが歩いて戻る間も、画面の端でずっと点いていた。
戻ってすぐ、レンは拠点端末に南側旧管制施設のデータを同期した。通信塔、保守棟、北東中継塔。その外側に、新しく南側旧管制施設の点が加わる。さらに、その先に灰色の庭の入口候補が一つ。黒い円の外に、小さな印として残った。
『同期完了。南側旧管制施設までの帰還経路を保存しました』
『帰ってから見ても、帰り道が残っています。これは好きです』
「消えたら困るからな」
ガタは拠点端末の前で、じっと地図を見ていた。いつもなら作業台の下へ逃げるように充電位置へ戻るのに、今日は白い線から目を離さない。
レンは水を一口飲み、喉の奥に残った粉を流した。まだ少しざらつく。南側施設の中の空気は外よりましだったが、古い粉は確実に肺のあたりまで入り込んでいる気がした。
「ノア、灰色の庭入口候補へ地上から向かう場合の条件を出してくれ」
『再計算します』
拠点端末の画面に、灰色の庭外周の静止画が表示された。白い膜が三秒だけ下がり、柵と標識と黒い裂け目が見えた画像。粗い。けれど、その奥へ行きたいと思わせるには十分だった。
すぐ横に、赤い条件が並ぶ。
粉塵濃度。
視界不良。
地形変形。
帰還経路未確定。
外周板再起動不可。
『地上接近は現段階では不安定です。外周粉塵固定板の再起動には冷却時間が必要です。また、接近中に視界を失った場合、入口候補を見失う可能性があります』
『つまり、地上はかなり嫌です』
「分かった。地下は?」
ノアは一瞬だけ沈黙した。画面上で、南側旧管制施設の地図が下層へ切り替わる。まだ黒い部分が多い。管制室の下、低い階層に、途切れた線がいくつかあった。
『南側旧管制施設の下層に、西部地下ケーブル幹線へ接続する記録があります。地上経路より粉塵濃度が低い可能性があります。ただし、崩落、浸食、旧配線の短絡リスクがあります』
『地下も嫌です』
「でも、見ていないから嫌の詳細は未確定なんだろ」
『はい。詳細を確定しに行くのは嫌です』
レンは端末の地図を拡大した。南側旧管制施設までの帰還経路は保存済みだ。内部の通行可能区域もある。管制室までは行ける。そこから下層へ降りる経路が見つかれば、灰色の庭へ地上以外から近づける可能性がある。
行ける。
少なくとも、調べに行く理由はある。
「今日は地下幹線の入口だけ見る。灰色の庭までは行かない」
『地下幹線入口候補の確認が目的ですね』
「そうだ。入口を見つけて、粉塵濃度を測って、戻る」
『推奨します。探索範囲を南側旧管制施設下層までに制限します』
『入口を見るだけなら、ぎりぎり嫌です』
「結局嫌なのか」
『はい』
南側旧管制施設への二度目の移動は、前より楽だった。
地図に線がある。それだけで、歩く速度が変わる。迂回点も、陥没も、ガタが嫌がった薄い床も、端末に残っている。レンは前回より少ない迷いで、白い粉の中を進んだ。
施設の入口は、半分開いたまま保持されていた。小型ジャッキも噛んでいる。扉の片側は重く沈んだままだが、完全には閉じていない。
『入口保持、継続中。開口幅、五十三センチ』
『一センチ減っています』
「誤差だろ」
『嫌な誤差です』
レンは体を横にして入口を通り、ガタも脚を折り畳んで続いた。ガタはまた少し時間をかけた。
『この姿勢は二回目です。慣れたくありません』
「記録は役に立ってるぞ」
『役に立つことと、嫌ではないことは別です』
内部の空気は、前回よりわずかに動いていた。管制室までの床の白線も残っている。ところどころ薄くなっているが、消えてはいない。レンは線をたどりながら進んだ。
管制室の操作卓は、低出力のまま眠っていた。ノアが短い照会を送ると、壁面図がゆっくり立ち上がる。灰色の庭の黒い円。入口候補。南側旧管制施設。そして、下層へ伸びる欠けた線。
「下層入口はどこだ」
『管制室の右側通路奥。通行可能区域の外縁に、ケーブルダクト点検口があります。現在の白線から外れます』
『外れたくありません』
「点検口まで線を伸ばせるか?」
『一時的に可能です。床面反応を確認します』
操作卓が低く鳴った。床の白線が、右側通路へ細く伸びる。途中で一度途切れ、またつながった。弱い。だが、完全な暗闇よりはずっといい。
『臨時通行線を表示しました。安定性は低いです』
『好きな線より細いです』
「嫌な線か?」
『嫌ではない線です。好きまではいきません』
右側通路は、管制室よりさらに狭かった。天井の配管が低く、何度か工具バッグがぶつかる。壁のパネルは剥がれ、奥に古いケーブル束が見えている。床には小さな段差が多く、ガタがいちいち止まった。
『段差です』
「見えてる」
『次も段差です』
「それも見えてる」
『三つ目は見えていません』
「どこ」
『ここです』
ガタが足先で床を叩いた。音が変わる。レンはライトを下げ、薄いパネルの継ぎ目を見つけた。たしかに、踏むと沈みそうだった。
「助かる」
『段差は嫌ですが、見つけるのは得意です』
通路の突き当たりに、低い金属蓋があった。床に埋め込まれている。丸い取っ手は錆び、周囲には粉が固まっていた。蓋の上には、かすれた文字が残っている。
WEST LINE。
CABLE。
MAINT.
半分以上は消えている。だが、西部地下ケーブル幹線と読んでいい。
「これだな」
『西部地下ケーブル幹線、点検口候補です』
『床の扉は嫌です。下に何かあります』
「地下入口だからな」
レンは蓋の周囲の粉を払った。手袋が白くなる。取っ手を掴んで引く。動かない。予想通りだった。
ただ、前回の主入口よりはましだ。蓋は小さい。錆びてはいるが、荷重はそこまでかかっていない。
「ガタ、右側の噛み込みを見てくれ」
『あります。小さい嫌です』
「削れるか」
『削れます。小さい嫌なので』
ガタの小型アームが伸びる。ちりちり、と短い音。レンは左側の固まりをスクレーパーで落とした。粉が剥がれ、蓋の縁が見える。まだ開かない。
『左下にも噛み込みがあります』
「見えないな」
『私の角度では見えます』
「頼む」
『頼まれました』
ガタの声に、少しだけ得意げな響きが混じった。レンはそれを聞き流して、取っ手にもう一度手をかける。
ノアが警告を出す。
『開放時、下層から粉塵または滞留空気が上がる可能性があります。顔を近づけないでください』
『顔はありませんが、カメラは近づけません』
「俺も近づけない」
ガタのアームが止まる。
『取れました』
レンは取っ手を引いた。
今度は動いた。
重い。だが、動く。蓋が床からわずかに浮き、黒い隙間ができる。レンは足を踏ん張り、体重をかけて持ち上げた。金属がこすれ、低い音が通路に響く。
蓋が半分開いた瞬間、下から空気が上がった。
冷たい。
乾いている。
外の粉っぽい空気とは違う。湿りはない。焦げ臭さも薄い。古いケーブルの被覆と、冷えた金属の匂いがした。
レンは思わず息を吸った。
「……下の方が、空気が軽いな」
『計測します』
ノアの表示が走る。ガタも蓋の縁から、カメラを少しだけ下へ向けた。
『地下幹線入口候補。粉塵濃度、地上の三十二パーセント。南側旧管制施設内部と比較しても低値です』
『地下なのに、少しましです。これは判断が難しいです』
「嫌だけど、使える?」
『はい。嫌ですが、使える可能性があります』
レンはライトを下へ向けた。
暗い縦穴ではない。斜めに降りる短い金属階段が見える。階段の先に、低い通路が続いていた。壁に沿って太いケーブル束が走っている。何本かは外れ、何本かはまだ固定具に収まっている。
奥は暗い。だが、完全な死の暗さではなかった。床の端に、ごく細い反射がある。古い標識か、ケーブル番号かもしれない。
ノアが地図を更新する。
『西部地下ケーブル幹線入口を仮登録します。現段階では入口確認のみを推奨します』
「降りないのか」
『降下は可能ですが、帰還経路未確定です。入口確認、空気測定、地図登録で目的は達成されています』
『降りないのは好きです』
「今日は入口だけって言ったしな」
レンはライトを下へ向けたまま、数秒だけ黙っていた。
降りたい。
見つけた先へ行きたくなる。灰色の庭へ地上からではなく地下から近づけるかもしれない。そう考えると、足が一段目を探しかける。
けれど、ここで降りれば、また戻る線がない。
外と同じだ。
見えたから進む、ではない。
戻れる形にしてから進む。
レンは蓋の縁に仮ビーコンを一つ置いた。まだ起動はしない。位置だけ固定する。
「ノア、入口だけ登録。次は地下側の帰還線を作ってから降りる」
『了解。地下幹線入口、仮登録。粉塵濃度、地上比三十二パーセント。降下は次段階に保留します』
『保留という言葉は嫌ですが、今回は好き寄りです』
「ややこしいな」
端末の地図に、南側旧管制施設の下へ短い線が追加された。まだ点線だ。入口から数メートルだけ。けれど、確かに地面の下へ伸びている。
ガタがそれを見て、小さく言った。
『地面の下に、線があります』
「あるな」
『地上より粉が少ないです』
「そうだな」
『嫌ですが、候補です』
レンは蓋を完全には閉じなかった。落ちないように支えを入れ、次に来た時すぐ確認できるようにする。粉が入らないよう、簡易カバーをかけた。
管制室へ戻る道で、床の白線が少しだけ太くなっているように見えた。気のせいかもしれない。だが、地図には新しい線が残っている。
南側旧管制施設。
灰色の庭の入口候補。
そして、西部地下ケーブル幹線の入口。
また一つ、行き先が増えた。
拠点へ戻る前に、レンは管制室の壁面図を確認した。灰色の庭の黒い円は、まだ開いていない。中は見えない。けれど、その下側に短い点線がついた。
『地下幹線入口、登録完了』
「よし。戻る」
『推奨します』
『戻るのは好きです。地下を見たあとなら、かなり好きです』
レンは工具バッグを肩にかけ直した。右手はまだ少し痛む。ハンドルを落とした痛みと、ケーブルを削った疲れが残っている。
それでも、足取りは前より軽かった。
灰色の庭にはまだ行っていない。
けれど、地上からだけではない。
地面の下に、まだ生きている道があった。