軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第65話 保守許可線、拠点ルート登録

灰色の庭の外周映像は、何度見ても三秒分しかなかった。

白い膜が下がる。柵が見える。灰色の面が出る。倒れた標識の奥に、低い黒い裂け目が浮かぶ。そこまでで、また粉塵に呑まれる。

レンは管制室の操作卓に肘をつき、静止画を拡大した。粗い。ノイズが多い。けれど、見間違いではない。黒い裂け目は、確かにある。

『入口候補一件。外周構造物との位置関係を再計算中です』

「地上から行くには?」

『現時点では不安定です。粉塵濃度、視界、地形変形がいずれも接近リスクになります』

『地上は嫌です』

「地下も嫌なんだろ」

『はい。地下も嫌です。ただし、まだ見ていないので、嫌の詳細は未確定です』

レンは短く笑った。

ガタの言い方は相変わらずだが、少しだけ前へ出ている。嫌がりながらも、情報を見ようとしている。床の白い通行可能線の上からは絶対に外れないが、それでも壁面図に近づいていた。

ノアが南側旧管制施設の履歴をさらに掘る。外周粉塵固定板を三秒だけ動かした反動で、操作卓の一部には熱警告が出ている。再試行はできない。ここで無理をすれば、せっかく起こした管制室をまた眠らせることになる。

「もう一回はやらない。入口候補は見えた。次は、ここまで安全に行く方法だ」

『同意します。灰色の庭内部制御への接続は不要です。現段階の目的は、外周入口候補または地下保守口候補までの接近条件を整えることです』

『目的が近づくだけなら、少しだけ安心します。入る話になると嫌です』

「今日は入らない」

『今日は、という言い方は不安です』

レンは端末を指で叩き、南側旧管制施設の地図を開いた。通行可能区域は、白い線で示されている。入口から管制室まで。管制室から右側通路へ。左側の非常口らしい場所へ。まだ細い。途切れている場所もある。

それでも、線はある。

問題は、この線が拠点側に残っていないことだった。ここへ来るまでの案内灯は弱く、地表の粉塵も動く。帰りは同じ道をたどれるかもしれないが、次に来る時、同じ条件とは限らない。

「ノア、拠点地図にこの施設までのルートを固定できるか」

『可能性があります。南側旧管制施設に、外周保守用の許可線が一本だけ残っています。読み取り専用で起こせば、拠点端末との簡易同期が可能です』

「許可線?」

『外周設備へ保守員を通すための経路認識線です。通行権限ではなく、経路記録に近いものです』

『通行権限ではないなら、少し好きです』

「勝手に扉が開くわけじゃないってことか」

『はい。現在の状態では、経路の保存と入口候補の遠隔監視が主な機能です』

レンはうなずいた。

今ほしいのは、それだった。開く力ではない。壊す力でもない。戻ってこられる線。次に来た時、迷わずここまで来られる印。

管制室の奥で、古いファンが一度だけ低く鳴った。すぐに止まる。焦げた臭いはしない。だが、機械が無理をしている音だった。

『低出力系統、熱上昇。作業可能時間は長くありません』

「何分」

『安全域で十二分。負荷を抑えれば十八分』

『十二分は短いです』

「十分あれば線一本くらい通せる」

『線一本という言い方は、だいたい一本では終わりません』

「今回は終わらせる」

レンは操作卓の下に潜った。床の白線から少し外れかけたところで、ガタが即座に警告を出す。

『そこは好きな線の外です』

「見えてる」

『戻ってください。床が嫌です』

「床に嫌われる前に戻る」

レンは半歩戻り、白線の内側から工具を伸ばした。操作卓の下には古い配線束がある。さっき仮電源をつないだ端子とは別に、細い保守系統が一本残っていた。被覆は劣化しているが、完全には切れていない。

ノアが端末に配線図を重ねる。

『この線です。外周保守許可線。信号は弱いですが、読み取り方向なら通せます』

「書き込みは?」

『不可に設定します。外周制御へ影響を出さないためです』

『書き込まないのは好きです』

「今日の好き判定、線と読取ばっかりだな」

『安全寄りです』

レンはケーブルの被覆を慎重に剥いた。銅色の線が出る。ところどころ黒ずんでいる。指先に細かい粉がつき、手袋の上でざらついた。さっきのハンドル作業で右手が重い。握る力が少し鈍い。

ガタが横からケーブル固定具を差し出した。

『これを使うと、たぶん楽です』

「珍しく気が利くな」

『たぶんです。間違っていたら嫌なので、たぶんにしました』

「十分だ」

レンは固定具で古い導線を押さえ、仮同期ケーブルを接続した。ノアが信号を絞る。端末の画面に、細い進捗バーが出た。

十パーセント。

二十。

途切れる。

『同期失敗。信号低下』

「もう一回」

『再試行します』

十。

三十。

三十一で落ちる。

『同期失敗』

『この線、根性がありません』

「ガタに言われたくないと思うぞ」

レンは接点を外し、導線の黒ずんだ部分を少し削った。力を入れすぎると切れる。弱すぎると酸化膜が落ちない。小型ナイフの先を寝かせ、薄くこする。細かい金属粉が落ちた。

もう一度つなぐ。

『再試行』

「通れ」

進捗バーが伸びる。

十。

三十。

五十。

そこで画面が揺れた。壁面図の照明が一段落ちる。

『低出力系統に負荷。同期を継続しますか』

「続ける。書き込みは止めろ」

『読み取り専用維持。同期継続』

七十。

八十六。

九十二。

ガタがじっと画面を見ている。

『見るだけなら好きです』

少し間が空いた。

『行く前提の見るだけは嫌です』

「だろうな」

九十八。

九十九。

そこで止まった。

レンは息を詰める。端末を叩きそうになった手を止めた。古い設備に叩いて直るものは少ない。だいたい悪化する。

「ノア、止まってる理由は」

『拠点側地図形式との照合待ちです。旧式座標を現在座標へ補正しています』

「押せるか」

『できます。ただし誤差が増えます』

「誤差はあとで直す。今は線を残せ」

『了解』

進捗が百になった。

拠点端末の地図が開く。通信塔、保守棟、北東中継塔。その外側に、まだ曖昧だった南側旧管制施設の点が浮かんだ。最初は点滅していた。消えそうで、頼りない。

それから、拠点から南側旧管制施設まで、細い線が引かれた。

一度、途中で切れる。

ノアが補正する。

もう一度、線がつながる。

細く、薄く、それでも消えない白線になった。

『帰還経路、保存。次回以降、南側旧管制施設までの移動リスクは低下します』

『帰り道があるのは好きです』

ガタの声は小さかった。

レンは操作卓の下から出て、端末を見た。線が残っている。仮線ではない。まだ弱いが、登録された経路だ。

「ガタの移動補助にも入るか」

『対応可能です。ガタの脚部移動範囲と地表障害物の情報を重ねます』

『私用の帰り道ですか』

「そうだ」

『それはかなり好きです』

ノアが地図に小さな補助表示を重ねた。段差。陥没。ガタが避けたがる薄い床。嫌がっていた場所が、ちゃんと危険箇所として記録されていく。

ガタが画面を見て、少しだけ静かになった。

『私の嫌がった場所が、役に立っています』

「だいたい現場センサーだからな、お前」

『嫌がり係ではなく?』

「嫌がる現場センサー」

『評価が雑です。でも、少しだけ良いです』

レンは壁面図に戻った。灰色の庭の黒い円。その外側に、小さな点が一つ。入口候補。そこから南側旧管制施設へ、まだ仮の監視線が伸びている。

「入口候補の遠隔監視は?」

『可能です。映像再取得は冷却後になりますが、粉塵濃度と外周板の応答だけなら周期監視できます』

「周期は?」

『低負荷なら三十分ごと。短時間映像取得を含めるなら冷却状況次第です』

「まず三十分ごとでいい。映像はまだ取らない」

『設定します』

『見張るだけなら、好き寄りです』

「行くための見張りだぞ」

『分かっています。嫌ですが、必要です』

端末にログが出た。

[ROUTE REGISTRATION]

――――――――――

南側旧管制施設:拠点地図へ登録

帰還経路:保存

ガタ移動補助:対応

灰色の庭入口候補:遠隔監視可能

内部制御:未接続

――――――――――

レンはログをしばらく見ていた。

内部制御は未接続。

それでいい。今回はそこへ触らない。灰色の庭を開ける回ではない。見えた入口へ、次に安全に向かうための回だった。

拠点からここまでの線が残った。ガタ用の移動補助も重なった。灰色の庭入口候補は、遠隔監視に入った。

大きな扉は開いていない。

けれど、行って戻るための線はできた。

ノアが低く告げる。

『低出力系統の温度が上昇しています。南側旧管制施設での追加作業は、冷却後を推奨します』

「撤収だな」

『推奨します』

『撤収は好きです』

レンは工具を片づけた。仮同期ケーブルは、外さない。固定具で保護し、粉をかぶらないように小さなカバーをかける。これを外せば、せっかく登録した線が不安定になる。

管制室を出る前に、レンはもう一度だけ壁面図を見た。

南側旧管制施設。

灰色の庭入口候補。

拠点へ戻る線。

細い。頼りない。けれど、さっきより明らかに増えている。

「ノア、帰りは登録した線で案内できるか」

『可能です。入口までの通行可能区域と、外部の帰還経路を連続表示します』

「ガタ」

『嫌ですが、帰れます』

「十分だ」

レンはライトを上げ、管制室を出た。床の白線が足元に伸びる。入口までの線。通っていい場所。戻れる場所。

半分開いた扉のところまで来ると、外の白い粉が見えた。さっきより少し明るい。時間が経ったのか、目が慣れたのかは分からない。

ガタが先に出口をのぞく。

『外は嫌です』

「中も嫌なんだろ」

『はい。でも、帰り道が表示されている外は、少しましです』

レンは笑いかけて、喉の奥に残った粉を咳で逃がした。

外へ出ると、端末に新しい白線が重なった。南側旧管制施設から、拠点方向へ。途中の迂回点も、陥没も、ガタが嫌がった場所も、全部残っている。

仮ではない。

細く、頼りなく、それでも消えない線だった。

灰色の庭には、まだ入らない。

けれどレンたちは、そこへ向かって戻ってこられる道を、一本手に入れた。