作品タイトル不明
第63話 管制室、低出力起動
入口の奥は、外よりも暗かった。
レンはライトを上げた。光の先で、白い粉が薄く舞う。外のように厚く積もってはいない。床に残っているのは、古い埃と粉塵が混ざった薄い層だった。踏むたび、靴の下で乾いた音がする。
南側旧管制施設の内部は、想像していたより低かった。天井が近い。配管がむき出しで、ところどころ外れている。壁のパネルは膨らみ、角は割れ、奥の通路には崩れた天井材が斜めに落ちていた。
けれど、全部が死んでいるわけではない。
壁の下部に、細い非常灯が残っていた。赤ではない。白でもない。弱い青灰色の光が、息をするように一度だけまたたく。
『内部空気流、微弱。粉塵濃度、外部より低下しています』
「換気が一瞬動いたからか」
『可能性があります。現在は停止していますが、ダクト内に残圧があります』
『残圧という言葉は、少し嫌です』
「今度は何が嫌なんだ」
『残っているものは、だいたい後で動きます』
レンは返事をせず、ライトを奥へ振った。確かに、動きそうなものは多い。垂れたケーブル、半開きの点検扉、天井から落ちかけた配管。どれも、触れれば別の問題を起こしそうだった。
ノアの表示が端末に重なる。
『管制室候補、前方四十メートル。隔壁反応あり』
「隔壁が生きてるのか」
『完全ではありません。低出力待機状態に近い反応です』
『扉が生きているのは、あまり良くないです。閉じ込める気があります』
「ガタ、今日は建物への偏見が多いな」
『経験則です』
レンは崩れた天井材を避けながら進んだ。左の壁には、古い標識がかすれて残っている。文字は読めない。けれど、矢印だけは残っていた。管制室らしい方向を示している。
足元で、ガタが小さく止まった。
『床、薄いです』
「どこ」
『三歩先。音が違います』
レンは足を止め、ライトを下げた。床パネルの継ぎ目が少し浮いている。下に空洞があるのか、踏めば沈みそうだった。
『右へ迂回してください。床下配線溝が露出しています』
「助かる」
『助かるなら、床の性格は悪いです』
「混ざってるぞ」
右へ回り、短い通路を抜ける。そこで壁が途切れ、重い隔壁が現れた。
管制室の入口だった。
扉は閉じている。表面には細い傷がいくつも走り、中央の認証パネルは黒く沈んでいた。ただ、完全に死んだ黒ではない。奥でごく薄く、信号がまたたいている。
レンは手袋の指でパネルの粉を払った。ざらりとした感触が残る。
「ノア、開けられるか」
『通常認証は停止しています。強制開放は可能ですが、隔壁保持機構を損傷する可能性があります』
「強制はなし。別口は?」
『右下に低出力保守端子があります。旧式です。変換が必要です』
レンは壁の下を探った。粉を払うと、小さな端子カバーが出てくる。カバーは歪んでいたが、完全には割れていない。工具でこじると、ぱき、と乾いた音を立てて開いた。
中には、古い丸型の端子が三つ並んでいた。
「見たことない形だな」
『旧式保守規格です。現在の仮電源から直接接続すると、逆流の可能性があります』
『逆流も嫌です』
「お前、今日は忙しいな」
『嫌なものが多いので』
レンは工具バッグから変換ケーブルを取り出した。コネクタの形は合わない。予備の端子を削り、仮の接点を作るしかない。
しゃがみ込み、膝でバッグを押さえる。小型ナイフで被覆を少し剥き、端子の金属面を出す。指先に力が入る。さっきハンドルを落とした腕が、まだ重い。
ガタが横から小型ライトを当てた。
『手元が暗いです。照らします』
「助かる」
『今の助かるは、記録していいですか』
「するな」
『残念です』
ノアの声が入る。
『接続前に確認。隔壁側の応答は不安定です。強制解除ではなく、暫定保守として通します』
「それでいい。壊さず起こす」
レンは仮ケーブルを端子へ当てた。
一度目。反応なし。
二度目。パネルの奥で、低いノイズが走った。
三度目。端末の画面に、古い形式の認証文字列が出る。文字化けしているが、ノアがすぐに補正を重ねた。
『認証形式を変換。暫定保守権限、申請』
「通れ」
『拒否』
「もう一回」
『申請』
「通れ」
『部分承認』
隔壁の奥で、重い音がした。
扉は開かない。だが、中央のロック表示が赤から鈍い黄色に変わった。
『隔壁保持機構、低出力待機へ移行。手動補助が必要です』
『手動が多いです』
「生きてるだけましだ」
レンは扉横の補助レバーに手をかけた。先ほどのハンドルより小さい。だが、これも固い。肩を入れて押すと、奥で錆が砕ける音がした。
ガタが下部のロックを支える。
『下側、ずれます。今なら押せます』
「合わせろ」
『合わせています。嫌ですが』
レンはレバーを押し込んだ。
がくん、と隔壁が揺れる。
隙間が開いた。
ほんの三十センチほど。けれど、管制室の中から、冷たい光が漏れた。
レンは体を横にして中へ入った。
管制室は、外の通路よりさらに静かだった。壁一面に古い表示盤が並んでいる。中央には低い操作卓。椅子は倒れ、床には割れたパネル片が散っている。だが、奥の壁面図だけは、うっすら生きていた。
灰色の画面に、点が一つ、二つ、浮かんでいる。
「ノア、ここだな」
『南側旧管制施設、管制室候補と一致。主電源は停止。壁面表示、残留電力で微弱稼働』
『暗いですが、嫌ではありません。広さがあります』
「さっきから評価が細かい」
レンは操作卓の下に潜り、仮電源を接続した。端子は古いが、さっきの隔壁よりは状態がいい。ノアが電圧を絞り、ゆっくり通す。
最初に天井の一本だけが点いた。
次に、操作卓の端が光った。
最後に、壁面図が大きく揺れた。
ノイズ。欠けた線。途切れた文字。画面の半分は黒いままだ。それでも、地図が出る。
通信塔。
北東中継塔。
保守棟。
地下幹線。
南側旧管制施設。
レンは息を止めた。
拠点の周りに、まだ名前のある設備が残っている。死んだ点ではない。つなげる可能性のある場所として、古い地図の中に残っている。
そして、その外側に、黒く囲われた領域が一つあった。
名称は欠けている。
だが、末尾だけ読めた。
――庭。
「灰色の庭か」
『一致可能性、八十一パーセント。ただし、分類が施設一覧ではありません』
「どういう意味だ」
『建築物ではなく、管理対象として登録されています』
その時、床に光が走った。
細い白線だった。管制室の入口から操作卓まで、まっすぐ伸びる。続いて、右側の通路へ一本。左側の非常口らしい場所へ一本。使える場所だけを選ぶように、床の線が一本ずつ点いていく。
ガタが一歩下がった。
『床が、通っていい場所を教えています。これは好きです』
「好き判定、久しぶりだな」
『帰れる線は好きです』
ノアが端末にログを出した。
[LOCAL CONTROL ROOM]
――――――――――
南側旧管制施設:低出力起動
通行可能区域:追加
周辺配置図:部分復元
通信塔/北東中継塔:接続履歴あり
灰色の庭:管理対象として登録
――――――――――
レンはログを読み、もう一度、壁面図を見た。
灰色の庭は、建物の並びには入っていない。通信塔や保守棟と同じ扱いではない。地図の上では、黒い縁で囲われ、周囲から制御線だけが伸びている。
庭という名前なのに、見え方はまるで危険区域だった。
「庭って名前で、建物じゃないのか」
『はい』
「じゃあ、何を管理してる」
『現時点では不明です。環境固定、外周制御、粉塵隔離のいずれかに関連する可能性があります』
『庭なら、草がいいです』
「俺もそう思う」
レンは操作卓に手を置いた。冷たい。けれど、さっきまでの死んだ冷たさではない。細い振動が、掌にかすかに伝わっていた。
この施設は起きた。
低出力で、欠けだらけで、まだほとんど使えない。
それでも、通れる場所を示し、周辺の古い地図を見せ、灰色の庭がただの名前ではないことを教えた。
レンは画面の黒い領域を見つめた。
外縁塔列へ向かう線。
灰色の庭へ近づく線。
地下へ降りる線。
増えている。
進める場所が、増えている。
ノアが静かに告げた。
『灰色の庭は、建物ではありません。制御対象です』
レンは壁面図を見る。
庭という名前なのに、地図の上では、まるで危険区域のように囲われていた。