作品タイトル不明
第62話 半分埋まった入口を開ける
案内灯の線は、地面の上ではなく、粉の下に沈んでいた。白い膜の奥から、細い光がかすかににじむ。まっすぐではない。途中で曲がり、途切れ、また浮かぶ。古い施設の外壁に沿っているのか、地形の変形で歪んだのか、線だけでは分からない。
レンは端末を片手に、ゆっくり進んだ。南側旧管制施設は、塔のように見上げるものではなかった。近づくほど、地面そのものが少し盛り上がっているように見える。粉塵の下に、低い建物が押し込められている。輪郭は鈍く、角は崩れ、外壁の一部は地面と同じ色になっていた。
『埋まっています』
「見れば分かる」
『かなり埋まっています』
「二回言わなくていい」
『大事です。入り口も埋まっている可能性が高いです』
レンは案内灯の線を見た。細い光は、盛り上がった地面の横へ回り込んでいる。そこに、壁らしい垂直面があった。半分以上が白い粉と崩れた土砂に埋もれている。だが、かろうじて金属の縁が見えた。
入口だ。
低い。狭い。上部は押し潰されたように歪んでいる。扉の片側だけが、粉の中から斜めに露出していた。自動扉のスリットは完全に詰まり、表示パネルは割れている。古い警告灯が一つだけ、消えかけの赤で点滅していた。
『南側旧管制施設、主入口候補。自動開閉系統、応答なし。機械ロック、一部残存』
「開くか?」
『電動開放は困難です。手動緊急解除機構を確認してください。右側壁面、露出部の奥です』
レンはライトを向けた。壁の裂け目の奥に、丸いハンドルが見えた。半分ほど粉に埋まり、周囲に固まった砂のようなものが詰まっている。手を伸ばせば届くが、姿勢は悪い。
レンはしゃがみ、右腕を壁の隙間に差し込んだ。金属に触れる。冷たい。ざらついている。手袋越しでも錆の粗さが分かった。引く。動かない。もう一度、力を入れる。肩に嫌な重さがかかっただけで、ハンドルはびくともしなかった。
「固いな」
『性格が悪いです』
「まだ言うか」
『言います。最初に言いました』
レンは腕を引き抜いた。手袋の表面に白い粉と赤茶けた錆がついている。指を握ると、ざり、と嫌な音がした。
『ハンドル軸に堆積物。周辺ロック二点のうち、一点は固着。もう一点は荷重保持状態です。全開ではなく、片側のみの開放が現実的です』
「片側だけ開ければ入れる?」
『推定開口幅、五十六センチ。レンは通過可能。ガタは姿勢変更で通過可能』
「姿勢変更とは」
『脚部折り畳みと側面移動です』
『嫌です』
「通れるならいいだろ」
『通れることと、嫌ではないことは別です』
レンは工具バッグを下ろし、短いスクレーパーと小型の打撃工具を取り出した。ハンドル周りに詰まった固まりを削る。粉と土砂と錆が混じったものが、ぽろぽろ落ちる。
狭い。力が入りにくい。何度か工具の先が滑り、壁の奥で金属を叩いた。甲高い音が響くたびに、頭の上から粉が落ちた。
「ガタ、奥の右下、見えるか」
『見えます。嫌な塊があります』
「削れるか」
『削れます。嫌ですが』
「頼む」
ガタは小型アームを伸ばした。先端の細いカッターが、壁の隙間に入る。ちりちり、と小さな音を立てて、固まった堆積物を削り始めた。
粉が舞う。レンは顔をそむけ、咳をこらえた。喉の奥がざらつく。息を吸うたび、古い金属と乾いた粉の匂いが鼻に残る。
『右側ロックを解除した場合、扉の片側が下がります。保持に失敗すると、開口部が再閉塞する可能性があります』
「落ちるってことか」
『落下というより、沈下です。速度は低いですが、挟まれないでください』
「怖いことを平らに言うな」
『注意喚起です』
ガタのアームが奥で止まった。
『最後の塊です。これが嫌の中心です』
「削れ」
『削っています』
ちり、と音が変わった。小さな火花が見えた。
レンはハンドルに手をかける。まだ動かない。だが、さっきよりわずかに遊びがある。
『荷重変化を検知。ガタ、右下の堆積物をさらに二ミリ除去してください』
『二ミリは細かいです』
『三ミリではロックピンを傷つけます』
『二ミリ削ります』
ガタの返事が少しだけ素直になった。
レンは足の位置を変えた。片膝を粉の上につき、肩を壁に押し当てる。ハンドルを握る右手に力を込めた。手袋の中で指が痛む。動け。声には出さなかった。
ガタのカッター音が止まる。
『取れました』
『今です。荷重が一瞬だけ抜けます』
レンは息を詰めた。体重をかける。ハンドルはまだ抵抗した。錆が噛み、奥で何かがひっかかる。レンは左手も添えた。肩が壁にぶつかる。粉が落ちる。喉に入る。もう一度、体重を乗せる。
「……動け」
がこん、と音がした。
ハンドルが落ちた。続いて、扉の右側が低くうなった。金属が長くこすれる。固まっていた粉が割れ、入口の下へ崩れ込む。扉の片側が、十センチ、二十センチ、ゆっくり沈んだ。
『開口部形成。保持してください』
「してる」
レンはハンドルを押さえたまま歯を食いしばった。腕が震える。ガタが急いで扉の下に小型ジャッキを差し込む。
『保持します。嫌ですが保持します』
「助かる」
『助かるなら、少しだけ嫌ではありません』
ジャッキが噛んだ。扉の沈み込みが止まる。
次の瞬間、奥から低い音が響いた。
ごう、と空気が動く。
入口の前に溜まっていた白い粉が、床の隙間へ吸い込まれていった。長く止まっていた換気が、一瞬だけ息を吹き返した。
レンは反射的に顔を背けた。粉が舞う。咳が出る。それでも、次に吸った空気は少しだけ軽かった。焦げた臭いではない。湿った腐敗臭でもない。乾いた金属と、古い端末の奥に残った冷たい匂い。
レンはハンドルから手を離し、数秒だけ膝に手をついた。腕が重い。指が痛い。でも、入口は開いている。
[MANUAL ENTRY]
――――――――――
南側旧管制施設:主入口一部開放
開口幅:五十四センチ
換気系統:瞬間反応
内部空気流:微弱
通過:条件付き可能
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ガタが開口部をのぞき込んだ。
『狭いです』
「五十四センチだってさ」
『五十四センチは、数字としては存在しますが、通路としては嫌です』
「姿勢変更で通れる」
『その言葉も嫌です』
レンはライトを入口の奥へ向けた。暗い廊下が続いている。床には粉が積もっているが、外よりは薄い。壁の下部に、細い配線が走っている。天井の一部は落ちているが、すぐに崩れる感じではない。古い非常灯が、奥で一度だけまたたいた。
「入るぞ」
『入口が開いたので、嫌です』
「開かなかったら?」
『もっと嫌です』
「じゃあ、今の方がましだな」
ガタは少し考えた。
『かなり嫌、から、普通に嫌、くらいです』
「進歩だ」
『進歩の判定が雑です』
レンは笑いかけて、咳に変わった。喉を押さえ、もう一度だけ入口の奥を見た。
北東中継塔から見えた外縁塔列。灰色の庭という名前だけの場所。その手前に、この低い管制施設がある。ここを起こせば、線が増える。外へ向かうための、足元の線だ。
レンは体を横にし、半分開いた入口へ入った。金属の縁が背中の工具バッグにこすれる。粉が肩に落ちる。膝をつき、片手を床についた。床は冷たかった。けれど、空気は動いている。
死んだ建物ではない。
ガタが後ろから脚を折り畳み、ぎこちなく滑り込んできた。
『この姿勢は記録しないでください』
『記録済みです』
『ノア、消してください』
『保守移動姿勢として有用です』
『嫌です』
レンは暗い廊下でライトを上げた。開いた隙間の奥から、冷たい空気が流れてくる。焦げた臭いではない。古い端末の、乾いた金属臭だった。
「行くぞ」
『帰りも、ここを通るんですよね』
「そのために開けた」
『では、閉まらないようにしてください』
「それもやる」
レンは奥へ進んだ。背後で、半分沈んだ扉が低く軋んだ。
入口は狭い。
でも、開いている。