軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第59話 下行階段の先に、南側の扉があった

第一踊り場の弱い照明は、まだ点いていた。

白い光というより、古い板の奥で何かがかすかに燃えているような明るさだった。それでも、真っ暗ではない。床の縁、壁のケーブル束、右へ下りる階段の最初の数段が見える。青い帰還マーカーも、壁際で静かに点滅していた。

レンは踊り場で装備を確認した。追加の帰還マーカー二基、短距離中継器二基、振動タグ、携帯ライト、簡易固定具。今日は、右の下行階段の先を確認する。ただし、南側管制施設本体には入らない。

『本日の目的を確認します。第一踊り場から下行階段を調査。南側管制補助線の中継点を確認。帰還マーカーと通信中継器を追加。南側管制施設本体への進入は行いません』

「侵入って言うな」

『進入と言い換えます』

『行いません』

「分かった」

『念押しです』

『念押しです』

「そこは合わせなくていい」

ガタは第一踊り場の中央で止まっていた。補助リムはまだつけたままだ。前照灯が右の階段を細く照らしている。階段の下は暗い。前回より見える範囲は広がったが、奥はまだ黒い。

『右の階段、嫌です』

「理由」

『下です』

「雑」

『下は帰りが上です』

「正しい」

『なら戻りましょう』

「早い」

レンは右の階段の入口に三基目の帰還マーカーを置いた。青い点が増える。第一踊り場、階段入口、入口側の中継器。線がつながる。

[RETURN MARKER 03]

――――――――――

設置地点:下行階段入口

第一踊り場:同期

通信塔基点:接続維持

帰還経路:延伸

――――――――――

レンは壁に振動タグを貼った。前回のタグと連動し、階段下の揺れを拾う。地下では、足元より上が怖い。天井の古い配線、壁の固定具、階段の支柱。どれも信用しすぎない方がいい。

[VIBRATION TAG 02]

――――――――――

設置地点:下行階段入口

崩落監視:開始

第一踊り場タグ:同期

警告閾値:低め

――――――――――

「これで鳴ったら戻る」

『はい。戻ります』

『鳴らなくても戻りましょう』

「進む前からそれはない」

レンは一段目に足を置いた。前回と違い、照明がわずかにある。段差の縁が見えるだけで、足の置き方が変わる。金属の階段は冷たく、靴底の下で薄く鳴った。

ガタが先に降りる。補助リムが段差を噛み、がた、がた、と音を立てる。名前に似た音だが、やはり言わなかった。

階段は途中で折れていた。十段ほど下りた先に、小さな曲がり角があり、そこからさらに南へ伸びる。壁のケーブル束は太くなり、ところどころ表面が白く粉を吹いていた。水ではない。古い被覆材が劣化して、粉になっている。

『ケーブル被覆の劣化を確認。接触しないでください』

「触らない」

『触りそうな位置にあります』

「触らないように歩く」

『記録しました』

『信用は低めです』

レンは肩を壁から離し、右寄りに進んだ。階段の中央はかすかにたわむ。壁側の方が安定している。ガタは文句を言いながら、中央やや右の線をなぞって降りる。

『段差が嫌です』

「段差は階段だからな」

『階段が嫌です』

「それはそう」

曲がり角に着くと、通信が一瞬乱れた。

ノアの表示がちらつく。フェイスシールドの端で、青い線が細くなった。

『通信減衰。曲がり角で入口側中継器との見通しが落ちています。中継器設置を推奨します』

「ここで一基か」

『はい。次へ進む条件です』

『条件を満たさず戻る選択もあります』

「満たす方で」

レンは壁のケーブルラックを探した。ちょうど、古い固定具が残っている。そこへ短距離中継器を噛ませ、クランプを締めた。小さな青い表示が点く。

[LOCAL RELAY 03]

――――――――――

設置地点:下行階段曲がり角

第一踊り場中継器:同期

通信塔基点:接続維持

下層探索:短距離許可

――――――――――

「戻ったか」

『通信安定。ガタ走行ログも受信可能です』

『私の嫌さも送信されていますか』

『音声として受信しています』

「十分だな」

『十分ではありません』

曲がり角の先は、階段ではなく緩いスロープになっていた。

床には細い溝が並んでいる。水抜きではなく、ケーブル点検用のレールにも見える。片側の壁には、南側管制補助線と読める表示が残っていた。文字の横に、矢印がある。

南へ。

レンはライトを向けた。スロープの奥に、小さな扉が見える。大きな扉ではない。人ひとりが通れる程度の保守扉だ。扉の横には、古い端末盤があり、黄色い表示が弱く点滅している。

『南側管制補助線、中間隔壁を確認しました』

「管制施設本体じゃない?」

『違います。中継点、または補助線の隔壁です。この奥に進むには、環境確認が必要です』

『扉です。戻りましょう』

「今日は扉を見る回だ」

『嫌な回です』

レンは扉の前まで進んだ。足元のスロープは思ったより安定している。ガタも遅いがついてきた。ただし、扉の二メートル手前で止まる。

『ここから先、床が嫌です』

「またか」

『鳴りません』

「鳴らないならいいんじゃないのか」

『鳴るべき場所で鳴らないのは嫌です』

レンは点検棒で床を突いた。

硬い。音が鈍い。床下に空間がないのではなく、何かが詰まっている感じがした。もう一度、角度を変えて突く。やはり鈍い。

『床下ケーブル束、または充填材が近いです。穿孔禁止。強い衝撃を避けてください』

「下に太い線があるのか」

『はい。南側管制補助線の主束と推定します』

レンは足の置き方を変えた。踏み抜きではなく、踏み潰しが怖い床だ。ガタにも低速で進ませる。

扉横の端末盤に近づく。表示は古い。黄色い点滅。待機中、というより、何かを待ったまま固まっているようだった。

[INTERMEDIATE BULKHEAD]

――――――――――

区画:南側管制補助線

隔壁状態:閉鎖

内部環境:未確認

端末盤:低出力待機

ロック:一部生存

推奨:端末盤診断/空気検査/扉開放は保留

――――――――――

「開けない方がいいか」

『現時点では開放非推奨です。通信、帰還経路、照明、内部環境情報が不足しています』

「じゃあ端末だけ読む」

『適切です』

『非常に適切です』

「ガタは開けないと元気だな」

『はい』

レンは端末盤のカバーを開けた。ねじが固い。一本目は回ったが、二本目は半分で止まった。無理に回すと頭が潰れる。レンは少し戻し、ゆっくり押し込みながら回した。

き、と嫌な音がして、ねじが動いた。

カバーを開けると、中に小さな補助端子があった。生きている。弱いが、電圧がある。

「ノア、読めるか」

『低出力接続を行えば、隔壁端末の状態ログを取得できます。ただし、給電しないでください。読むだけです』

「読むだけ」

『読むだけです』

『読むだけです』

「分かってる」

レンは短尺ケーブルを端末盤につなぎ、自分の端末へ接続した。黄色い表示が一度だけ強くなり、すぐ弱くなる。画面に古いログが流れ込んだ。

[BULKHEAD STATUS LOG]

――――――――――

南側管制補助線:中間隔壁

最終閉鎖理由:逆流防止

奥側換気:不安定

奥側照明:停止

南側管制施設方面:応答微弱

隔壁開放条件:換気安定/圧差確認/中継確保

――――――――――

「逆流防止?」

『奥側から粉塵、煙、または冷却材が逆流するのを防ぐために閉鎖した可能性があります』

「開けたらまずいな」

『はい。準備なしで開けると危険です』

『ほら』

「ガタ、嬉しそうに言うな」

『安全確認です』

レンはログをさらに読む。中間隔壁は、ただの扉ではなかった。南側管制施設方面と通信塔側を切り分けるための安全隔壁だ。奥側の換気が不安定になり、一定時間後に自動閉鎖。その後、応答が途絶えている。

だが、完全に死んだわけではない。

南側管制施設方面の応答は、微弱に残っている。

『奥側のライン反応を検出。南側管制施設候補との一致率が上昇しました』

「ここを越えれば近い?」

『距離としては近づきます。ただし、隔壁の向こうの環境が未確認です。次回は換気中継、圧差確認、奥側通信プローブの投入が必要です』

「プローブ、作れるか」

『ガタを使わない選択であれば可能です』

『私を使わない選択を強く推奨します』

「まだ言ってないだろ」

『先に言いました』

レンは扉を見た。開けられそうな気がする。ハンドルもある。ロックは一部生きているが、完全ではない。力をかければ、少しは動くかもしれない。

だから、開けない。

今開けたら、たぶん進めてしまう。進めるのが危ない。

レンは端末盤からケーブルを外し、カバーを戻した。ねじは一本だけ仮止めにする。次に読む時、すぐ開けられるように。

「今日はここまでだ」

『適切です』

『非常に適切です』

「言うと思った」

レンは扉の前に四基目の帰還マーカーを置いた。青い点が灯る。第一踊り場、曲がり角、中間隔壁。これで地下の帰還経路がまた一つ伸びた。

[RETURN MARKER 04]

――――――――――

設置地点:南側管制補助線・中間隔壁前

第一踊り場:同期

曲がり角中継器:受信良好

帰還経路:延伸

隔壁開放:未実施

――――――――――

レンは振動タグも追加した。隔壁の上部と、床の主ケーブル束の近く。奥側から何か動きがあれば拾えるようにする。

[BULKHEAD WATCH]

――――――――――

監視対象:中間隔壁

奥側振動:微弱

圧差:未確認

ライン反応:残存

次作業:換気中継/圧差測定/プローブ投入

――――――――――

ガタはマーカーの青い光を見ていた。

『帰り道が増えました』

「いいことだろ」

『はい。とてもいいことです』

レンは扉の表面に手袋を当てた。冷たい。奥から振動はほとんどない。けれど、端末盤の奥には微弱な反応があった。南側管制施設方面。まだ遠い。だが、方向は確かだ。

「南側管制施設、近づいてるな」

『はい。地下配線路経由で接近しています。外部地表経路より安全性が高い可能性があります』

『地下です』

「そこは変わらないな」

『重要です』

レンは笑わず、うなずいた。

「戻るぞ。次は開ける準備をする」

『了解しました。帰還経路を表示します』

『高評価です』

戻りは、来た時より少しだけ楽だった。中継器がある。マーカーがある。弱い照明がある。階段の段差も、曲がり角も、地図に入った。

もちろん安全ではない。地下はまだ古く、暗く、息苦しい。それでも、通れる場所になり始めていた。

第一踊り場まで戻ると、白い照明が弱く残っていた。壁際の青いマーカーが点滅している。ガタはそこで一度止まり、前照灯を少し下げた。

『ここは、前より嫌ではありません』

「お、進歩だ」

『少しだけです』

「十分だ」

レンは踊り場のログを更新した。南側管制補助線の中間隔壁。奥側換気不安定。開放条件。プローブ投入。必要なものがまた増えた。

増えたが、進んでいる。

前室へ戻り、南側補助配線区画の扉を越える。通信塔基部管理室の空気は相変わらず焦げ臭く、少し暖かい。レンはそこでようやく肩の力を抜いた。

端末の地図を見る。

地下第一踊り場から、さらに南へ細い線が伸びている。その先に、新しい点。

中間隔壁。

その向こうに、まだ名前の確定しない橙色の影。

南側管制施設候補。

レンは保存を押した。

まだ扉は開けていない。

でも、南側の扉の前まで来た。

次は、向こう側の空気を確かめる。開ける前に、何を通すかを決める。人が入る前に、線を通す。

半分沈んだ中継塔の警告は、地下の奥で少しずつ形になっていた。