軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第57話 南側補助配線区画は、まだ息をしていた

南側補助配線区画の扉は、通信塔基部管理室の奥にあった。

今まで何度も近くを通っていたはずなのに、気にする余裕がなかった。扉は壁と同じ灰色で、表面に粉塵が薄く積もっている。上の表示板には、かすれた文字が残っていた。

南側補助配線区画。

文字の下には、手動開放用の古いハンドルがある。通信塔の主区画より小さく、非常時の保守員だけが使う入口に見えた。

レンは手袋をはめ直し、端末を左手に持った。右手には点検棒。腰には小型ライト、簡易センサー、短尺ケーブルを下げている。外には出ない。だが、地下へ続くかもしれない扉の前に立つと、外とは別の重さがあった。

『入口確認だけです』

「分かってる」

『入らないでください』

「まだ開けてもない」

『開けたら入ります』

「信用ないな」

『実績があります』

ガタはレンの右後ろにいた。前照灯を細く絞り、扉の下の隙間を照らしている。そこから空気は流れていない。床に積もった粉塵も、動いた形跡がなかった。

ノアの表示がフェイスシールドに重なる。

[SOUTH AUXILIARY ACCESS]

――――――――――

区画名:南側補助配線区画

推定用途:地下配線路入口/南側管制施設補助線

扉状態:閉鎖

内部環境:未確認

推奨作業:外部センサー確認/手動開放/空気検査

――――――――――

「内部環境、何も取れないのか」

『扉が遮蔽されています。隙間が少なく、現状では温度差と微弱振動のみ確認可能です』

「振動は?」

『あります。非常に弱いですが、奥で空調または冷却系が残存している可能性があります』

『息をしている、というやつですか』

「ガタが詩的なこと言った」

『違います。嫌な音がします』

「いつものガタだった」

レンは扉の表面を軽く叩いた。こん、と鈍い音が返る。中は空洞だ。厚い扉の向こうに、細い通路か部屋がある。

ハンドルに手をかける。動かない。予想通りだった。レンは端末を近づけ、手動ロックの状態を読む。表示は古く、半分は死んでいるが、機械ロックは残っていた。

『電磁ロックは停止しています。物理ラッチが固着。補助開放手順を提示します』

「壊さず開けたい」

『はい。壊すと閉じられなくなります』

『閉じられない扉は嫌です』

「それは同意」

レンはハンドル周りの粉塵を払い、ロック溝に潤滑剤を少し吹いた。白い粉が黒く濡れ、古い金属の色が出る。工具を差し込み、ラッチの位置を確かめる。押す。戻す。少しだけ回す。

ぎ、と扉の奥が鳴った。

レンは手を止めた。

『ラッチ、一段解除。扉圧、内外差なし。危険ガス流出反応なし』

「一段だけか」

『三段あります』

「古い扉って、なんで全部面倒なんだ」

『面倒な扉だけが残っている可能性があります』

『面倒ではない扉は壊れて開いています』

「説得力あるな」

二段目はもっと固かった。レンはハンドルを押し込み、体重を少し乗せる。手首に嫌な抵抗が返る。力を入れすぎると折れる。前にも似たようなことをやった。中継塔のハッチだ。

焦らない。

レンは一度戻し、もう一度ゆっくり押す。

がこん。

今度は大きな音がした。ガタの前照灯が少し上がる。

『音が大きいです』

「聞こえてる」

『戻りましょう』

「まだ二段目だ」

三段目は、意外に軽く動いた。

ハンドルが半回転し、扉の内部で古いロックが外れる。扉の縁から細い粉塵が落ちた。床に白い線ができる。

[ACCESS LOCK RELEASED]

――――――――――

物理ラッチ:解除

扉圧:安定

内部温度:外気より四度低下

空気流動:微弱

危険ガス:検出なし

開放角度:十度以内推奨

――――――――――

「十度だけか」

『初回確認です。内部の粉塵堆積、崩落、酸素濃度、電源状態を確認するまで大きく開けないでください』

『十度でも多いです』

「ガタ基準だと何度だ」

『零度です』

「閉まってるな」

レンは扉に肩を当て、少しだけ押した。

動かない。

もう一度押す。今度は、重い金属が床をこする音を立てた。ぎぎ、と低く鳴りながら、扉が指一本分だけ開く。隙間から、冷たい空気が漏れた。

金属の匂い。古い樹脂の匂い。かすかな焦げ臭さ。通信塔基部管理室とは違う、閉じ込められていた空気だった。

レンは顔を近づけない。センサー棒を隙間へ差し込む。

『酸素濃度、許容範囲。危険ガス反応なし。粉塵濃度、低。温度、低下。内部に弱い気流があります』

「空気が動いてる」

『はい。奥の換気系、または冷却系が完全停止していない可能性があります』

「なら、生きてる」

『一部は』

『嫌な生き方です』

レンは扉を十度だけ開けた。ライトを差し込む。

奥は細い前室だった。壁には太いケーブル束が何本も走り、床には排水溝のような浅い溝がある。天井の照明は消えているが、壁の奥に小さな緑色の表示が一つだけ点滅していた。

ただの通路ではない。

南へ伸びる配線の集積点だ。

レンは息を吐いた。フェイスシールドの内側が白く曇る。

「ノア、見えるか」

『映像取得。前室確認。地下配線路入口の可能性が高いです』

「南側管制施設につながる?」

『直接ではない可能性があります。まず補助配線区画を経由し、南側管制施設方面の地下ケーブル束へ接続していると推定します』

「じゃあ、第一関門だな」

『はい』

『関門は開けたら閉めましょう』

「まだ入ってない」

『入る前に言いました』

レンは扉を開けたまま、床に小型ビーコンを置いた。通信塔基部管理室側の基準点だ。前室へ入るなら、戻るための目印がいる。外と同じだ。いや、地下の方がたぶん要る。

ビーコンが青く点く。

[LOCAL RETURN MARKER]

――――――――――

設置地点:南側補助配線区画入口

通信塔基点:同期

信号強度:安定

内部探索:未開始

帰還基準:確保

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「入口確認だけのつもりだったけど」

『続きがありますね』

「前室まで見る」

『予測通りです』

『予測しないでください』

レンは扉をもう少し開けた。十度から十五度。ノアの警告が出る前に止める。体を横にして通れる程度だ。

ガタが前で止まった。

『私も入るのですか』

「前室だけだ。車輪のログが欲しい」

『地下の車輪ログは嫌です』

「地上の車輪ログも嫌だったろ」

『はい』

「じゃあ変わらない」

『変わります。上に空がありません』

レンは一瞬だけ黙った。

ガタの言い方は雑だが、言っていることは分かる。地上には白い粉塵がある。視界も悪い。穴もある。けれど上は開いている。地下は違う。何かあった時、上へ逃げられない。

「前室だけ。異常があったら戻る」

『記録しました』

『言いましたね』

「言った」

ガタがしぶしぶ前へ出る。車輪が扉の段差を越え、細い音を立てて前室へ入った。すぐ止まる。

『床、嫌です』

「具体的に」

『古いです。溝があります。粉は少ないです。逆に嫌です』

「粉が少ないのに嫌なのか」

『見えすぎます』

レンは前室へ入った。

温度が一段下がった。スーツ越しでも分かる。壁のケーブル束は太く、黒い外装がところどころひび割れている。床には細い溝が何本も走り、そこに古い水の跡のような黒ずみが残っていた。

天井は低い。レンが手を伸ばせば届く。圧迫感がある。

前室の奥には、さらに扉が二つあった。左は小さな制御盤室。右は下へ降りる階段のように見える。階段の先は暗い。

『内部マップを構築中。左区画、補助制御室。右区画、地下配線路下行階段と推定します』

「階段か」

『はい』

『見ました。戻りましょう』

「制御室だけ確認する」

『階段を見たら制御室ですか』

「階段はまだ行かない。まず電源と換気を見る」

『それは正しいです』

『正しいのが困ります』

レンは左の小さな扉を調べた。こちらはロックが死んでいた。軽く押すと、ぎい、と開く。中は狭い。壁一面に古い制御盤があり、下部に補助電源ユニットらしい箱がある。

緑色の表示はここから漏れていた。

[AUX CONTROL ROOM]

――――――――――

補助制御室:確認

低出力表示:残存

換気系:待機状態

照明系:停止

地下配線路センサー:一部応答

南側管制施設方面:未確認

――――――――――

「換気、待機状態」

『起動可能です。ただし、長期停止後のため、低出力で試験してください』

「照明は?」

『系統不明。いきなり入れると破損区画で短絡する可能性があります』

「まず換気だけ」

『推奨します』

『換気したら奥に行く気ですか』

「空気の確認だ」

『疑っています』

レンは補助制御盤の前にしゃがんだ。パネルの文字はかすれている。だが、電源系の配置は読める。主電源は死んでいる。補助系は、通信塔側からわずかに電力を受けていた。

ノアが端末に簡易手順を出す。

[VENT TEST]

――――――――――

対象:南側補助配線区画

出力:二パーセント

目的:気流確認/粉塵排出/酸素濃度安定

照明系:未起動

地下配線路扉:閉鎖維持

異常時:即時遮断

――――――――――

「二パーセントで換気か」

『古いファンを回すには十分です。全開は避けてください』

「全開にしたら?」

『粉塵が舞います。壊れたダクトから逆流します。ファンが破損する可能性もあります』

『やめましょう』

「やめるやつだな」

レンは補助制御盤のスイッチに指をかけた。

小さなスイッチだった。通信塔の大きなレバーや、中継塔の仮電源に比べれば、頼りない。だが、この区画の空気を動かすには、それで足りる。

「換気、入れる」

スイッチを押した。

最初は何も起きなかった。

数秒後、天井の奥で、こ、と小さな音がした。続いて、古いファンがこすれるような音を立てる。ぎ、ぎ、ぎ。三回ほど引っかかり、止まりかけた。

レンは手を伸ばしかけた。

『待ってください。起動シーケンス継続中です』

「止まりそうだぞ」

『止まりそうですが、動いています』

『止めましょう』

「ガタ、静かに」

ぎ、ぎ、ぎ。

次の瞬間、ファンが回った。

低い風の音が前室を抜ける。床の溝にたまっていた粉塵が、薄く動いた。壁のケーブル束から古い埃が落ち、レンのライトの中で細かく舞う。

冷たい空気が、前室の奥からこちらへ流れてきた。

閉じていた場所が、少しだけ息をし始めた。

『換気系、低出力起動。気流安定まで四十秒。危険ガス反応なし。粉塵濃度、一時上昇後に低下見込み』

「動いた」

『はい。南側補助配線区画の換気が復帰しました』

『帰れますか』

「もう少し見る」

『知っていました』

レンは制御盤の表示を確認した。換気が動いたことで、奥のセンサーが少しずつ戻ってくる。地下配線路下行階段。第一踊り場。ケーブル束温度。床面湿度。どれも断片的だが、完全な沈黙ではない。

そして、一つだけ、橙色の表示が点いた。

[SOUTH LINE SENSOR]

――――――――――

地下配線路:入口確認

第一踊り場:センサー応答

南側管制施設方面:微弱ライン反応

崩落検知:未確定

推奨:照明系統確認/階段上部調査

――――――――――

「南側管制施設方面、反応あり」

『はい。非常に弱いですが、地下配線路の先に南側方面のライン反応があります』

「外から探すより、こっちが当たりか」

『可能性は高まりました』

『嫌な可能性も高まりました』

「それもそう」

レンは制御室から出て、前室の右側を見た。下へ降りる階段の入口が、ライトの中に浮かぶ。手すりは片側だけ残り、もう片側は壁に埋め込まれている。階段の先はすぐ暗くなり、五段ほどで見えなくなる。

冷たい風が、そこから上がってきていた。

中に何かがある。

南側管制施設へ続くかもしれない配線路。外縁塔列へ直接行くなと記録した、半分沈んだ塔の警告。その先へ向かう手がかり。

レンは足を一段目に置きかけた。

『レン』

ノアの声が止めた。

『本日の目的は入口確認です。換気復帰と第一踊り場センサー応答を得ました。これ以上の進入は、装備が不足しています』

レンは足を止めた。

ガタの前照灯が階段を照らしている。光は奥まで届かない。

『そうです。入口だけです。今、入口を超えようとしました』

「……したな」

『しました』

『しました』

「二人で言うな」

レンは足を戻した。床に置いた靴底が、少しだけ重く感じる。行けそうだった。だから危ない。北東中継塔の時もそうだった。見えると、触りたくなる。触れると、進みたくなる。

今は違う。

前に進むために、戻る。

「今日はここまで。次は照明、通信中継、帰還マーカーを準備してから降りる」

『適切です』

『非常に適切です』

「ガタ、また喜びすぎ」

『帰れる可能性が上がりました』

レンは制御室の換気を低出力維持に設定した。全停止にはしない。空気を少しずつ動かし、次に来る時まで内部環境を安定させる。照明系はまだ触らない。階段の先も見ない。

[SOUTH AUXILIARY STATUS]

――――――――――

南側補助配線区画:開放

換気系:低出力復帰

補助制御室:確認

地下配線路入口:確認

第一踊り場センサー:応答

南側管制施設方面:微弱ライン反応

次作業:照明系統確認/帰還マーカー増設/階段上部調査

――――――――――

レンは前室を出た。ガタもすぐ続く。管理室側に戻った瞬間、空気が少しだけ暖かく感じた。通信塔基部管理室の焦げ臭さすら、見慣れた場所の匂いに思える。

扉は完全には閉めなかった。換気が続くよう、ノアの指示で安全幅だけ開け、固定具で押さえる。入口のビーコンが青く点滅している。

「入口は見つけた」

『はい。南側管制施設方面へ続く可能性のある地下配線路入口を確認しました』

「次は降りる準備だな」

『照明、通信中継、帰還マーカー、崩落検知、ガタの走行可能性確認が必要です』

『私の走行可能性は低いです』

「まだ測ってない」

『気持ちは低いです』

「それは知ってる」

レンは端末に南側補助配線区画の情報を保存した。地図上の橙色の仮点から、通信塔基部へ細い線がつながる。まだ南側管制施設には届いていない。だが、その方向へ行ける入口は見つかった。

北東中継塔が残した警告は、ただの足止めではなかった。

外へ行くな。下を通れ。補正点を探せ。

そう言っているように見えた。

レンは南側補助配線区画の扉を見た。隙間から、低い風の音が聞こえている。古いファンが、ぎこちなく回り続けている。

この区画はまだ死んでいない。

通信塔の下で、南へ向かう線が息を吹き返し始めていた。