作品タイトル不明
第55話 北東中継塔が、外へ線を伸ばした
通信塔基部管理室の表示は、前より少しだけ賑やかになっていた。
大きな変化ではない。壁の照明が増えたわけでも、通信塔が完全に起きたわけでもない。ただ、端末の地図上に、北東中継塔の小さな点が加わっていた。前は白いノイズの中に埋もれていた点だ。今は、かすかに青く瞬いている。
レンは床に座り込み、端末と通信塔の補助制御盤をケーブルでつないでいた。足元には、北東中継塔から吸い出したログの断片が並ぶ。識別番号、残存ポート、給電試験結果、短時間動作の記録。どれも欠けているが、足りない部分はノアが通信塔側の記録と突き合わせて補っていた。
[GRID SYNC PREP]
――――――――――
通信塔低出力グリッド:維持
北東中継塔:低出力点灯確認済
通信塔側リンクポート:残存
同期方式:限定同期
目的:地図補正/外縁塔列再検出
広域通信:未実施
――――――――――
「広域通信はしない」
『はい。現在の出力では不安定です。同期範囲を広げると、中継塔側の給電が落ちる可能性があります』
「やるのは地図補正と外縁塔列の検出だけ」
『その範囲であれば進行可能です』
『帰る必要はありますか』
ガタが足元で言った。今日は外に出ていない。通信塔基部管理室の床で待機しているだけなのに、前照灯が少し落ち着いて見える。
「今日はここで作業だ」
『高評価です』
「外じゃないだけで評価が上がるのか」
『とても上がります』
レンは苦笑し、ケーブルの固定を確認した。通信塔側の補助制御盤は、古い端子が多い。少し引っかけただけで接触が落ちる。テープで仮止めし、クランプで押さえ、端子の温度を見ながら少しずつ同期準備を進める。
外での作業に比べれば安全だ。だが、楽ではなかった。通信塔はまだ低出力で、北東中継塔も仮の電気で短時間しか動かせない。二つの弱い設備を、壊さないように細い線でつなぐ必要がある。
『同期前確認を開始します。通信塔側、出力三パーセント。北東中継塔側、待機出力二パーセント。許容時間、二百四十秒』
「四分か」
『はい。前回より長いですが、接続負荷があります』
「四分で地図を取りに行く」
『正確には、通信塔と北東中継塔の観測差分を取り、地図誤差を補正します』
「まあ、取りに行くでいいだろ」
『作業上は支障ありません』
『言い方は雑です』
「ガタにだけは言われたくない」
ノアの表示が変わった。通信塔から北東中継塔へ、細い線が伸びる。まだ仮想表示だ。実際のリンクは開いていない。線の途中には、いくつも赤い欠けがある。ノイズ、断線候補、旧規格の不一致。
レンは指先で一つずつ確認した。
「ここの規格差は?」
『通信塔側の補助同期プロトコルで吸収可能です。ただし、速度は落ちます』
「速度はいらない。壊れない方で」
『了解しました。安全側に補正します』
レンは深く息を吸った。基部管理室の空気は、前よりましになった。焦げ臭さはまだ残っているが、換気が少し効いている。遠くでファンがゆっくり回り、床下から低い振動が伝わってくる。
通信塔は生きている。北東中継塔も、短時間なら起きる。
なら、つなげる。
「同期、開始」
『通信塔低出力グリッド、同期開始』
端末の線が青くなった。
最初の十秒は何も起きなかった。表示だけが少しずつ動く。通信塔側の出力が三パーセントから三・五へ上がり、北東中継塔側の待機反応が追従する。
次の瞬間、画面に赤い警告が走った。
[SYNC WARNING]
――――――――――
北東中継塔:応答遅延
規格差:上限接近
給電負荷:上昇
推奨:同期幅縮小
――――――――――
「早いな」
『北東中継塔側の応答が想定より遅いです。上部アンテナ系統の切断情報が同期処理に混入しています』
「使わない上まで読みに行ってるのか」
『はい。同期対象から上部系統を除外します』
「頼む」
レンは通信塔側の補助制御盤に手を伸ばした。ノアの指示に従い、同期対象を基部コアと通信塔側リンクポートに絞る。外縁塔列側はまだ読まない。上部アンテナも読まない。欲張ると落ちる。
『同期幅を縮小。再試行します』
青い線がいったん細くなった。消える寸前まで弱くなり、またゆっくり戻る。
レンは手を止めたまま画面を見た。指先に汗がたまる。ここで乱暴に触ると、接触が落ちる。何もできない時間が、妙に長い。
『北東中継塔、基部コア応答を確認。通信塔側リンクポート、同期継続』
「持ってるか」
『持っています。ただし、余裕はありません』
『余裕がないならやめましょう』
「もう少し」
『その言葉は危険です』
「分かってる」
青い線が通信塔から北東中継塔へ届いた。
管理室の床下で、低い音がした。ごん、という遠い金属音。通信塔側の補助盤が一瞬だけ明るくなり、すぐ落ち着く。
端末の地図上で、北東中継塔の点が強く光った。
[LIMITED SYNC ESTABLISHED]
――――――――――
通信塔低出力グリッド:接続
北東中継塔:限定同期
同期対象:基部コア/通信塔側リンクポート
地図補正:開始
外縁塔列検出:待機
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「つながった」
『限定同期、成立しました』
『帰れますか』
「どこからだよ」
『作業からです』
「まだ本番が残ってる」
『知っていました』
レンは地図補正を開始した。通信塔単独では白く崩れていた北東域に、細い線が入り始める。旧点検路、排水チャンネル、崩落箇所、粉塵の深い帯。前に歩いた道も、地図上では歪んだ線として出てきた。
レンは思わず身を乗り出した。
「俺たちが通った道、出てる」
『ガタの走行ログと一致します。北東中継塔の基部センサーが、周辺地形の古い記録を保持していました』
『私の嫌だった場所も出ていますか』
『はい。危険箇所として反映されています』
『高評価です』
「そこは自分で言うんだな」
白いノイズが少しずつ薄くなる。北東中継塔の周囲に地形が戻る。完全な地図ではない。欠けは多い。だが、点が線になり、線が面に近づいていく。
通信塔の外側に、初めてまともな輪郭ができた。
レンの胸の奥が、少し熱くなる。
『地図補正、北東域二十一パーセント完了。外縁塔列の再検出へ移行可能です』
「やる」
『検出範囲を限定します。長距離通信ではなく、塔列の存在確認のみです』
「存在確認だけでいい」
『了解しました』
ノアが検出範囲を絞る。通信塔、北東中継塔、その先に伸びるはずの古い線。端末上に、細い扇形の探索範囲が出た。
北東中継塔の点がまたたく。
青い線が、その先へ伸びようとして止まる。何度か途切れ、ノイズに溶ける。レンは唇を結んだ。焦っても出力は上げられない。今は待つしかない。
数秒後、遠い場所に小さな点が浮かんだ。
一つ。
すぐ消える。
「今の」
『外縁塔列候補を検出しました。再試行します』
また点が浮かんだ。今度は二つ。さらに奥に、かすれた点がもう一つ。すべて弱く、位置もぶれている。だが、何もない白ではない。
そこに、何かが並んでいた。
[OUTER TOWER TRACE]
――――――――――
外縁塔列候補:三点
信号強度:極微弱
座標精度:低
到達経路:未確定
直接移動:非推奨
次作業:北東中継塔保守ログ読取
――――――――――
「三つ」
『候補です。確定には追加データが必要です』
「でも、あるんだな」
『はい。外縁塔列は存在する可能性が高まりました』
『遠いです』
「見ただけで言うな」
『遠いものは遠いです』
レンは地図を見つめた。通信塔、北東中継塔、その先の三つの点。線はまだつながっていない。行ける道もない。移動能力も足りない。だが、方向は見えた。
その時、端末の端に短いノイズが走った。
文字のようなものが浮かぶ。
レンは反射的に視線を動かした。
[OBSERVE:MIO]
表示は一秒で崩れなかった。
前より長い。
かすれて、ゆらぎ、ノイズに押されながらも、二秒ほど残った。
レンは息を止めた。
「……ノア」
『観測語《MIO》を検出。安定時間、二・三秒。前回より延長しています』
「通信か?」
『違います。通信成立ではありません。通信塔グリッドと北東中継塔の限定同期により、観測語の保持時間が伸びたと推定します』
「向こうに届いたわけじゃない」
『現時点では確認できません』
レンは画面から目を離せなかった。MIOの文字はもう消えている。ただ、消えた場所だけが、まだ目に残っている。
前なら、ここで手を伸ばしたかもしれない。もっと出力を上げ、もっと拾おうとしたかもしれない。
でも、今は違う。
北東中継塔がきしんでいる。通信塔も低出力だ。無理に引っ張れば、今つないだ線ごと切れる。
レンはゆっくり息を吐いた。
「追わない」
『適切です』
「記録だけ取る」
『記録済みです』
『帰れますか』
「ガタ、今の流れでそれを言うのか」
『今だから言います』
レンは少しだけ笑った。笑うつもりはなかったが、息がそうなった。
端末の地図では、外縁塔列候補の点がまだ薄く残っている。MIOの文字は消えた。けれど、前より長く見えた。それだけで十分だった。今は。
『同期時間、残り七十秒。北東中継塔の給電負荷が上昇しています』
「必要な分は取れたか」
『はい。地図補正データ、外縁塔列候補、観測語ログを取得済みです』
「じゃあ切る」
『推奨します』
レンは同期終了の手順に入った。急に切らない。外縁塔列検出を止め、地図補正を止め、北東中継塔への同期幅を小さくする。青い線が少しずつ細くなる。
最後に、通信塔側リンクポートだけを残して、限定同期を閉じた。
[LIMITED SYNC CLOSED]
――――――――――
北東中継塔:待機状態へ移行
通信塔低出力グリッド:維持
北東域地図補正:一部完了
外縁塔列候補:三点記録
観測語《MIO》:安定時間延長
次作業:北東中継塔保守ログ読取
――――――――――
管理室の音が戻ってきた。ファンの低い回転音。仮設バッテリーの唸り。ガタの車輪が床を小さくこする音。
レンは手を離した。指先が少し震えていた。疲れのせいか、緊張のせいか、自分でも分からない。
「外縁塔列へは、まだ行けないな」
『はい。現在の移動能力、携行電源、帰還ビーコン数では到達非推奨です』
「なら、先にこの塔の保守ログだ」
『適切です。北東中継塔が最後に何を観測していたか、どの塔列と接続していたかを読む必要があります』
「見えたからって、突っ込むな」
『はい』
『珍しく賢明です』
「ガタ、今日ちょいちょい刺してくるな」
『外に出ていないので余裕があります』
「分かりやすいな」
レンは端末の地図を保存した。通信塔から北東中継塔へ、細い線が一本伸びている。その先に、外縁塔列候補の小さな点が三つ。まだ遠い。まだ不確かだ。けれど、白いノイズだけだった場所に、点が残った。
MIOの観測語ログも、別ファイルに分けて保存する。触らない。引っ張らない。今はただ、消えないように記録する。
レンは背中を壁に預けた。冷たい金属の感触がスーツ越しに伝わる。
何も終わっていない。
通信はできていない。外縁塔列にも行けない。北東中継塔も、短時間しか起きていられない。やることは増えた。むしろ、見えた分だけ増えた。
それでも、線は伸びた。
通信塔から、北東中継塔へ。
北東中継塔から、さらに外へ。
レンは画面を見たまま、低く言った。
「一本増えたな」
『はい。外へ伸びる線が一本増えました』
『帰還経路も一本あります』
「それも大事だ」
『はい。とても大事です』
ガタの前照灯が、小さく点滅した。
端末の地図で、北東中継塔の点が静かに光っている。その先の三つの点は、まだ薄い。触れれば消えそうなほど頼りない。
だが、もう見えなかったことにはできない。
レンは保存完了の表示を確認し、端末を閉じた。
次は、北東中継塔の保守ログを読む。
あの半分沈んだ塔が、最後に何を見ていたのか。それを確かめてから、外へ進む。