作品タイトル不明
第53話 中継塔は、半分沈んでいた
北東中継塔は、近づくほど塔らしくなくなっていった。
遠くからは細い影に見えた。だが、三百メートルを切るころには、上部が折れた構造物だと分かった。白い粉塵の向こうに、斜めに傾いた支柱が立っている。上へ伸びるはずのアンテナは途中で裂け、外装板の一部がめくれたまま固まっていた。
レンは点検棒を前へ出しながら、一歩ずつ進んだ。粉塵の下には、まだ旧点検路が残っている。だが、道と言えるほど素直ではない。硬い面を踏んだ次の一歩で沈む。右へ寄ると黒ずんだ舗装片が見え、左へ半歩ずれると棒がすっと落ちる。
ガタはレンの少し前を走っていた。先導というより、嫌な場所を探しているような動きだった。
『右、嫌です』
「右を避ける」
『左も嫌です』
「真ん中は?」
『少し嫌です』
「採用」
『不本意です』
レンは真ん中へ足を置いた。靴底の下で粉塵がぎゅっと鳴ったが、沈みは浅い。そのまま進む。フェイスシールドの内側に、ノアの表示が重なった。
[APPROACH CHECK]
――――――――――
北東中継塔:視認
距離:二百四十メートル
塔体傾斜:あり
基部沈下:推定
微弱応答:継続
外周調査:推奨
――――――――――
「応答はまだあるんだな」
『継続しています。周期は不安定ですが、完全停止ではありません』
「上、あれで?」
『上部アンテナは重損傷と推定します。応答源は塔上部ではなく、基部側の可能性があります』
「下が生きてるってことか」
『はい。正確には、下がまだ死んでいません』
「その言い方、やめた方がいいな」
『了解しました。基部機能に残存反応があります』
「よし」
言い直しても、意味はあまり変わらなかった。それでも、レンは少しだけ息を吐けた。
粉塵風が弱まり、塔の姿がはっきり見えた。北東中継塔は、基部の半分を白い粉塵と土砂に飲まれていた。塔体の下部には補強リングのような構造があるが、片側が地面に埋まり、反対側だけが歪んで見えている。外装には縦に裂けた痕があり、その裂け目から黒い内部材がのぞいていた。
塔の根元には、昔は点検用の小さな足場があったらしい。今は斜めに傾き、片方の支柱が浮いている。
ガタが止まった。
『ここから先、とても嫌です』
「具体的に」
『塔が斜めです。地面も斜めです。足場が斜めです。全部、斜めです』
「雑だけど分かりやすい」
『分かりやすさは大事です』
レンは塔を見上げた。首を傾けた瞬間、ヘルメットの後ろが肩に当たる。上部の折れたアンテナは、空へ向かう途中でねじ切れたようになっていた。裂けた金属片が乾いた風に当たり、かすかに、きい、と嫌な音を立てた。
『上部落下物に注意してください。塔体振動を検出』
「風で揺れてる?」
『風だけではありません。内部から微弱な駆動振動があります』
「まだ何か動いてるのか」
『はい。基部側です』
レンは塔の外周を回ることにした。いきなり触らない。ガタに散々言われたのもあるが、近くで見るほど、触った瞬間に何か崩れそうだった。
塔の南側は比較的ましだった。粉塵は深いが、足元に硬い層がある。東側へ回ると、塔の沈み込みがよく見えた。基部の下にあったはずの土台が片側だけ落ち、塔がゆっくり傾いたまま止まっている。
西側は外装が裂けていた。レンはそこで足を止める。
「ハッチか?」
裂けた外装の下に、四角い輪郭があった。半分は土砂に埋まり、半分だけが見えている。周囲には手動開閉用の溝があり、かすれた警告表示が残っていた。
『手動点検ハッチです。基部中継コア室への補助アクセスと推定します』
「入れる?」
『現状では開口部の三十七パーセントが埋没しています。周囲の土砂除去が必要です』
「掘るのか」
『掘ります』
『帰りましょう』
ガタが即答した。
「まだ掘ってない」
『掘る前に帰る方が効率的です』
「何の効率だよ」
『危険回避です』
レンはしゃがみ、ハッチの周りを手袋で払った。白い粉塵が舞い、古い金属面が出てくる。表面はざらつき、細かい腐食が浮いていた。触れた指先に、かすかな振動が伝わる。
生きている。
そう思った瞬間、喉の奥が少し詰まった。通信塔も、保守棟も、何かしら動いていた。だが、この中継塔は外で半分沈み、上部を折られ、粉塵に埋もれている。それでもまだ、奥で小さく震えていた。
「ノア。これ、基部コアまでつながってる?」
『可能性は高いです。ただし、ハッチ開放時に外装バランスが変化する恐れがあります』
「開けただけで崩れる?」
『可能性はあります』
「嫌な塔だな」
『状態の悪い塔です』
『嫌な塔です』
「ガタに寄せなくていい」
レンは周囲を見回した。外装固定に使えそうな支点を探す。塔を起こすことはできない。そんな装備はない。だが、点検ハッチ周辺だけなら、仮固定できるかもしれない。
古い補強リングの一部が、土砂から出ていた。裂けた外装の上には、クランプを噛ませられそうな縁がある。反対側には傾いた足場支柱。弱いが、三点をつなげばハッチ周辺の動きは抑えられる。
『レン、初回目的は外周調査です』
「分かってる」
『現在、作業に移行しようとしています』
「見た。で、触れそうだ」
『予測通りです』
「なら止めるなよ」
『止めていません。条件を整理します』
ノアの表示が切り替わった。
[TEMPORARY STABILIZATION PLAN]
――――――――――
対象:手動点検ハッチ周辺
目的:外装変位の抑制
使用可能支点:補強リング/外装縁/旧足場支柱
必要資材:簡易クランプ三個/短尺ケーブル二本
作業限界:塔体への荷重追加禁止
――――――――――
「そう、それが欲しい」
『この範囲であれば、基部中継コアの状態確認まで進められます。ただし、低出力起動は別工程です』
「今日は中を見るところまで」
『記録しました』
『見るだけです』
「中を見る」
『中に入らないでください』
「ハッチ開けるだけだ」
『信頼度が低いです』
レンは工具ポーチから簡易クランプを出した。金属の噛み合わせを確認する。粉塵が入り込んでいて、動きが渋い。手袋の親指でこすり、二、三度開閉してから補強リングへ噛ませた。
かち、と音がする。
次に短尺ケーブルを通し、外装縁へ二つ目のクランプを固定する。引きすぎると外装を余計に歪ませる。緩いと意味がない。レンはケーブルを少しずつ巻き、塔の振動を手のひらで確かめた。金属の奥で、低い唸りが続いている。
ガタが足元をうろうろした。
『そこ、沈みます』
「俺の足?」
『右足です』
レンは右足を半歩ずらした。直後、さっきまで踏んでいた粉塵が少し崩れた。小さく穴が開く。
「助かった」
『もっと大きく評価してください』
「帰ったら車輪拭きに加えて、軸も見る」
『整備が増えました』
「豪華だろ」
『微妙です』
最後のクランプを旧足場支柱へ噛ませる。支柱は一瞬きしんだ。レンは手を止める。フェイスシールドの内側で息が浅くなった。
『荷重、許容範囲内。継続可能です』
「……了解」
ケーブルを締める。塔の裂け目がほんの少し鳴った。きい、と乾いた音。レンはそこで止めた。
[TEMPORARY HOLD]
――――――――――
外装固定:仮完了
ハッチ周辺変位:低下
足場沈下:監視継続
塔体振動:継続
基部中継コア:微弱反応
――――――――――
「ハッチ、いけるか」
『手動開放を試行可能です。開放角度は二十五度以内に制限してください』
「全開にしない」
『はい。全開にしないでください』
『絶対にしないでください』
「二人で言うな」
レンは折りたたみハンドルを出し、ハッチ横の溝へ差し込んだ。古い規格だったが、かみ合った。持ってきてよかった。少しだけ、胸の奥が軽くなる。
ハンドルを回す。動かない。
「固いな」
『腐食と粉塵噛み込みがあります。無理な回転は非推奨です』
「じゃあ、少し戻して……」
レンは逆方向へほんの少し回し、また押した。金属がぎ、と鳴る。手首に嫌な抵抗が返ってくる。焦って力を入れると折れる。レンは息を吐き、肩の力を抜いた。
もう一度。
ぎぎ、と音が伸びた。ハッチの端から白い粉塵が落ちる。細い隙間ができた。その瞬間、内部から冷たい空気が漏れた。乾いた金属と焦げた絶縁材の匂いが、フェイスシールド越しにもかすかに分かる。
『内部圧差、軽微。危険ガス反応なし。温度、外気より三度低下』
「中、まだ密閉されてたのか」
『完全ではありませんが、基部区画の一部は閉鎖状態を維持していた可能性があります』
レンはハッチを二十度ほど開けた。そこで止める。ノアの制限内だ。
中は暗かった。ライトを向けると、細い通路ではなく、低い機械室のような空間が見えた。ケーブルの束、半分外れた保護カバー、小さな端子盤。奥に、丸いコアケースらしいものがある。
コアケースの端で、小さな表示灯が一度だけ瞬いた。
青白い点。
レンは思わず息を止めた。
『基部中継コア、反応確認』
「見えた」
『はい。基部中継コアは停止していません』
『見ました。では閉めましょう』
「まだ状態確認がいる」
『見ました』
「見るだけって言ったけど、見ただけで終われる状態じゃない」
『やっぱりです』
レンはライトを固定し、端末をハッチの隙間へ向けた。内部スキャンがゆっくり走る。画面に粗い構造図が浮かび、欠けた線が次々補正されていく。
[RELAY TOWER INITIAL SURVEY]
――――――――――
北東中継塔:到達
上部アンテナ:重損傷
塔基部:半埋没
手動点検ハッチ:部分開放
基部中継コア:微弱反応
推奨作業:外装固定強化/低出力給電準備
――――――――――
「低出力給電準備……やっぱり電気通せるんだな」
『可能性があります。ただし、現在の仮固定では不足です。外装固定を強化し、沈下監視を行ったうえで、段階的に給電する必要があります』
「今日できる?」
『時間、資材、帰還経路の視認性を考慮すると、推奨しません』
レンは何か言いかけて、やめた。
白い粉塵の中、ここまで来た。ハッチを開けた。コアが生きているのを見た。できればこのまま起こしたい。そう思う。だが、右足首の痛みが残っている。ビーコンはもうない。塔は傾いている。ガタはずっと嫌がっている。
レンはハンドルから手を離した。
「分かった。今日はここまでだ」
『適切です』
『非常に適切です』
「ガタ、喜びすぎ」
『帰れる可能性が上がりました』
レンはハッチを完全には閉めなかった。二十度開いた状態から、固定具を追加して仮保持する。内部に粉塵が入らないよう、簡易シートを隙間に噛ませた。次に来た時、すぐ状態確認できるようにしておく。
最後に、コアケースの青白い点をもう一度見た。小さい。弱い。いつ消えてもおかしくない。それでも、点いている。
「待ってろ、って言うのも変か」
『対象は中継塔です。待機命令は受理されない可能性が高いです』
「だよな」
『ただし、状態保持処理は可能です。現在の仮固定とハッチ保護により、短時間の劣化抑制は期待できます』
「じゃあ、それで」
レンは立ち上がった。膝に粉塵がついて白くなっている。手袋の指先も、クランプを触ったせいで黒く汚れていた。
北東中継塔は、半分沈んだまま傾いている。上部は折れ、外装は裂けている。普通なら、もう終わった設備に見える。でも、基部の奥で小さな表示灯が瞬いていた。
レンは振り返り、白い粉塵の中に並ぶビーコンの方向を確認した。
「帰る。次は固定具と給電ケーブルを増やす」
『了解しました。次回作業候補を記録します』
『帰りましょう。今すぐ帰りましょう』
「分かったって」
ガタが先に戻り始めた。今度は少しだけ足取りが軽い。いや、車輪取りが軽いと言うべきかもしれない。
レンは一度だけ塔を見上げた。折れたアンテナの先で、金属片が風に震えた。きい、と乾いた音がした。
その音の下で、半分沈んだ塔はまだ生きていた。