作品タイトル不明
第52話 粉塵の道で、ガタが先に止まった
北東へ伸びる誘導線は、画面の上ではまっすぐだった。
けれど、地面はそうではなかった。白い粉塵が旧路面を覆い、足を置くたびに深さが変わる。硬い場所もあれば、靴底が沈んで、抜く時にずるりと遅れる場所もある。視界の端では、通信塔の青い導光ラインがもう細い傷みたいに小さくなっていた。
レンは二基目のビーコンを腰から外し、地面へ打ち込んだ。杭の先が何か硬いものに当たり、かん、と乾いた音を返す。
[RETURN BEACON 02]
――――――――――
設置完了
通信塔基点:同期維持
第一ビーコン:受信良好
粉塵干渉:中
帰還経路:更新
――――――――――
「二基目、同期した」
『確認しました。現在地点から北東中継塔まで、推定一・三キロメートルです』
『遠いです』
ガタがレンの右後ろで言った。
「さっきより近い」
『まだ遠いです』
「正しいけど、進捗を削るな」
『削っていません。現実です』
レンは返事をせず、前へ進んだ。粉塵がフェイスシールドに細かく当たり、さらさらと乾いた音を立てる。風は強くない。それでも、白い粒子は空気の中で止まらず、視界の奥を常に揺らしていた。
ノアの誘導線は、少し先で右へ寄った。
『進路を二十三度修正します』
「地図だと直線だったろ」
『旧地図上の直線経路は未検証です。粉塵下の地形変化を考慮し、保守棟の旧排水データと通信塔基部の沈下記録を重ねています』
「つまり?」
『まっすぐ行くと、落ちる可能性があります』
「最初にそれでいい」
レンは右へ曲がった。ガタもついてくる。車輪が粉を押し、浅い溝を作った。しばらくは順調だった。
そのはずだった。
ガタが急に止まった。
『嫌です』
「またか」
『ここ、嫌です』
「感想じゃなくて理由」
『前輪が沈みます』
レンは足を止め、ガタの前を見た。白い粉塵しか見えない。誘導線はそのまま前へ伸びている。北東中継塔の影も、白い向こうに細く見えていた。
『ガタの前輪荷重が増えています。路面硬度低下を検出』
「見た目じゃ分からないな」
『見た目で分からないから嫌です』
「それはそう」
レンは腰の工具ポーチから細い点検棒を抜き、ガタの前方へ差し込んだ。最初の十センチは粉塵だった。その下に硬い層があると思った瞬間、棒がすっと落ちた。
「……おい」
もう一度、角度を変えて刺す。今度も同じだった。粉塵の下に、何か空いた場所がある。棒の先が底に当たるまで、思ったより深い。
『旧排水溝の可能性があります』
「この幅で?」
『地図上では、点検路脇の排水チャンネルです。ただし崩落により上面が失われています』
「チャンネルって言うとかわいいけど、踏んだら足持っていかれるやつだろ」
『はい』
レンは一歩下がった。足の裏が急に頼りなくなる。さっきまでただの白い地面だった場所が、薄い蓋に見えた。
ガタは少しだけ後退した。
『言いました』
「言ったな。助かった」
『もっと大きく評価してください』
「帰ったら車輪を拭いてやる」
『それは整備です。報酬ではありません』
「整備は報酬だろ」
『違います』
レンはガタの前方に小さな赤いマーカーを差した。粉塵の上に危険印が立つ。風で少し揺れた。
[FIELD HAZARD MARK]
――――――――――
危険箇所:旧排水チャンネル上面崩落
視認性:低
通行:不可
迂回推奨:右側十二メートル
ガタ走行ログ:経路補正に反映
――――――――――
ノアの誘導線が、青から橙へ一度変わり、右へ折れた。
『ガタの走行ログを経路補正に使用します。以後、前輪荷重変化、車輪沈下、振動差分を補助センサーとして扱います』
『嫌です。責任が重いです』
「お前の嫌です、わりと当たるからな」
『嫌なものはだいたい嫌です』
「雑だけど強いな」
迂回路は狭かった。右側は古い舗装片が浮き、左側はさっきの排水溝が粉塵の下に続いているらしい。レンは足を置くたびに点検棒で前を突いた。かん、と鳴れば進む。すっと落ちれば止まる。
地味な作業だった。
けれど、手を抜く気にはならなかった。フェイスシールドの内側で息がこもり、首の後ろに汗が伝う。粉塵の白さは、距離の感覚を狂わせる。中継塔の影は見えているのに、近づいているのか分からない。
ガタがまた止まった。
『ここも嫌です』
「棒」
『自分でお願いします』
「はいはい」
レンは点検棒を刺した。今度は硬い。だが、そのすぐ横で棒が落ちた。
「端が崩れてる」
『旧排水チャンネルが斜めに走っています。地図と実地が一致していません』
「何年放置されたんだ、これ」
『正確な年数は不明です。少なくとも、現行管理記録が途絶えてから長期間です』
「長期間で片付けるなあ」
『推測値を出しますか』
「やめろ。気が重くなる」
レンはマーカーをもう一本差し、右へ寄った。ガタは文句を言いながらついてくる。
前方で、粉塵が少し濃くなった。
白い壁が近づくように、視界の奥がつぶれる。風が変わった。足元の粉が低く流れ始め、レンの膝下をなでる。
『粉塵風。視界低下予測。百二十秒以内に可視距離が百メートルを下回ります』
「今ここで?」
『はい。移動継続は可能ですが、帰還経路の基準点を増やす必要があります』
「三基目、ここで使うか」
『推奨します』
レンは最後のビーコンを外した。少し迷った。残りはない。ここで使えば、この先はビーコンなしで中継塔まで行くことになる。
だが、戻る基準がない方がまずい。
レンは足元を点検棒で確認してから、ビーコンを打ち込んだ。杭が硬い層を噛む。スイッチを押すと、青い点が白い空気の中で灯った。
[RETURN BEACON 03]
――――――――――
設置完了
第一ビーコン:受信可能
第二ビーコン:受信良好
通信塔基点:微弱
粉塵干渉:上昇中
帰還経路:保持
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「これで最後だ」
『確認しました。以後、北東中継塔までの経路はガタの走行ログと通信塔誘導線を併用します』
『責任がさらに重いです』
「さっきより評価が上がったぞ」
『評価と責任を一緒にしないでください』
粉塵風が強くなった。さらさらという音が、ざあ、に変わる。フェイスシールドに粒が当たり、細かい白い線を作った。
レンは肩を低くして進んだ。中継塔の影が消えかける。青い誘導線だけが頼りだった。
足元で、がく、と右足が沈んだ。
「っ」
膝が落ちる前に、レンは左足へ体重を移した。右足を抜こうとして、粉塵の下の何かに靴底が引っかかる。足首に嫌な角度がかかった。
『停止してください。右足前方、空洞縁です』
「止まってる」
『上体を左後方へ。荷重を抜いてください』
「やってる」
声が少し荒くなった。レンは左膝を曲げ、工具の重みで前に持っていかれそうになる体を戻した。右足をゆっくり引く。粉塵が靴にまとわりつき、ずる、と重い音がした。
抜けた。
レンは二歩下がり、息を吐いた。フェイスシールドが白く曇る。
ガタが足元の手前で止まっていた。
『そこ、嫌です』
「先に言ってくれ」
『言う前に踏みました』
「それもそうだな」
レンは点検棒を刺した。すぐ落ちた。さっきの排水チャンネルとは別の空洞だ。上面が粉塵で隠れているだけで、下は抜けている。
『旧点検路の側溝、またはケーブル溝です。連続しています』
「道があるんじゃなくて、穴だらけってことか」
『正確には、道と穴が同じ場所にあります』
「最悪の同居だな」
レンは空洞の縁にマーカーを差し、ガタの走行ログを確認した。ガタが嫌がった場所、沈みかけた場所、振動が変わった場所が、地図上に点として重なる。
点はばらばらではなかった。曲がった線になっていた。
「ノア、これ……」
『はい。粉塵下に旧点検路が残っています。ただし、路面の一部が崩落し、排水チャンネルとケーブル溝が露出しています』
「通れる部分だけ拾えば、中継塔まで行けるか」
『可能です。速度は落ちますが、安全性は上がります』
『帰る案は?』
「却下」
『却下が早いです』
ノアの誘導線が再構築された。今度は直線ではない。ガタの嫌がった場所を避け、硬い舗装片を拾いながら、白い粉塵の中を曲がって伸びる。
[FIELD ROUTE CORRECTION]
――――――――――
旧路面:粉塵下に埋没
排水溝空洞:複数
ケーブル溝露出:推定
ガタ走行ログ:経路補正に使用
帰還ビーコン:三基設置
北東中継塔:接近継続
――――――――――
レンは手袋の指を握り直した。右足首に軽い痛みが残っている。ひねったほどではない。だが、歩くたびに意識がそこへ引かれる。
「ゆっくり行くぞ」
『推奨します』
『最初からそうしましょう』
「今からでも遅くない」
『遅いです。でも、まだましです』
ガタが先に進んだ。ほんの少しだけ。
前輪が粉塵を押し、止まり、また進む。嫌がるたびにレンは止まり、点検棒を刺した。硬い場所を拾う。沈む場所を避ける。ときどき、旧路面の端が顔を出した。黒ずんだ素材に、かすれた黄色い線が残っている。
それを見つけた時、レンは少しだけ息を吐いた。
「道、あったんだな」
『はい。かつては保守員が徒歩または小型車両で通行していたと推定されます』
「じゃあ、同業者の道か」
『広義にはそうです』
『狭義には違います』
「ガタ、そこ訂正いるか?」
『重要です。レンは保守員ではありません』
「今やってることは保守だろ」
『資格が不明です』
「この星で資格証出せるやついたら連れてきてくれ」
『嫌です。増えるのは困ります』
少しだけ、肩の力が抜けた。
粉塵風はまだ続いている。視界は悪い。だが、ガタの足元ログとノアの誘導線が重なることで、白い世界の中に細い道が見え始めていた。
中継塔の影が、ふいに濃くなった。
粉塵が一瞬だけ薄くなる。前方に、塔の基部らしいものが見えた。細い柱ではない。地面から斜めに突き出した、重い構造物。下半分は白く埋まり、上部は欠けている。
レンは足を止めた。
「見えた」
『北東中継塔基部を視認。距離、推定三百八十メートル』
『まだ遠いです』
「さっきよりは近い」
『それは認めます』
もう少し進むと、塔の傾きが分かった。
まっすぐ立っていない。地面ごと、わずかに沈んでいる。基部の片側が粉塵と土砂に飲まれ、塔全体が北へ倒れかけているように見えた。
レンは唇の内側を噛んだ。
「……あれ、触っていいやつか?」
『現地調査が必要です。外装破断、基部沈下、上部アンテナ損傷が確認できます。ただし、微弱応答は継続しています』
ガタが前照灯を細くした。
『嫌です』
「だろうな」
『とても嫌です』
「俺も少し嫌だ」
『少し?』
「かなり」
『では帰りましょう』
「でも、ここまで来た」
レンは三基目のビーコンの青い点を振り返った。白い風の中で、まだ見えている。通信塔はもう見えない。けれど帰る線は残っている。
前には、半分沈んだ中継塔がある。
壊れている。傾いている。たぶん面倒で、危ない。
それでも、微弱応答は続いていた。
「近くまで行く。触るかどうかは、見てから決める」
『了解しました。北東中継塔外周調査へ移行します』
『見るだけです』
「見るだけな」
『触らないでください』
「見てからだ」
『それは触る人の言い方です』
レンは答えず、点検棒を前へ出した。
白い粉塵の道は、中継塔の足元へ続いていた。