作品タイトル不明
第50話 通信塔は、世界の端を少し照らした
低出力グリッドが成立してから、基部管理室の音が変わった。
それまでは、死んだ部屋が無理に息をしているような音だった。いまは違う。まだ細い。まだ弱い。けれど、制御台の奥で何かが一定の間隔で動いている。床のケーブル溝に走る青い線も、ただ点いているだけではなく、塔の外周へ向かって脈を送っていた。
レンは制御台にもたれかからないように立っていた。
右腕は重い。肩の奥に熱が残っている。喉も乾いている。だが、画面から目を離せなかった。
通信塔の周辺地図。
さっきまで白い欠けだらけだったそこに、線と名前が増えている。
[COMMUNICATION TOWER LOW GRID]
――――――――――
外縁アンテナ一系統:稼働
外縁アンテナ二系統:稼働
外縁アンテナ三系統:稼働
北東中継塔候補:輪郭検出
南側旧管制施設候補:輪郭検出
西部地下ケーブル幹線:追跡可能
灰色の庭:外縁反応安定
――――――――――
「ノア、安定時間」
『残り一九分です。現在の状態で追加保存、経路候補確定、拠点側への低速同期が可能です』
「拠点側へ送れるのか」
『はい。保守棟の仮ラインを経由します。速度は低いですが、地図データなら送れます』
「やる」
『実行します』
ガタの声が階段の上から入る。
『外、青いの続いています』
「不安定か」
『不安定というより、目立ちます』
「嫌か」
『嫌です。でも、前より見やすいです』
「お前の評価、だいぶ複雑になってきたな」
『嫌なものが増えたからです』
レンは笑いそうになったが、すぐに咳が出た。
ヘルメット内に乾いた音が響く。
『水分摂取を推奨します』
「今?」
『今です』
「一口だけな」
レンはチューブからぬるい水を吸った。少しだけ喉が戻る。体は疲れている。なのに、頭だけが妙に冴えていた。
ノアが拠点側への同期を始める。
[LOW GRID SYNC]
――――――――――
同期先:拠点管理ノード
経由:保守棟仮ライン
対象:通信塔周辺地図
進行:開始
想定時間:四分
――――――――――
壁の端末の端に、細い進行表示が出た。
四分。
短いようで長い。
そのあいだに、レンは周辺地図をもう一度拡大した。
北東中継塔候補。
細い塔。通信塔ほど大きくはない。上部は欠け、基部だけが反応している。だが、広域中継補助に使える可能性がある。MIOという観測語が一瞬だけ安定したあと、必要条件として出たのも、広域中継補助だった。
南側旧管制施設候補。
低くて広い建物。複数の接続線が集まっている。周辺制御。配分。管制。名称断片だけでも、重要施設だと分かる。
西部地下ケーブル幹線。
地表ではなく、地下へ伸びる線。白い粉塵や外装片を避けて施設をつなげるなら、ここが使えるかもしれない。
灰色の庭。
遮蔽領域。環境調整区画。外部生体試験場。粉塵固定域。名前だけで、どれも嫌だった。
レンは小さく息を吐いた。
「ノア」
『はい』
「優先順位、付けられるか」
『目的によります』
「拠点の安定、通信範囲、外部環境の把握、MIO観測語の安定。全部」
『全部を同時に満たすなら、第一候補は北東中継塔です。通信範囲の拡張と広域中継補助に直結します』
「二番目は」
『南側旧管制施設。周辺設備の制御情報を取得できる可能性があります』
「灰色の庭は?」
『危険度と重要度がともに高いです。ただし、現時点では内部遮蔽が強く、直接進入は非推奨です』
「非推奨、出たな」
『順番の問題です。先に中継塔か管制施設を取れば、灰色の庭へ入る前に情報を増やせます』
「止めるんじゃなくて、入る前に武器を増やす」
『はい』
それならいい。
レンは腕端末に優先候補を保存した。
[ROUTE PRIORITY]
――――――――――
一:北東中継塔候補/広域中継補助
二:南側旧管制施設候補/周辺制御
三:西部地下ケーブル幹線/地下接続
四:灰色の庭入口候補二/遮蔽領域
備考:灰色の庭は追加情報取得後に接近
――――――――――
『拠点同期、三八%』
「遅いな」
『低速です』
「分かってる」
『待機、嫌です』
ガタが言った。
「お前も待ってるだけじゃないだろ。外の状態は」
『粉塵流量、弱。落下物、なし。塔外周、青い。青いのは続いています』
「青い報告、助かる」
『正式報告にしてよいですか』
「だめだ」
『残念です』
レンは管理室の壁を見た。
端末は三つある。いま生きているのは一つだけ。中央制御台も低出力で、無理をしている。だが、三系統のアンテナが揃ったことで、部屋そのものが少しだけ戻ったように見える。
壁の文字が、いくつか読めるようになっていた。
TOWER BASE CONTROL。
LOCAL GRID。
OUTER OBSERVATION。
その最後の文字を見て、レンは一瞬だけ動きを止めた。
ノアは何も言わなかった。
言わないのが、逆に分かっている感じで少し腹が立った。
「見るだけだ」
『はい。見るだけです』
「先に言うな」
『言う必要があると判断しました』
「正しい」
レンは外縁観測の画面を開いた。
さっきのログは保存されている。
[OUTER OBSERVATION TRACE]
――――――――――
観測語:MIO
状態:一瞬安定
接続:未成立
必要:広域中継補助
――――――――――
MIO。
文字だけだ。
通信でもない。声でもない。姿でもない。
それでも、前よりはっきりしていた。
「〇・八秒」
『はい』
「一秒にも満たない」
『ですが、前回より長いです』
「次は一秒か」
『広域中継補助が成立すれば、それ以上も見込めます』
「北東中継塔」
『はい』
レンは画面を閉じた。
押さない。
今は押さない。
押しても届かない。届かないものを無理に引けば、壊すか、見失う。ここで必要なのは、感情で手を伸ばすことではない。
届く線を作ることだ。
そう考えた瞬間、胸の奥にある焦りが少しだけ形を変えた。
待つ、ではない。
作る。
レンは制御台へ向き直った。
「ノア、低出力グリッドを拠点・保守棟・通信塔の三点で固定できるか」
『試算します』
画面が切り替わる。
通信塔。
保守棟。
拠点管理ノード。
三つの点が出る。
いままでは、拠点から保守棟、保守棟から通信塔への仮ラインだった。細くて、不安定で、何度も切れかけた線。
だが、通信塔が動いたことで、逆向きの補助が可能になっている。
通信塔から保守棟へ。
保守棟から拠点へ。
拠点から通信塔へ。
三角形にはほど遠い。実際には折れ曲がった細い線だ。でも、ノアはそれを低出力ネットとしてまとめようとしていた。
『可能です。完全な網ではありませんが、作業ネットとして固定できます』
「やる価値は」
『大きいです。以後、通信塔で取得した地図情報を拠点側へ保存できます。拠点側から通信塔の状態監視も可能になります』
「つまり、毎回ここまで来なくても一部は見られる」
『はい』
「やろう」
『実行します。手動確認が二箇所必要です』
「どこ」
『中央制御台の左下バスと、階段入口の中継ライトです』
「階段入口はガタの近くだな」
『はい。ガタへ依頼可能です』
『嫌です』
「まだ何も言ってない」
『依頼の気配がしました』
レンは階段の方を見上げた。
「ガタ、中継ライトの下、見えるか」
『見えます』
「小さいスイッチがある。赤じゃなくて、黒い方」
『赤も黒も嫌です』
「黒い方を一回だけ押せ」
『押したら何が起きますか』
「通信塔と拠点の線が少し安定する」
『爆発は』
「しない」
『本当ですか』
「ノア」
『爆発可能性は極低です』
『極低』
「ゼロって言えないのが嫌だな」
『嫌です』
「押せるか」
『……押します』
階段の上で、小さな機械音がした。
かち。
同時に、レンは中央制御台の左下バスへ手を伸ばした。古いカバーを開け、細いスイッチを上げる。
青い線が一度だけ消えかけた。
「ノア」
『維持しています。三秒待ってください』
一。
二。
三。
床のケーブル溝に、これまでより太い青い線が走った。
制御台から壁へ。
壁から塔の外周へ。
そこから、保守棟方向へ細く返る線が重なる。
腕端末にログが出る。
[LOW GRID LINK]
――――――――――
拠点管理ノード:接続
保守棟:接続
通信塔基部管理室:接続
外縁アンテナ:三系統稼働
地図同期:有効
状態監視:低頻度
――――――――――
「つながった」
『低出力作業ネット、成立しました』
『押しました。嫌でした』
「助かった」
『押した価値はありましたか』
「かなりある」
『なら少し良いです』
レンは画面を見た。
三点がつながっている。
拠点。
保守棟。
通信塔。
どれも弱い。どれも壊れかけている。だけど、孤立していない。
レンは急に、最初の日のことを思い出した。
何も分からない拠点の中で、ノアの声だけがあった。空気も、水も、電力も、外の状態も、全部が足りなかった。
今は違う。
拠点がある。
保守棟がある。
通信塔がある。
その先に、中継塔、管制施設、地下ケーブル、灰色の庭がある。
増えた。
危険も増えた。
やることも増えた。
でも、選べる。
それが大きかった。
『拠点同期、完了しました』
「保存結果は」
『拠点側に低出力マップを保存。保守棟にも簡易経路を保存。通信塔側には詳細ログを保持します』
「よし」
壁の端末が、急に一段明るくなった。
レンは反射的に身構える。
『追加反応です。低出力グリッド成立により、遠方の大型構造影が一瞬だけ返りました』
「大型構造?」
『表示します』
地図の端。
北東中継塔よりさらに遠く、南側旧管制施設とも違う方向。
ほとんどノイズだった。
だが、線がある。
大きな輪郭。
丸いのか、塔なのか、壁なのか分からない。施設名は出ない。距離も不確か。けれど、通信塔が一瞬だけ何かを拾った。
[DISTANT STRUCTURE TRACE]
――――――――――
大型構造影:検出
名称:未読取
距離:不明
状態:不明
接続:なし
備考:低出力グリッド反射による一瞬検出
――――――――――
「……まだあるのか」
『はい』
「遠いな」
『遠いです』
「でも、見えた」
『はい。見えました』
レンは画面を見つめた。
中継塔や管制施設でさえ遠いと思っていた。灰色の庭だけで十分に厄介だと思っていた。
その外に、さらに何かがある。
この星は、拠点と通信塔だけの話ではない。
もっと大きい。
もっと壊れている。
もっと残っている。
レンは息を吐いた。
「保存」
『保存しました。ただし、現段階では探索候補に入れるべきではありません』
「分かってる。今は名前だけでいい」
『名前はまだありません』
「じゃあ、影だけ」
『影として保存します』
ガタが低く鳴った。
『遠いもの、嫌です』
「近いものも嫌だろ」
『はい』
「平等だな」
レンは笑った。
その笑いは、疲れた笑いだった。だが、さっきより少し軽かった。
ノアが最終ログをまとめる。
[LOW GRID MAP]
――――――――――
拠点管理ノード:接続
保守棟:接続
通信塔基部管理室:接続
外縁アンテナ:三系統稼働
北東中継塔:候補確定
南側旧管制施設:候補確定
西部地下ケーブル幹線:追跡可能
灰色の庭:外縁反応安定
外縁観測語:MIO
接続:未成立
条件:広域中継補助
遠方大型構造影:一瞬検出
――――――――――
レンはそのログを、しばらく見ていた。
候補確定。
追跡可能。
外縁反応安定。
未成立。
一瞬検出。
完全なものは、何ひとつない。
でも、全部が前より進んでいる。
この星が、少しだけ返事をした。
通信塔が、世界の端を少し照らした。
『レン。低出力グリッドの安定時間、残り六分です。帰還準備を推奨します』
「帰る前に、候補リストをもう一度」
『表示します』
[NEXT ROUTE CANDIDATES]
――――――――――
一:北東中継塔/広域中継補助
二:南側旧管制施設/周辺制御
三:西部地下ケーブル幹線/地下接続
四:灰色の庭入口候補二/遮蔽領域
保留:遠方大型構造影
――――――――――
「次は北東中継塔だな」
『合理的です』
「MIO観測語の条件にも近い」
『はい』
「灰色の庭は後回し」
『情報を増やしてから接近するべきです』
「分かってる。嫌な庭には、準備して行く」
『庭、嫌です』
「お前は準備しても嫌だろ」
『はい』
レンは制御台から手を離した。
指先が少ししびれていた。
壁の端末には、まだ青い線が残っている。低出力グリッドは長くは持たない。だが、地図は保存した。拠点にも送った。次に来る時、ゼロからではない。
それが大きい。
階段へ向かう前に、レンはもう一度だけ管理室を振り返った。
暗い円形の部屋。
壊れかけた端末。
低く鳴る制御台。
床を走る三本の青い線。
ここは、ただの地下室ではなかった。
外を見ていた場所だ。
塔の目だ。
「ノア」
『はい』
「この部屋、次から基部管理室じゃ長いな」
『名称登録しますか』
「塔の目」
『正式名ではありません』
「分かってる。作業名だ」
『作業名:塔の目。登録します』
『目、嫌です』
ガタが言った。
「お前、さすがにそれは雑だろ」
『見られるのが嫌です』
「見てるのはこっちだ」
『それも嫌です』
レンは階段を上がり始めた。
足が重い。
一段ずつ、金属が鳴る。外の粉塵音が少しずつ戻ってくる。しゃらしゃらと、塔の外装を撫でる音。階段入口の仮照明が見える。ガタの小さな機体が、白い粉をかぶって待っている。
『遅いです』
「疲れてる」
『知っています』
「なら言うな」
『待つのも嫌です』
「はいはい」
レンが外へ出ると、空は白く濁っていた。
通信塔の外縁に、青い光が三方向、細く残っている。強くはない。すぐ消えそうにも見える。だが、ただの仮接続とは違う。塔が、低く、確かに動いている。
ガタの外装にも青い光が映っていた。
『青いです』
「いいだろ」
『嫌ですが、いいです』
「難しいな」
レンはハッチを仮固定した。
完全には閉じない。次に入れるように、保護カバーと仮ロックをつける。粉塵よけも置く。これでまた白く埋もれても、掘り直す量は少ないはずだ。
作業を終え、レンは通信塔を見上げた。
外縁アンテナの光は、三方向に伸びている。
北東。
南。
西。
その先に、まだ見ていない施設がある。
そして、見えないままの灰色の庭がある。
さらに遠くに、名前もない大型構造の影がある。
レンは腕端末を確認した。
MIOの文字は、もう表示されていない。
でも、ログには残っている。
〇・八秒。
短い。
けれど、ゼロではない。
「北東中継塔を取る」
レンは小さく言った。
ノアがすぐ答える。
『次回目標として登録します』
『北東、嫌です』
「お前の意見も登録しとくか」
『してください』
『補足:全部嫌です』
「雑だな」
レンは笑って、粉塵の中を歩き出した。
背後で、通信塔が低く鳴った。
返事のようにも、ただの機械音にも聞こえた。
どちらでもよかった。
点だった地図に、線が増えた。
線の先に、名前が増えた。
名前の向こうに、まだ見えない施設がある。
この星は、まだ黙っている。
でも、どこを叩けば返事があるのか、少しだけ分かってきた。