作品タイトル不明
第49話 塔が、周辺施設を照らし始めた
三系統目の冷却が終わるまで、レンは二系統目の接点を固めていた。
基部管理室の空気は冷たい。外の粉塵は入ってこないが、代わりに古い金属の匂いを思わせる冷えがある。スーツ越しでも、床からじわじわと温度を奪われる感じがした。
中央制御台の青い点滅は、まだ消えていない。
壁の端末は半分死んだまま、北東中継塔の輪郭をぎりぎり表示している。線は細い。だが、さっきよりぶれが少ない。
レンは固定具をもう一本噛ませた。
「これで二系統目は持つか」
『低出力なら安定します。北東中継塔候補の位置精度は、先ほどより一一%改善しました』
「一一%って、体感しにくいな」
『迷う距離が減ります』
「それは助かる」
『迷うの、嫌です』
ガタの声が階段の上から入った。
「お前、外で迷ったことあるのか」
『ありません。迷う前に嫌になります』
「強いな」
レンは制御台の三系統目レバーを見た。
さっき短時間だけ通した南側の系統。旧管制施設の輪郭と、灰色の庭の外縁反応を拾った線だ。根元はまだ少し熱い。表示では冷却完了に近いが、触る気にはならない。
ノアがログを出す。
[OUTER ANTENNA STATUS]
――――――――――
一系統:北西側/稼働
二系統:北東側/低出力安定
三系統:南側/冷却完了間近
取得済:旧管制施設輪郭/灰色の庭外縁
次作業:三系統安定化
――――――――――
「三系統を安定させる」
『はい。三系統が安定すれば、通信塔周辺の低出力グリッドを形成できます』
「グリッドって言うと急にでかいな」
『実際に広がります』
「いいな」
レンは制御台の下を開け直した。
三系統目の制御線は、二系統目よりも状態が悪い。外装が硬化し、途中で細く割れている。完全に張り替えたいところだが、今は無理だ。手元にあるのは短い補助ケーブルと、仮固定材と、接点洗浄材だけ。
それでも、やる。
「ノア、三系統目を長持ちさせるには」
『制御線をバイパスします。根元の劣化部を迂回し、補助ケーブルで第二端子へ入れてください』
「第二端子って、これか」
『違います。奥の黒い端子です』
「黒すぎて見えない」
『照明を右へ四センチ』
「細かいな」
レンは仮照明をずらした。
黒い端子が見えた。端子というより、煤の塊みたいだった。指先で触ると、粉がつく。接点洗浄材を少し含ませた布で拭く。
黒。
黒。
まだ黒。
「これ、生きてるのか」
『生きています』
「見た目は死んでるぞ」
『見た目で判断しないでください』
『見た目、嫌です』
「ガタ、今のは何に対してだ」
『全部です』
レンは布を替えて、もう一度拭いた。
ようやく端子の縁が出る。細い金属光。そこへ補助ケーブルを噛ませる。入らない。角度を変える。少し押す。
かち。
入った。
「入った」
『固定してください。振動で抜けます』
「分かってる」
レンは仮固定材を二本巻いた。一本目はきれいに貼れた。二本目は少し斜めになった。
『二本目が斜めです』
「効けばいい」
『効きます』
「ならいい」
『見た目、嫌です』
「見えてないだろ」
『想像で嫌です』
ガタは便利なのか面倒なのか、よく分からなくなってきた。
ノアが三系統目の準備を進める。
[THIRD LINE BYPASS]
――――――――――
劣化制御線:迂回
補助ケーブル:接続
接点抵抗:低下
通電可能時間:二十秒 → 継続低出力
過熱監視:必要
――――――――――
「二十秒から継続低出力。だいぶ違うな」
『はい。これなら旧管制施設と灰色の庭の外縁を継続監視できます』
「灰色の庭の入口は」
『三系統安定後に再推定します』
「よし」
レンは三系統目のレバーに手をかけた。
さっきよりは軽い。
それでも、信用できる軽さではない。古い機械が、しぶしぶ動く時の感じだ。レンは息を整え、ノアの表示を待った。
『三系統目、低出力再投入。三、二、一、今です』
レンはレバーを押し上げた。
がち。
今度は、一度で入った。
基部管理室の床に、三本目の青い線が走る。
前みたいに明滅しない。細いままだが、つながっている。壁の端末が暗くなりかけ、踏みとどまるように戻った。制御台の青い点滅が少し速くなる。
外からガタの声が入る。
『外、また青いです』
「南側か」
『塔の反対側も光りました。見たくないのに見えます』
『三系統目、低出力安定に移行。南側反射を継続取得します』
「灰色の庭は」
『外縁再読取中です』
腕端末の地図が更新される。
南側旧管制施設の輪郭が太くなる。低い大きな建物。接続線が複数。周囲に小さな設備らしい点がいくつもある。沈黙しているが、ただの廃墟ではない。
次に、灰色の庭。
黒い欠けの外縁が、さっきよりはっきり浮かぶ。不規則な囲い。外周柱のような点。いくつかの線が外側で途切れ、内側へ入る直前で消えている。
その一箇所だけ、黒の縁が薄い。
『入口推定を開始します』
「行け」
『外周反応を比較。三系統反射を重ねます』
地図の黒い欠けに、細い黄色の点が出た。
ひとつ。
すぐ消える。
二つ目。
弱い。
三つ目。
少し太い。
『入口候補、三。信頼度は低』
「一番高いのは」
『候補二。外周柱の欠損、地下ケーブル支線、粉塵固定域の境界が一致しています』
「そこが入口か」
『入口、または保守用の切れ目です』
「十分だ。保存」
『保存します』
[GREY GARDEN OUTER TRACE]
――――――――――
未確認死角:灰色の庭
外縁反応:安定
入口候補:三
候補二:優先
内部:遮蔽継続
関連語:環境調整区画/外部生体試験場/粉塵固定域
――――――――――
「候補二、か」
『現時点では近づくための目的地になります』
「行く理由ができたな」
『はい。ただし、先に通信塔グリッドを安定させれば、候補二までの経路精度が上がります』
「つまり、今ここでやることがまだある」
『はい。進めます』
レンは制御台の端を叩いた。
軽く一回。
「よし。三系統をまとめる」
『三系統低出力グリッドを形成します。三系統同時制御のため、配電順を手動で調整してください』
「また手動か」
『自動制御は破損しています』
「だろうな」
壁の端末に、三本の配電レバーの順番が表示される。
一系統を少し下げる。
二系統を上げる。
三系統を維持する。
最後に一系統を戻す。
簡単そうに見える。実際は、どれも古いレバーだ。動きは渋い。戻りもある。タイミングを間違えると、どれかが落ちる。
ノアが言う。
『三系統同時は不安定です』
「順番を変えれば?」
『行けます』
「なら、行く」
レンは配電レバーを握り直した。
まず一系統目。
少し下げる。
外縁アンテナの北西側が弱くなる。地図の一部が薄くなる。だが、消えない。
『二系統目、上げてください』
二系統目。
レバーを上げる。
かち。
北東中継塔の輪郭が明るくなる。
『三系統目、維持。触らないでください』
「触ってない」
『右手が近いです』
「見えてるのか」
『見ています』
レンは右手を離した。
最後に一系統目を戻す。
重い。
戻りが悪い。
レバーが途中で止まる。
『一系統目、戻り不足』
「分かってる」
レンは体重をかける。
動かない。
右腕の警告が出る。黄色。少し濃い。
歯を噛む。
ここで戻らなければ、三系統が揃わない。
北西、北東、南。
通信塔の外縁が三方向で起きれば、周辺施設の地図がつながる。
レンは足を踏み直した。
制御台の金属が冷たい。
手袋の中で、指が少ししびれている。
『レン、左足を半歩前へ。レバーの角度を下から押してください』
「こうか」
『はい。そのまま』
レンはレバーを握り、下から押し上げるように力をかけた。
喉の奥で息が詰まる。
塔のどこかが低く鳴った。
ガタが外で叫ぶように鳴る。
『外、揺れました』
「今やってる」
『知っています。嫌です』
レンはレバーを押した。
「起きろ」
がこん。
一系統目が戻った。
次の瞬間、基部管理室の床を三本の青い線が同時に走った。
北西。
北東。
南。
制御台から壁へ、壁から塔の外周へ。部屋全体が低く震え、外から青い光が返ってくる。階段の上が一瞬だけ明るくなった。
ガタの声がノイズ混じりに跳ねる。
『外、青いです。かなり青いです』
「語彙」
『多いです。青が多いです』
壁の端末が復帰した。
割れた画面に、通信塔の周辺地図が広がる。
今まで点と欠けだったものが、線になる。
北東中継塔候補。
南側旧管制施設候補。
西部地下ケーブル幹線。
灰色の庭外縁。
通信塔から伸びる三本の低出力アンテナ線が、それぞれの輪郭を照らす。
[COMMUNICATION TOWER LOW GRID]
――――――――――
外縁アンテナ一系統:稼働
外縁アンテナ二系統:稼働
外縁アンテナ三系統:稼働
北東中継塔候補:輪郭検出
南側旧管制施設候補:輪郭検出
西部地下ケーブル幹線:追跡可能
灰色の庭:外縁反応安定
――――――――――
「出た……」
レンは画面を見つめた。
白い粉塵に埋もれていた外が、地図になっていく。
壊れた塔の根元に立っているだけでは分からなかった施設群。距離。方向。接続線。行けるかもしれない場所。直せるかもしれない線。
全部が、同時に見えた。
ノアの声も、少しだけ低く聞こえた。
『通信塔低出力グリッド、形成に成功しました』
「これで、どこまで見える」
『通信塔周辺域の一部です。完全ではありませんが、探索候補を確定できます』
「候補を出せ」
『表示します』
腕端末に、候補リストが並ぶ。
[NEXT ROUTE CANDIDATES]
――――――――――
一:北東中継塔候補/広域中継補助
二:南側旧管制施設候補/周辺制御
三:西部地下ケーブル幹線/地下接続
四:灰色の庭入口候補二/遮蔽領域
――――――――――
「四つもある」
『はい』
「全部行きたいな」
『全部行く価値があります』
『全部、嫌です』
ガタが言った。
「だろうな」
『ですが、地図があるのは良いです』
「また素直になった」
『嫌な場所へ行く前に、嫌な場所が分かるのは良いです』
「それは実用的だな」
レンは笑いかけて、すぐに咳き込んだ。
喉が乾いている。スーツの中で汗が冷えている。腕も肩も重い。けれど、目は画面から離れなかった。
通信塔は、周辺施設を照らし始めている。
まだ低出力だ。
まだ部分的だ。
でも、今までの外とは違う。
何もない白い世界ではなくなった。
ノアが新しいログを表示した。
[LOW GRID STABILITY]
――――――――――
低出力グリッド:成立
安定時間:二六分
基部管理端末:稼働中
外部監視:ガタ継続
追加取得:可能
注意:長時間稼働は非推奨
――――――――――
「二六分」
『この間に地図を保存し、次回以降の経路候補を確定できます』
「追加取得は」
『外縁観測系に一時アクセスできます』
「外縁観測……」
レンの手が止まった。
前に見た言葉。
MIO。
接続ではない。
通信でもない。
ただの観測語。
今は追いすぎるな、と自分で分かっていた。けれど、低出力グリッドが成立した今、見えるかもしれない。
レンは画面を見たまま言った。
「ノア、外縁観測系。触れる範囲だけ」
『アクセスします。接続は試行しません』
「分かってる」
『確認です。見るだけです』
「見るだけだ」
制御台の青い線が、一瞬だけ細くなった。
壁の端末にノイズが走る。
外縁アンテナ三系統の光が、わずかに揺れる。
腕端末に、短いログが浮かんだ。
[OUTER OBSERVATION TRACE]
――――――――――
観測語:MIO
状態:一瞬安定
接続:未成立
必要:広域中継補助
――――――――――
文字はすぐに乱れた。
だが、今度は前よりはっきり見えた。
MIO。
一瞬だけ、ノイズの少ない形でそこにあった。
レンは息を止めていた。
ノアが静かに言う。
『接続は成立していません』
「分かってる」
『ただし、観測語の安定時間は前回より伸びています』
「どれくらい」
『〇・八秒』
「短いな」
『長くなっています』
「そうだな」
レンは画面から目を離した。
押さない。
今は押さない。
必要なのは、広域中継補助。北東中継塔か、別の施設か。少なくとも、やることは見えた。
止まってはいない。
むしろ、進む理由が増えた。
ガタの声が入る。
『外、青いの減りました』
『観測系アクセス終了。低出力グリッドへ戻します』
「保存」
『保存しました』
レンは深く息を吐いた。
疲れが一気に来る。
でも、悪くない疲れだった。
通信塔はまだ完全には戻っていない。
灰色の庭も、中を見せていない。
中継塔も、管制施設も、地下ケーブルも、まだ行っていない。
だが、地図には線がある。
線の先に名前がある。
名前の先に、次の作業がある。
レンは制御台の端に手を置いた。
「ノア、候補リストを全部保存」
『保存します。優先順位はどうしますか』
「今は全部」
『了解しました』
『全部、嫌ですが、保存は良いです』
「ガタも保存に賛成か」
『保存だけなら』
レンは少しだけ笑った。
壁の端末には、通信塔を中心にした低出力マップが残っている。
青い線が三本。
その先に、まだ見ぬ施設の輪郭。
塔は、ようやく周りを照らし始めた。