作品タイトル不明
第48話 灰色の庭は、施設名だった
壁の端末に浮かんだ細い青い線は、通信塔の外周へ向かって伸びていた。
基部管理室の中は、さっきより少しだけ明るい。端末が一つ点いた分、部屋の輪郭が見える。中央制御台、壁の古い表示、床のケーブル溝。どれも壊れかけているが、完全には死んでいない。
レンは制御台の前に膝をついたまま、腕端末の地図を見た。
北東中継塔候補。
南側旧管制施設候補。
西部地下ケーブル幹線。
そして、未確認死角。
灰色の庭。
「庭、か」
口に出しても、しっくりこなかった。
ここは通信塔だ。外は白い粉塵に削られた塔基部。内側は暗い管理室。地図に並ぶ名前は、中継塔、管制施設、ケーブル幹線。どれも設備の名前として分かる。
その中で、庭だけが異物だった。
『旧登録名の一部です。現在の機能名とは限りません』
「つまり、庭じゃないかもしれない」
『はい』
「でも、名前として残ってる」
『はい』
『庭、嫌です』
階段の上から、ガタの声が入った。
「お前、まだそこに引っかかってるのか」
『庭は外です』
「だいたい外だな」
『外、嫌です』
「結論が同じだ」
ノアが表示を重ねる。
[BLIND ZONE REGISTRY]
――――――――――
未確認死角:灰色の庭
通常スキャン:遮蔽
分類:破損
入口推定:不可
関連語:環境/固定/試験
必要:外縁アンテナ追加起動
――――――――――
「関連語、増えたな」
『基部管理端末の追加読取で断片を拾いました。環境、固定、試験。順序と正確性は不明です』
「環境固定試験?」
『その可能性があります』
「何を固定する」
『不明です』
「粉塵か」
『周辺状況から推定すれば、粉塵、地表、外部環境、いずれかの可能性があります』
「外部生体試験場、みたいなやつは?」
『否定できません』
「嫌な否定のしなさだな」
『情報不足です』
レンは地図を拡大した。
灰色の庭は、通信塔の西北西にある。距離は近い。だが、地図上では輪郭が抜けている。周囲の施設線がそこだけ避けるように曲がっていた。
空白。
ただ見えないのではなく、見ないようにされている。
レンは制御台の側面に残った古いラベルを指で拭った。文字はかすれている。読めない。指先に黒い粉がつく。
「昔から隠してあったなら、重要施設か、危険施設か」
『どちらもあり得ます』
「両方もあるな」
『はい』
『両方、嫌です』
「聞こえてる範囲が妙にいいな」
『嫌な単語は拾えます』
レンは工具を持ち直した。
「外縁アンテナを追加で起こす。灰色の庭の入口推定まで行く」
『二系統目を北東側、三系統目を南側に割り当てると、中継塔候補と旧管制施設候補も同時に輪郭検出できます』
「灰色の庭は?」
『二系統では外縁反応まで。入口推定には三系統目の反射が必要です』
「じゃあ三つ」
『現状の電力では、三系統同時起動は不安定です』
「順番にやれば?」
『可能です。基部管理端末から配電順を制御します』
「よし。止める話じゃないな」
『進めるための順番です』
レンは少し笑った。
その言い方が、今はありがたかった。
制御台の右側に、外縁アンテナ系の古い手動スイッチがある。表示は死んでいるが、物理レバーは残っていた。三本。全部、半分ほど下がった位置で固まっている。
ノアが腕端末に対応図を出す。
[OUTER ANTENNA MANUAL BUS]
――――――――――
一系統:北西側/稼働中
二系統:北東側/停止
三系統:南側/停止
配電順:手動指定可能
注意:同時投入不可
――――――――――
「これを順番に入れる」
『はい。一系統の出力を一時的に下げ、二系統へ通電。その後、三系統へ短時間通電します』
「一系統を下げたら、今の地図は消えるか」
『消えません。精度は落ちますが、基部管理端末に一時保存されています』
「じゃあ行ける」
レンは二系統目のレバーに手をかけた。
固い。
手袋越しに、古い油が固まったような感触がある。レバーの根元に細かい錆が浮いている。こじると折れそうだった。
「ノア、根元に通電できるか」
『微弱電流で接点を温めます。三秒』
「頼む」
制御台の奥で、低い音がした。
レバーの根元がかすかに震える。
レンは力を入れず、少しだけ揺らした。右、左。上げるのではなく、固着を外す。昔、整備士に教わったやり方だった。名前は忘れた。たぶん、ちゃんとした名前があった。今はどうでもいい。
ぎ。
レバーが鳴った。
「動いた」
『そのまま上へ』
「了解」
レンはゆっくり上げた。
かち。
二系統目のレバーが、中途半端な位置で止まった。
『接点不完全です。あと四度上げてください』
「また角度か」
『はい』
「角度文化、嫌いだな」
『文化ではありません』
『角度、嫌です』
「お前は何でも嫌だな」
レンはレバーの根元を支え、もう少しだけ押し上げた。
かちん。
基部管理室の壁が、低く鳴った。
床のケーブル溝に、二本目の青い線が走る。中央制御台から壁へ。壁から上方へ。通信塔の外周へ向かう線だ。
階段の上から、ガタの声が入る。
『外、青いです』
「二系統目か」
『塔の東側が少し光りました。嫌ですが、見えます』
『二系統目、低出力起動。北東方向の反射を取得します』
壁の端末が乱れた。
腕端末の地図に、北東方向の白い欠けが少しずつ埋まっていく。
細い塔の影。
基部は半分埋もれている。上部は折れているか、画面が読めていない。だが、輪郭は出た。
[NORTHEAST RELAY TRACE]
――――――――――
中継塔候補:輪郭検出
距離:通信塔より北東
状態:上部損傷
基部反応:微弱
接続:未成立
――――――――――
「出た」
『北東中継塔候補、輪郭を取得しました』
「これ、使えそうか」
『基部反応が残っています。外縁アンテナ経由で補助中継に使える可能性があります』
「可能性、悪くない」
『はい。次の探索候補として有効です』
『北東、遠いですか』
「お前、行く前提で聞いたな」
『聞いてしまいました。不快です』
レンは二系統目のレバーを仮固定した。
接点が甘い。戻りそうだ。細い固定具を噛ませる。雑だが、効く。ガタなら嫌がるやつだ。
次は三系統目。
南側旧管制施設候補と、灰色の庭の外縁反応に必要な線。
レンは三本目のレバーを見た。
二系統目より、さらに状態が悪い。根元のカバーが歪み、レバーの先端が欠けている。触る前から嫌だった。
「三系統目、壊れてないよな」
『断線はしていません。ただし、接点抵抗が高いです』
「抵抗が高い」
『温めて、短時間だけ通します』
「焼けないか」
『焼ける前に切ります』
「それで行ける?」
『行けます。二十秒以内なら』
レンは眉を寄せた。
二十秒。
短い。だが、南側の輪郭と、灰色の庭の外縁反応を取るだけなら足りるかもしれない。
「二十秒で取れるだけ取る」
『準備します』
『二十秒、嫌です』
「お前、秒数も嫌なんだな」
『短いのも長いのも嫌です』
「標準が狭い」
ノアが表示を切り替えた。
[SHORT PULSE SCAN]
――――――――――
三系統目:南側
通電可能時間:二十秒
取得優先:旧管制施設輪郭/灰色の庭外縁反応
過熱時:即遮断
――――――――――
「優先は灰色の庭だ」
『旧管制施設の輪郭も同時取得できます』
「なら両方」
『はい。両方取ります』
レンは三系統目のレバーに手をかけた。
冷たい。
重い。
根元に通電が入る。微かな振動。金属が内側から起こされるような感触が、工具越しに伝わってくる。
『準備完了。三、二、一』
レンはレバーを押し上げた。
動かない。
「くそ」
『根元が噛んでいます。右へ一度揺らしてください』
「右」
揺らす。
ぎり、と嫌な音。
『今です』
「行け」
レンはレバーを押し込んだ。
がちん。
三系統目が入った。
瞬間、基部管理室の照明が一度落ちかけた。
仮照明だけが残る。壁の端末が黒くなり、すぐ戻る。床のケーブル溝に三本目の青い線が走った。だが、明らかに不安定だった。線が明滅し、途中で途切れかける。
『通電開始。残り二十秒』
「読め」
『南側取得開始』
腕端末の地図に、南方向の輪郭が出る。
横に長い建物。
塔ではない。低いが広い。複数の線がそこへ集まっている。管制、という名称断片に合う形だった。
[SOUTH CONTROL TRACE]
――――――――――
旧管制施設候補:輪郭検出
構造:低層大型
接続線:複数
状態:沈黙
接近経路:未確認
――――――――――
『残り十二秒』
「灰色の庭」
『外縁反応取得中』
黒い欠けに、細い輪郭が出た。
庭、という名前から想像するものとは違った。
四角くない。円形でもない。不規則な囲い。外周に細い柱のような点が並んでいる。内部はまだ黒い。だが、外縁だけが薄く浮いた。
遮蔽領域の縁。
『残り七秒』
「入口は」
『入口推定、不可。外縁反応のみ』
「外周だけでいい。形を保存」
『保存します』
制御台の奥で、焦げるような音がした。
じ、と短く。
『過熱上昇。残り三秒で遮断します』
「まだだ」
『二』
「保存」
『一』
「切れ」
ノアが遮断した。
基部管理室が一瞬、暗くなる。
それから仮照明の白だけが残った。
壁の端末は消えたまま。
制御台の青い点滅も弱くなった。
レンは三系統目のレバーから手を離し、息を吐いた。
手袋の中で指が汗ばんでいる。ヘルメットの内側に、自分の呼吸が戻ってくる。
「取れたか」
『取得しました』
「灰色の庭は」
『外縁反応のみ。内部は遮蔽継続です』
「見せろ」
腕端末にログが出る。
[BLIND ZONE OUTER TRACE]
――――――――――
未確認死角:灰色の庭
外縁反応:取得
外周構造:不規則
内部:遮蔽
入口推定:未成立
必要:外縁アンテナ三系統安定化
――――――――――
外周の線だけが地図に残っていた。
黒い穴の縁。
灰色の庭は、まだ中を見せない。
だが、そこに何かがあることは、もう分かった。
「庭って形じゃないな」
『名称と形状は一致しない場合があります』
「分類はまだ破損?」
『追加断片があります』
ノアは少し間を置いた。
『環境調整区画。外部生体試験場。粉塵固定域』
「……やっぱり庭じゃないだろ」
『旧文明側の呼称では、庭と呼ばれていた可能性があります』
「外部生体試験場って何を育ててたんだ」
『不明です』
「粉塵を固定するための何かか」
『可能性があります』
「生き物か、機械か」
『不明です』
『不明な庭、嫌です』
ガタが言った。
「同感だ」
レンは地図を見つめた。
北東中継塔は、使えるかもしれない。
南側旧管制施設は、周辺制御の鍵かもしれない。
西部地下ケーブル幹線は、拠点と施設をつなぐ道になるかもしれない。
そして、灰色の庭。
通信塔が意図的に見ないようにしていた場所。
ただの探索候補ではない。
この星の外部環境に関わる何かかもしれない。
レンは制御台にもたれかかりそうになり、すぐ体を起こした。
『右腕負荷、黄色域。体幹疲労も上昇しています』
「今それ言うな」
『今です』
「分かってる」
『ですが、作業継続可能です。次は二系統目を安定させ、三系統目の再投入準備を行えます』
「止めないんだな」
『ここで止めると、取得範囲が半端です。二系統目の安定化までは進めた方が、次の効率が上がります』
「いいね」
レンは二系統目のレバーへ戻った。
北東側の青い線はまだ残っている。弱いが、消えていない。固定具を追加し、根元の接点をもう一度軽く叩く。
かん。
小さい音。
壁の端末が少しだけ戻った。
北東中継塔の輪郭が、再表示される。
『二系統目、低出力安定。北東中継塔候補の位置精度が上がります』
「南と灰色の庭は?」
『三系統目は冷却待ちです。ただし、外縁反応は保存済みです』
「じゃあ、今日は見えた分だけで終わりじゃないな」
『はい。次は三系統安定化です。そうすれば灰色の庭の入口推定に進めます』
レンは地図を保存し直した。
[LOCAL MAP UPDATE]
――――――――――
北東中継塔候補:輪郭検出
南側旧管制施設候補:輪郭検出
西部地下ケーブル幹線:追跡候補
灰色の庭:外縁反応取得
必要作業:三系統安定化
――――――――――
階段の上から、ガタが低く鳴った。
『外、青い線が増えています』
「見えるか」
『見えます。嫌ですが、きれいです』
「珍しい評価だな」
『嫌なものでも、きれいな時があります』
「それは名言っぽいぞ」
『撤回します』
「遅い」
レンは笑った。
疲れていたが、笑えた。
地図には線が増えている。
名前も増えた。
中継塔。
旧管制施設。
地下ケーブル幹線。
灰色の庭。
世界が急に親切になったわけではない。危険が減ったわけでもない。むしろ、嫌な名前が増えた。
でも、何も分からない白い外より、ずっといい。
どこを叩けば返事があるのか、分かり始めている。
レンは制御台の青い点滅を見た。
「ノア、三系統目の冷却時間は」
『七分です』
「その間に二系統目の接点を固める」
『可能です。続けましょう』
『七分、嫌です』
「お前は外で七分耐えろ」
『外、かなり嫌です』
「終わったら戻る」
『それは良いです』
レンは工具を持ち直した。
灰色の庭は、まだ中を見せていない。
だが、通信塔はもう、その外縁を知っている。