作品タイトル不明
第46話 塔基部管理室へ入る
通信塔の根元は、夜のあいだにまた白く埋まりかけていた。
円形ハッチの輪郭は残っている。だが、薄い粉塵が縁を覆い、前に置いた仮マーカーも半分ほど沈んでいた。風は弱い。弱いのに、細かな粉だけはしつこく動いている。ライトの中で白い粒が流れ、塔の外装に当たって、しゃらしゃらと乾いた音を立てていた。
レンはハッチの前に膝をついた。
「昨日より埋まってるな」
『表層粉塵、三・二センチ増加。開放作業に大きな支障はありません』
『支障あります』
「ガタ基準だと?」
『全部、支障です』
ガタはハッチから少し離れた場所にいた。車輪保護材は昨日のまま。外装には白い粉がこびりつき、前部センサーだけが忙しく点滅している。
今日は中へ入る。
作業台で準備を増やす時間は、ほとんど取らなかった。補助電源、太いケーブル、仮照明、接点洗浄材、短い牽引用ワイヤ、酸素確認用の小型センサー。必要なものだけをガタの荷台に載せて、すぐ戻ってきた。
戻って整えるより、開いた入口を使う。
ノアはヘルメット内に作業リストを出した。
[TOWER BASE ENTRY]
――――――――――
外部ハッチ:再露出
認証パネル:低出力点灯可能
開放機構:固着
内部圧:未確認
外部監視:ガタ待機
目標:基部管理室進入
――――――――――
「進入まで行く」
『はい。この手順なら入れます。先に内部圧差、次にロック解除、最後に手動開放です』
「開けてから考える、じゃないわけだ」
『開けるために考えます』
『考えるの、嫌です』
「お前は外見てろ」
『外も嫌です』
レンはハッチの縁の粉を払った。手袋の先が白くなる。昨日出した認証パネルの保護カバーを外すと、中の表示層はまだ生きていた。弱い青。消えかけているが、完全には死んでいない。
補助電源をつなぐ。
かち、と細い音。
認証パネルの縁が青く伸び、割れた表示が浮かぶ。
[TOWER BASE ACCESS]
――――――――――
認証パネル:低出力点灯
外部ハッチ:露出
内部圧:測定待ち
ロック:一部固着
手動開放:可能
――――――――――
「内部圧、測るぞ」
『小型センサーを認証パネル左下の検査口へ接続してください』
「左下……これか」
レンは細いカバーを外した。中には針のような検査端子が三本。二本は汚れている。一本は曲がっている。いやな感じだった。
「曲がってる」
『中央端子は使わず、左右二本で測定可能です』
「精度は?」
『低下しますが、開放判断には足ります』
「いい。足りれば進める」
接点を拭く。細い布がすぐ黒くなる。曲がった端子に触れないように、左右二本だけを生かす。小型センサーを差し込むと、表示が少し乱れた。
ノアの声が一拍遅れた。
『内部圧、外部との差は小。毒性ガス反応なし。粉塵濃度、低。酸素比率、呼吸には不適ですがスーツ運用なら進入可能です』
「空気は吸えないけど、入れる」
『はい。内部環境は死んでいますが、作業空間としては使用可能です』
『死んでいる空間、嫌です』
「お前は入らない」
『聞こえるだけで嫌です』
レンは認証パネルの横にある物理ロックへ工具を差し込んだ。
ロックは重い。昨日よりも固く感じる。粉が噛んでいる。レンは力を入れかけて、止めた。前に力任せで右腕に負荷をかけすぎた。今日はまだ入口だ。ここで壊すわけにはいかない。
角度を変える。
粉を掻き出す。
工具を浅く差し直す。
ぎ。
少し鳴る。
「ノア、電気側は」
『第一ロックへ低出力を流します。手動回転と同期してください』
「合図くれ」
『三、二、一、今です』
レンは工具を回した。
ぎぎ、と金属が鳴る。
ロックが一瞬だけ戻ろうとする。レンは肩を入れて押さえた。
かちん。
第一ロックが落ちた。
「一つ」
『第二ロック、物理固着。ガタの牽引補助を推奨します』
『嫌です』
「早いな」
『聞こえました』
レンはガタの荷台から短い牽引用ワイヤを取った。ハッチ左側の開放補助リングに掛け、ガタの後部フックにつなぐ。
「短く引け。強くじゃない」
『強くも嫌です』
「短く」
『短く嫌です』
ガタの車輪が、粉塵の上でゆっくり回った。ワイヤが張る。ハッチの中で何かがきしむ。レンは同時に工具を第二ロックへ差し、ノアの合図を待つ。
『低出力を流します。二秒後に回してください』
「了解」
『一、二、今です』
レンは工具を押し込み、回した。
ガタが後退する。
ロックが鳴る。
動かない。
「もう少し」
『出力を上げます。五%』
『五%、嫌です』
「俺も嫌だが、やる」
工具の柄が手袋の中で滑る。レンは握り直した。右腕ではなく、体ごと使う。膝をハッチ脇につき、左足で踏ん張る。
ノアが短く言った。
『次で落とせます』
「言い切ったな」
『はい。いけます』
レンは息を吐いた。
工具を押し込む。
ガタのワイヤが張る。
ノアの低出力がロックへ走る。
ぎぎぎ、と嫌な音が伸びた。
レンは奥歯を噛んだ。
「落ちろ」
がちん。
第二ロックが外れた。
ワイヤが少し緩み、ガタが後ろで小さく跳ねた。
『急に軽いです。不快です』
「助かった」
『助けました。不本意です』
レンはワイヤを外さず、そのまま円形ハッチの手動開放溝に工具を入れた。
ここからが本番だった。
ハッチは回転式。中央の刻印は削れて読めない。縁は粉塵で白く、溝の奥は黒い。手動で半回転させ、沈ませてから引き上げる構造らしい。
重いに決まっている。
[MANUAL HATCH OPEN]
――――――――――
第一ロック:解除
第二ロック:解除
内部圧差:許容範囲
手動開放溝:使用可能
補助牽引:接続中
――――――――――
「ノア、回す方向」
『時計回りに二十度。そこで沈みます。その後、反時計方向へ戻すと開放補助が噛みます』
「面倒だな」
『旧式の耐圧ハッチです。雑に開けられないよう作られています』
『雑、嫌です』
「お前に言われると腹立つな」
レンは両手で工具を握った。
最初はまったく動かなかった。
粉塵の音。
塔の低い軋み。
ヘルメット内の呼吸。
全部が耳に入る。
レンは姿勢を変えた。右膝をつき、左足を前に置く。腰を落とし、体重を工具へかける。
「ガタ、張れ」
『嫌ですが、張ります』
ワイヤがもう一度張った。
ハッチが、ほんの少し鳴った。
ノアが言う。
『そのままです。あと三度』
「三度って、見えない」
『あなたの押し込み量で足ります』
「ほんとかよ」
『足ります』
レンは肩に力を入れた。
工具の柄が、手の中で軋む。
右腕接合部に黄色い警告が出る。見えている。無視はしない。けれど止めない。
体重をかける。
一気に押す。
「動けっ」
がこん。
円形ハッチが、数センチだけ沈んで回った。
塔の根元から、低い音が返った。粉塵が縁から崩れ落ちる。ガタが後ろで短く鳴いた。
『動きました。嫌です』
「今のは喜べ」
『怖い動きです』
レンは工具を反対へ戻した。
今度は重さが違う。中の機構が噛んだ。ハッチの縁から、白い粉が流れ落ちる。金属のこすれる音が長く続く。
ご、ご、ご。
最後に、空気が抜けるような音がした。
ぷしゅ、と短く。
ハッチの隙間から、冷たい空気が出た。
外の粉塵ではない。
乾いた、古い金属の空気。
レンは一瞬だけ動きを止めた。
匂いは入らないはずなのに、喉の奥が冷えた気がした。
『内部圧差、安定。粉塵流出なし。開放可能です』
「開けるぞ」
『はい。入れます』
レンはハッチを引いた。
重い。
だが、もう動く。
ガタが短く後退し、ワイヤが補助する。ハッチがゆっくり持ち上がる。円形の扉が斜めに開き、下へ続く暗い穴が現れた。
中は黒かった。
ライトを向けると、階段が見えた。金属製の狭い階段。壁は白ではなく、くすんだ灰色。粉塵は少ない。代わりに、細いケーブルが壁に沿って下へ伸びている。
塔の中だ。
レンはしばらく、そこを見ていた。
外の白い粉塵。折れた外縁アンテナ。青白い仮接続。全部の下に、まだ内部空間が残っていた。
「……開いた」
『基部管理室への階段を確認。深度、推定六メートル』
『下、嫌です』
「ここからは俺だけだ」
『外、見ています。不快ですが』
レンはガタのワイヤを外した。
「お前はここで外部監視。沈下、落下物、ラインの電圧、全部拾え」
『全部、嫌です』
「頼む」
『……監視します』
少し間があった。
その返答だけで、レンは十分だった。
ノアが仮照明の接続位置を示す。レンは階段入口の縁に小型ライトを二つ置いた。ひとつは下へ向ける。もうひとつはハッチ周りへ残す。
[ENTRY STATUS]
――――――――――
外部ハッチ:開放
階段部:確認
内部圧:安定
仮照明:設置
外部監視:ガタ継続
進入:可能
――――――――――
「ノア、通信は届くか」
『現時点では届きます。基部管理室の壁厚と残存遮蔽により、断続する可能性があります』
「切れたら?」
『階段入口の中継ライトを経由します。短時間なら会話可能です』
「短時間で済ませる」
『いいえ。必要な確認までは進めます』
「言い方が変わったな」
『進入目的を優先しています』
レンは階段へ足を入れた。
一段目。
ぎし、と鳴る。
二段目。
金属が冷えている。ブーツ越しでも、硬さが違う。外の粉に埋もれた足場ではない。古いが、まだ施設の内側だ。
背中でガタが鳴った。
『中、嫌です』
「聞こえてるぞ」
『外から言っています』
「知ってる」
階段を降りるたびに、外の音が薄くなった。
粉塵が外装に当たるしゃらしゃらした音が遠ざかる。代わりに、空洞の中で自分の足音が反響する。こつ、こつ。ライトの先で、壁のケーブルが細く光を返す。
途中で、右側の壁に古い表示板があった。
文字は削れている。
だが、一部だけ読めた。
[TOWER BASE CONTROL]
「基部制御……ここで合ってるな」
『はい。基部管理室まで残り十二段』
「数えるな」
『あなたの足取りが遅くなっています』
「緊張してんだよ」
『承知しました。十二段です』
「聞いてない」
レンは少しだけ息を吐いた。
最後の段を降りる。
そこに、管理室があった。
広くはない。円形に近い部屋。中央に低い制御台。壁に三つの端末。天井から切れた配管が垂れ、床には細いケーブル溝が放射状に走っている。
端末はほとんど死んでいた。
だが、中央の制御台だけ、底の方で青く点滅している。
遅い。
弱い。
それでも、生きている。
レンは近づいた。
足元で、床が少し鳴った。外よりも乾いた音だった。
「ノア」
『確認しています』
「これ、起こせるか」
『基部管理端末、低出力反応があります。端子状態は不明ですが、接続点は残っています』
「つまり」
『起こせます』
レンは制御台に手を置いた。
冷たい金属。
粉塵ではなく、時間そのものが積もったようなざらつき。
その下で、青い光が一度だけ強くなった。
[TOWER BASE CONTROL]
――――――――――
基部管理室:到達
中央制御台:低出力反応
外縁アンテナ系:接続断片
地下ケーブル系:未確認
管理端末:起動待ち
――――――――――
レンは、ヘルメットの中で小さく笑った。
「生きてる」
『はい。完全ではありませんが、起動可能です』
『外、嫌です』
ガタの声が、少しだけノイズ混じりに入った。
「こっちは中も嫌だ」
『なら戻りますか』
「戻らない」
レンは工具を取り出した。
ここから先は、塔の中身だ。
外から見上げていた影ではない。
この塔が何を見ていたのか、何を隠していたのか。少なくとも、その端に触れる場所まで来た。
ノアが静かに言った。
『基部管理端末の起動手順を表示します』
「出せ」
中央制御台の青い点滅が、もう一度、弱く光った。