作品タイトル不明
第45話 塔基部管理室の入口が出た
拠点へ戻ってから、レンは一時間だけ休んだ。
一時間、のはずだった。
実際には、寝床に腰を下ろし、外部スーツの上半身だけを外し、右腕の接合部を冷却し、ぬるい水を飲んだだけで終わった。眠ってはいない。目を閉じると、白い粉塵の中に立つ通信塔と、粉に埋もれた円形ハッチが浮かんだ。
塔の根元は、もう場所を隠していない。
それなら、掘るだけだ。
作業台の上には、追加工具が並んでいる。
小型掘削具、折り畳み式の仮支柱、予備バッテリ、接点洗浄材、太めのケーブル、仮照明、ガタ用の車輪保護材。どれも新品ではない。拠点内から使えそうなものを集め、直し、組み合わせたものだ。
ガタは作業台の下で沈黙していた。
「お前用の車輪保護材だぞ」
『見えます』
「嬉しくないのか」
『行き先が嫌です』
「保護材は?」
『良いです』
「じゃあ、差し引き」
『行き先が勝ちます』
ノアの表示が壁に出る。
[TOWER BASE ACCESS PREP]
――――――――――
掘削具:携行
補助電源:携行
接点洗浄材:追加
仮支柱:二本
小型作業ローバー《ガタ》:車輪保護材装着
目標:塔基部外部ハッチ開放準備
――――――――――
「開放準備、か」
『現時点での目標は、外部ハッチの完全露出と認証パネルの安定点灯です。ハッチ開放は状態確認後に判断してください』
「今日は中に入らない?」
『入れる状態を作ります。入室判断は、内部圧、構造、電源状態を確認してからです』
「止めてるわけじゃないな」
『入るための手順です』
レンはうなずいた。
そういう言い方なら、動ける。
外壁ハッチを出ると、白い粉塵は前より少し濃かった。ライトの輪郭がすぐに滲む。風が塔の方向から流れている。細かな粒が外装に当たり、しゃらしゃらと音を立てた。
ガタは車輪保護材をつけたまま、低く鳴った。
『重いです』
「守られてる感じは?」
『重いです』
「正直だな」
保守棟を経由し、外縁パネルまで向かう。道は昨日より分かっていた。嫌な場所も、沈む場所も、外装片が隠れている場所も、ガタの走行ログに残っている。
それでも、楽ではない。
塔が近づくほど、足元が悪くなる。白い粉の下に、黒い外装片が刺さっている。ガタが何度も止まり、レンも何度も足を止めた。
『右、嫌です』
「右は避ける」
『左、深いです』
「真ん中」
『真ん中、妥協です』
「妥協で行く」
通信塔の外縁パネルは、昨日のまま半開きで残っていた。
雑な仮カバーには粉が積もっている。レンはそれを払い、保守棟からの低出力ラインを再接続した。外縁モジュールは少し渋ったが、青白い光を戻した。
塔が低く鳴る。
ごく短く。
返事ではない。ただの反応だ。
『外縁アンテナ、低出力再起動。候補点一の位置情報を再同期します』
「頼む」
腕端末に、塔基部の地図が出た。
候補点一。
昨日、認証パネルの端だけを出した場所。
レンはそこへ向かった。
仮マーカーは、まだ残っていた。白い粉に半分埋もれているが、ライトを返している。ガタもすぐに止まった。
『ここ、嫌です』
「覚えてたな」
『嫌な場所は覚えます』
レンは荷台から小型掘削具を下ろした。
大きな機械ではない。片手で持てる低出力の掘削具だ。粉塵と軽い瓦礫をどかすには使えるが、厚い外装片を砕く力はない。無理をすれば壊れる。
「ノア、掘削範囲を出せ」
『表示します。円形ハッチ外縁から二十センチ外側まで。認証パネル周辺は工具を手動に切り替えてください』
「了解」
『ガタは候補点から一・八メートル後方へ。地表沈下時の牽引補助位置です』
『牽引、嫌です』
「今日はお前も仕事だ」
『知っています。不快です』
レンは掘削具を起動した。
低い振動が手に伝わる。
粉塵が削れて流れる。白い粉が細い煙のように舞い上がり、ライトの中で渦を巻く。表層は軽い。だが、その下に固まった層がある。粉と湿気と細かい金属片が混じって、硬い膜になっている。
掘削具の先端が、ぎり、と鳴った。
「硬いな」
『固着層です。出力を上げず、角度を変えてください』
「上げたら?」
『先端破損率が上がります』
『破損、嫌です』
「分かったよ」
レンは掘削具を寝かせ、固着層を薄く剥がした。急ぐと先端が弾かれる。ゆっくり当てると、膜が割れて粉が崩れる。
一周目。
ハッチの縁が広がる。
二周目。
円形の輪郭がはっきりする。
三周目。
認証パネルの周囲まで粉が落ちた。
レンは掘削具を止めた。
腕が重い。
右肩に熱が溜まっている。外部スーツの内側で汗が冷える。ヘルメットの中に、自分の呼吸だけが大きく響いた。
『右腕負荷、黄色域上限に接近』
「手動に切り替える」
『推奨します』
レンは小さな工具に持ち替えた。
認証パネルの周囲は、指先で少しずつ掘るしかない。細い溝に詰まった粉を掻き出し、固まった部分を削り、割れた外装片を外す。
かつん。
硬いものに当たった。
外装片の端だ。
レンは掴んで引いた。動かない。
「噛んでる」
『下部に引っかかりがあります。右方向へ二センチずらしてください』
「二センチな」
ずらす。
引く。
動かない。
もう一度、角度を変える。
がり、と嫌な音がして、外装片が抜けた。
その下から、認証パネル全体が出た。
四角い黒い板。角は欠けている。表面は傷だらけ。中央の表示層は死んでいるように見える。だが、端には細い接続口が残っていた。
レンは息を整えた。
「出た」
『認証パネル露出。接点洗浄を推奨します』
『出たのは良いです』
「お、前向き」
『開くとは言っていません』
「やっぱりな」
接点洗浄材を使う。
今度は十分にある。保守棟の時より、少し気持ちが楽だった。細い布で接点を拭き、汚れを剥がし、予備ケーブルを噛ませる。
レンは補助電源をつないだ。
「ノア、低出力で」
『実施します。過負荷時は即時遮断』
小さなクリック音。
認証パネルの端が、青く光った。
昨日より長い。
消えない。
パネル中央に、ひび割れた表示が浮かぶ。
[TOWER BASE ACCESS]
――――――――――
外部ハッチ:露出率六二%
認証パネル:低出力点灯
内部応答:微弱
開放機構:固着
次作業:ハッチ全周露出/ロック状態確認
――――――――――
「六二%か」
『残りの粉塵と瓦礫を除去すれば、開放機構へアクセスできます』
「今日、そこまでやる」
『可能です。ただし、右腕負荷と帰還余裕を監視します』
「頼む」
『はい。この手順なら進めます』
レンは掘削具をもう一度持った。
今度はハッチの外周だ。円形ハッチの縁に沿って、白い粉を落としていく。途中で何度か外装片に当たる。大きいものは動かさない。小さいものだけ外す。
ガタが後ろで細かく警告を出す。
『左、沈みます』
「左は避ける」
『足元、振動しました』
「掘ってるからな」
『違います。下です』
「ノア」
『地表沈下、軽微。レン、半歩後退してください』
「了解」
レンは半歩下がった。
直後、さっきまで膝を置いていた場所が、少しだけ沈んだ。
白い粉がずる、と流れる。
レンの背中が冷えた。
「……助かった」
『下、嫌です』
「本当に嫌だな、ここ」
『かなり』
仮支柱を一本立てる。
粉塵の下の硬い層へ支柱の足を噛ませ、ハッチ側の沈みを抑える。完全ではない。だが、作業中に崩れるよりいい。
レンは再開した。
掘る。
粉を払う。
瓦礫をどける。
ハッチの縁が少しずつ丸く出てくる。
最後に、ハッチ上部にかぶさっていた薄い外装板が残った。大きい。重い。手では無理だ。
レンはガタを見た。
「補助フック」
『嫌です』
「頼む」
『今日は多いです』
「終わったら車輪保護材を外して掃除してやる」
『少し良いです』
ガタが前へ出る。
レンは外装板にフックをかけた。ガタがゆっくり後退する。車輪が粉を噛み、低く鳴る。
外装板は動かない。
『重いです』
「もう少し」
『嫌です』
「もう少し」
ぎ。
外装板が鳴った。
ぎぎ。
白い粉が割れて、板の端が浮く。
「そのまま」
ガタがさらに後退する。
がこん。
外装板が外れた。
粉塵が一気に崩れ、円形ハッチの上から流れ落ちる。レンは腕で顔の前をかばった。ヘルメットに白い粒が当たり、しゃらしゃらと音を立てる。
粉が落ち着いたあと、ハッチが見えた。
大きな円形の金属扉。
中央に古い管理刻印。
右側に認証パネル。
左側に物理ロック。
下部に、手動開放用らしい丸い溝。
完全ではない。傷だらけで、周囲はまだ粉に埋まっている。
それでも、入口だった。
レンはしばらく何も言わなかった。
ノアも黙っていた。
先に声を出したのは、ガタだった。
『入口です』
「……だな」
『嫌ですが、入口です』
「そこは認めるんだな」
『認めます』
レンはハッチに手を置いた。
冷たい。
厚い。
塔の外側とは違う重さがあった。ここから先は、塔の中だ。外縁ではない。粉塵に削られた外装でもない。管理室。たぶん、通信塔の本当の状態を読む場所。
腕端末にログが出る。
[TOWER BASE ACCESS]
――――――――――
通信塔外縁:低出力稼働
基部管理室:位置特定
外部ハッチ:露出
認証パネル:低出力点灯
開放機構:固着
次作業:基部ハッチ開放
――――――――――
「開放機構は固着」
『はい。現装備で強制開放は可能ですが、内部圧と構造状態が不明です。次回、圧確認とロック解除を順に行うことを推奨します』
「今日はここまでか」
『ここまでで、十分に前進しています』
「気を使った?」
『事実です』
レンは短く息を吐いた。
体が重い。右腕も限界に近い。水も減っている。ガタの車輪には粉が詰まり、保守棟ラインの電圧も落ち始めている。
でも、入口は出た。
それだけで、今日の作業は勝ちだった。
「ノア、位置と状態を保存。次回作業リストを出しておいてくれ」
『保存しました。必要物資を整理します』
「ガタ、ここも記録」
『嫌な入口として記録しました』
「入口が増えたな」
『嫌な場所も増えました』
レンは仮マーカーをハッチ横に置いた。さらに、認証パネルに簡易保護カバーをかける。粉塵を完全には防げないが、次回来た時にまた最初から掘り直すよりはましだ。
作業を終え、レンは立ち上がった。
膝が少し遅れた。
ハッチの上に白い粉がまた薄く積もり始めている。だが、円形の輪郭はもう隠れない。そこに入口があると分かる。
通信塔を見上げる。
外縁アンテナの光は、さらに弱くなっていた。保守棟からの仮接続が限界に近い。粉塵の中で、青白い線がかすかに揺れている。
『レン。帰還を推奨します』
「帰る」
『ガタの車輪洗浄も必要です』
『重要です』
「分かってる。約束したからな」
ガタが少しだけ満足そうに鳴った。たぶん、満足ではなく、車輪に粉が詰まっている音だった。
レンはハッチから手を離した。
塔の中には、まだ入っていない。
でも、入口は出した。
遠くへ届かせるには、まず足元を掘るしかない。
『掘削、嫌です』
「俺もだよ」
レンは粉塵まみれのハッチをもう一度見た。
塔は、まだ外側しか見せていない。