作品タイトル不明
第43話 通信塔は、まだ倒れていなかった
保守棟から通信塔へ向かう線は、腕端末の上で細く光っていた。
仮接続。低出力。維持時間三十六分。端子温度で短縮。
どの表示も頼りない。それでも、線は線だった。白い粉塵の中で、レンが進む方向を示している。
レンは保守棟の側面から離れた。ガタが後ろで低く鳴る。
『外縁、嫌です』
「まだ外縁じゃない」
『外縁へ向かっています』
「先読みで嫌がるな」
『現場予測です』
ノアが端末に経路を重ねる。
[TOWER OUTER APPROACH]
――――――――――
保守棟補助電源:低出力維持
塔外縁ライン:仮接続
推奨経路:北西側外縁パネル
到達予測:九分
注意:塔下傾斜/外装片/粉塵堆積
――――――――――
「九分」
『現在速度を維持した場合です』
「ガタの苦情込みか」
『はい』
『苦情ではありません』
「はいはい」
レンは粉塵の中へ足を出した。
保守棟を越えると、拠点の外壁は見えなくなった。背後の安全な場所が白く隠れる。代わりに、前方の通信塔が少しずつ大きくなる。
近づくほど、塔は細く見えなかった。
遠くでは一本の影だったものが、いくつもの支柱と外装リングでできていると分かってくる。基部は太く、上へ行くほど細い。途中の外装は裂け、白い粉塵が溜まっている。折れたアンテナが斜めに突き出し、風が当たるたびに、かすかに震えていた。
倒れてはいない。
それが、最初の報酬だった。
レンは一度だけ足を止めた。
「……でかいな」
『通信塔候補の推定高さ、百二十メートル以上。上部視界不良により正確な測定は不能です』
『高いです。嫌です』
「お前は上らない」
『落下物が嫌です』
その言葉の直後、塔の外装から小さな破片が落ちた。
かん、と遠くで金属音。
レンは反射で肩をすくめた。
「……言うなよ、そういうの」
『警告です』
『ガタの警告は有効でした』
「分かってる」
レンは塔下へまっすぐ入らず、北西側へ回り込む。ノアが示した外縁パネルは、塔の根元から少し離れた外周部にあるらしい。塔下の真下は粉塵が深く、外装片が積もっている。ガタが何度も止まり、嫌がった。
『右、嫌です』
「右は瓦礫だ」
『左、斜めです』
「左は斜面」
『前、白いです』
「全部白い」
『全方向、嫌です』
「まとめるな」
それでも、ガタの警告は正確だった。
右に寄ると、粉塵の下に外装片がある。左へ行くと、地面がわずかに塔の方へ落ちている。真ん中の細い帯だけが、かろうじてローバーと人間が進める幅だった。
ノアが淡々と言う。
『ガタの走行ログから、足場の安定域を更新します。現在の経路を維持してください』
「ガタ、役に立ってるぞ」
『不本意です』
「今日そればっかだな」
『状況が不本意です』
塔が近づく。
金属の匂いがした気がした。もちろん、外部スーツ越しに匂いが入るわけではない。それでも、焦げた外装、冷えた支柱、粉塵で削られた金属を見ていると、喉の奥にざらついた感覚が生まれる。
塔の基部には、古い文字列が残っていた。
ほとんど削れて読めない。だが、一部だけ腕端末が拾う。
[COMMUNICATION TOWER OUTER RING]
――――――――――
塔構造:自立維持
外縁アンテナ:損傷多数
基部管理室:埋没
外縁パネル:開放可能
低出力起動:可能
――――――――――
「自立維持」
『はい。損傷は大きいですが、塔は立っています』
「基部管理室は埋没か」
『現時点では外縁パネルからの接触を推奨します。外縁アンテナを低出力起動できれば、基部側の位置推定精度が上がります』
「順番は、外から起こして中を探す」
『その手順なら進めます』
レンは塔の外周部へ回った。
北西側外縁パネルは、粉塵と外装片に半分埋まっていた。四角いハッチ。周囲に細いアンテナ基部がいくつも並んでいる。ほとんどは折れているが、二本だけ根元が残っていた。
ガタが止まる。
『近いです』
「何が」
『塔が』
「見れば分かる」
『傾き、嫌です』
「塔が倒れそうってことか?」
『不明です。ですが、嫌です』
ノアがすぐに重ねる。
『塔全体の即時倒壊兆候はありません。ただし、外装片の落下と基部周辺の沈下リスクがあります。塔下へ入らず、外縁パネル前で作業してください』
「了解」
レンはガタを少し下がらせた。
「お前はそこ」
『遠くがいいです』
「そこ」
『不満です』
レンは外縁パネルの前に膝をついた。
白い粉が厚く積もっている。手で払うと、下から黒い金属面が出た。表面は傷だらけで、ところどころ焼けている。ハッチの縁は歪んでいたが、完全には潰れていない。
取っ手の横に、小さな物理ロックが二つ。
片方は見える。もう片方は粉塵の下だ。
「ノア、電源は」
『外縁パネル側に残留電圧なし。保守棟からの仮接続を使い、ロック解除前に端子状態を確認してください』
「また端子か」
『はい』
『端子、嫌です』
「お前は見てないだろ」
『聞くだけで嫌です』
レンは粉塵を掻き出し、小さな端子カバーを見つけた。開けると、中は白く固まっていた。保守棟よりひどい。乾いた粉が接点の隙間に入り、石のように固まっている。
「これは面倒だな」
『洗浄キット残量が少ないため、全端子洗浄は非推奨です。外縁アンテナ起動に必要な最低限の接点のみ処理してください』
「必要な場所、出せるか」
『出します』
端末に小さな図が出る。
レンはその通りに接点を三つだけ掃除した。布はもう汚れている。揮発剤も少ない。接点磨きの先端も削れてきた。
ざり。
ざり、ざり。
細かい感触が手袋越しに響く。
右腕の接合部がじわじわ重い。保守棟での作業が残っている。レンは肩を軽く回した。
『右腕負荷、黄色域』
「まだ動く」
『動く範囲で進めてください』
「止めないんだな」
『止める段階ではありません。作業時間を短くしてください』
「了解」
最後の接点を磨き、予備ケーブルを差す。
保守棟から引いた低出力ラインを接続する。
外縁パネルの端で、小さな表示が一瞬だけ点いた。
青白い。
すぐ消えかける。
「ノア」
『低出力供給を安定化します。三秒ください』
「三秒」
レンは息を止める。
一秒。
二秒。
三秒。
外縁パネルのロックが、内部で小さく鳴った。
かちん。
「開いたか」
『第一ロック解除。第二ロックは物理固着です』
「半分か」
『半分進みました』
レンは思わず短く笑った。
「そういう言い方、増えたな」
『前進を表現しています』
「悪くない」
レンは物理ロックへ工具を差し込んだ。
今度は力任せにしない。粉を掻き出し、角度を変え、ロックの奥へ細い工具を入れる。右腕ではなく左手を使う。時間はかかるが、壊すよりいい。
がり。
ぎ。
かつん。
ロックが落ちた。
レンは両手でハッチを引いた。
重い。
外装が歪んでいる。粉が噛んでいる。ハッチは数センチだけ開いて、止まった。
「ガタ」
『嫌です』
「まだ頼んでない」
『牽引ですか』
「荷台の補助フック」
『嫌です』
「頼む」
ガタは少し間を置いて、前へ出た。
『短時間です』
「分かってる」
レンは補助フックをハッチの縁にかけた。ガタが低速で後退する。車輪が粉を噛む。ハッチが、ぎぎ、と嫌な音を立てて開いていく。
十センチ。
二十センチ。
そこで、がこん、と引っかかった。
『限界です』
「十分」
レンは隙間に工具を入れ、ハッチを横へずらした。
内部が見えた。
黒い空洞ではなかった。奥に、細いアンテナ制御モジュールが並んでいる。いくつかは焼け、いくつかは外れていた。それでも、中央の一本だけ、青白い待機表示を出している。
生きている。
「一本残ってる」
『外縁アンテナ制御モジュール、生存個体を確認。低出力起動可能です』
『生存個体』
「言い方」
『旧分類を使用しました』
「まあ、今はいい」
レンは慎重にケーブルをつなぎ替えた。保守棟からの低出力を、中央モジュールへ通す。電圧は低い。過負荷をかければ終わる。
「低出力でいく」
『はい。外縁アンテナ全体ではなく、北西側外周の一部のみ起動します』
「十分だ」
『十分ではありませんが、次へ進めます』
「そこは気を使わないんだな」
『正確性を優先しました』
レンは起動を押した。
塔の中で、何かが鳴った。
ごく低い、長い音。
眠っていた金属が、ゆっくり息を吸うような音だった。
外縁パネルの奥で青白い光が走る。一本。二本。途中で消える。別の線が点く。切れているところは暗いまま。それでも、塔の外周に沿って細い光が回った。
レンは顔を上げた。
塔の根元から、上へ。
粉塵の中に、青白い線が一瞬だけ伸びる。折れたアンテナの根元が光り、外周リングの一部が薄く浮かび上がる。
通信塔は、まだ死んでいなかった。
[OUTER RING LOW POWER START]
――――――――――
外縁パネル:開放
北西側制御モジュール:起動
外縁アンテナ:一部低出力
塔基部応答:再検出
内部管理系:応答なし
基部管理室:位置推定可能
――――――――――
「基部管理室、読めるか」
『推定を開始します。外縁アンテナ反応を使い、塔基部の空洞構造を走査します』
「やれ」
塔がまた低く鳴った。
足元から振動が来る。
レンは反射で手を地面についた。粉が舞う。ガタがすぐ後ろで鳴いた。
『振動、嫌です』
「俺もだ」
『塔下、かなり嫌です』
『塔全体の振動は許容範囲内です。ですが、基部周辺の沈下を検出しました。現在位置から一・五メートル後退してください』
「先に言え」
『今言いました』
レンはケーブルを引っかけないように後退した。ガタも下がる。
足元の粉塵が少し沈む。塔基部から、かすかに空洞音が返ってきた。
腕端末の地図に、点が出る。
塔の真下ではない。少し横。北側にずれた地下。
『基部管理室候補を検出しました』
「場所は」
『塔中心から北北西へ二十六メートル。地表面から推定二・四メートル下。外部ハッチ反応あり』
「真下じゃないのか」
『保守用の側方アクセスと推定されます。外縁から回り込めば到達可能です』
「つまり、中へ入る入口がある」
『はい。ただし埋没しています』
レンは息を吐いた。
外縁パネル。
アンテナ。
基部管理室。
遠くの塔が、ただの影ではなくなっていく。触れる場所があり、起こせる場所があり、中へ入る入口がある。
ガタが横で言った。
『埋没、嫌です』
「まだ掘ってない」
『掘削、嫌です』
「次の文句まで早いな」
『予測です』
「当たるんだろうな」
ノアが地図を更新する。
[TOWER BASE ACCESS ESTIMATE]
――――――――――
基部管理室:位置推定
外部ハッチ:埋没反応
推奨経路:北北西外周
必要作業:粉塵除去/瓦礫撤去
注意:地表沈下/外装片落下
――――――――――
「今日、ハッチまで行けるか」
『保守棟ラインの維持時間は残り十九分。ハッチ位置の確認までは可能です。開放作業は次段階を推奨します』
「位置だけでも取る」
『はい。このまま進めます』
レンは外縁パネルを仮固定した。完全に閉じると再開放に時間がかかる。開けっぱなしだと粉塵が入る。中間で固定する。雑だが、今はそれしかない。
ケーブルを外す前に、もう一度だけ塔を見上げた。
青白い光は弱い。
だが、塔の外周に残っている。粉塵の中で、細い線が消えずにいる。
レンはその光を見て、短く言った。
「まだ使える」
『はい。限定的ですが、通信塔外縁は稼働しています』
『限定的、嫌です』
「でも動いた」
『動いたのは認めます』
ガタの認め方はかなり渋かった。
レンは工具を腰へ戻し、北北西の外周へ体を向けた。
粉塵の向こうに、次の地点が表示される。
塔は、まだ倒れていなかった。
そして、まだ外側しか見せていない。