作品タイトル不明
CROSSOVER 4-Prelude / MIO
## 白い塔の向こうに、古い屋根が見えた
通信塔へ向かう前の確認は、出発前夜に終わるはずだった。右腕シール、粉塵フィルタ、帰還ビーコン、ガタの右前輪、保守棟までの経路。全部、最低限は揃っている。完璧ではない。だが、行ける形にはなっていた。
レンは整備室の床に座り、通信塔候補の点滅を見ていた。端末の灰色地図には、拠点、外壁ハッチ、保守棟、通信塔候補が細い線でつながっている。画面の向こうにあるのは、まだ見ていない白い粉塵の先だ。
『前方、嫌です』
作業台の下で、ガタが小さく鳴った。
「まだ出てない」
『出る前から嫌です』
「便利だな、その嫌がり」
『便利ではありません。不快です』
ノアの表示が横に出る。
[PRE-EVA ENVIRONMENT]
――――――――――
粉塵濃度:低下傾向
風速:許容範囲
通信塔候補:微弱反応継続
保守棟経由:到達可能
推奨出発時間:次周期
――――――――――
「次周期なら行けるか」
「はい。気象条件は許容範囲です。通信塔外縁への接近は可能です」
「止めないんだな」
「止める理由はありません。危険要素はありますが、対策済みです」
『前方、嫌です』
「ガタは止めてるぞ」
「ガタは路面負荷と粉塵変動を嫌がっています。保守棟経由なら許容範囲です」
『許容、嫌です』
「お前の嫌さ、基準厳しいな」
レンは端末の地図を拡大した。通信塔候補の点が、淡く明滅する。前に二秒だけ返ってきた信号。それからも、完全には消えていない。読めないほど弱いが、そこに何かがある。
何かが返した。
その事実だけで、通信塔はただの目的地ではなくなっていた。
「ノア、この信号、こっちの試験信号に反応してるんだよな」
「可能性が高いです。ただし信号形式は不明です」
「通信塔の自動応答?」
「候補の一つです」
「ほかは?」
「外部ノイズ、反射、旧ネットワークの残留応答、または別系統からの干渉」
「最後のやつ、濁したな」
「情報不足です」
レンは画面を見た。通信塔候補の点滅が、ほんの少しだけ乱れる。
ぴ。
短い音。
ガタが先に反応した。
『前方、かなり嫌です』
「またか」
「通信塔候補方向から、追加反応を検出」
「信号?」
「信号に近いですが、通常の応答波形ではありません。画像データの断片を含みます」
「画像?」
レンは体を起こした。
端末の画面が一瞬暗くなる。灰色の地図が消え、代わりにノイズの走る黒い画面が出た。白い線が横へ流れ、すぐ崩れる。古い動画ファイルの破損画面みたいだった。
[VISUAL FRAGMENT]
――――――――――
入力元:通信塔候補方向
形式:不明
画像復元:低
継続時間:不安定
音声:なし
――――――――――
「通信塔が、画像を返した?」
「断定できません。通信塔を経由した視覚断片の可能性があります」
「視覚断片って、どこの」
「不明です」
画面がちらついた。
最初に見えたのは、白ではなかった。緑。レンは一瞬、理解できなかった。こちらの外は白い粉塵と灰色の金属ばかりだ。だが画面の中には、葉のようなものが映っていた。木々の隙間。湿った石。苔。細い道。暗い緑の奥に、古い屋根の端がある。
祠、という言葉はレンの中にすぐ出てこなかった。
小さな屋根。木に囲まれた古い建物。石灯籠らしきものが、ぽうっと淡く光っている。
「……なんだ、これ」
画面が乱れる。
緑の中に、人影が見えた。
はっきりしない。顔は潰れている。色もずれている。だが、手に何か薄い板のようなものを持っている。透明な板を、前へかざすようにしている。
その立ち方で、レンの呼吸が止まった。
作業を始める前、少しだけ肩に力が入る。見たいものへ近づくのに、無理やり一歩分だけ自分を止める。昔、ミオがよくやっていた。
見覚えがある。
「ミオ……?」
声は、思ったより小さかった。
ノアはすぐには返さなかった。ガタも黙った。
画面の中の人影が、こちらを見た気がした。見た、というより、何かに気づいて顔を上げたように見えた。ノイズで輪郭が崩れる。葉の影。白い小さな獣のような影。石灯籠。古い屋根。
映像が切れた。
端末は灰色の地図に戻った。通信塔候補の点が、また淡く点滅している。整備室の送風音だけが残った。
[VISUAL FRAGMENT RESULT]
――――――――――
視覚断片:取得
音声:なし
位置情報:不明
相互接続:未成立
識別語候補:MIO
――――――――――
レンはしばらく画面を見ていた。ミオだった。確証はない。顔も見えていない。声も聞こえない。場所も分からない。あれが本当に今の映像なのか、記憶なのか、どこかの残骸なのかも分からない。
でも、レンの中ではもう決まっていた。
あれはミオだ。
「ノア」
「はい」
「今の、保存できたか」
「断片保存しました。画質は低く、再解析には限界があります」
「いい。消すな」
「保存優先度を上げます」
『前方、嫌です』
ガタが、遅れて言った。
レンは作業台の下を見た。
「まだ嫌か」
『かなり嫌です。でも、行く理由が増えました』
「お前、そういう言い方もできるのか」
『不本意です』
レンは笑えなかった。
胸の奥が、変に重い。期待とは少し違う。焦りとも違う。ミオがそこにいる。どこかで、何かへ向かっている。自分と同じように、訳の分からない場所で、何かを直して、何かに近づいている。
手を伸ばせば届くように見えた。
でも届かなかった。
通信塔の点滅が、また一度だけ強くなる。
「ノア、通信塔へ行けば、今の続きが取れるか」
「可能性はあります。通信塔外縁の応答を確認すれば、視覚断片の経路を特定できるかもしれません」
「行く理由が増えたな」
「はい」
『前方、嫌です』
「分かってる」
『でも、行きます』
「俺の台詞を取るな」
レンは立ち上がった。右腕の接合部が、静かに動く。気密表示は安定している。ビーコンは充電中。フィルタは固定済み。ガタは嫌がっている。ノアは手順を出している。
次に進める。
いや、進むしかない。
レンは端末に残った粗い画像をもう一度開いた。緑の中の古い屋根。薄い板を持つ人影。白い獣のようなノイズ。石灯籠の光。
画面の端に、ノアが小さく注記を出す。
[CROSSOVER 4-Prelude / MIO]
――――――――――
相互視覚断片:片側取得
音声接続:未成立
権限接続:未成立
次条件:通信塔外縁応答確認
――――――――――
レンはその表示を見て、短く息を吐いた。
「見えただけでも、十分だ」
そう言ったあと、すぐに首を振る。
「いや、十分じゃないな。全然足りない」
ガタが低く鳴った。
『欲張りです』
「そうだよ」
レンは通信塔候補の点滅を見た。白い粉塵の向こうにある塔。その先に、今の緑の断片があるかもしれない。
外はまだ遠い。
でも、もうただの外ではなかった。