作品タイトル不明
第40話 通信塔へ行く準備ができた
通信塔へ行く、と決めてから、レンはまず作業台の上を空けた。きれいにはならない。保守棟から持ち帰った固定具、予備シール、粉塵フィルタ、短時間予備にしかならないフィルタ、切れかけたケーブル、古い端子、拠点内から外した小型バッテリー。どれも使えるかもしれないし、どれも邪魔でもあった。
作業台の下では、ガタが低く唸っていた。右前輪を少し浮かせたまま、車体を斜めにしている。整備後の待機姿勢らしいが、レンにはただ不満そうに見えた。
『右前輪、まだ納得していません』
「納得ってなんだよ」
『前回走行、雑』
「それはもう聞いた」
『何度でも言えます』
「言わなくていい」
ノアが淡々と割り込む。
『ガタの右前輪負荷は許容範囲内です。ただし通信塔方面の地形では再負荷が予想されます。保守棟まで同行させれば、路面警告と帰還補助に使えます』
「使えます、か」
『はい。通信塔探索の成功率が上がります』
『嫌ですが、使えます』
「お前もそこは認めるんだな」
『嫌ですが』
レンは地図を拡大した。拠点。外壁ハッチ。保守棟。そこから通信塔候補へ伸びる細い線。途中で何度か途切れている。地図上の線は簡単そうに見えるが、実際は白い粉塵と割れた舗装と埋もれた誘導ラインだ。通信塔候補の記号が、画面の端で弱く点滅している。
[NEXT EVA PLAN]
――――――――――
目的地:通信塔外縁
経路:外壁ハッチ→保守棟→通信塔候補
推定歩行距離:四百三十メートル
活動推奨時間:二十二分
必要装備:帰還ビーコン/予備フィルタ/補助バッテリー
補助車両:ガタ同行可能
成功時効果:外部認識範囲拡大
――――――――――
「成功時効果、外部認識範囲拡大」
『はい。通信塔外縁の応答を確認できれば、私の周辺施設認識は現在より広がります。MIO再接続条件の評価にも必要な情報が増えます』
「ノア、お前も行きたいんだな」
『行きたい、という表現は適切ではありません。ただし、通信塔確認は優先度が高い作業です』
「言い換えただけじゃないか」
『はい』
レンは少し笑った。止められると思っていた。だが、ノアは止めなかった。行くために必要なものを並べている。危険を消すのではなく、持っていける大きさに切っている。それは、少し助かった。
「ガタ、通信塔まで行けるか」
『嫌です』
「即答か」
『保守棟までなら、少し嫌です』
「少し嫌なら行けるんだな」
『行けるとは言っていません』
「でも行くんだろ」
『嫌ですが、行けます』
ノアが表示を切り替えた。
『ガタは保守棟入口まで同行。帰還ビーコンを設置後、待機。通信塔外縁へはレン単独で接近。これならガタの車輪負荷とレンの帰還リスクを両方下げられます』
「いいじゃん」
『待機も嫌です』
「できるか?」
『できます。嫌です』
「決まりだな」
レンは小型バッテリーを手に取った。拠点内の予備として残っていたものだ。容量は多くないが、帰還ビーコンに使うなら足りる。問題は、筐体がない。むき出しで外へ持っていけば、粉塵で一発だ。
「ビーコンの外装、どうする」
『保守棟回収品の破損ケースを流用可能です。割れはありますが、密閉補修すれば低出力ビーコンの保護ケースとして使えます』
「また応急か」
『今回は応急で足ります。保守棟入口までの帰還支援が目的です』
「足りるならいい」
レンは破損ケースを引き寄せた。角が割れている。蓋のロックも一つ死んでいる。だが、内部にバッテリーと発信ユニットを収めるだけなら使えそうだった。ケースの内側を拭く。白い粉が取れる。古い樹脂のにおいが少しする。
作業台の下から、ガタの細いアームが伸びた。短時間予備フィルタを、こつ、とレンの足元へ押し出す。
「それは予備にするか迷ってるやつ」
『持っていくべきです』
「お前、フィルタの状態分かるのか」
『粉塵、嫌です』
「理由が雑」
『ガタの外部粉塵センサーは車両走行用ですが、粉塵濃度変化の検知には使えます。短時間予備フィルタ携行は妥当です』
「お前ら、そういう時だけ意見が合うな」
レンは短時間予備フィルタを腰のケースに入れた。ガタが小さく鳴る。
『少しだけ、マシです』
「褒めてる?」
『不満が減りました』
「ややこしい」
レンはバッテリーを破損ケースに入れ、発信ユニットを固定具で押さえた。ケーブルを短く切り、端子をつなぐ。最後に割れた角を補修テープでふさぐ。見た目はひどい。
「ノア、これ、ビーコンに見えるか」
『外見評価は不要です。機能試験を行います』
「ガタ、どう見える」
『雑です』
「聞く相手を間違えた」
スイッチを入れる。ビーコンは何も光らなかった。
「……動いてる?」
『信号確認中』
一秒。二秒。端末に、小さな点が出た。
[RETURN BEACON TEST]
――――――――――
信号:受信
出力:低
推定稼働時間:三時間十一分
耐粉塵:応急
帰還支援:有効
ガタ連携:可能
――――――――――
「動いた」
『はい。保守棟入口へ設置すれば、帰還誘導精度が上がります』
「ガタ、お前ビーコン番できるか」
『待つのは嫌です』
「できるか聞いてる」
『できます。嫌です』
「よし、できる」
次は予備フィルタだ。使用可の一本をスーツの背面パックに差す。短時間予備は腰のケースへ。落とさないよう、保守棟から回収した固定具で押さえる。
「固定具、便利だな」
『回収判断は有効でした』
『固定が甘いです』
「どこ」
『腰の右側。走行振動で落ちます』
「俺は走行しない」
『あなたの歩行、たまに走行より雑です』
「失礼だな」
レンは腰ケースの固定をもう一段締めた。かち。ガタが短く鳴る。
『少しだけマシです』
「それ、今後の褒め言葉にするのやめろ」
『かなりマシ、もあります』
「あるんだ」
補助バッテリーは迷った。重い。持てば通信塔で使える余裕が増える。だが、そのぶん歩きにくい。粉塵の中で四百メートル以上歩くには、軽さも大事だ。
「補助バッテリー、大きい方と小さい方、どっち」
『小型を推奨します。通信塔外縁での確認には四分あれば足ります』
「大きい方なら十二分使えるんだろ」
『はい。ただし重量増により帰還余裕が減ります。今回の目的は外縁応答の確認です。小型で目的を満たせます』
『大きい方、嫌です』
「お前が運ぶわけじゃないだろ」
『帰還時、あなたが遅くなります。嫌です』
「……それはそう」
レンは大容量型から手を離した。欲張るな。今回は通信塔の外縁確認。接続できるかどうかを見る。応答が取れれば、それで勝ちだ。次に必要なものを持ち帰る。そこで終わり。
中へ入らない、ではない。
外縁を取る。通信塔を次の作業対象に変える。
「小型にする」
『推奨構成です』
『少しだけマシです』
「はいはい」
[EVA LOADOUT]
――――――――――
帰還ビーコン:一
予備フィルタ:一
短時間予備フィルタ:一
補助バッテリー:小型一
固定具:二
携帯工具:最小構成
ガタ:保守棟入口まで同行
総重量:許容内
目的:通信塔外縁応答確認
――――――――――
「目的、通信塔外縁応答確認」
『はい。これが成功すれば、次回以降の通信塔作業を計画できます』
「行く意味はある」
『あります』
『嫌ですが、あります』
レンは装備を床に並べた。こうして見ると、ずいぶん小さい。これで通信塔へ行く。拠点の外。保守棟の先。まだ歩いていない白い場所へ。少しだけ胃のあたりが重くなった。
ノアが地図を表示する。通信塔候補までの線が、細く点滅していた。その周囲に、帰還ビーコンを置く候補地点が三つ出る。
「ビーコンは保守棟入口でいいな」
『はい。第一候補です。ガタを同地点に待機させることで、帰還誘導と路面再評価ができます』
『保守棟入口、嫌さが低いです』
「採用理由が嫌さの低さなの、どうなんだ」
『安全性評価としては有効です』
「じゃあ保守棟」
保守棟は、もうただの目標ではなくなっていた。中継点。部品を拾える場所。逃げ込めるかもしれない場所。危ないけれど、使える場所。
レンは装備をスーツに取りつけた。右腕は、動く。違和感はない。いや、完全にないわけではない。自分が一度壊した場所だと覚えているせいで、どうしても意識する。でも、気密は安定している。
前より、行ける。
「ノア、出発前チェック」
『開始します』
[PRE-EVA CHECK]
――――――――――
右腕シール:安定
酸素:満量
粉塵フィルタ:交換済
予備フィルタ:携行
帰還ビーコン:携行
補助バッテリー:携行
ガタ:保守棟入口まで同行可能
通信塔外縁探索:準備完了
成功時効果:外部認識範囲拡大
――――――――――
準備完了。
その文字が出た時、レンは少しだけ黙った。今までは、足りないものを埋めるために動いていた。空気。水。扉。保守棟。右腕。今回は違う。外へ進むために、準備をしている。ただ生き延びるだけではなく、次の設備へ向かう。それは、少し怖くて、少しだけ気分が上がることだった。
「ノア」
『はい』
「通信塔で何ができると思う」
『外縁応答が取れれば、広域通信設備の状態確認ができます。部分的にでも塔側のセンサーが応答すれば、周辺施設の検出精度が上がります』
「誰かと通信できる可能性は?」
『現段階では不明です。ただし通信塔の応答確認は、相互観測語MIOの再評価条件にも関係します』
「ゼロとは言わないんだな」
『はい。だから確認に行く価値があります』
レンはその答えを聞いて、少し後悔した。聞かなければよかった。価値がある。それは期待になってしまう。期待は、扱いづらい。
『期待、重いですか』
ガタが急に言った。レンは作業台の下を見た。
「お前、そういうことも言うのか」
『荷重変化を検知しました』
「物理じゃない」
『では、分かりません』
「だろうな」
でも、少しだけ気が抜けた。
「今のは忘れる」
『私は記録します』
『私は記録しません。容量が惜しいです』
「お前はそれでいい」
レンはヘルメットを手に取った。かぶる前に、整備室を見回す。作業台。回収部品。外部マップ。空気の送風音。まだ直していないものだらけの拠点。
戻ってくる場所だ。必ず戻る。そう思ってから、ヘルメットをかぶった。首元のリングを固定する。かちり。音が、少しだけ強く聞こえた。
『通信塔探索は次回外部活動で実施します』
「了解」
『到達後の優先手順を提示します。第一、外縁端末の有無を確認。第二、応答信号を取得。第三、塔の外観損傷を記録。第四、帰還』
「行ける手順になってるな」
『はい。行くための手順です』
『前方、嫌です』
「まだ行ってない」
『練習です』
「嫌な練習だな」
その時だった。作業台の下で、ガタが小さく鳴った。
『前方、嫌です』
レンは顔を上げた。
「今度は練習じゃないな」
『前方、かなり嫌です』
メイン端末が、短く鳴った。ぴ。ノアの表示が切り替わる。
[WEAK SIGNAL DETECTED]
――――――――――
発信源候補:通信塔外縁
信号種別:不明
強度:極微弱
内容:判読不可
継続時間:二・一秒
ガタ反応:前方警戒
――――――――――
「通信塔か」
『はい。短距離試験信号に対する反射、または自動応答の可能性があります』
「まだ行ってないのに、向こうから返ってきた?」
『断定はできません。ただし通信塔候補方向からの微弱反応です。行けば、取得できる情報は増えます』
『前方、嫌です』
「お前、それ言うと本当に嫌な感じになるからな」
『前方、かなり嫌です』
レンは画面を見た。通信塔候補が、灰色から淡い青に変わっている。一秒。消える。また一秒。点く。短い信号は、それきり返ってこなかった。でも、反応はあった。
右腕は直った。ビーコンは動く。フィルタもある。ガタは嫌がっている。ノアは道順を出している。
通信塔は、さっきより近い。
そして、行く意味のある場所になった。
「ノア」
『はい』
「条件が悪くなければ、次で行く」
『はい。気象条件と粉塵濃度を確認し、行ける時間帯を提示します』
『前方、嫌です』
「分かってる。嫌なのは分かった」
『かなり嫌です』
「それも分かった。だから保守棟まで一緒に来い」
『嫌ですが、行きます』
レンは通信塔の点滅を見続けた。外はまだ白い粉塵の中だ。まだ見えない。まだ遠い。まだ怖い。でも、向こうは完全な沈黙ではなかった。ほんの二秒。内容も分からない。それでも、反応はあった。
レンはヘルメットのバイザーを上げ、整備室の空気を一度吸った。少し機械臭い。それでも、戻ってくる場所の匂いだった。