軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第37話 保守棟の中は、まだ使えた

扉の隙間は、四十四センチまで広がっていた。

レンはその前に立ったまま、しばらく中を見ていた。ライトの光が入口区画の床をなぞり、埃、金属片、落ちたケース、倒れた棚の脚を浮かび上がらせる。

奥の赤い警告灯は、まだ弱く点滅していた。

ぴ、ぴ。

音は小さい。けれど、保守棟の中から聞こえてくるその音は、外の風よりずっと気になった。

「ノア、内部の空気」

『外部作業スーツ継続を推奨します。内部空気成分は未確認です』

「まあ、脱ぐ気はない」

『内部進入は入口区画のみを推奨します』

「分かってる。入口だけ」

レンはそう言った。

自分でも、あまり信用できない言い方だった。

[ENTRY CHECK]

――――――――――

開放幅:四十四センチ

内部空気:未確認

床面:障害物あり

照明:非常灯のみ

推奨:入口区画限定

――――――――――

レンは工具ベルトを少し上へずらした。

前回から位置は直してある。それでも、扉を抜ける時に引っかかる可能性はある。背中のタンクもぎりぎりだ。四十四センチは、外壁ハッチよりは広い。広いが、楽ではない。

レンは体を横にした。

まず左肩。

胸部ユニットを斜めに入れる。

扉の縁がスーツに触れた。

ぎり。

嫌な音がする。

『接触しています』

「聞こえてる」

『外装損傷は軽微』

「まだ入ってる途中だぞ。先が思いやられるな」

右足を中へ入れる。

床に触れた。

こつ。

金属床だった。けれど、表面には砂と埃が積もっていて、靴底が少し滑る。レンは壁に手をつき、体をさらにねじった。

背中のタンクが扉の縁に当たる。

ごつ。

止まる。

「またか」

『背面タンク下部が接触』

「知ってる」

レンは膝を曲げ、体を低くした。前回と同じだ。外壁ハッチでも、保守棟でも、結局タンクが邪魔になる。

少し下げる。

まだ当たる。

もう少し。

タンクが縁から外れた。

すこん。

勢い余って、レンは保守棟の内側へ一歩踏み込んだ。

靴底が何かを踏んだ。

ぱき。

薄い樹脂片が割れた。

「……今の、重要部品じゃないよな」

『判別不能です』

「重要じゃないことにする」

『記録上は破損物として扱います』

「律儀だな」

レンは壁に手をついた。

入った。

保守棟の中は、思ったより狭かった。入口区画は小さな前室のようになっていて、左側に工具ラック、右側に低い棚。奥には短い通路があり、その先は暗い。

空気は冷えている。

スーツ越しでも分かる。長く閉じ込められていた冷たさだった。壁の中で何かが低く唸っている。まだ完全に死んでいない。

レンはライトをゆっくり動かした。

床には落下物。ひび割れたケース。外れたパネル。ケーブルの束。天井の一部が剥がれ、細い配線が垂れている。

「ここ、崩れないよな」

『構造診断中。入口区画は短時間滞在可能と推定』

「短時間って?」

『現時点では五分以内』

「短いな。今日は何でも短い」

『不確定要素が多いためです』

レンは奥へ行きたい気持ちを抑えて、まず入口区画を見た。

左の工具ラックには、まだ工具が残っている。大半は錆びていたが、形はある。手動レンチ、細いプローブ、ケーブル固定具、古い切断工具。どれも拠点内にあるものより、少しだけ外部作業向きに見える。

[TOOL RACK]

――――――――――

手動工具:残存

電動工具:電源不明

固定具:使用可能候補

ケーブル類:劣化

回収推奨:一部

――――――――――

「使えそうなの、あるな」

『固定具と手動工具は回収候補です』

「全部持って帰りたい」

『重量超過になります』

「言うと思った」

レンは工具ラックから、使えそうな固定具を二つ外した。

カチ、と外れる。

思ったよりきれいな音だった。

それだけで少し気分が上がった。

右側の棚へライトを向ける。

丸い部品が並んでいた。

大小いくつものリング。黒い樹脂。金属芯入り。ラベルはほとんど剥がれているが、形は見覚えがある。

スーツのシールリングだ。

レンの喉が、少しだけ動いた。

「ノア」

『確認中』

「あれ、シールリングだよな」

『形状一致率八十一パーセント。外部作業スーツ用シール部品の可能性が高いです』

「八十一なら十分だ」

レンは棚に近づいた。

足元の落下物を避ける。床が少し沈むような感触がしたが、すぐ止まった。嫌な汗が出る。

「床、今沈んだ?」

『床面歪みを検出。荷重を一点にかけないでください』

「早く言え」

『現在、言いました』

「便利な返事、二回目だぞ」

棚の前に膝をつく。

シールリングは埃をかぶっていた。指でひとつ持ち上げる。硬い。だが、完全に劣化しているわけではない。右腕に使えるかは、サイズ次第だ。

レンはリングをライトにかざした。

「これ、右腕に合うか?」

『外径が近似。内径は要確認』

「要確認ばっかりだな」

『現物照合が必要です』

「じゃあ持って帰る」

レンはリングを三つ、回収袋に入れた。

その奥に、細長いカートリッジが並んでいる。

白く変色した外装。片側に網目状の構造。ラベルに、かすれた文字。

FILTER。

「フィルタもある」

『粉塵フィルタの可能性があります』

「当たりだ」

レンは思わず声を少し上げた。

粉塵フィルタは、外に出るたびに消耗している。拠点内の予備は少ない。これが使えるなら、外部活動の回数を増やせる。

フィルタを二本持ち上げる。

片方は割れていた。

「あ、これは駄目」

『破損』

「見れば分かる」

もう片方は無事そうだった。さらに奥に二本。一本は軽すぎる。中身が抜けている。最後の一本は重さがある。

合計二本。

使えるかもしれないフィルタが二本。

レンは回収袋へ入れた。

[RECOVERY ITEM]

――――――――――

シールリング候補:三

粉塵フィルタ候補:二

固定具:二

手動工具:一

重量:許容内

――――――――――

「宝箱だな」

『保守部品棚です』

「そういう意味じゃない」

『理解しました。比喩表現です』

「真面目に処理するな」

レンは少し笑った。

保守棟の中に入った意味があった。

右腕の補修をちゃんと直せるかもしれない。粉塵フィルタも増える。固定具もある。たった入口区画だけで、これだけ手に入った。

外は、ただ怖いだけではなかった。

使えるものがある。

それはかなり大きかった。

奥の赤い警告灯が、また鳴った。

ぴ、ぴ。

さっきより、ほんの少し音が大きい。

レンは顔を上げた。

「ノア、あれは?」

『奥の作業端末と思われます。低出力で起動中』

「近づいていいか」

『入口区画限定を推奨しています』

「端末、入口区画の外か?」

『約三メートル奥です』

「近いな」

『推奨範囲外です』

レンは奥の通路を見た。

三メートル。

たった三メートルだ。

けれど、ここでは大きい。床の状態は不明。天井の配線も垂れている。奥へ行けば、帰りに何かが落ちるかもしれない。扉が閉まるかもしれない。

でも、端末が生きている。

部品だけで帰るか。

端末も見るか。

レンは少しだけ迷った。

「残り滞在推奨時間」

『二分四十秒』

「短い」

『入口区画滞在基準です』

「奥へ三メートル行って戻るなら?」

『推奨しません』

「それは分かった。何秒」

『最短で四十秒。ただし転倒、落下物、床面崩落がない場合』

「全部なかったことにしたいな」

『できません』

レンは回収袋を見た。

シールリング候補。粉塵フィルタ候補。固定具。手動工具。

これだけで十分な成果だ。

十分だが、端末を見れば、もっと分かるかもしれない。外部マップ。内部在庫。通信塔への情報。次に来る時の安全確認。

レンは小さく息を吐いた。

「三メートルだけ」

『レン』

「分かってる。奥へは行かない。端末を見るだけ」

『その発言は、前回の『のぞくだけ』と類似しています』

「記録しなくていい、そういうの」

『記録済みです』

「嫌なAIだな」

レンは足元をライトで照らしながら、ゆっくり奥へ進んだ。

一歩。

床が鳴る。

ぎし。

止まる。

『床面歪み』

「戻るべきか?」

『左側の床フレームは比較的安定しています』

「最初からそっち言ってくれ」

レンは左へ寄った。

二歩。

三歩。

赤い警告灯が近づく。

通路の壁に、小さな端末が埋め込まれていた。画面は割れている。だが、その下の状態ランプが赤く点滅している。完全に死んではいない。

画面には、欠けた文字が浮かんでいた。

[MAINTENANCE TERMINAL]

――――――――――

内部電源:低下

在庫記録:断片

外部マップ:断片

診断機能:制限

――――――――――

「在庫記録と外部マップ」

『有用情報です』

「だよな」

レンは端末へ手を伸ばした。

その瞬間、天井から埃が落ちた。

ぱら。

次に、小さな金属音。

かん。

レンは反射的に一歩下がった。

天井の剥がれたパネルが、少しずれている。

「落ちるか?」

『落下可能性があります』

「端末操作、短くする」

レンは端末の外部接続口を探した。

割れた画面の下に、古い端子がある。砂と埃が詰まっている。細いプローブを差し込み、軽くこする。

端子が見えた。

携帯ケーブルをつなぐ。

かち。

端末が、弱く鳴った。

ぴ。

[DATA SNAPSHOT]

――――――――――

在庫記録:取得中

外部マップ:取得中

端末状態:不安定

推奨:短時間転送

――――――――――

「転送できるか」

『低速です。全件取得は不可。優先項目を選択してください』

「在庫とマップ、どっち」

『現在の緊急性では在庫。次回行動計画ではマップ』

「両方ほしい」

『時間が不足しています』

「じゃあ在庫優先、マップは断片だけ」

『実行します』

バイザーの端で、細いバーが伸びる。

遅い。

遅すぎる。

天井からまた埃が落ちた。

ぱら、ぱら。

『レン、滞在推奨時間を超過します』

「あと何秒」

『二十秒』

「粘る」

バーが伸びる。

在庫記録、六十二パーセント。

外部マップ、十三パーセント。

天井のパネルが、また鳴った。

ぎ。

嫌な音。

『レン』

「分かってる」

在庫記録、七十四パーセント。

外部マップ、十七パーセント。

もう少し。

もう少しだけ。

天井のパネルの端が外れた。

がしゃん。

レンのすぐ横に落ちた。

床で跳ね、工具ラックに当たって止まる。音が保守棟の中に響いた。レンの呼吸が一瞬止まる。

『撤収してください』

「了解」

レンはケーブルを引き抜いた。

転送バーは途中で止まった。

[DATA SNAPSHOT RESULT]

――――――――――

在庫記録:部分取得

外部マップ:断片取得

端末状態:不安定

再接続:可能

――――――――――

「部分でも取れた」

『撤収を優先してください』

レンは端末から離れた。

戻り道は短いはずなのに、長く感じた。床を踏むたびに、ぎし、と鳴る。落ちたパネルの音がまだ耳に残っている。

入口区画まで戻る。

扉の隙間から外の白い光が見える。

レンは回収袋を抱え直した。

中身が重い。

その重さが、うれしかった。

「出るぞ」

『扉との接触に注意してください』

レンは横向きになって、扉の隙間へ体を入れた。

入る時より出る時の方が難しい。回収袋があるせいだ。胸側に抱えると、胸部ユニットが当たる。腰に回すと工具ベルトが引っかかる。

「袋、邪魔」

『一度外へ投げ出す方法があります』

「中身壊れるだろ」

『衝撃リスクがあります』

「却下」

レンは袋を片手で先に出し、扉の外へ置いた。次に自分の肩を抜く。背中のタンクが縁に当たる。膝を曲げる。

すこん。

抜けた。

外に出た瞬間、風がバイザーに粉塵をぶつけた。

ぱらぱら。

外の白い光が、少しだけまぶしい。

[EXIT CONFIRMATION]

――――――――――

保守棟内部進入:確認

回収物:部品候補複数

在庫記録:部分取得

外部マップ:断片取得

スーツ損傷:なし

――――――――――

「戻った」

『外部へ退出を確認しました』

「入口区画だけ、だったよな」

『端末位置は入口区画外、約三メートルでした』

「細かいな」

『記録上は必要です』

「じゃあ、入口区画とちょっとだ」

『記録を修正します。入口区画および隣接通路』

「それでいい」

レンは回収袋を見た。

シールリング。粉塵フィルタ。固定具。工具。そして、端末から取れた断片データ。

保守棟の中は、まだ使えた。

完全ではない。危ない。崩れかけている。だが、死んではいなかった。

レンは外壁ハッチの帰還マーカーを見た。

「ノア」

『はい』

「次は右腕、直す」

『推奨します』

「ちゃんとした部品で」

『適合確認が必要です』

「分かってる。でも、候補はある」

レンは回収袋を肩にかけた。

袋の重さで、体が少し傾く。

面倒だった。

でも、悪くない重さだった。