作品タイトル不明
第36話 十八センチの隙間を広げる
保守棟の扉は、十八センチだけ開いていた。
人間は通れない。腕を入れるのがやっとだ。中は暗く、入口区画の床と、倒れた棚の影が少し見えるだけだった。
レンは扉の前にしゃがみ、下部レールをライトで照らした。
砂。小石。歪んだ金属片。前回取りきれなかったものが、まだ奥に噛んでいる。扉は少し開いたまま、そこで固まっていた。
「ノア、状態」
『扉開放幅、十八センチ。外部給電、低出力で維持。レール障害、継続。ロック機構、部分解除状態です』
「つまり、開きかけで詰まってる」
『はい』
レンは手袋の指先で、レールの砂をかき出した。
ざり、ざり。
白い粉塵まじりの砂が、足元に落ちる。保守棟の入口は風の通り道になっているらしく、扉の隙間から冷えた空気が細く漏れていた。ヘルメット越しでも、温度表示がわずかに下がるのが分かった。
[ANNEX DOOR STATUS]
――――――――――
開放幅:十八センチ
下部レール:砂・小石詰まり
外部給電:低出力維持
ロック機構:部分解除
内部空気:低温/未確認
――――――――――
「開放目標は?」
『最低四十二センチ。スーツ着用状態で横向き通過する場合、推奨四十八センチ以上です』
「外壁ハッチよりはマシか」
『幅だけで比較すれば、そうです』
「幅だけかよ」
『内部構造安定性は未確認です』
レンは小さく息を吐いた。
怖がる材料は十分だった。扉の向こうは暗い。内部の床が抜けている可能性もある。空気は吸えないかもしれない。天井が落ちるかもしれない。そもそも扉が急に閉まるかもしれない。
それでも、ここを開けないと進まない。
右腕の補修シールは、まだ暫定のままだ。前回より補強はしたが、長く外で使うには心もとない。保守棟の中に部品があるかもしれない。その可能性だけで、ここまで来る理由には十分だった。
「やるか」
レンはレールの奥へ細いスクレーパーを差し込んだ。
がり。
硬い感触。
砂ではない。金属片だ。前回抜いたものより奥に、もう一つ噛んでいる。
「奥に何かある」
『画像補正します』
バイザー内で、レールの奥が少しだけ強調された。白い砂の中に、黒い金属片が斜めに刺さっている。扉が動くたびに、それを押し込み、さらに詰まらせたようだった。
「こいつか」
『障害物の可能性が高いです』
「取る」
レンは手動クランプを差し込んだ。
届かない。
扉の開き幅が狭く、腕の角度が悪い。右腕を深く入れれば届きそうだが、補修シールに負荷がかかる。
「右腕で行けるか」
『推奨しません』
「左だと届かない」
『右腕を使う場合、補修部への負荷を監視します。作業時間を短くしてください』
「短くって何秒」
『二十秒以内』
「短いな」
レンは右腕を隙間へ入れた。
胸部ユニットが扉に当たる。肩が引っかかる。右腕の接合部が嫌な角度で伸びる。バイザーの端に、補修部負荷の表示が出た。
[SUIT SEAL MONITOR]
――――――――――
右腕シール:暫定補修
負荷:上昇
圧力低下:なし
推奨作業時間:二十秒以内
――――――――――
「数えなくていいからな」
『表示のみ継続します』
「それは数えてるのと同じだろ」
レンはクランプを奥へ伸ばした。
金属片に触れる。
滑る。
もう一度。
今度は挟んだ。
「取った」
『負荷上昇』
「分かってる」
引く。
抜けない。
金属片がレールの下で噛んでいる。角度を変える必要がある。右腕を少しひねる。補修部がきしんだ気がした。
気のせいであってほしい。
『レン、十五秒経過』
「言うなって」
レンは奥歯を噛んだ。
金属片を左へ倒す。駄目。右へ少し戻す。そこから上へ引く。
がき。
動いた。
「抜けろ」
短く言って、一気に引いた。
がこん。
金属片が外れ、砂を巻き込みながら手前へ飛び出した。レンは反動で後ろへ尻もちをついた。背中のタンクが小さく鳴る。
『右腕シール、圧力維持』
「先にそれ言ってくれ」
『今、言いました』
「便利な返事だな」
レンは手の中の金属片を見た。
曲がったロック爪の一部だった。扉の内側から剥がれ、レールに落ちたらしい。こんなものが噛んでいれば、そりゃ動かない。
レンはそれを脇へ投げた。
かん、と乾いた音がした。
「再開放できるか?」
『レール障害は一部解消。扉制御の再試行が可能です。ただし、外部給電が不安定です』
「今度は給電か」
保守棟の裏手へ回る。
前回固定した給電ケーブルは、まだつながっていた。だが、粉塵よけに巻いた布がずれ、接点に砂が入り込んでいる。簡易固定は、簡易だった。
「まあ、こうなるよな」
『固定状態、劣化』
「言い方」
レンは布を外し、接点を拭いた。
白い粉が手袋につく。端子を抜き差しして、接触を確認する。ケーブルのランプが弱く点いたり消えたりする。もう一押し、足りない。
周囲を探すと、倒れた小型コンテナの下に、金属の支え棒が見えた。
レンはそれを引き抜いた。軽い。曲がっているが、クランプの補助には使えそうだった。
「これで固定する」
『応急固定としては有効です』
「応急ばっかりだな」
『恒久修理に必要な部品は内部にある可能性があります』
「その内部に入るための応急だろ。ずっとこれだ」
レンは支え棒を壁の隙間に差し込み、ケーブルを押さえる形で固定した。上からクランプを噛ませ、布を巻き直す。
雑だ。
だが、ケーブルのランプは今度こそ緑で安定した。
[AUXILIARY POWER INPUT]
――――――――――
外部給電:安定寄り
接点状態:改善
出力:低〜中
扉制御:再試行可能
固定:応急
――――――――――
「安定寄り」
『完全安定ではありません』
「寄ってるだけマシだ」
レンは正面へ戻った。
扉の隙間はまだ十八センチ。だが、下部レールの詰まりはかなり取れた。外部給電も少し戻っている。開く条件は、さっきよりは良い。
問題は、ロック機構だった。
入口端末の白い点は弱く光っている。未登録診断補助者としての一時権限は、前回で切れているはずだ。再申請からやり直す必要がある。
「ノア、前回の診断補助で再申請」
『送信します。目的は入口端末診断および扉制御再試行』
「内部進入は?」
『申請に含めません』
「含めないのか」
『現時点で申請すると拒否される可能性が上がります。まず扉を開けます』
「順番、大事だな」
『はい』
入口端末に手を近づける。
白い点が黄色に変わった。
[TEMPORARY ROLE REQUEST]
――――――――――
申請:未登録診断補助者
目的:入口端末診断
追加目的:扉制御再試行
内部進入:未申請
判定:保留
――――――――――
「保留」
『前回と同様です』
「そこは覚えてるんだな」
端末が短く鳴った。
ぴ。
白い点が、細く伸びるように明るくなる。
[TEMPORARY ROLE]
――――――――――
分類:未登録診断補助者
許可:入口端末診断/扉制御再試行
禁止:内部進入/管理記録改変
有効時間:五分
――――――――――
「五分」
『作業を開始してください』
レンは扉の横に膝をついた。
制御パネルを開ける。中の回路は前回より見慣れていた。見慣れたくはないが、どの線を触ると白い点が消えるかくらいは覚えている。
扉制御を再起動。
低い音が鳴る。
ぶん。
保守棟の奥で、古いモーターが回る。扉が震えた。
が、がが。
十八センチの隙間が、少し広がる。
二十センチ。
二十五センチ。
そこで止まった。
「止まった」
『上部ロックが干渉しています』
「下じゃなくて上かよ」
レンは立ち上がり、扉の上部をライトで照らした。
庇の下、扉の上にあるロック爪が半分落ちている。歪んだ爪が扉に引っかかり、開放を邪魔していた。
手が届かない。
「上だ」
『確認しています』
「脚立は?」
『周囲に見当たりません』
「だよな」
レンは倒れた小型コンテナを見た。
上に乗れば届くかもしれない。だが、コンテナは傾いている。乗るには危ない。
「コンテナに乗る」
『推奨しません』
「ほかに届かない」
『転倒リスクがあります』
「分かってる」
レンはコンテナを足で押した。
がた、と動く。砂に半分埋もれている。完全には安定しない。レンは周囲の小石を詰めて、少しでも揺れを抑えた。
それでも、乗るとぐらついた。
『レン』
「必要時のみ警告じゃなかったか」
『これは必要です』
「分かってる」
レンはコンテナの上に立ち、扉上部へ手を伸ばした。
届く。
ロック爪は思ったより重い。曲がった先端が扉に噛んでいる。手で押しても動かない。手動クランプを使う。
ぐ、と引く。
動かない。
足元のコンテナが揺れる。
レンは片手で壁に触れ、体を支えた。
粉塵がバイザーに当たる。
ぱら、ぱら。
『残り権限時間、三分二十秒』
「今それもあるのか」
『あります』
「最悪だな」
レンはもう一度クランプをかけた。
ロック爪を少し持ち上げ、横へ逃がす。金属がきしむ。腕に力が入る。肩が痛い。
あと少し。
爪が動く。
がき。
中途半端に外れた。
『落ちる可能性があります』
「どっちが」
『ロック爪と、あなたです』
「まとめるな」
レンは息を吸った。
クランプを握り直す。
体重をかける。
「外れろ」
ロック爪が跳ねた。
がこん。
爪は扉から外れ、横へ倒れた。同時にコンテナが大きく揺れた。
レンの足が滑る。
まずい。
膝を曲げる。壁に手をつく。背中のタンクが庇に当たる。低い音がした。
なんとか落ちずに止まった。
『転倒なし。スーツ損傷なし』
「心臓に悪い」
『心拍上昇を確認』
「確認しなくていい」
レンはコンテナから降りた。
膝が少し笑っている。外で脚立代わりにコンテナへ乗るのは、二度とやりたくなかった。たぶんまたやることになる。嫌だ。
扉の前に戻る。
再開放。
「ノア、やるぞ」
『扉制御を再開します』
古いモーターが唸った。
ぶん。
がが、ががが。
扉が動く。
二十五センチ。
三十センチ。
三十五センチ。
レールに残った砂が押し出され、足元へさらさら落ちる。扉の隙間から、冷たい空気が太く漏れた。ヘルメットの温度表示が一段下がる。
四十センチ。
四十四センチ。
そこで扉が止まった。
今度は、止まったというより、開ききったような止まり方だった。
[ANNEX DOOR OPEN]
――――――――――
開放幅:四十四センチ
下部レール:通過可
上部ロック:退避
外部給電:維持
内部進入:物理的には可能
――――――――――
「四十四センチ」
『横向き通過は可能です。ただし推奨幅には不足しています』
「推奨四十八センチだったな」
『はい』
「四センチ足りない」
『通過時、背面タンクと工具ベルトの接触に注意してください』
「またそれか」
レンは扉の前に立った。
暗い内部が、さっきより広く見える。入口区画の床。倒れた棚。壁の工具ラックらしき影。奥に、赤い警告灯がひとつ、弱く点滅している。
冷たい空気が、ゆっくり流れ出していた。
匂いは分からない。ヘルメット越しだからだ。それでも、古い空気が動いた感じだけはあった。何年も閉じていた場所が、少しだけ息をしたようだった。
「中、見えるな」
『内部構造安定性は未確認です。進入は推奨しません』
「物理的には可能って言ったろ」
『可能と推奨は別です』
「知ってる」
レンはライトを向けた。
白い光が床をなぞる。埃。金属片。落ちたケース。壁の棚。
棚の奥に、丸い部品が並んでいるのが見えた。
シールリングに似ている。
右腕の補修部が、急に重く感じた。
「ノア」
『はい』
「あれ、部品棚じゃないか」
『画像不鮮明。可能性があります』
「入る価値はある」
『はい』
ノアの返答は、いつもより少しだけ早かった。
レンは扉の縁に手をついた。
ここまで開けた。
入れる。
ただし、怖い。
それは消えない。
[ENTRY NOTICE]
――――――――――
内部進入:未許可
物理通過:可能
構造安定:未確認
推奨:入口区画のみ確認
――――――――――
「入口区画だけ」
『はい。奥へ進まないでください』
「分かった。今日は中をのぞくだけだ」
そう言ってから、レンは自分で少し嫌な予感がした。
のぞくだけ。
たいてい、それで済まない。
扉の隙間から、赤い警告灯が弱くまたたいた。
ぴ、ぴ。
保守棟の中は、まだ死んでいなかった。