作品タイトル不明
第33話 外は、思ったより静かだった
赤い点は、ゆっくり点滅していた。
保守棟の入口端末は、死んでいなかった。けれど、レンを通すつもりもなさそうだった。黒く焼けた外装の奥で、小さな光だけが残っている。生き残った機械が、こちらを見ているようだった。
「認証、通せるか?」
『現時点では困難です。拠点側の作業者情報と保守棟側の認証形式が一致していません』
「同じ旧文明施設なのに?」
『同じ組織が作ったとは限りません』
「急に面倒なこと言うな」
『外部施設は拠点管理下ではなく、周辺インフラ管理下の可能性があります』
レンは端末から手を離した。
保守棟の扉は閉じている。厚い。表面に砂がこびりつき、下の隙間には細かい石が詰まっていた。入口の上の庇は半分崩れ、折れた金属材が斜めにぶら下がっている。今にも落ちるほどではない。だが、信じて下に立つには嫌な角度だった。
[MAINTENANCE ANNEX ACCESS]
――――――――――
入口端末:低出力
認証形式:不一致
内部電源:不明
扉ロック:維持
推奨:外部状態確認
――――――――――
「外部状態確認って、扉の周りを見ろってことか」
『はい。迂回入口、補助端子、非常用通気口の確認を推奨します』
「残り時間は?」
『推奨帰還まで十一分五十秒』
「短い」
レンは保守棟から一歩下がった。
外は、やはり静かだった。静かすぎる。風が粉塵を流しているのに、耳へ届く音はほとんどない。ヘルメット越しのせいもある。だが、それだけではない気がした。空っぽの場所が、音を吸っているようだった。
足元で砂が鳴る。
ざり。
その音だけが、やけに近い。
レンは保守棟の壁沿いに歩き始めた。右手で外壁に触れながら進む。壁はざらつき、ところどころが熱を失った石のように冷たい。スーツ越しでも、その硬さだけは伝わった。
「ノア、外壁材質」
『複合セラミック合金。表層劣化あり。構造強度は不明です』
「不明ばっかりだな」
『外部施設の詳細データがありません』
「そうだったな」
保守棟の横へ回ると、折れたポールが二本、砂に刺さっていた。昔は照明か標識だったのだろう。片方の根元に、細いケーブルが露出している。黒く焼け、途中で切れていた。
レンはしゃがんだ。
ケーブルの断面に砂が詰まっている。指で払うと、銅色の線が少しだけ見えた。死んでいるようにも見える。だが、入口端末が生きているなら、どこかにまだ電源経路が残っているはずだ。
「補助電源ライン?」
『可能性があります。通電確認には接触が必要です』
「触って大丈夫か」
『高電圧残留の可能性は低いです。ただし、ゼロではありません』
「はいはい」
レンは工具ベルトから検電プローブを取り出した。
手袋越しに細い端子を持つ。先端をケーブルへ近づける。表示は揺れない。もう少し奥へ差し込む。プローブが砂に噛んだ。
反応なし。
「死んでる」
『このラインは使用不能です』
「別を探す」
立ち上がる時、右腕の接合部が少し引っかかった。暫定補修したシールの場所だ。レンは反射的に右腕を見た。
[SUIT SEAL MONITOR]
――――――――――
右腕シール:安定
圧力低下:なし
補修部負荷:軽微
――――――――――
「見なくても表示出るの、便利だな」
『必要情報です』
「いや、ありがたいって意味」
『了解しました』
レンは保守棟の裏手へ回った。
そこは少しだけ粉塵が薄かった。建物が風を遮っているらしい。地面には古い足場板のようなものが倒れている。人間が使ったものか、自動機械用かは分からない。
壁面に、小さな四角い蓋があった。
蓋の縁に、黄色い三角の表示。警告。文字は読めない。だが、警告表示はだいたい嫌なものの近くにある。
「これ、補助端子じゃないか」
『画像解析中。非常用外部給電ポートの可能性があります』
「当たりだと助かる」
『蓋の固定具が破損しています』
「開くってこと?」
『または、開かないということです』
「幅が広いな」
レンは蓋に手をかけた。
びくともしない。
固定具が破損しているというより、砂と腐食で固まっている。レンは小型カッターを差し込んだ。隙間の砂を削る。ざりざりとした感触が手に伝わる。カッターの刃が何度か滑り、蓋の縁を削った。
時間が減っていく。
『推奨帰還まで十分钟を切りました』
「十ぷん?」
『失礼しました。十分钟ではなく、十分です』
「今、なんか変な言い方したな」
『音声出力系に一時的な言語混入がありました』
「怖いことをさらっと言うな」
『機能に影響はありません』
「あると困る」
レンはカッターをしまい、手動クランプを取り出した。蓋の縁に噛ませる。力を入れる。動かない。角度を変える。もう一度。
ぎ。
少しだけ浮いた。
中から、細かい砂がこぼれた。
さらに引く。
ぎぎぎ。
蓋が外れた。
中に、円形の接続ポートがある。半分錆び、半分はまだ形を保っていた。端子の周りに、古い黒い焼け跡がある。
「給電ポート確認」
『形状互換あり。拠点標準ケーブルの変換端子で接続可能です』
「持ってきてる」
『確認しています』
レンは工具ベルトから変換端子付きのケーブルを取り出した。
問題は、電源を入れる側だ。保守棟に外から電力を入れるのか。逆に保守棟から何かが流れてくるのか。どちらもあり得る。
「ノア、接続したら扉が開く可能性は?」
『あります』
「爆発する可能性は?」
『低いです』
「ゼロでは?」
『ありません』
「分かった」
レンはケーブルを差し込んだ。
最初は入らない。端子がずれている。砂が噛んでいる。レンは指先でポートの縁を拭き、もう一度押し込む。
かち。
接続音。
ケーブルのランプが一瞬だけ緑に光り、すぐ消えた。
「消えた」
『待機電力が不足しています。手動起動が必要です』
「手動ばっかりだな」
ポートの下に、小さな押し込み式のスイッチがあった。
レンは押した。
何も起きない。
もう一度。
反応なし。
スイッチの戻りが悪い。内部で固着している。レンは指で何度か押した。押し込むたびに、ぎし、と小さく鳴る。
「これ、壊れてる?」
『固着です。強く押すと破損する可能性があります』
「弱く押しても動かない」
『適度に押してください』
「適度って便利な言葉だよな」
レンは親指をスイッチに当てた。
ゆっくり押す。半分まで沈む。そこで止まる。戻る前に、もう少し押す。内部のばねが軋む。
まだ。
もう少し。
ぐ、と押し込んだ瞬間、スイッチが沈みきった。
保守棟の奥で、低い音がした。
ぶん。
壁の内側で何かが回りかけ、すぐ止まる。
[AUXILIARY POWER INPUT]
――――――――――
外部給電:接続
内部回路:部分応答
入口端末:再起動中
扉ロック:保持
構造診断:未完了
――――――――――
「扉、開かないか」
『ロックは保持されています。ただし、入口端末の出力が上昇しました』
「じゃあ正面に戻る」
レンはケーブルを固定したまま、保守棟の正面へ戻った。
風がまた粉塵を流している。さっきより少し視界が悪い。バイザーに細かい粒が当たり、ぱらぱら鳴る。保守棟の角を曲がると、入口端末の赤い点が明るくなっていた。
点滅が速い。
待っている。
「認証、もう一回試す」
『注意してください。出力上昇により、拒否時の自動防御が作動する可能性があります』
「防御って何」
『扉ロック強化、警告音、通報信号などです』
「武器は?」
『保守棟入口に武装設備は確認されていません』
「ならやる」
レンは端末に手を近づけた。
赤い点が、黄色に変わった。
[IDENTIFICATION REQUEST]
――――――――――
作業員ID:未確認
所属:不一致
管理権限:不足
外部作業記録:あり
判定:保留
――――――――――
「保留?」
『拒否ではありません』
「前進だな」
『ただし、許可でもありません』
端末の奥で、短い電子音が鳴った。
ぴ。
低い。弱い。
そのあと、バイザー内に古い認証形式が流れ込んできた。文字列が乱れ、いくつかは読めない。ノアが即座に補正する。
「ノア、翻訳」
『作業員資格、外部活動記録、保守棟入退記録を要求しています』
「外部活動記録なら今あるだろ」
『スーツ内蔵記録を提示できます』
「提示」
『送信します』
数秒。
端末の黄色い点が、また赤に戻った。
「駄目か?」
『追加情報を要求しています』
「何を」
『所属施設コード』
「拠点コードでいい?」
『不一致になる可能性が高いです』
「でも、他にない」
レンは少し考えた。
ここで無理に通そうとして、完全ロックされる方がまずい。残り時間も少ない。だが、低出力応答まで来ている。ここで何も得ずに帰れば、次も同じ作業をすることになる。
レンは外壁ハッチの方向を見た。
白い粉塵の向こうに、帰還マーカーがある。距離は百二十メートルほど。戻るだけなら間に合う。何か起きれば厳しい。
「残り時間」
『推奨帰還まで八分十秒』
「ぎりぎりだな」
『帰還を推奨します』
「分かってる」
レンは端末を見た。
赤い点が、ゆっくり瞬いている。
知らない相手を拒む機械。
でも、完全には閉じていない。
「ノア、拠点コードをそのまま送らない。外部活動記録だけ残して、所属未確定で申請できるか」
『可能です。ただし、許可される可能性は低下します』
「低下って、もともと低いんだろ」
『はい』
「じゃあいい」
ノアが処理を走らせた。
バイザーの端で、短い表示が流れる。
[TEMPORARY ACCESS REQUEST]
――――――――――
作業員ID:未確認
所属:未確定
外部活動記録:提示
目的:保守設備確認
要求:入口診断のみ
――――――――――
端末が沈黙した。
一秒。
二秒。
三秒。
赤い点が消える。
「切れた?」
『待機してください』
入口の奥で、低い音がした。
ごん。
扉ではない。ロック機構の奥だ。金属が動いたが、途中で止まったような音。
端末に、弱い白い光が灯る。
[LIMITED RESPONSE]
――――――――――
一時診断:許可
扉開放:不可
内部センサー:部分起動
再申請:可能
――――――――――
「開かないけど、診断は通った」
『はい。内部センサーの一部が起動します』
扉の横の細いスリットに光が走った。
保守棟の内部が、ほんの一瞬だけ表示される。輪郭だけだ。入口区画、短い通路、奥に作業棚らしき形。床に落下物。天井に破損。空気状態は不明。
だが、内部空間はある。
生きている設備も、少しだけある。
レンの胸の奥で、固まっていたものが少し動いた。
「中、あるな」
『内部空間を確認。構造診断は不完全です』
「次は入れる」
『準備が必要です』
「分かってる」
その時、右上の酸素表示が黄色になった。
『レン、帰還推奨時刻です』
「了解」
レンは端末から手を離した。
保守棟の白い光は消えずに残っている。弱いが、さっきよりは明るい。次に来れば、扉を開ける手がかりになる。
外で、初めて見つけた前進だった。
レンは外壁ハッチへ向けて歩き出した。
粉塵の向こうに、帰還マーカーが浮かんでいる。距離は百二十二メートル。さっきより、少し遠く感じた。
「ノア」
『はい』
「次、工具増やす」
『推奨します』
「あと、肩幅も増やさない方向で」
『それは制御対象外です』
「知ってる」
レンは息を吐いた。
静かな外を、帰還マーカーだけを頼りに戻り始めた。