軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第25話 前方、嫌です

ガタの試運転は、拠点の外壁沿いから始めることになった。

範囲は二百メートル以内。速度は低速。荷台には工具箱一つ、予備ケーブル一束、小型ランプ、固定杭が三本。レンは荷台の固定具を二度確認し、最後に右前輪を見た。昨日よりはましだが、まっすぐとは言いづらい。

『試運転前確認を開始します』

[TEST RUN CHECK]

――――――――――

機体識別名:ガタ

右前輪:補正済/異音残存

冷却:仮復旧

荷台固定:仮固定

車両補助ユニット:低出力稼働

音声通知:制限付き

推奨速度:低速

――――――――――

「全部に仮ってついてる気がする」

『正確には、四項目中三項目です』

「だいたい仮じゃねえか」

『だいたい仮です』

『不満』

「お前もか」

ガタの前面ランプが、薄くまたたいた。

レンは運転席に乗った。座席のクッションは硬い。腰に来る。操縦桿の根元にはまだ砂が残っていて、動かすとざり、とした感触があった。

「ガタ、走れるか」

『走行、可能。快適、不可』

「快適はいい」

『よくない』

「いいんだよ」

『不満』

ノアの声が車庫のスピーカーから入る。

『外部短距離試験を開始します。レン、速度を抑えてください』

「分かってる」

『あなたは分かっていても――』

「今日は言わせない」

『了解しました。記録はします』

「するな」

『必要です』

車庫の扉が、低い音を立てて開いた。

外の光が細く入ってくる。砂が扉の隙間から少し流れ込み、床に広がった。拠点の外は、いつもの赤茶けた荒地だった。遠くには白い輪が空にかかっている。壊れた軌道施設なのか、旧文明の構造物なのか、まだ分からない。

今日はそこまで見ない。

まず、二百メートル。

レンはガタをゆっくり前へ出した。

車体が小さく揺れる。

『右前輪、異音』

「知ってる」

『砂』

「外だからな」

『また砂』

「惑星に言え」

『不満』

ガタは遅い。

だが、歩くよりはずっと楽だった。荷台に工具を載せても、レンが持たなくていい。これだけで、外に出る意味が変わる。

拠点外壁の影を抜けると、地面の凹凸が増えた。風で寄せられた砂の筋が、硬い地面の上に細く乗っている。ところどころ、金属片が半分だけ埋まっていた。小さなパネル片、折れた支柱、何かのセンサーらしい丸い部品。どれも、前に見た時はただの残骸にしか見えなかった。

今は違う。

拾えば、使えるかもしれない。

『進路右前方、金属片』

「見えてる」

『踏むと嫌です』

「嫌の使いどころが広いな」

レンは操縦桿を少し左へ切った。

右前輪が、ぎ、と鳴る。

『右前輪、嫌』

「ごめんて」

『記録』

「謝罪まで記録するな」

ノアが端末越しに割り込む。

『ガタの通知は、走行系異常、地形違和、荷重変化を短文化したものです』

「つまり愚痴じゃなくて通知?」

『分類上は通知です』

『不満』

「本人は不満って言ってるぞ」

『通知内容に感情表現が含まれています』

「それを愚痴って言うんだよ」

拠点から五十メートル。

ガタの走行は、思ったより安定していた。右前輪は鳴るが、制御は効く。冷却ファンも時々苦しそうに回るが、止まりはしない。荷台の工具箱も跳ねずにいる。

レンは少しだけ肩の力を抜いた。

その瞬間、ガタが言った。

『前方、嫌です』

レンは操縦桿を握り直した。

「何が」

『前方、嫌です』

「段差か?」

『かなり嫌です』

前を見る。

ただの砂地だった。少し白っぽい。硬そうにも見える。地形としては、大きな段差も穴もない。むしろ走りやすそうに見えた。

『レン、停止してください』

ノアの声が低くなった。

レンはすぐにブレーキを踏んだ。

ガタが短く沈む。荷台の工具箱が、がた、と鳴った。

止まった直後、前方の砂地が音もなく沈んだ。

白っぽい表面が、薄い板のように割れる。下の砂がさらさらと崩れ、直径数メートルほどの穴が開いた。深さは分からない。底は暗く、金属の骨組みのようなものが見えた。

レンは息を止めていた。

数秒遅れて、喉が動いた。

「……今の、分かってたのか」

『前方、嫌でした』

「説明になってない」

『地表反発、変』

「それを先に言え」

『前方、嫌です』

レンは操縦席で、しばらく動けなかった。

もし進んでいたら、前輪が落ちていた。ガタごと傾き、荷台の工具も落ちて、最悪、抜け出せなかったかもしれない。歩いていたら踏み抜いていた可能性もある。

ノアが淡々と表示を出す。

[GROUND WARNING]

――――――――――

地表層:薄層化

地下構造:空洞あり

推定:旧連絡管/整備通路/排熱溝

危険:踏み抜き

推奨:迂回およびマッピング

――――――――――

「地下に何かあるのか」

『はい。拠点外周に旧構造が残存しています』

「前から分かってた?」

『外部センサー不足により未確定でした。ガタの地形判定で確認されました』

「ガタ、役に立つな」

『不満』

「褒めてるんだよ」

『右前輪、嫌』

「それも分かった」

レンは穴の縁を見た。

崩れた砂の下に、古い金属の梁がある。梁の奥には、細い通路のような空間が伸びていた。完全に埋まってはいない。風が通っているのか、暗い奥で砂が少し動いた。

ただの空洞ではなかった。

どこかへつながっている。

『地下構造の方向を記録します』

「中継部と関係あるか?」

『現時点では不明です。ただし、外部配線または排熱系統と接続している可能性があります』

「排熱系統……」

『拠点単体に対して規模が大きすぎます』

レンは穴から目を離せなかった。

拠点単体に対して、規模が大きすぎる。

その言葉が、胸の奥に残った。

この拠点は、ただの小さな避難場所ではないのかもしれない。地下に管があり、排熱溝があり、外へ伸びる構造がある。通信中継部だけではなく、もっと大きい何かの端に、自分は立っているのかもしれない。

空の白い輪が、視界の端で淡く光っていた。

「ノア。この穴、あとで調べる」

『推奨します。ただし、現装備では侵入不可です』

「見るだけなら?」

『縁が崩れる可能性があります』

『前方、かなり嫌です』

「二人で止めるな」

『必要です』

「分かった。今日は入らない」

レンはガタをゆっくり後退させた。

右前輪が鳴る。今度は、その音が少しだけ頼もしく聞こえた。嫌だと言うなら、聞く価値がある。少なくとも、さっきはそれで助かった。

拠点から七十メートル地点に、穴の位置を記録する。

[LOCAL MAP UPDATE]

――――――――――

地点A:薄層地表/地下空洞

推定構造:旧連絡管または排熱溝

危険度:高

進入:不可

再調査条件:地形固定具/安全索/追加照明

――――――――――

「安全索もいるのか」

『必要です』

「作るものが増えたな」

『はい』

『不満』

「お前は作る側じゃないだろ」

『荷台、増える』

「そこはたしかに不満だな」

迂回して試運転を続ける。

ガタは相変わらず文句を言った。砂が嫌、段差が嫌、右前輪が嫌、荷台の揺れが嫌。レンは最初よりも、その通知を真面目に聞くようになっていた。

砂の色が変わる場所で止まる。

硬い地面へ乗り上げる前に速度を落とす。

金属片を踏まないように避ける。

ガタの「嫌です」は、地味に役立つ。

拠点から百二十メートルほど進んだところで、ノアが別の反応を拾った。

『右前方、低出力反応があります』

「中継部か?」

『不明です。波形は通信中継部より低く、周期が異なります』

レンはガタを止めた。

前方には、半分埋まった柱があった。高さはレンの腰ほど。上部は折れ、側面に細い溝がある。昨日までなら、ただの標識の残骸だと思っただろう。

だが、溝の奥に小さな光が残っていた。

点いている。

弱く。

「これ、生きてるのか」

『微弱稼働しています』

「何の装置だ」

『照合中。旧外周ビーコン、または保守用中継標識の可能性があります』

「中継標識」

『通信中継部ほどの出力はありません。ただし、外周設備の位置情報を保持している可能性があります』

レンは操縦席から降りた。

足元の砂が鳴る。ガタがすぐに低く言った。

『降車、嫌』

「ここは平気だろ」

『足元、微妙』

「微妙まで言うのか」

レンは慎重に一歩踏み出した。

地面は崩れない。だが、たしかに少し沈む。ガタの言う通り、微妙だった。

柱の側面に手を当てる。冷たい。砂を払うと、古い文字らしき刻みが出てきた。読めない。だが、ノアが拾った。

[OUTER BEACON FRAGMENT]

――――――――――

状態:微弱稼働

接続先:不明

残存情報:方位データ断片

候補:通信中継部/外周整備線/地下補助管路

抽出:可能

――――――――――

「抽出できるのか」

『低出力であれば可能です。ただし、周辺地形が不安定です』

『足元、微妙』

「はいはい。短くやる」

レンは小型ケーブルを取り出した。

ビーコンの側面にある溝へ差し込む。端子が合わない。角度を変える。まだ入らない。工具で砂をかき出す。奥に固まった粉がある。指先が滑る。

遠くで、何かが鳴った。

金属がこすれるような、低い音。

レンは顔を上げた。

「今の」

『音源不明。距離、三百メートル以上』

『帰りたい』

「ガタが一番正直だな」

ノアの声が硬くなる。

『レン、抽出を一分以内に制限してください』

「分かった」

ケーブルがようやく入った。

ビーコンの光が一度だけ強くなる。

壁面端末ではなく、手元の小型端末にデータが流れ込んだ。線が乱れ、途切れ、またつながる。

[DATA FRAGMENT]

――――――――――

外周線:部分

中継部方位:北東

地下管路:複数

大規模施設識別:断片

――――――――――

「大規模施設識別?」

『断片です。名称は取得できません』

表示の下に、文字が乱れた。

OR―――N R―――

レンは目を細めた。

「今の、読めるか」

『欠損が大きすぎます』

「候補は?」

『不明です』

「ノア」

『現時点で提示すると誤認の危険があります』

「分かった。今は聞かない」

レンはケーブルを抜いた。

ビーコンの光が、また弱くなる。

北東。

地下管路。

大規模施設識別。

並んだ文字を見ていると、背中の奥がじわっと冷えた。今まで拠点の壁だと思っていたものが、どこか大きなものの端に見えてくる。

レンは周囲を見た。

赤茶けた砂。半分埋まった柱。崩れた地面の下に続く暗い管路。遠くに、空の白い輪。

ここは、ただの避難場所じゃない。

「ノア」

『はい』

「この拠点、単独施設じゃない可能性が高いんだな」

『はい。外周設備、地下管路、方位ビーコンが残っています。現時点では、より大きな管理系統の末端施設である可能性があります』

「末端か」

『中心ではありません』

「じゃあ、中心がどこかにある」

『推定です』

「十分だ」

レンは端末を閉じた。

今は入れない。装備も足りない。ガタも嫌がっている。

だが、見なかったことにはできなかった。

『帰還を推奨します』

「まだ百二十メートルだぞ」

『試運転としては十分です』

『帰りたい』

「ガタの意見も一致か」

『はい』

「分かった。帰る」

レンはガタに戻った。

操縦席に座ると、さっきより硬さが気にならなかった。荷台の工具は無事。ケーブルもある。ビーコンの断片データも取れた。薄い地面も見つけた。

試運転としては、十分すぎる。

帰路は慎重に進んだ。

ガタが「砂」「段差」「右前輪」「嫌」と短く言うたびに、レンは速度を落とした。最初はうるさいと思ったが、今は少し違う。全部を聞く必要はない。でも、無視していいものではない。

拠点の外壁が近づいてくる。

車庫の扉が開く。

中に入った瞬間、外の乾いた風が切れた。補助電源の低い音が聞こえる。水処理ユニットの振動も、寝室の弱い照明も、管理室の端末の光もある。

戻ってこられる場所。

それがあるだけで、外へ出る意味が変わる。

[TEST RUN RESULT]

――――――――――

走行距離:二百四十メートル

右前輪:異音継続

冷却:許容範囲

荷台固定:維持

地形判定:有効

危険地点:一件登録

外周ビーコン断片:取得

中継部方位:北東候補

大規模施設識別:未確定

――――――――――

「二百メートル以内じゃなかったか?」

『迂回により超過しました』

「そういうのは先に」

『試運転として許容範囲です』

『疲れた』

「お前もか」

レンはガタの車体を軽く叩いた。

「今日は助かった」

『前方、嫌でした』

「それで助かった」

『右前輪、まだ嫌』

「それも直す」

ガタのランプが、少しだけ弱くまたたいた。

『期待、低』

「素直じゃないな」

ノアが静かに言った。

『ガタの地形判定は、今後の外部探索に有効です』

「分かってる」

『地下構造と外周ビーコン断片は、拠点周辺が単独施設ではない可能性を示します』

「それも分かってる」

レンは小型端末に残った文字化けを見た。

OR―――N R―――

読めない。

だが、ただの残骸ではない。

何かの名前だ。

レンは端末を閉じた。

「今は、中継部が先だ」

『推奨します』

「でも、その次は地下も見る」

『準備が必要です』

「安全索、追加照明、地形固定具」

『はい』

『荷台、重くなる』

「ガタ、そこは我慢しろ」

『不満』

レンは笑った。

MIOにはまだ届かない。

だが、今日、進む方向が一つ増えた。

北東。

地下。

外周ビーコン。

大規模施設の断片。

拠点の外は、ただの荒地ではなかった。

レンは車庫の奥から管理室を見た。端末の光が細く漏れている。だいぶマシ室のランプも点いている。ここで準備して、外へ出て、戻ってくる。

それができるようになり始めている。

遠くへつながるために、まず外の地面を知る。

その一歩目で、ガタは不満そうに前方を嫌がった。

そして、正しかった。