作品タイトル不明
第24話 右前輪が嫌だと言い出した
ガタは、車庫の奥で斜めに沈んでいた。
小型作業ローバー。機体名はガタ。名づけた時の理由は、たしか走るたびにがたがた鳴ったからだ。今見ると、名前の方が先に予言していたみたいで少し嫌だった。
右前輪は、わずかに外側へ逃げている。冷却ファンの吸気口には砂が詰まり、荷台の固定具は片方だけ歪んでいた。観測塔から戻ってきた時、最低限の砂だけ落として放置していたせいで、細かい砂が床に薄く広がっている。
レンは低荷重仮設作業台、別名だいぶマシ室から工具を持ってきて、ガタの横にしゃがんだ。
「だいぶ無理させたな」
『ローバーに疲労感はありません』
「そういう話じゃない」
『ただし、駆動部の損耗は進行しています』
「それを疲れてるって言うんだよ」
『比喩としてなら、許容します』
レンはガタの車体を軽く叩いた。
かん、と乾いた音がした。装甲板の下で砂が少し落ちる。床に小さな山ができた。
「これ、今日中に走れるようになるか」
『走行自体は可能です。ただし、右前輪系統、冷却ファン、荷台固定具、車両補助ユニットに不具合があります』
「多いな」
『放置期間と前回走行負荷を考えると妥当です』
「俺のせいみたいに言うな」
『一部はあなたの行動によるものです』
「一部で済ませるの好きだな」
『配慮です』
レンは少し笑って、右前輪のカバーを外した。
ボルトは砂を噛んでいる。工具をかけるたびに、ぎり、と嫌な音がした。前回の走行で曲がった支柱は、完全には戻せない。今できるのは、軸の歪みを少し戻し、緩んだ固定を締め直し、砂を抜くことくらいだ。
それでも、やらないよりはいい。
ガタがなければ、外へ出られる範囲は一気に狭くなる。中継部を探すにも、外部センサーを運ぶにも、重い部品を拾って帰るにも、こいつがいる。
MIOへ近づくためにも、ガタは必要だった。
[ROVER STATUS]
――――――――――
機体識別名:ガタ
走行系:右前輪異常
冷却系:砂詰まり
荷台固定具:歪み
車両補助ユニット:休眠
音声通知:破損
走行補助:制限あり
――――――――――
「まず右前輪」
『推奨します』
「次に冷却ファン」
『推奨します』
「荷台は?」
『固定具が不完全な場合、工具類を落下させる可能性があります』
「それも先か」
『全部先です』
「ひどい答えだな」
『状態がひどいためです』
レンは右前輪の支柱に工具をかけた。
力を入れすぎると折れる。弱すぎると戻らない。軸の根元に細い金属棒を差し込み、体重を少しかける。ぎ、と音がした。レンの肩に力が入る。もう一度、ゆっくり押す。
支柱が、ほんのわずかに戻った。
「今の見たか」
『〇・七度改善しました』
「もっと褒めろ」
『〇・七度も改善しました』
「雑に足すな」
レンは口元だけで笑った。
右前輪のカバーを外し、内部の砂をかき出す。細かい砂が指の隙間からこぼれ、床に落ちる。油分を含んだ黒い砂は、普通の砂より重かった。布で拭いても、軸の隙間にまだ残る。
ノアが作業台の方の小型ランプを点け、車庫まで光を伸ばした。
光が当たると、歪みがよく見えた。
「うわ、思ったより曲がってるな」
『前回走行時、段差に対する突入角が不適切でした』
「突っ込むしかなかったんだよ」
『選択肢は限定的でした』
「なら言い方」
『前回走行時、やむを得ず雑に突入しました』
「雑って言うな」
右前輪の補正は、完全ではないが終わった。
次は冷却ファンだった。
吸気口のカバーを開けた瞬間、砂がざらりと落ちた。レンは顔をそむける。遅れて、乾いた金属臭が鼻に入った。ファンの羽根に細い傷がある。回したら音が鳴るだろう。いや、もう鳴っていた気もする。
レンは細いブラシ代わりに、古いケーブルの被覆を裂いたものを使った。羽根の間をこする。砂が落ちる。奥の方に固まった粉がある。水は使えない。布で巻いた金属棒で少しずつ削る。
こり、こり、と嫌な音が続いた。
『冷却ファンの回転抵抗、低下中』
「いい方に?」
『はい』
「そこはいい知らせだな」
『ただし、羽根の欠けは残ります』
「そこまで直す部品はない」
『現状ではありません』
「探すものが増えた」
『はい』
レンは手を止め、車庫の壁にもたれた。
手は砂と油で黒い。爪の間に入った汚れは、もう落ちる気がしない。背中も痛い。寝室で寝たおかげで、昨日よりはましだが、体はまだ重い。
それでも、作業台を作った効果はあった。
工具を取りに戻るたびに、場所が分かる。端子も、ケーブルも、布も、仮固定具も、だいたい決まった場所にある。だいぶマシ室という名前は腹立たしいが、実際だいぶマシだった。
「名前、変えたいのに便利だな」
『だいぶマシ室ですか』
「拾うな」
『使用頻度が上昇しています』
「名前を定着させるな」
荷台固定具は、見た目より面倒だった。
片方の留め具が歪み、荷台の床板が少し浮いている。工具箱を置くと、走行中に跳ねる可能性がある。レンは固定具を外し、曲がった部分を作業台へ持っていった。
低荷重仮設作業台の右奥には、まだ「重いもの置くな」の札が貼ってある。
レンはそれを見て、固定具を左側に置いた。
『口頭注意より表示札が有効でした』
「うるさい」
『有効でした』
「二回言うな」
固定具を金属棒で少しずつ戻す。
かん、かん、と小さな音が作業区画に響いた。打ちすぎると折れる。戻りは悪い。途中で一度、角度を間違えて変な方向へ曲げた。
「……今のは見なかったことにしろ」
『記録しました』
「消せ」
『整備履歴として必要です』
「失敗履歴だろ」
『失敗も整備履歴です』
レンは文句を言いながら、曲げ直した。
どうにか荷台に戻すと、固定具は前より少しだけましになった。工具箱を置いて揺らしてみる。まだ動く。布を噛ませる。もう一度揺らす。今度は大きくは跳ねない。
「仮だな」
『仮固定です』
「ずっと仮ばっかりだ」
『現状の拠点運用は仮の集積です』
「嫌な言い方だけど、正しいな」
レンは車体の下に手を入れ、車両補助ユニットのカバーを外した。
ここが今日の本命だった。
小さな制御箱の中に、古い端子が並んでいる。右側の二本は焼け、中央の一本は抜けかけていた。音声通知のラインは途中で切れている。完全復旧は無理だが、自己診断と走行補助だけなら起こせるかもしれない。
『車両補助ユニットの部分起動を提案します』
「起こすと何ができる」
『地形判定、荷重警告、走行補正、簡易自己診断が利用可能になります』
「音声通知は破損って出てたな」
『破損していますが、短文通知は可能です』
「短文通知」
『はい』
「うるさいやつじゃないよな」
『不明です』
「そこで不明なのか」
『過去ログが一部破損しています』
レンは焼けた端子を外した。
代替に使えそうな端子は、部品保管室のB棚にあった。分類しておいてよかった。数分前の自分を少し褒める。口に出すとノアに拾われそうなので黙る。
『発話準備を確認しました』
「してない」
『沈黙に不自然な満足反応があります』
「人の満足に反応するな」
『作業継続に有効です』
「うるさい」
端子を差し替え、切れたラインを仮接続する。
音声通知のラインは、完全には戻らない。被覆が足りないので、細い布を巻いて絶縁材代わりにした。見た目はひどいが、今は通ればいい。
レンは最後の固定具を締めた。
「起こすぞ」
『低出力で開始してください』
「分かってる」
ガタの車体横に、小さな起動ボタンがあった。
レンは指を置く。
なぜか少し緊張した。
ただの補助ユニットだ。AIと呼ぶには小さい。ノアみたいに話すわけでもない。たぶん、短い通知が出るだけだ。
それでも、拠点の中に自分とノア以外の反応が増える。
レンはボタンを押した。
車体の奥で、低い電子音が鳴った。
右前輪がかすかに震える。
冷却ファンが一度だけ回り、すぐ止まった。
[ROVER ASSIST UNIT]
――――――――――
低出力起動
自己診断:開始
走行系:確認中
冷却系:確認中
荷重系:確認中
音声通知:制限付き
――――――――――
レンは息を止めていた。
ガタの車体前面にある小さなランプが、薄く点いた。
ノアが静かに言う。
『補助ユニット、応答あり』
「よし」
次の瞬間、ガタからざらついた音が出た。
『右前輪、異音』
レンは固まった。
「第一声それか」
『前回走行、雑』
「起きてすぐ失礼だな」
『荷台、砂』
「知ってる」
『冷却、苦しい』
「お前、そんな感じなのか」
ノアが間を置かずに補足した。
『通知内容はおおむね正確です』
「正確ならいいってもんじゃない」
『右前輪系統の異音は実際に残っています』
「分かってるけどさ」
ガタのランプが、弱くまたたいた。
『右前輪、まだ嫌』
「嫌って言ったか?」
『通知語彙に“嫌”が含まれています』
「誰が入れたんだよ」
『不明です』
「旧文明、たまに雑じゃないか」
『可能性はあります』
レンは思わず笑った。
笑うつもりはなかった。だが、右前輪が嫌だと言うローバーを前にして、真面目な顔を保つのは無理だった。
ガタはさらに短く鳴る。
『荷台、重くしないで』
「まだ何も載せてない」
『前回、重い』
「根に持つタイプか」
『記録保持』
「ノア、似たやつが増えたぞ」
『分類は異なります』
「そうか?」
『はい。私は愚痴ではなく分析です』
『不満』
「ほら言われてる」
『ガタの通知です』
「今のは俺にも刺さったぞ」
レンは車体の横に座り込んだ。
右前輪はまだ完全ではない。冷却ファンも仮復旧。荷台も布を噛ませただけ。車両補助ユニットは低出力で、音声もざらついている。
それでも、ガタは応答している。
ただの車両ではなくなった。
うるさい。
たぶん、かなりうるさい。
でも、外へ行く時に右前輪が嫌だと言ってくれるなら、助かるかもしれない。
『自己診断、完了』
ガタの声は低く、少し遅れていた。
『走行、可能。快適、不可』
「快適は求めてない」
『求めてください』
「無理言うな」
『不満』
レンはまた笑った。
車庫の中に、補助電源の低い音と、ガタの小さなファン音が重なる。ノアの端末が淡く光り、作業台のランプが手元を照らしている。寝室、水処理、部品保管室、だいぶマシ室。そして、ガタ。
拠点の中に、少しずつ役割が増えていく。
レンはガタの荷台を軽く叩いた。
「明日、短距離で試す」
『前方、未確認』
「だから試すんだよ」
『不満』
「もう不満は分かった」
ノアが端末に試運転項目を表示した。
[TEST RUN PLAN]
――――――――――
目的:短距離走行確認
範囲:拠点周辺二百メートル以内
確認:右前輪/冷却/荷台固定/地形判定
同乗:黒瀬レン
補助:ノア/ガタ
――――――――――
「同乗っていうか、俺が乗るしかないだろ」
『運転者として登録します』
「ガタ、明日頼むぞ」
ガタのランプがまたたく。
『前回、雑』
「明日は丁寧にやる」
『信頼、低』
「起きたばかりでよく言うな」
『記録、あります』
レンは工具を片づけながら、少しだけ肩の力を抜いた。
MIOには、まだ届かない。
通信中継部も見つかっていない。
拠点は仮だらけで、水も寝床も作業台も、全部まだ弱い。
それでも、足ができた。
文句を言う足だ。
レンは車庫の明かりを落とし、最後にガタを見た。小さなランプが、暗がりの中で薄く残っている。
「おやすみ、ガタ」
『右前輪、嫌』
「寝る前までそれか」
『不満』
レンは小さく笑って、管理室へ戻った。
遠くへつながるために、まず外へ出られる足を直す。
その足は、思ったより文句が多かった。